第54話 黒い瓶

 皇太后アデレイドは、自室の執務机の前の椅子に腰掛けたまま、黒覆面の男からの報告を受けていた。


「…そう、さすがね。今回は随分と早かったじゃないの」

「商人の行き先を突き止めることなど大した手間ではありませんので」

「それで?確実に始末したんでしょうね?」

「はい。トドメを刺した後、焼却して跡形もなく始末しました。骨も粉々に砕いて埋めたので、一切の証拠を残していません。何か、始末した証拠が必要だったでしょうか」

「必要ないわ。おまえたちの腕を信用しているから。アレイスの王子はどうしてるの?」

「王都で婚約者とパーティーに興じております」

「フフ、まあそうでしょうね。たかが奴隷が一人いなくなった程度で大騒ぎするはずもないわね」

「では、私はこれにて失礼を」


 目だけを出している黒覆面の男は執務室から出て行こうとした。


「待ちなさい」

「まだ何か?」

「…おまえ、いつもの男じゃないわね」

「はい。首領は別の仕事で出ております」

「そう、あれはおまえたちの首領だったの。では伝えておいてちょうだい。おまえたちを専属で雇うことにするわ。他の仕事は全部キャンセルしなさい」

「は…申し伝えておきます」


 覆面男が出て行った直後、ウォルフが入ってきた。


「今のは処分屋ですか」

「そうよ。例の奴隷商人を始末したと報告してきたわ」

「…サラさんを売った商人を…ですか?一体どうやって…」

「サラを見つけた連中よ。そこらの兵よりずっと役に立つということよ。専属で雇うことにしたわ」

「あんな連中、どこで見つけてきたんです?」

「最初にサラの捜索を依頼した処分屋がなかなか見つけて来ないから、営業停止にするといって脅したら、腕の立つ連中がいると紹介されたのよ。見つけてくれれば誰だって良かったわ」

「…そんな得体のしれない連中を雇うなんて、迂闊ではありませんか?」

「どうせ金目当ての薄汚い連中よ。サラの素性は伏せているし、おかしな真似をしたら消せばいいわ」

「…しかし、城に出入りさせるのはどうかと思いますが」

「案外心配性なのね。安心なさい。万が一の時はこの私自らが口を封じてやるわ」


 眉をひそめるウォルフに、アデレイドは鼻で笑って見せた。


「サラはどうしているの?」

「サラさんは皇帝陛下と中庭でデート中です」


 ウォルフがそう報告すると、アデレイドは少し驚いた後、満面の笑顔になった。


「そう…!陛下は本気でサラを気に入ったのね」

「しかし、良いのですか?こんな昼間から堂々と連れ歩いて。皇妃候補の令嬢たちから無用の注目を集めてしまいますよ」

「フフ、いいのよ。考えていることがあるの」

「…考えていること?」

「そのうちわかるわ。そうだ、あなたにも言っておくわ。サラに魔法の教師をつけることにしたの」

「…教師?」

「ええ。後宮に入るのならサラにはいくつか生活魔法を教えておく必要があるのよ」

「前回のように皇太后様がお教えにはならないのですか?」

「私は生活魔法など必要ない暮らしをしてきたから」

「…なるほど」


 ウォルフは納得した。

 ここでいう生活魔法とは、暖を取るための火おこしや料理に使う火の魔法、洗い物のための水を精製する魔法、高い所のものを取るための風魔法など、威力は弱いが汎用性の高い魔法のことである。

 アデレイドのような身分の高い者は、身の回りのことはすべて侍女や使用人がやってくれるので、自分で使う必要がないのだ。


 アデレイドは、執務机の上で紙にペンを走らせていた。

 仕事上の書き物をしている彼女に、ウォルフはやや控えめに声を掛けた。


「それと、サヤカさんの件ですが」


 すると、彼女は手を止めてウォルフを睨んだ。


「…あなた、まだあの子に会っているの?地下牢に放り込んだはずでしょ?」

「はい。今は地下牢に居て、獄吏のブールに監視させています」

「…ブール?ああ、あの気味の悪い管理人ね。おお嫌だ。思い出すだけでゾッとするわ」


 アデレイドは自分の両手で二の腕をさするような仕草をした。


「実は彼に協力してもらって、実験を続けています」

「実験を?」

「魔力を持つ男たちにサヤカさんの相手をさせて、魔力が上がるかどうかを調べさせています」

「…あなたがダメだったから、他の男でも試してみようというわけね。で、どうだったの?」

「三十人程試してみましたが今のところ、魔力が上がった者は一人もおりません」

「ふうん。…やはり可能性は低いようね」

「そう思います。おそらくサラさんも同じでしょう」

「…そうね。もうそれはいいわ」


 アデレイドは腕組みをしながらフッと息を漏らした。


「サヤカさんの処遇をどうしますか?」

「…あの子、地下牢に入れられて少しは反省しているの?」

「いえ、それは…」

「でしょうね」

「塔に戻しますか?」

「奴隷部屋に移して兵たちの相手をさせなさい。但し、避妊香を焚く必要はないわ」

「…それはどういうことでしょうか」

「繁殖奴隷にするのよ」


 その言葉にウォルフは驚いた。

 予想外の言葉が返ってきたからだ。

 繁殖奴隷とはその名の通り、子供を産ませるための女奴隷のことである。昼夜問わず、常に不特定多数の男たちの相手をさせられ、孕むまで性行為を強要される、要は兵士たちの慰み物だ。


「繁殖奴隷、ですか…。しかし、莫大な出費をして招いた貴重な異界人なのに、よろしいのですか?」

「あなただって、その貴重な異界人を勝手に実験道具に使っているじゃないの」

「それは…」


 揚げ足を取られる形になって、ウォルフは口ごもった。


「私はあの子が嫌いなのよ。それにサラを呼べただけでその価値はあったわ」


 アデレイドは魔女のような紅い唇で吐き捨てるように言った。


「それともあの子に未練があるのかしら?」

「…いえ。しかし、それでは行為の最中、何かの拍子にサヤカさんが魔法を暴発させる危険があるかもしれません」

「ならば、これを使いなさい」


 彼女は執務机の引き出しから、黒い瓶を取り出した。


「それは…?」

「私が特別に調合した毒薬よ」

「ああ、例の…」

「毒と言っても体には何の影響もない、精神にだけ作用する薬よ。これを与えれば幸せな気分になって、何もかも忘れられるの。そしてこの薬欲しさに主の言う事をきく良い奴隷になるのよ」

「…せっかくの異界人を、少し勿体ない気もしますが」

「だって、あの子は礼儀も知らない上、文字も魔法もろくに覚えられないのよ?魔力があったって無能では話にならないわ。あの子に利用価値があるとすれば、せいぜい魔力の高い子をたくさん産んでもらって、我が国に貢献してもらうことくらいよ」


 そう言い放つアデレイドに、ウォルフは言葉を継げなかった。

 既に彼女はサヤカを見限っているのだ。


「…サラさんが皇帝陛下に気に入られたから、サヤカさんは用済みというわけですか」

「そうよ。もう顔も見たくないわ。あなたがこれをブールに渡してきてちょうだい」


 アデレイドは黒い瓶をウォルフに渡した。


「…未練があるのなら、地下牢で抱いて来てもいいのよ?」


 彼女は挑発的な目で彼を見た。


「ご冗談を」


 ウォルフはアデレイドから目を逸らせた。

 彼女は意味深に笑った。


「…今夜、部屋にいらっしゃい。良いお酒が手に入ったの」

「かしこまりました。では」


 そうして受け取った黒い瓶を懐に仕舞い込みながら、ウォルフは部屋を出て行った。


 彼がその足で向かった先は地下牢だった。


 薄暗く、冷たい石の廊下の先にある扉から、微かに声が漏れ聞こえてくる。

 扉を開けて中に入ると、異臭が鼻をついた。


「酷い匂いだな」


 部屋の入口近くに黒マントの背の高い人物が立っていた。


「これは、ウォルフ様。わざわざお越しにならなくとも、御用がありましたら衛兵に声を掛けてくだされば、こちらから伺いましたのに」

「いや、構わない」


 それはこの地下牢を管理する獄吏のブールだった。


「お届けした書類に不備でもございましたか?」

「問題はない。様子を見に来ただけだ」

「心配しなくてもあの通り、元気にやっておりますよ」


 ブールの指さす方向を見ると、部屋の奥に置かれた粗末なベッドの上で、彼女は二人の男と全裸で睦みあっていた。

 その様子を見ていた獄吏は、笑いながらウォルフに言った。


「最初は嫌がっていましたが、ああしてすっかり馴染んでいますよ。あれでは罰になりませんね…ホホ」


 ブールの言う通り、サヤカは自ら腰を振り、嬌声を上げ続けていた。


 ウォルフは乱れるサヤカをじっと見つめた。

 このような薄汚い場所で、複数の男たちに代わる代わる犯され、もっと苦しんでいるか、泣いて助けを求めているかとも思っていたのだが。

 サヤカのしたたかで強靭な精神に、ウォルフは舌を巻く思いだった。


「サヤカさん」


 ウォルフは部屋の隅からそっと声を掛けて近づいた。


「あっ…あん…」


 男の腹に跨って腰を振っているサヤカは、人が見ている前でもお構いなしに髪を振り乱して喘いでいた。その行為に夢中になっていたサヤカには、ウォルフの声が聞こえていなかった。

 何度目かの呼びかけにようやく反応したサヤカは、そこに立つ美青年の姿に気付いた。


「あ…れ…ウォル…フ…?」

「随分と楽しんでいるようですね」


 サヤカはそれがウォルフだとわかると、咄嗟に顔を背けた。


「やっ、やだっ!み、見ないで…!こんなの見ないでぇぇ!」

「…助けてあげようかと思いましたが、楽しんでいるのならこのままで構いませんね」

「や…やだ、やだぁ!助けて、ウォルフ!ここ臭いし寒いし、こんなブサメン連中の相手はもう嫌なのぉ!」

「おい、そりゃないだろ。楽しんでるくせによ」


 サヤカを犯している男が文句を言った。


「だ、誰があんたたちなんか…」

「感じてるくせに、強がるなよ」


 男たちは欲望のままにサヤカの体を蹂躙し続けた。


「あっ、やだ、あっあっ、ウォルフ…ッ、やだ…あっ…ああん」


 ウォルフは彼女から目を背けた。

 彼の名を呼びながら、快楽に身を任せているその姿は、彼を苛立たせた。


「ホホ、健気じゃないですか。最初の頃は、ああしてあなたの名をよく叫んでいましたよ」

「…汚らわしい」

「あなたに見られて更に興奮したみたいですよ」


 ブールは低い声でクック、と笑った。

 ウォルフはサヤカと彼女を犯している男たちに侮蔑の視線を送りながらも、懐に隠し持つ黒い瓶をブールに渡すかどうか、迷っていた。


 別に、彼女に未練があるわけではない。

 いくら礼儀知らずで生意気だとは言え、サヤカはまだ17やそこらの若い娘に過ぎない。これから礼儀を教えることだってできるだろうし、薬中毒にするなどやりすぎだと思っただけだ。


 繁殖奴隷にされてしまえば、食事中だろうが就寝中だろうが、休む間もなくいつでも男たちを受け入れねばならなくなる。休みをもらえるのは、誰の子かわからぬ子供を孕んだ時だけだ。そして子供を産めなくなった繁殖奴隷の末路は病気で死ぬか、毒物による安楽死と決まっている。もっともそれ以前に精神が崩壊してしまい、自殺してしまう場合も多いのだが。

 それを防ぐために使われるのが、皇太后の持たせたこの黒い瓶に入った麻薬だ。


 最初はあんなにチヤホヤしておきながら、『嫌い』という理由だけでそんなものに堕とされるのでは、あまりにも気の毒だ。


 そんな彼の葛藤も知らず、ブールはニヤニヤしながらウォルフに問い掛けた。


「ウォルフ様、この娘いつまでここに置いておけますか?」

「なぜそんなことを聞く?」

「この娘の相手をした兵たちから、またやらせてくれと懇願されておりまして」


 ウォルフは、はしたなく嬌声をあげているサヤカを見た。


「実験はひとまず中止だ。だが部屋を移して十分な食事と休憩を与えるなら続けても構わない。体も洗ってもう少し綺麗にしてやれ。酷い臭いだ」

「仰せのままに」


 ブールはウォルフの前で頭を下げながら舌なめずりした。


「あの娘、このまま正気を保てると思うか?」

「そうですねえ…。今のところは快楽が勝っているので大丈夫でしょうけど、このまま終わりが見えないとなると、どこかでポキリと折れてしまうでしょうねえ」

「…もし、精神に異常をきたすようならこれを」


 ウォルフは懐から黒瓶をブールに渡した。


「はっはあ、例の薬ですね。ですがこれを使うと従順になりすぎて面白味が無くなるんですよねえ」

「おまえの判断で使うか使わないか判断して構わない」

「わかりました」


 ブールはその瓶を受け取った。

 ウォルフは繁殖奴隷の話はせず、そのまま出て行った。

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