第62話 市場

「俺を裏切って、皇帝を選ぶのか」


 耳元でそう怒鳴られた気がして、目が覚めた。

 閉じられた明り取りの窓の隙間から朝陽が差し込んでいる。


「夢…」


 お妃に望まれてから、度々彼の夢を見るようになった。 

 あれから数日が経つけど、ガイアは現れなかった。

 また急に現れるかもしれないと、内心少し期待している自分がいた。

 彼を拒絶しておいて、勝手だな、私…。


 あれ以来、顔を合わせづらいのか、皇帝は私を寝所に呼ぶことはなかった。

 その代わりに毎日花を届けてくれている。

 別に気にしていないのになと思うけど、呼び出しがないことに私はホッとしていた。

 顔を合わせないまま、皇帝は毎年の恒例行事でもある、地方領への視察に出掛けて行った。

 エルマーをはじめ、皇帝の側近も大勢同行していて、どことなく城内も静かだった。

 少なくとも一か月は皇帝は戻って来ない。

 その期間は機構の使者も城内での調査を禁じられているそうだ。


 束の間のひと時を過ごすことになったけれど、相変わらずため息ばかりが出る私を見かねて、ウォルフが言った。


「気分転換に、街へ出掛けませんか?」

「街へ…?行ってもいいの?」

「皇帝陛下は遠征中で、皇太后様は離宮にお出かけ中です。うるさく言う人もいませんから大丈夫ですよ」

「うるさく言う立場の人が何言ってんだか…」


 私は呆れたように言った。


「正式に皇妃候補として認定されたら気軽に外出できなくなりますよ。庶民のいる街へ行くなんてまず無理でしょうから」

「え!そうなんだ?」

「行くなら今の内ですよ」

「行く!連れてって!」


 じっとしてても落ち込むだけなので、ウォルフについていくことにした。

 この国に来てから、城の外なんて馬車でしか通った事がないから、ちゃんと見ておきたいという興味はあった。

 馬車は目立つので、ウォルフの馬に乗せてもらって裏門からこっそり城を出た。

 私は顔と髪を隠すように大判のストールを頭から巻きつけ、地味なワンピースを身に着けた。

 ウォルフも目立たぬよう、宮廷騎士の制服の上からくすんだ灰色のマントを着用していた。


 私が足を向けたのは、城から少し離れた下町の市場だった。

 そこは多くの庶民が行き来し、露店が立ち並ぶ繁華街で活気があった。

 以前訪れたアレイス王国のスールの街と比べると、その規模は桁違いに大きく、人もめちゃめちゃ多かった。前にテレビで見た、東南アジアの市場みたいだ。


「すごい活気…」

「人が多いので離れないでください」

「あ、うん」


 私はウォルフの腕に掴まって歩いた。

 通りは人が多すぎて、気を抜いていると人にぶつかって体を持って行かれそうになる。

 市場には多くの露店がひしめき合うように出店していて、目移りする程だ。

 家具や衣服、食べ物や薬草、家畜まで売っている。

 食べ物の屋台からは肉の焼ける良い匂いがしていて、食べ歩きしている人もいる。


 見るものすべてが珍しくて、まるで海外旅行に来たみたいで楽しかった。

 海外旅行なんて高校の修学旅行で台湾に行ったくらいで、こういうのずっと憧れていたんだ。

 それらの正規の露店の他、地べたに布を敷いて、その上に手作りの品物を並べて売っている者や、籠に入った果物や野菜を歩きながら販売する女性や子供なども多く見かけた。

 彼らは非合法の売り子たちで、制服を着た街の警備兵が通るたび、路地裏に引っ込んでやり過ごしては商売を続けていた。 

 そうした露店を見て回っている時だった。

 ふいにそれは私の目に入ってきた。


「あ…」

「どうしました?」

「あそこに売ってる物…」


 それは非合法の露店で、地べたに敷いた布の上にいろいろな物が置かれていた。

 売り子はまだ年端も行かない少年で、みすぼらしい身なりをしていた。


「壊れた鍋や変わった形の置物とか、ガラクタばかりですね。拾い物か盗品の類でしょう」


 ウォルフは少年の売っている物を見てそう言った。

 私はその売り子の少年に話しかけた。


「それ、見せてもらっていい?」

「ああ、いいよ」


 私はそれを手に取った。

 手の平サイズの長方形の物体。

 それは紛れもなくスマホだった。

 画面は真っ黒で、液晶画面は割れていたけど、本体はまだ新しい。

 電源スイッチを押してみたけど、画面は真っ黒のままだ。

 たぶん、電池がなくて電源が入らないんだろう。


「これ、どうしたの?」

「物拾いのばあさんがどっかから拾ってきたんだ。そんなもん、何に使うものかもわかんねーし。あんたそれが何か知ってんのか?ずっと売れ残ってるんだけど買うなら安くしとくぜ」


 少年は言った。


「それ、もしかしてサラさんの世界の物ですか?」


 ウォルフが私の耳元で囁くように尋ねた。


「うん、そうだと思う」


 するとウォルフは少年と値段交渉をし始めた。

 少年はそれが価値のない、ガラクタだと思っているようで、こちらの言い値で売ってくれた。

 そうして私はその壊れたスマホを手に入れた。


「買ってくれてありがと」

「いえ。こんなものが市場に売っているとなれば、機構の調査団の目に留まり、異界人召喚の証拠品の一つとして提示されてしまいかねません。見つけられて良かったです」

「あ…なるほど…」


 なんだ、好意で買ってくれたわけじゃないのか。


「あなたの眼鏡も、このような場所で売られていたと言います。そこから足がついたのですから、油断はできません」

「そうなんだ…」


 そういえば私のあの眼鏡。

 引き出しに仕舞いっぱなしになってるけど、アデレイドはあれを見つけたおかげで私の居場所を突き止めたって言ってた。

 国際条約機構の調査団は100人規模で来るって言うし、こういう市場とかもしらみつぶしに調べるのかもしれない。


「それは何なんです?」

「これはスマホって言って、電話したりメールしたり…って言ってもわかんないか。えっとね…、遠くにいる人と連絡をとれる道具かな」

「スマホ…ですか。この小さな物でどうやって連絡をとるんです?」

「あー…説明しようとすると色々難しいんだよね。こっちの世界じゃ使えないから。充電できないし、電波もないし。あの子が言った通り、ここじゃガラクタだね」

「そうですか…」


 私もサヤカも、こちらの世界にはスマホを持ってきていない。

 だからこれは私たち以外の異界人が持ち込んだものだということになる。

 私はそのスマホの裏側を見た。

 裏面はケースがついていて、カメラが三つついてる。

 スマホの機種には疎い私でも、これが高校生のお小遣いじゃとても買えそうにない機種だってことはわかる。

 色もメタリックブルーで、どちらかといえば男性が好みそうな感じだ。私やサヤカよりももっと年上の男性の異界人が、前に召喚されたりしたんだろうか。


「ねえ、アデレイドさんは異界人の召喚に成功したのは私とサヤカだけだって言ってたよね?」

「ええ」

「他の国で異界人が召喚されたってこと、あるのかな?」

「それはあり得ません。召喚術に必要な希少石を大量に集められる程の財力を持つ国はそうありませんし、召喚術を行うためには相応の力を持つ魔法師が必要です。皇太后様程の魔法師は世界中探してもそうはいませんよ。それに、我が国以外の有力な国々は、国際条約機構に加盟していますから、わざわざそれに違反するようなことをするとも思えません」

「そっか…。じゃあ、これは誰のもの?」

「わかりません」


 ウォルフは首を横に振った。


「もしかして、私のいた世界とこっちの世界じゃ時間軸が違うのかな…?」

「時間軸?」

「こっちでは千年経ってても、私の世界じゃ数年しか経ってないとか」

「時間の流れ方が異なるということですか?」

「うん。私と同じ時代の人が、千年前に来てたっていう可能性はないのかなって」

「…それは確かめようがないです。千年前の異界人の個人的な情報など、ほとんど残っていませんから。ですがこれが千年前の異界人のものだとしたら、綺麗すぎやしませんかね?」

「う~ん…確かにそうだよね…千年経ってたらいくらなんでもこんな綺麗に残ってないか…」


 千年前って言ったら、日本じゃ平安時代とかだもんね。

 アメリカ大陸もまだ発見されてなくて、ヨーロッパはローマ帝国とかの時代だ。

 そんな昔の遺物がこんな状態で残ってるはずがない。

 ってことは、やっぱり割と最近異界人が持ち込んだ物だと考えるべきだ。


「サラさん、これは私が預かっていても構いませんか?」

「うん、いいよ。どうせ使えないものだし」


 ウォルフはそのスマホを懐に仕舞った。


 その時、私にぶつかってきた人がいた。


「きゃっ!」


 それは茶色いマント姿の人で、私はその人に勢いよく体当りされ、弾き飛ばされた。

 危うく転ぶところを、ウォルフが手を伸ばして掴まえてくれた。

 ぶつかってきた人はフードを被っていて、顔は見えなかった。

 その人は謝りもせずにそのまま走り去って行った。


「大丈夫ですか?」

「う、うん…。なんか胸のあたりに強くぶつかって来て…」

「礼儀知らずな奴だ」


 私はストールの下の自分の胸元を触った。

 違和感があった。


「…あ!」


 いつも身に着けていた青い宝石がなくなっていた。


「嘘…!ネックレスがない…!」

られたんですか?」


 ウォルフの言葉にハッと気が付いた。

 もしかして、今の人が盗んで行った?

 今のって、スリ!?


「やだ、待って!返して!」


 私は走り去った茶色のマントの人物を追いかけようとした。

 既に人混みの中に埋もれ、見えなくなっていた。

 するとウォルフが私の肩を押し戻して、振り向いた。


「私が取り返してきます。ここにいてください。絶対に動かないで!」

「う、うん。お願い、絶対取り返して!」


 人混みの中にウォルフの姿が消えていくのを、私は不安そうに見送った。


「どうしよう…どうしよう…。ガイアから貰った大切なものなのに…」


 私は胸元をぎゅっと押さえた。

 まさかスリに遭うなんて思わなかった。

 このまま戻って来なかったらどうしよう。

 不安になって、通りに一人立ち尽くしていると、通行人の男と肩がぶつかった。


「ボーッと突っ立ってんじゃねえよ」

「す、すいません…」


 その勢いに押されて、私は通りの端に避けた。

 露店と露店の間の建物の隅に立って通りを眺めていると、後ろの路地から足音がした。


「こんにちは」

「えっ?」


 背後から声を掛けられ、振り向いたそこには、黄金の仮面をつけた人物が立っていた。


「わあ!!」


 何よりそのド派手な仮面に驚いて、建物の壁に背中をぶつけた。


「すいません、驚かせてしまいましたね」

「…!」


 それはウルリック似の国際条約機構の調査員だった。


「大丈夫ですか?」


 この声。

 やっぱりそうだ。


「…ウルリックさん…?」


 私が指摘すると、仮面の下の口がニッと笑った。

 そして彼はそっと仮面を取った。

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