第61話 伯爵令嬢

 翌日、エルマーが私の部屋を訪れた。

 結局、皇帝は朝まで眠ってしまって、私を押し倒したこともよく覚えていないようだと教えてくれた。

 彼は、皇帝から酔って酷いことをしなかったかどうか私に確かめて欲しいと頼まれて来たそうだ。

 皇帝は私の前で酔いつぶれてしまったことが恥ずかしかったらしく、自分自身では来にくかったのだろうと、彼は言った。

 特に乱暴はされなかったけれど、少し強引だったと素直に話した。

 寝落ちしたことについては気にしていないとも伝えた。


 覚えてないのなら良かった。

 あのままだと気まずくなるところだったから、ホッとした。


 昼になって、ウォルフがやってきた。

 彼は昨夜私が皇帝の部屋に行ったことを知っていた。


「未遂だったんですってね」

「…エルマーさんから聞いたの?」

「残念でしたね」

「はあ?残念て何が?そういうんじゃないし」 


 無神経な彼の発言に、私は怒りを覚えた。


「朝も昼も食事をとらなかったじゃありませんか。元気がないのは、そのことが原因かと思いまして」

「…関係ないよ」


 ウォルフには事情を話せない。

 皇帝は関係なくて、その後に起こった出来事が私を落ち込ませているなんて言えるわけない。


「皇太后様がお話があるそうです。もうじきお見えになります。せめて顔くらい洗ってください」


 あまり眠れてないし、きっと酷い顔をしてたんだろうな。

 今朝会ったエルマーは何も言わなかったけど、ちゃんとしておけば良かったと今になって後悔した。

 こんなこと男性に言われるなんて女子として失格だな…。

 私は、気だるい体を起こして、洗面台で歯磨きと洗顔を済ませた。


 そうしていると、アデレイドが足取りも軽やかに現れた。


「いいニュースがあるの」


 なんだかテンション高い。

 精神的ダメージを受けていた私は、そのテンションに若干引いた。


「喜びなさい、サラ。あなたは皇帝陛下の皇妃候補になることを許されたのよ」

「皇妃…?」

「そうよ。皇帝陛下があなたを妃にするとおっしゃったの。それも第一夫人よ」

「ええっ?!き、妃…!?」


 アデレイドは、上機嫌で言った。


 妃?第一夫人?

 どゆこと?

 私の疑問に、ウォルフが説明してくれた。


「皇帝は何人でも妃を持てるんです。その中でも第一夫人というのは名誉ある正妃のことなんですよ」

「で、でも私、貴族じゃないし…、身分がないどころかこの前まで奴隷だったんですよ?」


 アデレイドは私の両手を握って、正面から私の目を見つめた。


「大丈夫よ。あなたは異界人なのだから、身分がなくて当然なの。奴隷になったのだって、あなたのせいじゃないし他国での話よ。だから何も心配しなくていいのよ」

「あ、あの…でも…他に相応しい人がいるのでは?ありがたいですけど、お断りした方が…」

「何を言ってるの!望まれて皇妃になれるのよ?断るなんてありえないわ」


 私は助けを求めるように後ろに立つウォルフを見たけど、彼は無言で首を振った。

 アデレイドの剣幕に押されて、それ以上何も言えなくなった。


「異界人のあなたが私の息子と結ばれるのは運命なの。私の祖先はね、最初に異界人を召喚した魔法師なのよ」


 その話はウルリックから聞いて知っていたけど、ここは知らんぷりしておこうと思った。


「そ、そうなんですか」

「そうよ、驚いた?」

「はい、すごく驚きました…」


 アデレイドは得意そうな表情をした。


「そして自らが召喚した異界人の女性と結ばれたの。異界人の血を受け継いだ私の家には代々強い魔法師が生まれて、繫栄してきたのよ」


 異界人の子孫だというのは、彼女にとって最高最大の矜持プライドだったらしい。


「一族が皇族になれたのもこの血のおかげなの。だけど年月と共に血が薄くなってきたせいなのか、あの子には魔力は遺伝しなかった。もう一度異界人を呼んで、その血に魔力を取り込めないかとずっと考えてきたのよ。あの子に魔力がないとわかってから、我が家に伝わる禁忌の召喚術を繰り返し練習してきたわ。世界中から希少石を集めて、ようやくあなた方を召喚できたのよ」

「召喚術ってそんなに難しいんですか?」

「そうよ。莫大なお金がかかるし、相応の魔力が必要なの。何度も失敗を繰り返してようやく成功したのよ。あなた方のような若い娘を二人も呼べたのは奇跡だわ」

「何度も…?もしかして、私たちの他にも異界人がいたりするんですか?」

「成功と言えるのはあなたたちだけよ。かき集めた希少石はすべて失われてしまったけれど、その甲斐はあったわ」


 アデレイドは私の手を握る手に力を込めた。


「だからお願い。妃になって、あの子の…皇帝陛下の子を産んでちょうだい。あなただけが頼りなの」

「…急にそんなこと言われても…」

「幸い、あの子もあなたを気に入っているようだし、手荒な真似はしたくないのよ」

「手荒な真似って…?」


 その言い方が引っ掛かった。

 するとアデレイドは黒マントの中から黒い小瓶を取り出した。

 一瞬、ウォルフの眉がピクッと動いた。


「これを使わせないでちょうだい」

「…なんですか、それ…?」

「楽しいこと以外何も考えられなくなる薬よ。とても中毒性が強くて、これ欲しさに何でも言うことを聞くようになるの」

「…!」


 もしかして、それって麻薬…?

 小瓶を眺めてニヤリと笑ったアデレイドを見て、私はゾッとした。

 私が従わなかったら、薬物中毒にして言うことを聞かせようと思っている…?


「できればそんなことはしたくないの。陛下に叱られたくはないしね」


 機嫌が良さそうにニコニコしているけれど、アデレイドって人は本当は恐ろしい人なんだ…。


 その時、私はふと思った。

 未だに音沙汰のないサヤカのことだ。

 あのサヤカが大人しく謹慎してるなんて、いくら新しい騎士が来たからと言ってもおかしいと思っていた。まさか、この薬で、麻薬中毒にされてるんじゃなかろうか…?


「それ、まさかサヤカに与えてないですよね…?」


 私が尋ねると、アデレイドは微笑むだけで答えなかった。

 どうなんだろう?

 いくら苦手な子でも、麻薬中毒なんてひどすぎる。


「さあ、もうこの話はおしまいよ。明日、郊外の貴族の屋敷へ伺うことになっているの。あなたも同行するのよ」

「私も…ですか?」

「そうよ。正装をしてね」

「はあ…?」



 翌日、事情が呑み込めないまま、例によってメイドたちに支度を施され、私はアデレイドと一緒に馬車に乗せられた。

 護衛役としてウォルフが同行した。

 正装でと言われた通り、私はクラシックな純白のドレスを身に着けていた。

 向かった先は、皇都アンゼルの郊外にある緑に囲まれた古い屋敷だった。


「あれがフェリシエ伯爵の屋敷よ」

「フェリシエ…伯爵?」

「フェリシエ伯爵家は建国以来の門閥貴族なの。跡継ぎが早世したりして、今はすっかり廃れてしまったけど、由緒ある家柄なのよ」

「そうなんですか…」


 それが私とどう関係があるんだろう?

 私たちは屋敷の中へと案内された。

 アデレイドに紹介されたフェリシエ伯爵は、口元に白い髭を蓄えた八十歳を超える老人だった。


「伯爵、この娘が先日のパーティーでお話したサラよ」

「サラ、老フェリシエ伯にご挨拶なさい」

「は、はじめまして、アオキ・サラです」


 私はアデレイドに教えられた通り、ドレスの裾を両手で少しだけ持ち上げて、礼を取った。


「おお、このようなお若いお嬢さんが我が家名を繋いでくださるとは…」

「ええ。フェリシエ伯爵家の名を継ぐことになる子で、未来の皇妃よ」

「おお!そのような方が…!ありがたいことです」


 えっ?

 今、伯爵家を継ぐって言った…?


「伯爵の希望通り、領地は召し上げるけれど、この屋敷と敷地は自由に使って構わないわ。この家でその生を全うなさい」

「寛大なお申し出、感謝いたします。一人息子に先立たれ、夜逃げした親族の借金を肩代わりしたばかりに、終の棲家と決めたこの屋敷を手放さねばならないかと思っておりました。先祖から受け継いだこの家名を失うことだけが心残りでございましたが、これでもう思い残すことはございません」


 フェリシエ伯爵は深々とアデレイドに一礼した。

 伯爵の侍従が書状をトレイに乗せて仰々しく運んできた。

 アデレイドはペンを取ってその書状にサインをした。

 そのトレイの上には、書状以外に指輪も乗っていた。


 老フェリシエ伯は、その指輪を取ると、私の右手を取った。

 老人は手袋をしたままの私の中指にその指輪を嵌めた。

 その指輪のリング中央部には宝石の代わりに紋章が刻まれていた。


「サラ、それはフェリシエ伯爵家の印璽いんじよ。フェリシエ伯爵家の主である証なの。受け取りなさい」

「そ、そんな、私…」

「お嬢さん、頼みましたよ」


 老人はそう言って笑った。


「さようなら、フェリシエ伯爵。もう会うことはないでしょう」


 書状を手にしたアデレイドは、伯爵に向かってそう言うと、その場を後にした。

 私は特に何をするでもなく、再び馬車に乗せられた。


「あの、さっきのってどういうことだったんですか?」

「あなたは今日からフェリシエ伯爵家の当主になったのよ、サラ」

「は?」

「この書状はあなたをフェリシエ伯爵家の養女にするという正式な上申書よ。同時にその指輪をあなたに渡したことで、老フェリシエ伯はあなたに家督を譲ったことになるの。後は城に戻って官吏にこの書状を渡すだけで手続きは完了よ」

「養女って…?私、さっきのおじいさんの娘になったんですか?」

「そうよ。あの老人には跡継ぎがいない上、莫大な借金を抱えていてね。このままではフェリシエ伯爵家は断絶を免れなかったわ。あの老人もそれだけが心残りだと、以前から相談されていたの。それであなたをフェリシエ伯爵家の養女にして家名を受け継がせようと考えたのよ」

「ええええ!?わ、私が伯爵家の当主!?」

「そうよ。正真正銘、伯爵令嬢になるのよ」

「そんなの急に無理です!貴族なんて私…」


 いきなり名門貴族の当主にだなんて重荷すぎる。

 焦る私に、アデレイドはクスッと笑って説明してくれた。


「大丈夫よ。あなたが受け継ぐのは名前だけだから。フェリシエ伯爵領は借金を肩代わりする代わりに皇帝家の直轄領になるから、あなたは何もしなくていいの」

「どうして私なんかに…」

「あなたに貴族の身分を与えるためよ。貴族の身分であれば、第一夫人になっても何の問題もないわ。この国でそれができるのは皇帝陛下だけなのよ」

「それじゃ、この件は皇帝陛下のご命令なんですか?」

「そうよ。パーティー嫌いのあの子が先日貴族の屋敷に渋々出かけたのは、フェリシエ伯爵と話すためだったのよ。陛下が直接老伯爵を呼びつけたりすれば、いらぬ誤解を受けてしまうから、わざわざその機会を作ってあげたのよ」

「…そうだったんですか」


 パーティーから戻ってきた皇帝はすっごく不機嫌だった。

 大貴族の家に嫌々ながらも出掛けて行ったのは、さっきの老伯爵に会うためだったんだ。

 …知らなかった。

 私のためにしてくれていたなんて…。


「本来なら、貴族の養女になるためには厳しい審査が必要で、上級貴族の保証人と相応の保証金が必要なの。財産のない者や奴隷や平民が貴族になったりできないようにするためにね。今回はそれらすべてを皇帝陛下ご自身がなさったから、そういった手続きはすべて省略されたの。陛下が保証人になって書類を作るなんて、ありえないことよ。正直、私もあの子がそこまでするなんて驚いたわ」

「…どうしてそこまで…」


 いくらお金を積んでも、平民はそう簡単には貴族にはなれないはずだ。

 ましてや私には身分がないどころか奴隷番号が刻まれている。

 どうしてそこまでしてくれるんだろう。


「それほどあなたを気に入ったということよ。あの子が他人のために自分から動くなんて、初めてじゃないかしら」

「…そんな…」


 そんなこと言われたら、断りづらいじゃない…。

 だいたい、お妃なんてガラじゃないし。


「近いうちに私の離宮でサロンを開くことになっているの。あなたもいらっしゃい。フェリシエ伯爵の令嬢として皆に紹介するわ」

「サロン…?」

「時々、有名貴族の子女を集めてお茶会を開いているの。その中から皇妃候補を選ぼうと思っていたのよ。あなたも妃になるのだから、付き合っておいて損はないわ」

「で、でも私、貴族の礼儀とかマナーとか知らないし…」

「大丈夫よ。ちゃんと教師をつけて教えてあげるわ」

「はあ…」


 どうしよう、なんだかどんどん話が勝手に進んで行く。

 私にとって皇帝は異性の友人って感じで、恋愛対象として考えた事もないのに、お妃だなんて。

 ガイアに誤解されたことが現実になっちゃうよ…!

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