第60話 後悔と反省と

 メルトアンゼル皇都アンゼル市街ー。


 夜も更けた街の上空を、黒い影が飛んでいた。

 その影は屋根から屋根へと軽やかに飛び移りながら、やがてとある洋館へとたどり着いた。

 その洋館は、貴族たちの屋敷や高級宝飾店などが立ち並ぶ一角にあり、上流階級の者たちの宿泊施設になっている、いわゆる高級ホテルのような建物だった。

 その洋館の最上階にあるバルコニーの、開け放たれた窓へと黒い人影は吸い込まれて行った。


「おかえりなさいませ、主」


 声を掛けたのはウルリックだった。

 黒い人影が中へ入った後、彼は静かに窓を閉めた。


「サラさんにはお会いできたんですか」

「…ああ」


 返事をしたのは黒いマントに身を包んだガイアだった。

 言葉少なに彼はマントを脱いだ。

 不機嫌そうな主からマントを受け取ったウルリックは、それを腕でたたみながら心配そうな顔を向けた。


「何かありましたか?」


 その問いには答えず、彼は広いリビングの備え付けのキャビネットを開けて、酒瓶とカップを取り出した。

 それを両手に持ったまま、リビングの中央に置かれた椅子にやや乱暴に座った。

 歯で酒瓶のコルク栓を抜き、手酌で酒を器に注いだ。酒瓶を前のローテーブルに置き、器の中身をグイと一息に飲み干した。

 両脚をテーブルの上に行儀悪く放り出して、フーッと息を大きく吐いた。

 ウルリックはそんなガイアを見下ろして語り掛けた。


「サラさんと話をしたんですか」

「ああ」

「その様子では、あまり良い結果ではなかったようですね」

「あいつは俺を拒絶した」

「…私のせいですかね」

「ああ、そうだ」

「…申し訳ありません」


 ウルリックが頭を下げると、ガイアは面白くなさそうに、彼から目を逸らせた。


「いや、違う。俺のせいだ。俺が上手くサラを説得できなかっただけだ」

「私があのような手段を用いたために、彼女に不信感を与えてしまったのでしょう」

「…おまえを止めなかった責任は俺にある。サラはそのことをわかっていた」

「もう少し早く情報を回してもらえれば、あのようなことをしなくても済んだのですが」

「仕方がない。タイミングが悪かった」

「…申し訳ありません」


 ウルリックは丁寧に頭を下げた。

 ガイアは舌打ちをして、空になった器にもう一度琥珀色の液体を注いで、一気に呷った。


「…嫌われた」


 ポツリと言う。

 ウルリックは目を見開いて、珍しくへこんでいるガイアを見た。


「何があったんです?」


 ガイアは片手で額を押さえた。


「…無理矢理抱いてきた」


 その返答に、ウルリックは呆れた顔をした。


「今日はサラさんの所在を確認するだけのはずでは?」

「…仕方がないだろう。サラの顔を見たら抑えられなくなったんだ」


 ガイアはぶすっとして言った。


「…主らしくありませんね。計画を無視するなんて」

「イラつくことがあったんだ」

「何があったんです?」

「俺が到着する前に、サラは皇帝の寝室に呼ばれていた」

「あの皇帝キュリオスがサラさんを?」

「ああ。サラの奴、拒んでいなかった。…もしかしたら、もう皇帝に抱かれてしまったのでは…と考えたら制御できなくなった」


 そこまで聞いて、ウルリックは肩をすくめた。


「ヤキモチを妬いたというわけですか」

「…」


 ガイアは無言で再び器に酒を注いで、再燃してきた怒りを鎮めるかのように、また酒を呷った。


「…心にもないことを言って、あいつを傷つけた」


 ガイアは再び片手で額を押さえた。


「主は多くの女性と関係を持ってきたのに、愛を語ったりしたことはないのですか?」

「愛だの恋だの、本心でもないのに語れるものか」

「なるほど。…案外、不器用なんですね」


 ウルリックは微笑を浮かべた。


「くそっ、なんでこうなるんだ…」


 後悔の言葉を口にして、彼は苦悶の表情になった。

 それを見たウルリックは首を傾げて言った。


「ふむ。しかし、不思議ですね」

「何がだ」

「若い皇帝は猟色家だともっぱらの噂です。しかもかなりの面食いで、容姿を重要視するとか」

「…何が言いたい?」

「他にいくらでも美女はいるんじゃないかと思いまして」

「おまえと違って見る目があるんだろ」


 ガイアはムッとして言った。


「…主といい、皇帝といい、本当に不思議です。サラさんのどこにそんな魅力があるというんでしょう。確かに賢い女性だとは思いますが…」

「女をただの容れ物としか見れないおまえには一生わからんさ」

「…酷い言われようですね」

「おまえはサラを気に入っていると思っていたがな」

「気に入っていますよ。異界人なんてこれ以上ない貴重なサンプルですし」

「そういうところだと言っているんだ」

「では、教えてくださいませんか?どうしてそこまで主の心を捉えるのか。サラさんの体は、この世界の他の乙女と何ら違いがあるようには思えませんでしたし、失礼ながら、これまで主が相手になさって来た女性たちと比べると肉体的な部分では若干劣っているように見えました」


 ウルリックの言葉に、ガイアは露骨に不機嫌になった。

 未遂とはいえ、彼はサラの裸を見ているのだ。


「サラは華奢だが均整のとれた美しい体をしている。胸や尻がデカければいいってもんでもないぞ」

「では、女性としての性的機能でしょうか?残念ながら私はその機能を確かめることはできませんでしたが、が良いということなのですか?王宮であれほど言い寄ってきていた貴婦人たちを袖にするほどに」

「いちいち突っかかって来るな、おまえは」


 ガイアはテーブルの上に置いた足を組み替えながら、ウルリックを睨んだ。


「他の女と比べてどうとか、そういうことじゃない」

「どういうことです?」

「サラでなければダメなんだ」

「スイレンせんせいによれば、主の中にはサラさんの魔力が流れ込んでいるとおっしゃっていましたね。そのせいなのでしょうか」

「仮にそうだったとしても、この想いは俺自身のものだ。魔力などに支配されたりはせん」

「ふむ…興味深いですね。主とサラさんには見えない何か…魔力で繋がれた絆のようなものが存在するのでしょうか」

「それはわからんが、サラ以外の女を抱く気にはもうなれんのだ。とにかく俺はサラが欲しい。離れていればいるだけこの想いは強くなる気がする」

「異界人の伝承にも似たような事例がありましたよ。異界人と魔力を共有することで、この世界の者は強大な力を手にすると。それを私は伴侶つがい現象と呼んでいますが」

「おまえ、その説をスイレン師に報告したな?」

「はい」

「どうりで同じようなことを話すと思った。あの人の言ってたことはおまえの受け売りか」


 手にした酒の器をじっと見つめながら、ガイアは呟くように言った。

 そして、ふいにウルリックを見上げた。


「…俺の魔力については連中には話していないだろうな?」

「もちろんです」


 ウルリックは頷いた。


「ならばいい。知られると厄介だ」

「…そういえば、近いうちに機構から魔法師を連れてくるとアイズマンが言っていました」

「魔法師だと?何のために?」

「皇太后から、サラさんのために魔法の教師を紹介しろと命じられたそうです。機構の手の者だということは秘密だそうですが」

「…何を企んでるのか知らんが、あの連中、どうも気に入らん」

「同感です。…ですが皇国内部の事情についての情報はありがたいです。ああ、そういえば、あの皇帝と皇太后を前に対等に渡り合えるなんて、さすがだとアイズマンが主を褒めていましたよ」

「フン、当然だ。アイズマンめ、俺を何だと思っているんだ。あんなくだらん暗号名あだ名などを勝手に付けおって」

「ああ、あれですか。まったく酷い名を付けられたものです。皇帝だって笑っていたじゃないですか。上っサーフスだなんて…」


 ガイアは椅子から立ち上がってウルリックを振り向いた。


「それを言うなら俺なんか粗雑者クルードだぞ?嫌味か!あいつ、俺に嫌がらせをしてるんだ」

「フッ」


 不平をもらすガイアに、ウルリックは思わず笑ってしまった。

 内心ではこんな暗号名を付けた彼らに、ガイアのことをよく見ているな、と感心してもいた。

 不覚にも笑ってしまったウルリックをガイアは睨みつけた。


「あんな連中、サラを取り戻すために仕方なく協力しているだけだ。サラを手に入れたら縁を切ってやる」

「彼らの目的はやはりサラさんでしょうか」

「そうでなければ、俺のところにわざわざ来たりしないだろう。あんな連中にサラは渡さんがな」


 ガイアは真顔でそう言った。


「スイレン師から連絡は?」

「いえ、まだ。連絡はリオンが直接口頭ですることになっていますが、移動にもそれなりに時間がかかるのでしょう」

「…そうか」


 ため息交じりに頷くと、ガイアはウルリックに背を向けた。


「寝る。朝まで起こすな」

「かしこまりました」


 ガイアはそう言って奥の部屋へと姿を消した。

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