第56話 使者
漆黒地に金の縁取りの刺繍のあるロングコートの裾を翻し、その使者一行は颯爽と謁見室に現れた。
中央に通り道を作るように、両脇に衛兵らが隙間なく直立不動で並んでいる。
その衛兵たちは、現れた四人の使者を見てぎょっとした。
全員、黄金の仮面をつけて顔の上半分を隠していたからだ。
その先頭を歩くのは、白金の髪をした背の高い男で、コートを着用しているのは彼だけだった。つまり、この男がこの中で最も位が高い人物ということだ。
仮面で隠されているため、年齢もよくわからないが、口元だけを見る限り、まだ若い青年のように思える。
その後ろに付いて歩く三人の男性も皆長身で、軍人のように姿勢が良く、隙がなかった。
玉座近くに立つ将校らしい男は、眼光鋭く彼らを見ていた。
使者たちは衛兵の整列する前を通って玉座の前まで進み出た。
先頭を歩いていた白金髪の男が立ち止まると、後ろの三人も横一列に並んで立ち止まった。
彼らの前から四、五段ほど上った玉座には、まだ年若い皇帝が座り、その傍には皇太后が立って、彼らを見下ろしていた。侍従のエルマーは帯剣して玉座近くに立っていた。
皇太后アーデルハイエットは、彼らを前に、ツンと顎を上げて叫んだ。
「メルトアンゼル皇帝キュリオス・オットー陛下の御前である。一同、跪きなさい」
すると、使者たちを除くその場にいた全員が一斉に膝を折った。
皇太后は膝を折らない使者たちを睨みつけた。
「その方ら、無礼であろう!」
その鋭い視線をものともせず、仮面をつけた白金髪の使者は言った。
「我々は国際条約機構の調査員である。その規約により貴国とは対等の立場で話をさせてもらう。無礼を許されよ」
使者は、良く響く周囲まで届く程の大きな声で語り出した。
「私はクルード。後ろにいるのは我が部下たちである。我々四名とその配下数名が先遣隊として派遣されて来たものである」
「フッ、クルードだと?態度もだが、その仮面と同じく無礼であるな」
若き皇帝は皮肉たっぷりに言った。
「この仮面が気に障ったのであればご容赦いただきたい。これは我々の決まり事なのでね」
「フン、ふてぶてしい。素顔も晒せぬ怪しい者を信用せよと言うのか」
「我々は見かけではなく行動を持って信頼を勝ち取るつもりだ。早速だが用件を述べさせていただく」
使者は両手を腰の後ろで組む、いわゆる軍人立ちのまま話を続けた。
「知っての通り、我ら国際条約機構は大陸十五か国の代表からなる組織であり、大陸の安寧のために活動を行っている。貴国が先日侵攻したアレイス王国も組織に加盟しており、国境にて小競り合いが頻発した際に我々が仲裁を試みたことはご存知の通りだろう」
「ああ、何度も書状や使者を寄越してきたな。だが戦争は既に終結している。貴様らにとやかくいわれる筋合いはない」
皇帝は活舌良くそう言った。
すると使者もそれに負けずに語った。
「我々が本日やってきたのは、貴国のアレイス王国への侵攻を咎めるためではない。そのアレイス王国から告発があったからだ。我々は貴国を条約違反の疑いで調査を行うことを決定した」
「条約違反?何のことかしら?」
それに返答したのは皇太后だった。
すると使者は彼女を見上げて首を傾げた。
「おや。先触れの書状を出しておいたはずだが、目を通していただけていないのかな?」
「見たけど心当たりがないことよ」
「では、改めて申し上げる。貴国には禁じられている召喚術を使って異界人を召喚し、アレイス王都への奇襲攻撃に加担させた疑いがかけられている」
「妄想もたいがいにして欲しいものだわ」
「妄想かどうかは調査すればわかることだ」
皇太后は怒りの形相になった。
この仮面の使者の横柄な態度にイラついていたのだ。
「我が国は国際条約機構には参加していないわ。おまえたちの申し出を受け入れる義理も義務もないのよ。それなのにおまえたちは勝手にやって来て、我が国にあらぬ疑いをかけ、侮辱するというの?」
「我々は大陸の平和のために活動している。告発があった以上、機構に加盟していようがいまいが調査を行わねばならない。貴国が従わないと言うのならば、実力行使もやむを得ないがよろしいか?」
脅迫まがいの使者の言動にも動じず、皇帝は玉座で足を組んだ。
「貴様らの言い分はわかった。それで、もしその異界人とやらが見つかったらどうするつもりだ?」
「もちろん、異界人は捕獲して本部へ連行する。貴国にはペナルティとしてアレイス王国へ相応の賠償金を支払っていただくことになる」
「見つからなかった場合は?まさかすいませんでしたと謝るだけで済むとは思っていないだろうな?」
「見つからなくともその痕跡が認められれば、証拠となりうる。何もなければ我々は滞在費のみを支払って引き揚げるだけだ」
「貴様らが証拠を捏造して言いがかりをつけぬとも限らぬではないか。そんな理屈が通ると思うのか?」
「我々は決して不正などしない。正しく調査を行うだけだ」
「どうだか」
皇太后は紅い口を歪めて言った。
「おまえたちの言うことなど信用できないわ」
「ならば我々調査団を監視する者を何人でもつけてくれて構わない」
「フン、大した自信だな」
「何も証拠が出なければ、我が国と陛下を侮辱したとして、機構に慰謝料を請求するわよ。少なくともおまえたちにはその無礼な仮面を取って、皇帝陛下の前で土下座して詫びてもらうけれど、構わないわね?」
皇太后は自信たっぷりに使者たちに云った。
「我々は個別の交渉には応じない。機構の裁定委員会に委ねるだけだ。では調査の日程について伝えておこう。サーフス、説明を」
「はっ」
「フン、今度はサーフスか。冗談が好きな連中だ」
皇帝は玉座で足を組みかえながら苦笑した。
深緑色の髪をしたサーフスという男が前に出て、今後のスケジュールについて話し出した。
国際条約機構の調査団は来月にも100人規模でやって来て、一か月ほど滞在して調査を行う予定だと告げた。
「なお、我々先遣隊が異界人を発見した場合は、調査団の本隊到着を待たず、異界人を連れて撤収します。本隊が来るまでは皇都の宿泊施設に滞在し、受け入れ準備を行います」
「なにも市井の宿泊施設などに行かずとも、我が城に泊ればよいものを」
皇帝がそう言うと、傍にいた皇太后は顔色を変えた。
「陛下、それは…」
「構わん、探られて困ることなど何もないのだからな」
「…ですが…」
すると使者たちは顔を見合わせて頷いた。
「せっかくの申し出だが、中立の立場上、お断りさせていただく。会食、及びパーティの類も辞退させていただきたい」
皇帝に対し、尊大な態度で返答をするクルードという白金髪の男に、皇太后は不快感をあらわにした。
「陛下の心遣いを拒否すると言うの?」
「気遣いは無用に願う。但し、調査の準備のために城内への出入りを許可していただきたい」
「勝手なことを…。そのような仮面をつけて城内をうろつかれては迷惑よ」
「そこは容認していただきたい。何なら見張りの兵をつけてもらっても結構だ」
「…許可証を発行してやる。好きにするが良い」
いちいち突っかかる皇太后とは対照的に、皇帝は度量の大きさを見せた。
「皇帝陛下のお心遣いに感謝する」
仮面の使者たちはうやうやしく皇帝に敬礼をした。
皇太后はその目で射殺してやろうかというほどの眼光で、その場を後にする彼らを見送った。
こうして国際条約機構の使者たちは、メルトアンゼル城の人々の心にさざ波を立てることに成功したのだった。
皇帝はただちに大臣や官吏たちを招集し、会議を重ねた。
何度目かの会議でようやく、監視をつけることを条件に、国際条約機構の使者の要望を受け入れるということで意見が一致した。
さすがに十五か国の連合軍を敵に回すことはできないとの判断だった。
…という話をウォルフから聞いた私は、あの時見たウルリック似の使者が気になっていた。
けど、彼のはずはない。
だって彼は私のことを国際条約機構には渡さないって言ってたし、ガイアだって機構のことはよく思っていない口ぶりだった。
同じ髪型というだけで、私が思い込みすぎてるんだ、きっと。
…でも、もしあの時話したことが全部嘘で、私を騙していたとしたら?
ウルリックが本当に国際条約機構の使者だったとしたら、ガイアも無関係ではないはずだ。
ウォルフの話だと、機構のメンバーには加盟国の貴族もいるというから、まったく無い話じゃない。
彼らは本当は機構の一員で、私をわざと拉致させて、この国が異界人を召喚していた証拠を掴もうとしていたとしたら?
それって最悪のシナリオだ。
―ううん、そんなはずない。
そうならガイアがあんなこと言うはずない。
異界人だということは忘れろって…。
俺の傍にいろって。
だけど一度芽生えた疑心は、私の心に暗い影を落とした。
食欲がなくなってしまって、夕食を取る気にもなれなかった。
夕方ウォルフがやって来た時、手を付けられていない食事を見て心配そうに尋ねた。
「どうしたんです?食事に手を付けていないようですが、体調でも悪いんですか?」
「私にだって、食欲ない時くらいあるわよ」
「生理は終わったはずですよね?」
無神経な彼のその言い草に、さすがにカチンときた。
「だ・か・らー!男の人がそういう事を気軽に言わないでよ。…そんなことを言いに来たわけ?」
「いえ。今夜、皇帝陛下は皇太后様とさる貴族のパーティーに招かれているそうなので、呼び出しはないとお伝えしに参りました」
「あ…そう」
助かった…。
いつ呼ばれるかと内心ビクビクしていたんだ。
このところ皇帝は機構の一件で忙しいらしく、お呼びがかかることもなくてホッとしていたのだ。
機構の使者が来ても私の生活は変わらなかったけど、それだけが唯一の気がかりだった。
生理が終わってしまったので、もし今度招かれたら何て言って躱そうかと考えていた。
「そういうことですので、今夜はゆっくりお休みください。私も伺いませんので用があればメイドを呼んでください」
「わかったわ」
ウォルフはそう言って下がった。
しかし、ゆっくり休めと言われても、基本的にずっと軟禁されているので、毎日ゆっくりしてるようなものだ。
ウォルフに持ってきてもらった本を読んだり、ストレッチしたりして、夜はゆっくりと更けて行った。
ベッドに入っていた私は、部屋の扉をノックする音に飛び起きた。
ウォルフだと思って、私は少し乱暴にドアを開けた。
「今日はもう来ないって言ってたじゃない!」
ところがそこに立っていたのは金髪の美青年ではなく、落ち着いた灰色の髪の、背の高い男性だった。
それは皇帝の侍従のエルマーだった。
「あ…」
ビックリした。
彼も少し驚いた顔をしていた。
「おやすみでしたか」
「い、いえ。ご、ごめんなさい、ウォルフかと思って…」
エルマーは不躾な私の態度にも動じず、淡々と自分の用向きを話した。
皇帝が出席していた貴族のパーティーを途中で切り上げて戻ってきたらしく、私を呼んでいるという。
急なことだったので、直接エルマーが私を迎えに来たのだった。
この人、本当に余計な話をしない人だけど、良く聞くと声優みたいに良い声をしている。
「わかりました、すぐに支度します。少し待って…」
「そのままで結構です。さ、ご案内します」
私の話を遮るように、エルマーはそう言って私の手を取った。
私は寝間着として着ていた白いキャミソールドレスの上に夜着のガウンを羽織っただけの恰好で、半ば強引にエルマーに連れ出された。
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