第63話 路地裏にて
「やはりあなたには隠せませんね」
仮面の下から現れたのは、一重の鋭い目とスッと鼻筋の通った、ウルリックの顔だった。
彼はフード付きの黒いマントを羽織っていて、見るからに怪しかった。
「やっぱり…!その仮面って国際条約機構の調査員ですよね?」
「どうしてわかったんです?」
「城に入って来る時、遠くからあなたを見かけたんです。仮面をつけてたから確証はなかったけど…。どういうことか、説明してください。あと、なんでここにいるのかも!」
「わかりました。順を追って説明します」
「…ガイアは?一緒じゃないんですか?」
「ええ」
「もしかして、ガイアも国際条約機構の人なの?」
「それについては今、ここで話せることではありません」
「そう…なんですか」
最悪のシナリオが頭をよぎった。
もしガイアが国際条約機構の人だったらどうしようって…。
「まさか、私で実験しようとしてたのは、国際条約機構の命令だったからなんですか…?ガイアが止めなかったのも組織の人だったから?今までずっと私を監視して、実験のために傍に置いてたんですか…?」
それは一番考えたくないことだった。
「違います」
「じゃあどうして国際条約機構の使者なんてやってるんですか?」
「サラさん、落ち着いてください」
「だって、そう考えたら全部納得できるじゃないですか…!」
ウルリックは泣き出しそうな私を、手を挙げて制した。
「それは明確に否定します。誤解しないでください。我々は国際条約機構に協力しているだけであって、あちら側の人間ではありません」
「協力って…どうしてですか?」
「すべてあなたのためなのです」
ウルリックの言い分に、私は疑念を抱いた。
「私のために機構に協力するってどういう意味ですか?」
「もちろん、あなたを取り戻すためですよ」
「…だって、国際条約機構は異界人を捕獲するんでしょ?それに協力するっておかしくないですか?」
「そうさせないために協力しているんです」
「…?」
私には彼の言っている意味がわからなかった。
そもそも機構の調査員は異界人を見つけ出して捕えるためにここへ来てるはずなのに、そうさせないって、どういうこと?
「それと、私がなぜここに居るかと申しますと、城を出たところからあなたの後をつけて来たからです」
「私の後を…?私を見張ってたんですか?」
「ええ。あなたに謝罪するために追いかけてきました」
そう言ったかと思うと、ウルリックは黒いマントを脱ぎ捨て、私の前に膝をついた。
「あなたを深く傷つけてしまったことを、謝罪させてください。どのような罰でも受けます」
路地裏の湿った土の上で、ウルリックは制服が汚れることも厭わず、私に土下座した。
「ちょ、ちょっと…やめてください!…こんなことされても困ります!」
「あなたの受けた恥辱に比べれば、これくらいどうということはありません」
私は動揺した。
こんな大人の男性が、目の前で土下座するところなんて、リアルで初めて見た。
「私のせいで、主にも迷惑をかけました。なんとしてもあなたに許していただかねば、帰れません」
「そ、そんなこと言われても…」
「私があなたにしたことで、主は本気で怒りました。顔の形が変わるほどに酷く殴られました。私のしたことは、あなただけでなく、主をも傷つけていたということに、その時初めて気付いたのです」
「え…」
ガイアがウルリックを殴った…?
それも私のために…?
「顔の腫れが引くまで一週間以上かかりました」
「そんなに…」
「主は私の謝罪を受け入れてくださいましたが、あなたを傷つけたことを深く後悔していました。主が私を止めなかったのは、純粋にあなたのためを思ってのことです。それだけはわかって下さい」
彼は一重の切れ長の目で私を見上げた。
この綺麗な整った顔が、形が変わるほど殴られただなんて信じられない。
ガイアとウルリックは信頼関係が強かったはずなのに、私のことが原因で、喧嘩沙汰になってしまったんだ…。
私はぎゅっと拳を握った。
この人のことは嫌いだ。
私を物扱いして、無神経に傷つけて。
それに今、彼が赦しを請うのは、ガイアのためであって、私にじゃない。
彼の忠誠はガイアだけのもので、彼のためにならないと思えば、きっと私を簡単に切り捨てるに違いないんだ。
それがハッキリわかっているのに、許せるわけがない。
だけどこの人をこんな所で土下座させたまま、どうしろっていうのよ…!
「もう、いいです。ともかく立ってください!」
私は跪くウルリックの手を取って、引っ張り上げるように立たせようとした。
「いいえ、お許しをいただくまでは動きません」
彼が私の手を拒むので、仕方なく言った。
「もう…、わかりました。そのことはもういいです」
「許してくださるんですか?」
「許しはしないけど、時間をください。忘れてあげられるだけの時間を」
「…そう、ですか…。わかりました」
「ともかく立ってください。誰かに見られたら面倒だし」
私が強めに言うと、彼はようやく立ち上がった。
彼の黒いズボンの膝から下が泥で汚れているのを見て、私はため息をついた。
「こんなことするために、わざわざこんなところまできたんですか?」
「こんなこと、なんでもありません。不幸な目に遭っている我が主に比べれば」
「不幸?」
「あなたが主を拒絶したことです」
「ああ…」
「主の落ち込みようは大変なものです。夜はお酒をたくさん召し上がって、無理矢理眠っている状態です。あんな主、見ていられません」
ウルリックは首を振って、苦悶の表情を浮かべた。
私はその言葉に驚いた。
落ち込んでたのは私の方なのに…。
「だって…ガイアにとって私は何なのって聞いたら、奴隷だって言ったんですよ?ただの奴隷に拒絶されただけなのに、そんなに落ち込むなんておかしいですよ…」
「照れ隠しですよ」
「え?」
「私は主を昔から知っていますが、これほど真剣に女性と向き合ったことはありません。これまで、愛の言葉を連発して口説く貴族の男たちと、それに簡単になびく女性たちを、主は冷ややかに見ておられました。そのような言葉を吐くのは軽薄で、嘘が混じることだと感じていて、ご自分は女性を口説く時でも、決して口にしたりしないそうです」
それが、ガイアが自分の気持ちを言ってくれない理由なの…?
「主はあなたが思っている以上に大切に思っているんですよ」
「そんなの、口に出して言ってくれないとわからないよ…」
「…そうですね。そういうところは不器用なのかもしれません」
だけど、ウルリックのいうことが本当なら、もう一度彼ときちんと話をしたい。彼の考えを、正直な気持ちを確かめたい。
私は地面に打ち捨てるように置かれていた彼のマントを拾って、土を払い落した。
マントを差し出すと、仮面のウルリックは礼を言って受け取った。
「こんなこと、もうしないでください」
そう言いながら、私が彼の膝下の泥をはたいて落とそうとすると、彼は慌てて私の手を取って止めた。
「ダメです、あなたの手が汚れてしまいます」
「あなたの方がずっと汚れているじゃない」
「私のことなどどうでもいいんです」
ウルリックは黒いマントを羽織った。
膝下の汚れは丈の長いマントで隠され、それほど目立たなくなった。
「お会いできてよかった。私を許さなくても構いませんが、主のことはどうか拒絶しないでください。嫌われたとショックを受けていましたから」
「えっ?」
「嫌い、と言ったんでしょう?」
「え…」
そんなこと言ったっけ…?
覚えてない…。
「覚えていないんですか?」
「う…」
「本気だったわけではない?」
「う、うん…たぶん、勢いで言っちゃったんだと思うけど…」
「では次に会った時に、そう言って差し上げてください。では」
そう言ってウルリックは再び仮面をつけ、フードを被って、私に背を向けた。
「待って…!もしかしてさっきのスリって、あなたの仲間?」
私の問いかけに、彼は顔だけをこちらへ向けた。
「ええ、そうです。あなたの護衛の騎士がまもなく盗まれた物を取り返して戻って来るでしょう。私と会ったことはどうか内密に」
彼は口の前に人差し指を立てる素振りをして、路地裏の奥へと立ち去った。
私がその背を見送っていると、通りの方から私の名を呼ぶ声が聞こえた。
「サラさん、サラさん、どこですか?」
ウォルフの声だ。
私は慌てて路地裏から表通りへと戻った。
「ウォルフ、ここよ!」
露店の横まで出て、手を挙げると、マント姿のウォルフがこちらを振り向いた。
彼が駆け寄ってきて、マントの中から青い宝石のついたネックレスを見せてくれた。
「盗られたのはこれで間違いないですね?」
「うん、ありがと…。大丈夫だった?」
「ええ。賊は追い詰められると諦めたのか、これを投げつけてきたんです。私がこれを受け止めている間に逃げられてしまいました。…失態です」
「そ、そうなんだ。でも、取り返せたんならそれでいいよ」
ウォルフは念のため、城へ戻るまでネックレスを預かると言って懐に入れた。
私の様子がぎこちなかったのか、彼は訝しげな視線を私に向けた。
「…路地裏にいたようですが、何かありましたか?」
「えっ?ううん、何も。人通りが多くてぶつかってきた人に文句言われたから、路地裏に逃げてたの」
「そうですか。私がついていながら、申し訳ありません」
「ウォルフのせいじゃないよ」
「いえ。誘ったのは私なのに、注意が足りませんでした」
「もういいって。それよりお腹すいちゃった。向こうの屋台で何か奢ってよ」
「…ちゃんと食事を取らないからですよ」
「しょうがないじゃん、食欲なかったんだから」
「…わかりました。欲しいものがあれば買ってあげますよ」
「ホント?じゃあ、あそこのでっかいお肉!」
私の目に止まったのは、露店の店先で焼いていた何かの肉の丸焼きだった。
「…あんなに食べきれるんですか?」
ウォルフは半ば呆れたように言う。
「スライスしてもらって、食べきれない分は持ち帰って食べるから」
私はウルリックと話せたこともあって、少しだけ気持ちが浮上していた。それは食欲にも影響したようだった。
「今、食べ歩きしてもいい?」
「上流階級のご令嬢のなさることではありませんがね。いいですが、ほどほどにしてくださいよ」
「わかってるわよ…。でもこれが最後の外出かもしれないんでしょ?ちょっとは楽しませてくれてもいいんじゃない?」
ウォルフはフゥとため息をついた。
「太っても知りませんよ」
「ちょっと!それが女子に言うこと?」
ホント、この男って嫌味のかたまりだわ。女の子のこと全然わかってない。
こうなったら目についた物、片っ端から奢らせて食べまくってやるんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます