第49話 夜化粧

 あの夜以来、なんとなく顔を合わせるのが気まずいと思っていたウォルフが二日ぶりに私の部屋を訪れた。

 あの時着ていた私の服と失くした靴を綺麗に洗って持ってきてくれたのだ。

 どちらもさすがにもう着る気にはなれなかったけど、わざわざ探して持ってきてくれたものを受け取らないわけにはいかなかった。


 彼は私を襲った警備兵二人が国家反逆罪で処刑されたことにされたと教えてくれた。二人は郊外の墓地にひっそりと葬られたそうだ。

 あの時は必死でそこまで考えが回らなかったけど、殺すというのはやりすぎな気がして、なんだか複雑な気持ちだった。

 専制君主制のこの国では裁判などなく、皇帝がその場で決めたことは絶対なので、仕方のないことなのかもしれない。


 それなのに、それを指示したサヤカは当分の間、謹慎を命じられただけだ。

 正直、それだけ?って思った。

 私にあんな酷いことをしておきながら、ほとんどお咎めなしってことじゃない。


「謝りにも来ないんだね」

「サヤカさんは自分の非を認めようとせず、終始関係ないと言い張っていまして、謝罪する気持ちはないようでした。警備兵らは亡くなっていますし、彼女が教唆したという証拠もありませんので、これ以上の追及は難しいかと」

「そうなんだ…」 

「…お力になれず、申し訳ありません」

「ううん、ウォルフのせいじゃないよ。私だって別に、サヤカに仕返ししたいとかそんなことは思ってないし。けど、ちゃんと反省はして欲しいなって思うんだよね」

「彼女の場合、実力行使でないと言うことを聞きませんよ」

「実力行使?」

「…例えばの話です」


 ウォルフはそう言うと、いつもの無表情に戻ってしまった。

 私と目が合っても、以前とちっとも態度が変わらない。

 確かに、あの夜のことはなかったことにするって、私が言ったんだけど。

 だから彼はその通りにしてくれてる。

 それだけのことだ。


 …こだわっているのは私だけなのかな。


「ああそうだ。今夜、皇太后様がお見舞いにいらっしゃいます。この度の件、大変ご心配なさっていましたよ」

「…そんな大事になってるの?」

「皇帝陛下が絡んでいらっしゃいましたし、人も亡くなっていますので」

「そっか…」


 私はチラッとウォルフを見てポツリと呟いた。


「…なんで平気なの?」


 その言葉を聞いた彼はクスッと笑った。


「あの夜のことですか?」

「あんなことしといて、よくそんなしれっとした顔してられるよね」

「もしかして忘れられないんですか?」

「違っ…!何言ってんの?」

「して欲しければ、いつでもしますよ」

「バッ…バカ!そんなこと言ってないでしょ!もう~、やっぱあんたってサイッテー!出てって!」


 恥ずかしさのあまりそう叫ぶと、ウォルフはニヤニヤと笑いながら出て行った。

 完全にからかわれてる。

 やっぱり最低だ。最低男だ。

 ちょっとでも気を許しかかってた私がバカだった。


 …そりゃ、初めて見た時はときめいたし、カッコイイなって思ってた。

 だけど、サヤカといつも一緒にいることが嫌だった。命令されれば誰とでも寝る男だってわかって、心底嫌いって思った。

 それなのに、あんなことするから…。


 私はベッドの上で膝を抱えた。


 私だって、人のこと言えない。

 なんだか欲望のままに流されちゃってる気がする。

 優しくされるとあんな男にですら気を許してしまいそうな自分が、すごく嫌。

 だけど…今は他に頼れる人がいないんだもん。

 

 ガイア…。

 …会いたい。

 寂しい。

 迎えに来て、

 おまえは俺のものだって、強く抱きしめてよ…。


 それが叶わぬことだと知りつつも、願わずにはいられなかった。


 部屋で一人寂しく夕食を済ませた後寛いでいると、突然メイドが押しかけてきた。


「な、何ですか?」

「失礼致します、お嬢様。皇太后様のご命令により、お支度を整えさせていただきます」

「支度!?」


 年長のメイドが私にそう言うと、指をパチン、と鳴らした。

 すると、五人のメイドが一斉に部屋に入って来て、テキパキと動き出した。

 温かい湯を入れた桶を持参したメイドが、私の髪や顔を洗って、お化粧を施し、髪を結って髪飾りで留めた。

 胸の大きく開いたドレスを着るように言われたのだけど、ガイアから貰ったネックレスが剥き出しになってしまうから、襟の高いものはないかと要望した。

 年長のメイドは、私の要望を受け入れて、別のドレスを用意してくれた。たぶん、出すほど胸がないから、気の毒に思ったんだろう。

 薄紅色のサテン生地のような光沢のあるロングドレスは、私には少し大人っぽいと思った。

 襟は高いけど両脇が大きく開いたノースリーブで、背中も大きく開いていてかなりセクシーだ。


 それにしても、なんでこんな時間にドレスを着せられるのだろう。


 支度を終え、メイドたちが部屋を出て行った後、アデレイドがやって来た。


「まあ、サラ。美しく出来上がったわね。これなら大丈夫だわ。さ、来てちょうだい」

「あの、どこへ?」

「皇帝陛下の寝所よ」

「し、寝所…?」

「そうよ。聞けばあなた、陛下に助けられたというじゃないの。今からそのお礼を言いに行くのよ」

「い…今からですか?」

「ええ。話はつけてあるわ」


 寝所?

 どういうこと…?

 こんな時間に謁見?


 訳が分からぬままアデレイドに連れて行かれたのは、城の最奥、最上階にある皇帝の私室だった。

 そこへたどり着くまでには厳重な警備がなされていて、アデレイドと一緒でなければ通ることさえできなかっただろう。

 部屋の前までやってくると、武装した衛兵が二人立っていた。

 アデレイドが合図をすると彼らは敬礼して私たちを部屋の中に入れてくれた。

 皇帝の私室は、とにかく広くて、様々な彫刻や観葉植物、壁には絵画やタペストリーが飾られていた。

 ピカピカに磨き上げられた石の床に、豪華な家具が置かれている。

 広い部屋の奥へ歩いていくと、その先を隠すように私の背よりも高い衝立ついたてが立ちはだかった。

 その衝立の上には服らしき布が無造作に掛かっていた。

 何だろうと思っていると、衝立の向こうから女の人の声が聞こえた。

 私はドキッとした。

 やけに艶っぽい声だったからだ。

 アデレイドはそれを聞いて、眉をしかめた。


「エルマー、またなの?」


 アデレイドが誰に話しかけているのだろうと思ったら、衝立の手前に片膝をついて控えている人物がいることに気付いた。

 よく見ると、私はその人に見覚えがあった。

 灰色の長髪を首の後ろで結わえたその青年は、以前中庭で皇帝と一緒にいた人だった。

 そう、あの時もエルマーって呼ばれていたから間違いない。


「皇太后様、今入るのはご遠慮願えませんか」


 エルマーは囁くような低い声でアデレイドに言った。


「私は陛下と約束しているのよ。どうして遠慮しなくちゃいけないの」

「ですが」

「いいからお下がり」


 アデレイドは有無を言わせず彼の前を通り過ぎた。


「陛下、入りますよ」


 アデレイドはそう言いながら、ずけずけと衝立の向こうへと足を踏み入れた。

 私もその後に続いた。

 ふっと、嗅いだことのあるお香の香りがした。


「さっさと出て行け」


 強い口調で、男の人の声が聞こえた。

 私は驚いて立ち止まった。

 すると、私たちと入れ替わるように、裸の女の人が衝立の上から服を取って走って出て行った。 


「わ…!」


 私はびっくりして思わず声を上げてしまった。


「陛下」


 アデレイドは冷静に声を掛けた。


 衝立の奥を見ると、こちらに背を向けた男性が、夜着の帯を締めていた。


「…陛下、よろしいかしら」


 アデレイドは、彼の前に歩み出た。

 私はボーゼンとして、振り向いた男の顔を見た。

 その顔は確かに先日暴漢から私を助けてくれた、釣り上がった目をした若い男性―皇帝だった。


 私は慌てて跪いた。

 前に会ったときは暗くてよくわからなかったけど、皇帝は濃い金髪で、私とそう変わらないか、いくつか年上の若者に見えた。

 鋭い一重の目と薄い唇からは、冷酷な印象を受ける。

 夜着の袷から、色白だが引き締まった上半身が見えた。


「戯れもほどほどになさってくださいな、陛下。今夜はこの子にお会い下さるというお約束でしたでしょう?」

「ただの暇つぶしだ。母上こそ急に入ってくるなど、無粋ではないか」

「今の女はエルマーが用意したの?どう見ても下働きの下女だったわ」

「当たり障りのない女を連れてこいと言ってあるだけだ」

「そういうことをしているからおかしな噂が立つのよ。少しは自分の立場というものを理解していただきたいものだわ」


 アデレイドが皇帝を叱っている。

 皇帝のお母さんだっていうこと、こういう所を見ると実感する。時々、口調も母親っぽい言い方になるし…。


「母上は小言を言いにきたのか?」

「そうじゃないわ、キュリオス。覚えていて?異界人のサラよ」

「ああ」


 皇帝が私に視線を移した。


「あなたがこの子を助けてくれたんですって?」

「フン、ただの偶然だ。あの色狂いの異界人のこともある。気に入らねば叩き出す」


 色狂いの異界人って、もしかしてサヤカのこと…?

 それじゃ彼女もここへ来たの…?


「サヤカの無礼は謝ったじゃないの。…でもこの子は頭もいいし、器量もそう悪くないわ。きっと気に入ると思って連れて来たのよ」

「…以前に見た時と、随分印象が違うな」

「召喚された時に一度見ただけだものね。あの時とは感じが違うかもしれないけど、女は変わるものなのよ」


 最初に召喚された時、あの場に皇帝陛下もいたんだ?

 全然気づかなかった…。


 皇帝は私を頭のてっぺんから足の先まで舐めるように見た。


「フン。まあいい。少し遊んでやろう。母上は出て行ってくれ」

「はいはい。それじゃあごゆっくりね」

「えっ?あ、あの…」

「しっかりやるのよ、サラ」


 アデレイドは喜んで、私を残して部屋を出て行った。

 ど、どうしよう…。

 寝所で二人きり…ってことは、やっぱりそういうことなわけよね…?

 とても断れる雰囲気じゃないし、さっきの女の人のこともあるし、超気まずいよ…。

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