第18話 母という名の鎖

凌は影山エステート東京支社で重要なポストに就いた。


でも優秀な部下が凌の負担を減らしてくれているらしく、以前のように夜遅く帰ることは少なくなった。


私は、変わらず「リリー」でセラピストとして働いていた。


凌と私とコユキで、一緒に朝起きて、夜ご飯を食べて、笑い合って、眠る。


穏やかで幸せな日常がそこにはあった。


凌と知り合って2回目の冬が訪れようとしていた。





12月も初めの土曜日、ママから電話があった。


用事があるから、実家に顔を出して欲しいという内容だった。


胸騒ぎがして、どくどくと鼓動が早くなった。


実家へ行くと、ママはハイテンションで私に抱きついてきた。


相変わらず散らかった部屋には、酒瓶が転がっていた。


そしてテーブルの上には、メンタルクリニックから処方された薬が無造作に置かれていた。


前に来た時より、その種類は増えていた。


「伊織、ありがとうね!アンタの彼氏が借金を返済してくれたんだよね!これで私もアンタも深沢家から縁が切れたってわけだ。」


「うん。全部、凌のお陰だよ。」


ママの上機嫌な様子に、私は気後れしていた。


ママはいつものメンソールを口に咥え、私の顔を舐めまわすように見た。


「アンタもやるじゃない。アンタの彼氏ってあの有名な影山エステートの社長の御令息なんだろ?結婚が決まれば、玉の輿ってヤツだね。」


「・・・・・・。」


「しかし、アンタの彼氏は物好きだね。こんな陰気な娘のどこが良かったんだろ。あ、もしかしてアンタ、あっちの方がテクニシャンなの?それで手玉に取ったとか?」


「凌のことを悪く言わないで!今日は何の用?用がないなら帰るから。」


私はバッグを持って、玄関へ向かおうとした。


「そんなに怒らないでよ。せっかく来たんだから、親子水入らずで話をしようじゃないの。ほら、そんなとこに突っ立てないで座りなよ。」


私は仕方なく、ダイニングテーブルの椅子に腰かけた。


ママは煙草の煙を吐き出しながら、窓の外の景色を眺めた。


曇天の空に鳩が飛んでいった。


「アンタ、何歳になったんだっけ?」


この人は娘の歳も覚えていないのだ。


でも今ではそんなことはもう慣れっこだ。


いちいち落ち込んだりしない。


「23歳。」


「ふーん。」


ママは大して興味がなさそうに生返事した。


「伊織が赤ちゃんのときは夜泣きが酷くて、私は一晩中抱っこしてあやしたっけ。幼い時はよくホットケーキを作ってあげたよね。」


「・・・・・・。」


「伊織は母の日には私の似顔絵描いてくれたりしてさ。あれ、けっこう嬉しかったんだよね。」


ママの話は要領を得なかった。


延々と昔話を続け、私との思い出を語った。


それは私にとっては母親に愛されたくて、でも愛されなかった過去を思い出させる辛い思い出だった。


「ママ、一体何が言いたいの?昔話がしたくて私を呼んだの?」


業を煮やした私は、ママの話を遮ってそう問い詰めた。


「私、ワンランク上の生活がしたいんだよね。」


ママは唐突にそう言った。


「え・・・?」


「今の整形技術ってすごいのよ?私みたいなオバサンでも、お金さえあればそこらの若い子にも負けないくらいの美貌を保てるの。私はもう40代だけど、まだまだ現役でいたいのよね。」


「・・・・・・。」


「だからもっと顔を整形して美人になりたいの。メンテナンスにもお金がかかるわね。ブランド物の服やバッグもたくさん欲しいし、海外にも行ってみたいわ。新婚旅行はアンタがお腹にいたから、どこにも行けなかったしね。」


「だから、何?」


いくら鈍感な私でも、ママの言いたいことは予測できた。


それでもまだ信じたかった。


ママは私のことを本当は愛していると。


私の幸せを望んでくれていると。


しかしその希望はママの次の言葉で打ち砕かれた。


「アンタさあ、私の為に彼氏から金引き出してくれない?」


そう言ってママは微笑んだ。


「何・・・言ってるの?」


「アンタの彼、凌君だっけ?アンタの為に1000万もの金を用立ててくれたわけでしょ?そんなこと並大抵な男には出来ないよ?きっと心底アンタに惚れてんだね。」


「・・・・・・。」


「だからさあ、アンタが頼めばいくらでも金出してくれる筈だよ?ねえ、そうでしょ?」


「そんなこと、凌に頼めるわけないでしょ!これ以上、凌に迷惑かけたくないよ!」


私の叫びも空しく、ママは悪魔の言葉を吐きだし続けた。


「凌君が駄目なら、凌君のパパに直談判するって方法もあるわよね。」


「やめて!!凌は今、仕事を頑張ってるの。とても大事な時期なの。ママがそんなことしたら凌の立場が悪くなっちゃうよ。それだけはやめて!!」


「どうして?アンタと凌君が結婚したら、私だって家族になるのよ?家族に援助するのは当然のことじゃないかしら?」


ママは言ったことは必ずやる人だ。


借金のカタに娘を売ることくらい何とも思わない人なのだから。


「ねえ。お願いだからそれだけはやめて!凌に手出ししないで!」


私はママの肩を揺すぶりながら懇願した。


「そっか。私がそんなことしたら、アンタの立場が悪くなるもんね。私みたいな母親がいる女と大事な息子を結婚なんてさせたくないって凌君のパパは思うかもね。」


「ママ・・・。」


「他にも色々やりようはあるわよね。凌君の会社に火をつけるとか、いっそ凌君殺しちゃおうか?そしたらアンタは凌君を永遠に失って、しかも殺人犯の娘ってわけだ。」


「やめて!!」


ママは血走った眼で私の顔を憎々し気に睨みつけると、冷たく言い放った。


「アンタ一人だけ幸せになるなんて、許さないから!」


私は呆然と立ち尽くした。


この人は本当はお金が欲しいわけじゃない。


贅沢をしたいわけでもない。


ただ私が幸せになるのが気にくわないのだ。


私の、実の娘の不幸を見て満足したいのだ。


そのためには、なんだってやる人なのだ。


「アンタさえいなければ、私はもっと違う人生が送れたはずなんだ。だからアンタだけ幸せになるなんてあり得ないんだよ。」


「・・・・・・。」


ママは私を憎むことで、なんとか生きることが出来ている。


なんて可哀想な人なんだろう。


黙りこくる私に、ママは猫なで声で言った。


「ねえ。伊織。凌君と別れてどこか遠いところで暮らしなよ。アンタはひとりぼっちがお似合いだよ。」


「・・・・・・。」


「たまには私も電話してあげるからさ。言っとくけどアンタと凌君が住んでいる部屋は把握済みだからね。アンタと凌君が仲良く住み続けていることがわかったら、私はすぐに行動を起こすから。何だってやってやるから!」


「・・・・・・。」


「それとも私と縁を切る?」


「っ!」


「でも優しい伊織ちゃんは、実の母と縁を切るなんて、出来ないよねえ?」


「・・・・・・。」


「ねえ!そうでしょ?!黙ってないで返事しなよ!」


「・・・私が凌と別れれば、凌に何もしないって約束してくれる?」


私はママに縋るように言った。


「もちろん。アンタと凌君の関係が切れれば、私とだって無関係な人間だからね。」


「わかった。凌と別れる。だから凌には何もしないで・・・。お願いだから・・・」


私はそう言うと、膝から崩れ落ちて、涙をこぼした。



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