第22話 「りお」と「ゆり」
次の日の午後、私は机を挟んで、ゆりさんの前に正座をさせられていた。
私が大きなミスをしたときに行われる、説教タイムの始まりだ。
「りお。昨夜の失態はどういうこと?」
「・・・すみませんでした。」
私はしおらしく頭を下げた。
ゆりさんは呆れた表情で私を見ると、顔を横に背けた。
「そりゃアンタにだって色々事情があるとは思うけどさ。こっちはボランティアで店やってるわけじゃないんだよ。客だって大事な時間と金を使って店に通って来てくれてるの。そこを忘れてもらっちゃ困るんだよ。」
「はい。」
「楽しい時間を過ごしに来てるお客さんの前で泣くなんてこと、今度やったらクビにするからね。そこんとこしっかり頭に叩き込んでおきな。」
「はい。本当にすみませんでした。」
私は再び、頭を下げた。
・・・昨夜は本当にどうかしていた。
もう凌と別れて半年も経つのに、こんなささいなことで取り乱すなんて。
凌はもうとっくに私のことなんて忘れて、新しい人生を歩んでいるに決まっている。
私だけがまだ同じ場所で子供のようにうずくまっている。
「で、どうして泣いたの?」
呆然としている私に、ゆりさんがついさっきとは打って変わって柔らかい声を出した。
「え・・・?」
私が顔を上げると、ゆりさんはその官能的な唇を引き上げて、顔を傾げてみせた。
「さっきのはスナックゆりのママとしての説教。ここからは、一人の女としてりおと話がしたいと思ってる。」
「・・・・・・。」
「りおとはまだ身の上話をしたことがなかったね。もし良かったら私に話してみない?話せることだけでいいからさ。」
「ゆりさん・・・。」
「言っとくけどアンタの個人的な事情を知ったからって、店では甘い顔しないからね。」
ゆりさんは公私をきっちり分けることが出来るこの道のプロだ。
そんなゆりさんだからこそ、心の内を話しても大丈夫だと私は思った。
「『粉雪』は、私と凌の大切な曲なんです。」
それから私は、リラクゼーションサロンでセラピストとして働いていたこと、そこで凌と出会ったこと、ママに借金のカタで婚約させられていたこと、そしてママから凌を守るために東京を離れてこの街にやって来たことを全部ゆりさんに打ち明けた。
ゆりさんは私が話している間、何も言わずただじっと耳を傾けていた。
そして私が話し終わると、湯飲みに入ったお茶を一口飲んだ。
「なるほど。アンタの母親は毒親ってわけか・・・。酷い話だね。」
「・・・・・・。」
「今でもその母親とは連絡取ってるの?」
「こっちに来て一回だけ電話で話しました。私は東京を出て宇都宮にいるから、絶対に凌には手だししないで、と約束させました。それからは一回も向こうから連絡はきません。多分私に興味がなくなったんだと思います。私からも連絡してません。今頃ママは新しい恋人と楽しく暮らしているんだと思います。」
「ふーん。そんな母親早くに捨てちゃって、その彼氏とふたりきりでどこか遠くへ逃げれば良かったのに。」
「でもそんなことをしたら、凌は影山エステートにいられなくなる。凌はお父さんと仲直りしてやっと自分が輝ける居場所をみつけたんです。私はそんな凌の人生を壊すことなんて出来ない。」
私はそう言って目線を膝へ落とした。
「でもその彼氏にとっては、りおの存在がたったひとつの大切な居場所だったのかもしれないよ?」
「・・・でももう、終わったことです。」
私が力なくそうつぶやくと、ゆりさんがポツリと話し始めた。
「私も母親からの愛情を知らないからさ、アンタの気持ちは少しだけわかるよ。」
「・・・え?」
「私の母親は暴力が激しくてさ。小学校3年くらいからかな、いきなり横っ面を張り倒されるの。やれ勉強が出来ないだの、食べ方がなってないだの、適当な理由をみつけては殴られてた。今でいう児童虐待っていう奴よ。ほらこれ見て?」
ゆりさんは袖をめくり、腕の付け根を見せてくれた。
そこには紫色の大きな痣があった。
「母親に熱湯かけられたの。ちゃんと外からは見えない場所を狙ってやるんだから悪質よね。まったく酷い母親だよ。だから高校を卒業したら私から縁を切ってやった。あんな女、家族でもなんでもない。血の繋がりなんてくそくらえってカンジ。だからもう四半世紀、家族とは会ってない。父親は母親の虐待を知っててみないふりしていたから、未練もなにもない。」
「ゆりさんも酷い目にあったんですね。」
私はこんなに身近に自分と同じ境遇の人間がいると知って、驚いた。
「でもさ。虐待って連鎖するっていうじゃない。虐待された子は自分が親になったとき今度は虐待する側になるってよく聞く話よ。私はそれが怖くて結婚も出産も諦めた。私にもまだ母親からの呪いがかかっているのかもね。」
そう言うとゆりさんは淋しそうに笑った。
私ももし子供が出来たら子供を虐待してしまうのだろうか?
だったら私もゆりさんみたいに、一生ひとりで生きていった方がいいのかもしれない。
「だからりお、アンタもさ、そんな母親捨てちゃいな。もう連絡も取らない方がいい。子供が親を選んだっていいんだよ。」
「・・・はい!」
私はおもむろに立ち上がるとゆりさんの背中に回り、その細い首に続く肩を揉み始めた。
「なに、いきなり肩なんて揉みだして。気持ち悪い。」
「言ったでしょ?私、リラクゼーションサロンで働いていたんです。マッサージのプロなんです。ゆりさんけっこう肩凝ってますね。時々こうして肩を揉ませてください。」
「ああ~。たしかに気持ちいいね。」
ゆりさんは脱力したような声をだした。
「ゆりさん。私を娘だと思っていいですよ?」
「やだね。アンタみたいに大きい子供がいるなんて冗談じゃない。」
そう言いながらも、ゆりさんはまんざらでもない様子だった。
血が繋がってなくても、こんな親子関係があってもいいんじゃないかと思った。
私は今まで育ててもらった恩があるからと、ママのいいなりになっていた。
ママの電話には必ず出て、いうことを聞かなくちゃいけないと思って生きてきた。
でももうママから自由になってもいいのかもしれない。
私が凌のそばにいなければ、ママは凌に嫌がらせすることなんて出来ないだろう。
凌さえ守れればそれでいい。
私は自分のスマホに登録しているママの連絡先をブロックした。
これでもうママとは一生会うことも話すこともない。
私は今までにない解放感を感じていた。
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