第48話 師匠

 数日後、ガイアとユージンの姿は馬上にあった。 


 吐く息が白い。


「ふぅ~、寒っ。久しぶりに来たけど、やっぱ寒いッスね」


 ユージンは剥き出しの逞しい両腕をさすりながら馬上で呟いた。


「だから上着を着て来いと言っただろう」

「だって麓はあったかかったですもん」


 馬を並べて走っているガイアはしっかりと外套コートを着込んでいる。


「もう少しだ。我慢しろ」


 アレイス王国のガイアの所領は温暖な気候だが、たった数十キロ北へ来ただけで、気温は一気に下がっていた。

 それもそのはず、彼らが馬を走らせているのは人里離れた山の中腹の、整備もされていない険しい山道だった。


「見えて来たぞ」


 山道の突き当りには、木々に隠されるように、一軒家が建っていた。

 平屋の屋根には煙突が付いていて、そこから煙が立ち上っている。

 高地のため空気もやや薄く気温も低い。家の周辺には雪が積もっていた。


 一軒家の隣の納屋に乗ってきた馬を繋いで、表玄関へと回った。

 入口の扉をノックしようと近づくと、中から声が聞こえた。


「開いているよ。お入り」


 扉を開けて一歩中に入ると、ホッとするような温かさが体を包んだ。


「あ~、あったかい!失礼します、センセイ」


 ユージンはガイアの後ろでそう言いながら扉を閉めた。

 ガイアは外套コートを脱いで壁のフックに掛けながら、部屋の中を見回した。

 壁一面に書棚が並び、入りきらなかった書物が床に積み上げられている。

 部屋の中央には四人掛けのテーブルがあり、マグカップのような茶器が三人分置かれていた。


「変わってないな…。相変わらず隠遁生活ですか」

「別に不便はないよ」


 部屋の中には生活に必要な物以外の無駄な物はなく、綺麗に整頓されていた。

 奥には暖炉があり、部屋全体を温めていた。

 返事をした人物は背中を向けて暖炉に薪をくべていた。

 ガイアは暖炉の方へと足を向けた。


「そいつらを踏まないでやっておくれ。毎年うちで越冬するんだ」

「え?ああ…」


 見ると、暖炉の前には丸い絨毯が敷かれていて、その上にリスのような小動物が数匹、丸くなって温まっていた。

 ガイアは小動物をまたいでその人物に近寄った。


「スイレンせんせい、ご無沙汰しております」

「ああ。久しぶりだねえ。ウル坊は一緒じゃないのかい」

「ウルリックには留守を任せてきました」

「そうか、話を聞きたかったのに残念だ。あの子の異界人についての研究は面白いからね。研究熱心で、感心するよ」


 そのせいで彼を殴るような事態になってしまったのだが、とガイアは密かに思った。


「時間ができたら来るように伝えておきますよ」

「それで?今日は何の用で来たんだい?」


 そう言いながらガイアを振り返ったのは、白髪とも見える銀色に輝く長い髪と透き通るような青白い肌をした妖艶な美女だった。

 スイレンせんせいと呼ばれたその女性は、二十代とも四十代とも見える年齢不詳の不思議ミステリアスな雰囲気を纏っていた。


「国際条約機構の主長フィクサーに渡りをつけて欲しいんです」

「国際条約機構に?あんなに嫌っていたのにどういう風の吹き回しだい?」

「実は…」


 ガイアはここまでのいきさつを話した。


「その娘のことはウル坊からの手紙で知っていたよ。…それで、その娘がメルトアンゼル皇国に連れ去られてしまったので、取り返しにいくというのかい」

「はい。サラは城の中に軟禁されているので、直接乗り込むしか救出方法がないのです。それで国際条約機構の調査員エージェントと取引したのです」

「姑息な手を使うようになったもんだねえ」


 スイレンは灰色のローブの裾を払い、立ち上がってガイアと向かい合った。

 背の高いガイアと並んでも引けを取らない程の長身だった。


「連中にはサラの素性を明かしてはいませんが、薄々は気付いているようです。こちらも手段を選んでいる場合ではありませんから、切り札を持っておきたいのです。国際条約機構の主長は絶大な権限を持っていると聞きます。ですが外部の人間には一切会わないとか。機構の創設者の一人であるスイレン師から、主長に会わせてもらえるよう頼んでいただきたいのです」

「機構の連中は半年に一度くらいご機嫌伺いに来るけど、今の主長には面識がないんだよ」

「そこを何とか、お願いできませんか。俺はサラを手放したくないんです」

「やれやれ、おまえが女のためにそこまでするなんて驚きだよ」


 スイレンはテーブルの上に置かれた銅製のポットを手にした。


「…温かいお茶を淹れてあげるから、そこへお座り。ユージンもこっちへおいで」


 スイレンは入口近くに立っていたユージンに手招きした。

 ガイアはスイレンに示された椅子に腰掛けた。

 彼女は呪文もなしにポットに手をかざすと、瞬時にポットの注ぎ口から湯気が立った。

 そのポットを持ち、テーブルの上に並んでいる茶器にお茶を注いだ。

 スイレンはポットをテーブルに置いて、ガイアの向かいの席に座った。

 ユージンは「失礼します」と言いながらガイアの隣の席に座った。


「さ、どうぞ」


 スイレンは2人の前に茶器を置いた。


「いただきます」


 ガイアとユージンは茶器に手を伸ばした。

 茶器から立ち昇る湯気の向こうの彼女の顔は微笑んでいた。


「…何が可笑しいんです?」

「いや、おまえが一人の女に夢中になるなんて、成長したもんだって感心したのさ」

「師の中では俺はいくつなんですか…」

「ハハッ、思い出すねえ。死にかかっていたウル坊を背負って、おまえがうちの扉を叩いたことが、ついこの間のことのようだ」

「子供の頃の話を蒸し返さないでください」

「へえ~!旦那様は子供の頃、どんなんだったんです?」


 ユージンが興味深そうに尋ねると、スイレンは嬉しそうに語り出した。


「この子とウルリックは街で噂になっていた山の魔物を討伐しに、何の準備もなしに徒歩でこの山に登ってきたんだよ。あの日は今日よりも雪が積もっていたっけねえ。途中で体力が尽きて、寒さでウルリックが倒れてしまったらしくてね。ガイアはウルリックを背負って山の中を彷徨っているうちに偶然、この家を見つけて駆け込んできたんだ。あの時のこの子の必死な顔、忘れられないね。『俺の命をあげてもいいから、ウルリックを助けて!俺が無理矢理誘ったんだ、俺が言う事をきかなかったから、こんなことになったんだ』って泣き喚いてね」


 スイレンはニコニコしながら話したが、対照的にガイアは面白くなさそうな顔をしていた。


「…まさか、駆け込んだ先が噂の魔物の家だったとは思いもしませんでしたよ」

「ハッハッハ!私がウル坊を治してやった時のおまえ、ビビってたものねえ」

「…光魔法なんて、伝説上の物だと思っていたからですよ」

「私も人間に使ったのは数百年ぶりだったよ。二度と人間なんかに関わらないでおこうと思っていたんだがねえ…。可愛い子には弱いってことかな」


 スイレンはクスクスと笑った。

 ガイアは昔のことを弟に聞かれてバツが悪そうだった。


「昔話をするために来たわけではありません」

「久しぶりなんだから少しくらい、いいじゃないか。それとも何かい?おまえは自分のお願いだけ聞いてもらったら、私の話なんざどうでもいいっていうのかい?」

「そんなことは言っていません」

「押しかけ弟子のくせに、随分生意気な口をきくようになったじゃないか。さっさと両手を出しな。魔力の流れを診てやるよ」


 言われた通り、ガイアはスイレンに両方の手を差し出した。

 ユージンは静かにそれを見守っている。

 スイレンは彼の両手を掴むと、呪文を唱え始めた。

 彼女の手が微かに光りはじめた。

 しばらくの間そうしていると、彼女はフウ、とため息を一つついて両手を離した。


「…なるほど、そういうことか。長い間の謎が解けたよ」

「何です?」

「ウル坊の推測通り、おまえの体の中には異界人の魔力が充填されている。それもかなり純度の高いものだ。…おまえ、最近異界人の娘を抱いたね?」

「…そんなことまでわかるんですか」


 ガイアは驚きを隠せなかった。

 スイレンはフフン、と鼻で笑った。


「わかるさ。その娘、処女だったんだろ?」

「…俺がサラの処女を奪ったから、魔力が上がったんだとウルリックは言っていました」

「その推測は正しいが、正確にいうとおまえの魔力が上がったわけじゃない。おまえの魔力は異界人の娘の魔力と混ざり合ってかさ増しされたにすぎない」

「…?どういうことです?」

「おまえと出会うまでは、その娘の魔力のほとんどは胎内に押し込められていたはずだ。おまえがその娘の処女を破ったことで、堰き止められていた娘の魔力はおまえの中に流れ込んだ。娘とおまえの間に魔力の道が繋がり、娘を抱くたびにおまえの体の許容量最大分の魔力が供給されるようになったんだ」

「魔力の道…?」

「魔力の濃度を見る限り、道が繋がる相手は、最初の一人だけだ」

「やはり、そうですか」


 ガイアはもっと早くここを訪れていれば良かったと後悔した。

 そうすればサラを傷つけることもなかったのに、と。

 ここでユージンが口を挟んだ。


「センセイ、それって男の場合も同じですか?」

「ああ、そうだと思うよ。昔は男の異界人も多かったからね。だがおまえたちも知っての通り、こちらの世界の女は魔力があったとしてもそれを生かせる社会ではなかった。宝の持ち腐れだったってことさ」

「そっか…、昔は今よりももっと女性の立場はシビアだったでしょうからね」

「まあね。ただその魔力は子孫に受け継がれているはずだ。各国に力の強い魔力の持ち主がいるのもそのおかげだろうよ」

「なーるほど!」


 感心するユージンの隣で、ガイアはスイレンをじっと見つめていた。

 彼女は、ガイアが子供の頃に出会った時と容姿がまったく変わっていなかった。

 彼女が何歳なのか、聞いてもはぐらかされるばかりで教えてはもらえなかった。


「スイレン師、その魔力の道ができると、魔力が強くなる以外にどういう影響があるんです?」

「聞くまでもないと思うがね。自覚があるだろ?」


 スイレンはニヤニヤと微笑んだ。


「娘の魔力はおまえの血や体液といった、おまえを構成するものの一部となって全身を巡っている。おまえが娘に夢中になる理由はそれさ」

「俺がサラの魔力に支配されているというんですか?」

「肉体的な隷属の話じゃない。本能的なことさ。おまえはその娘が欲しくて、欲しくてたまらないはずだ。娘を繋ぎとめるためならなんでもしてやろうと思っているんじゃないのかい?」

「それは…」


 ガイアは図星を指されて二の句を継げなかった。


「いいことを教えてやろうか」

「何です?」

「おまえが娘から与えられたその魔力は、使用してもしなくても少しずつ消耗していく。娘と交わって補充しなければ、やがておまえの中の娘の魔力は枯渇するだろうよ」

「…枯渇するとどうなるんです?」

「さあな。やってみればいい」

「今のままではいずれそうなりますよ」

「おや、気の毒にねえ。おまえ、狂って死んでしまうかもしれないよ」

「…え!?」


 ユージンは驚愕し、思わず立ち上がった。


「狂うって、そんな…!!」

「落ち着けユージン。冗談だ、本気にするな」


 ガイアは冷静に、ユージンを制して座らせた。


「確かに、少し長く離れているだけで、会いたくて仕方がなくなることはあった。だが、狂うというほどではない。俺は冷静だ」

「フフッ。まあ、さすがに言いすぎかもしれんがね。乾いた喉が水を求めるように、狂う程に娘を求めることになるだろう。そしてそれが満たされぬとなれば、あらゆる障害を排除しようとするに違いない。そうなれば我を忘れて魔力を暴走させ、周囲に被害が及ぶやもしれん」

「まるで中毒者だな」

「旦那様…」


 ユージンは自虐的にいうガイアを心配そうに見ていた。


「心配するな。俺のサラへの気持ちは俺のものだ。魔力に操られたりはせん」


 ガイアはユージンに向かって、穏やかな口調で言った。


「だといいがね」


 スイレンはチラリとガイアに視線をやり、自分のお茶を一口飲んだ。


「おまえのおかげで確認することができて良かったよ。ずっと不思議だったんだ。千年前、異界人と結ばれて魔力を得たこの世界の為政者たちは、自らの命も顧みずそれまで以上に必死になって戦い、戦乱を収めた。異界人同士を戦わせて高みの見物でもしてりゃいいものをさ」

「恋愛関係にあった女を戦場へ送り出すわけにはいかないでしょう」

「計算高い為政者どもが異界人の女などに本気になどなるものか。色仕掛けで協力させる魂胆だったに違いないのさ」


 彼女は鼻息荒くそう言った。

 昔、何かあったのだろうかと思ったが、ガイアはスルーすることにした。


「ところが彼らは異界人の女に本気になってしまった。犠牲も厭わず、彼女らを守るために大軍を擁して必死に敵と戦ったんだ」

「…俺もその指導者のようになるかもしれないとおっしゃりたいんですか?」

「実際今も娘を助けるためにこうして行動しているじゃないか」

「俺は戦争など起こしたりしません。だからこうして頼みに来たんです」


 真顔でそう答える弟子に、スイレンは目を細めた。


「どうかな」


 スイレンがそう言うと、ガイアは微かに眉を動かした。


「それで、頼みを聞いてくれるんですか?」

「聞いてやってもいいが、ひとつ条件がある」

「何です?」

「その娘を取り返したら、ここへ連れておいで」

「嫌です」

「何だって?」

「サラに何か吹き込むつもりでしょう?」

「ふーむ、バレたか。その娘に、おまえが私にあんなことやこんなことをしたと教えてやろうと思ったのに」

「昔の話を持ち出さないでください。だいたい、そっちが誘ったんでしょうが!思春期の青少年の前であんな露出の多い恰好でうろうろされたら誰だってそうなるってもんです!」

「人聞きの悪い。女の良い所をたくさん教えてやっただけじゃないか。それが今役に立ってるだろ?この私に実地で指導してもらえるなんて、幸せ者だぞ?あーあ、あの頃のおまえは可愛かったのになあ」


 ユージンは二人の掛け合いが面白くてニヤニヤしながら聞いていた。


「そんなこと、あいつの前で言ったら絶対許しませんからね!」

「わかったわかった。まあ、冗談は置いといて、その娘に興味があるんだよ。同じ異界人としてね」


 スイレンはニヤリと笑った。

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