第47話 訪問者
サンドラからの使者はリオンという、屋敷に出入りしているなじみの若い配達人だった。
彼もまた、ガイアに雇われて自由の身になった奴隷上がりの青年だった。
リオンは、王都へとつながる橋が流されたため王都へ来るのが遅れ、その上入城の順番待ちで更に時間を取られることになったことを詫びた。
王宮に戻ってきたガイアは、そこで初めて領地の屋敷に賊が入り、サラがいなくなったことを知った。
ガイアはリオンを労い、その夜のうちにウルリックとユージンを伴って王都を出発した。
不眠不休でゼスティン侯領の屋敷に戻ったガイアをサンドラが出迎えた。
「旦那様…!申し訳ありません」
サンドラはガイアの姿を見た途端、泣き崩れた。
「姉さん」
ユージンが心配そうにサンドラに駆け寄った。
「顔を上げろ、サンドラ。一体何があった?」
サンドラは涙を拭って、状況を説明した。
事件が起こったのは、ウルリックとユージンが王都へ発ったその夜のことだったという。
「あの日はどういうわけか、屋敷の中にいた全員が眠りこけていて、交替でやって来た通いのメイドに起こされたんです。気が付くと翌日の朝で…。外の警備の者たちも同じように眠らされていました。調べてみると、屋敷のあちこちに眠り香が仕掛けてあったんです」
「眠り香だと…?」
「ええ。それもかなり強力で特殊なものでした」
「見せてもらえますか?」
「はい、お待ちください」
サンドラは仕掛けられた眠り香の残りカスを持ってきてウルリックに見せた。
彼は布を鼻に当てながら、それを嗅いだ。
「これは軍の魔法師が使う薬香ですね。一般には出回っていないものです」
ウルリックの冷静な分析に、サンドラは不安そうな顔をした。
そんな彼女に、ガイアは報告を続けろと言った。
「盗賊でも入ったかと思って調べたんですが、屋敷の調度品や金目のものは無事でした。…ただ、サラの姿だけが消えていたんです」
「荒らされた形跡や争った跡もなかったんだな?」
「ええ。…ウルリック様にあんなことをされたもんで、嫌になって出て行ったのかとも思ったんですが」
サンドラはウルリックをチラリと見て、トゲのある言葉を投げかけた。
ウルリックは頭を下げるしかなかった。
行方不明になる前、サラはガイアがウルリックに自分を襲わせたのだと思い込んでいて、酷く落ち込んでいたとサンドラは言った。
それを聞いて、ガイアは唇をぐっと噛みしめた。
サラが自分への不信感を抱いたままいなくなったかと思うと、歯がゆくて仕方がなかった。
「それにあの子、あの日生理が来ちまいましてね。随分と具合が悪そうだったんですよ。あんな体で夜中一人で出歩くとも思えないんで、これは攫われたんじゃないかと思って八方手を尽くして探したんですが…」
「サラは誘拐されたのだな」
「そうとしか思えないんです。でもどうしてあの子が…」
この場に居る者の中で、サンドラだけがサラの事情を知らない。彼女はなぜサラが攫われたのかとしきりに首を傾げていた。そしてハッと顔を上げた。
「…もしや、処分屋の仕業じゃ…?」
サンドラの言葉に、ガイアは眉をピクリと動かした。
「処分屋だと?」
「ええ。以前、ユイフェンから報告があったとお伝えしましたね?高級娼館に黒髪の娼婦を探している怪しい二人組が来たっていう…。もしかしたらその連中が追ってきたんじゃ…」
「ふむ。だとしたら、かなりの手練れだな。我が屋敷は処分屋風情が簡単に侵入できるような警備はしておらぬはずだ」
「…そ、それもそうですが…」
「サラのいた部屋を見たい」
「はい、こちらへどうぞ」
サンドラに案内されて、ガイアたちはサラのいた部屋へと向かった。
そこはガイアがサラのために用意させた豪華な客室だった。
サンドラの命令により、部屋はサラがいなくなった時のまま保存されていた。
ガイアたちは部屋の中を一通り見て回ったが、何かが壊れていたり、散らかっている様子はなかった。
「姉さん、ちょっとこっちに来てよ」
クローゼットにいたユージンがサンドラを呼んだ。
「何だい?」
サンドラがクローゼットの中を覗き込むと、衣装箱が山積されていた。
「この一番でっかい木箱、中身空なんだけど、何が入ってたのかな?」
ユージンが指さしたのは、サンドラの胸の高さほどもある大きな衣装箱だった。
「空だって?そんなはずはないよ。帽子や靴なんかがいくつも入ってるはずだ。サラが取り出したんじゃないのかねえ?」
「でもクローゼットの中には帽子なんかないよ?」
「そういやそうだね。変だね。サラが身に着けていったのかねえ…?」
「この荷物、俺らの留守中に届いたんだよね?」
「ああ、ちょうど旦那様たちがスールの街へ行っている間に、洋品屋から届けられたんだ。いつもの馬車で運ばれてきたよ」
「どんな人が運んできたか覚えてる?」
「…そういや、一人、新しく雇われたっていう人足がいたね…。ずいぶんと大きな男だったけど、荷物持ちだから変には思わなかったよ」
「そいつが人攫いの仲間だな」
そこまで聞いていたガイアが鋭く言った。
ユージンはその木箱の中に入ってみた。
盛り上がった筋肉の肩と腕がぎゅうぎゅうになって少し苦しそうに見えた。
「俺だとちっときついけど、少し小柄な男なら余裕で入れるね」
「おそらくこの箱の中に、サラさんを攫った連中の仲間が潜んでいたんでしょう。その大男の人足は、自分の仲間が潜んでいる箱を運んできたんですよ」
ウルリックは箱から出ようとするユージンに手を貸しながら言った。
目を丸くして驚いていたのはサンドラだった。
「なんだって…?それじゃあ、賊は屋敷の中にずっといたっていうんですか?」
「そうなりますね。なかなか大胆な連中です」
ガイアは舌打ちをした。
「くそっ、俺が留守にしている隙を狙うとは、完全に行動を読まれていたな」
「サラちゃんの部屋の荷物までは調べたりしないですもんね」
「…誰だか知らない奴がここに隠れて、ずっとあの子を攫う機会を狙ってたっていうのかい…」
サンドラは恐ろしさのあまり、絶句した。
「警備の連中が気付かなかったということは、内部の人間の行動や警備状況なんかも調べていたんでしょう。我々が出掛ける前から、この屋敷は監視されていたと見るべきでしょうね」
ウルリックの推測にサンドラはショックを受けて、泣きそうな表情をしていた。
「私のせいだ」
「姉さん…」
「旦那様からあの子のことを頼まれていたのに…!ちゃんと確認せず、人足とはいえ見知らぬ男を屋敷に入れてしまった私のミスです。きっとあの子、間違って処分屋に連れて行かれたんだ。今頃きっと酷い目にあって…」
「おまえのせいじゃない、サンドラ。監視されていたことに気付かなかったのは俺のミスだ。心配するな、サラのことは俺がなんとかする。ここはいいから仕事に戻れ」
「はい…」
ガイアはサンドラが肩を落として部屋から出て行くのを見送ると、ユージンに合図をした。
ユージンは頷いて、サンドラの後を追った。
ショックを受けている彼女を慰めに行ったのだろう。
ウルリックと二人だけになったガイアは、真剣な面持ちで言った。
「どう思う?ウルリック」
「処分屋を雇ったのはおそらくメルトアンゼル皇国でしょうね」
「処分屋ってのは、こんなに手際が良いものなのか?」
「さて、処分屋のふりをした別の者かもしれません。ここには絶対にたどり着けないものと高を括っておりました。一体どうやって探し当てたものか、その方法を是非知りたいものです」
「感心してる場合か。そうなると、サラはメルトアンゼル城に連れ戻されたと見るべきか」
「ええ。サラさんの素性を知る者は他にいないはずですからね」
ガイアはベッドに腰かけた。
彼女が寝ていたであろう場所にそっと手で触れた。
「主、いかがなさいます?」
「取り戻すに決まっている。俺の懐から奪われたんだぞ」
「…わかりました。では急ぎ…」
ウルリックが何か言いかけた時、サンドラが再び部屋に入ってきた。
「失礼します、旦那様」
「何だ」
「お客がいらしていますが…」
「客だと?」
ガイアは訝しげな顔でサンドラを見た。
「はい。なんだか怪しい黒づくめの二人組で、追い返そうとしたんですが、旦那様が今一番知りたい情報を持っているとか言うもので」
ガイアは思わずウルリックと顔を見合わせた。
「…すぐ行く。一階の応接間に通しておいてくれ」
「はい」
サンドラが去ると、ウルリックは眉をひそめてガイアに問い掛けた。
「サラさんを攫った連中でしょうか」
「…わからんが、事情を知っている可能性はある。俺の知りたい情報を持っているということなら、教えてもらおうじゃないか」
「戻ってきたばかりのこのタイミングで訪ねてくるなんて、我々は屋敷ごと監視されていたんですね。十分にご注意を」
「ハッ、誰に言ってる?俺にはサラのくれた魔力があるんだぞ?連中の正体を暴いてやるさ」
一階の応接室に通された客は、黒づくめの帽子と衣装を纏った二人の男たちだった。
彼らは上等の椅子にそれぞれ腰かけ、部屋の中をきょろきょろと見渡していた。
それは高級娼館に現れた二人組ととてもよく似ていたのだが、ガイアがそれを知る筈もなかった。
「待たせたな」
大股で部屋に入ってきたガイアは、二人の男の前のソファに腰かけた。その後ろにはウルリックが立ち、入口の扉の前にはユージンが腕組みをして守護神のように立っていた。
彼は二人の男たちが何か不審な動きでもしようものなら、すぐにでも動けるよう気を張っていた。
ガイアが登場するとすぐに、黒づくめの男たちは帽子を脱いで立ち上がった。
「どうも、突然押しかけて申し訳ありません」
そう話す男の顔は、笑顔だった。
いや、正確には三日月を横にしたような細い目が、笑っているように見えるのだ。
やや痩せ気味のその男は三十代半ばくらいの年齢で、肩までの茶色い髪を真ん中から分けていた。
男はそのままユージンの方を振り向いた。
「そちらはユージンさん、後ろの方はウルリックさん、そしてあなたが商人ガイア…いえ、ゼスティン侯ガイウス殿下」
その男はガイアの前で深々と頭を下げ、礼を取った。
「お時間をいただきまして恐縮でございます」
「すべて調査済みというわけか」
「はい、殿下」
ガイアは慌てた様子も見せず、ソファに深く腰掛け、脚を組んだ。
黒服の男たちは座るようガイアから命じられると、大人しく椅子に収まった。
「貴様らは、何者だ」
「申し遅れました、私はアイズマン。こちらは部下のアゼルスと申します」
アゼルスと呼ばれたもう一人の男は、無言でガイアに頭を下げた。
その男は坊主頭でアイズマンとは対照的な強面に見えた。口を開かないこの男の胸元が少し膨らんでいることにガイアは気付いていた。懐に武器を仕込んでいるのだ。この男がアイズマンの護衛役であることは明白だった。
「フン、
ガイアが腕を組みながら言うと、アイズマンは胸に手を当てて会釈をした。
「ご明察、恐れ入りました殿下」
「別に、貴様の名などに興味はない。俺の知りたい情報を持っていると言ったな?早く話せ」
「まあまあ、そんなに慌てなくともいいじゃありませんか」
不気味な笑顔のアイズマンにガイアは直球で尋ねた。
「貴様らがサラを攫ったのか?」
するとアイズマンは淀みなく答えた。
「はい。お嬢さんをお預かりしたのは我々の仲間です」
「よくもぬけぬけと…」
意外にも彼はあっさりとサラを誘拐したことを認めた。
「貴様らはメルトアンゼルの間者か?」
「いいえ」
「では、一体どこの手の者だと言うんだ?」
「はっはあ…気になりますか」
「当然だろう。胡散臭いんだよ」
「おや、それは失礼しました」
アイズマンはそう言うと、笑っているような三日月の目をカッと見開いた。
その目はまるで別人のように鋭かった。
「我々は、国際条約機構の調査員です」
その答えにガイアたちは一瞬、息を呑んだ。
「国際条約機構…だと…?」
「はい、殿下」
予想もしなかった答えに、ガイアたちは驚きを隠せなかった。
その男の目は元の笑っているような形に戻っていて、それが嘘なのか本当なのか、読み取ることはできなかった。
だがこのアイズマンという男が只者ではないことをガイアは直感していた。
「まさか貴様ら、サラを機構本部に連れて行ったのではあるまいな?」
「いいえ」
「ではどこにいる?」
「お教えする前にいくつかお答えいただきたいことがございます」
のらりくらりと答えるアイズマンに、一刻も早くサラの行方を知りたいガイアは苛立ちを抑えられなかった。
「貴様ら、俺と取引しようというつもりか?国際条約機構が俺に何の用だ!」
「まあまあ、落ち着いてください。本日はそのサラというお嬢さんに関してお話をしに来たんですよ」
アイズマンは笑っているのかいないのかよくわからない顔でガイアに答えた。
「自分で攫っておいて、よくもそんなことを言うものだな」
「こちらにも事情がありましてね」
ガイアはギロリとアイズマンを睨んだ。
「フン。…良かろう。話を聞いてやる」
「ありがとうございます」
ガイアはこの男たちを信用したわけではなかったが、彼らの持つ情報を知りたいと思った。
なぜ国際条約機構がサラのことを知っているのか?
サラは今どこにいるのか?
この連中は何をしにここへやって来たのか?
聞きたいことは山ほどあった。
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