第52話 ウォルフ
私の部屋の前に立っていた警備兵がいなくなった。
この前の不祥事のこともあったし、サヤカが謹慎したので必要なくなったということらしい。
トイレに行く時、いちいち申告しなきゃいけなかったのがすごく嫌だったから、何とかして欲しいと言い続けていた私の要望が叶ってホッとした。
一度、上の階のサヤカの部屋に行ったことがある。
気まずいのを覚悟で部屋の扉をノックしたけど、返事がなかったのでそのまま帰ってきた。
謹慎してるからには部屋にいる筈だ。
居留守を使われてるんだと思って、やっぱり謝る気なんかこれっぽっちもないんだとわかった。それ以来行くのを止め、もう気にしないことに決めた。
警備兵がいなくなったからと言って、自由に出歩けるわけじゃない。
私が塔の警備兵に襲われたことも影響して、あれ以来一人で勝手に外に出ることはできなくなった。
運動不足解消のために、部屋の中でストレッチしていると、ウォルフが着替えを持って現れた。
「何してるんですか」
「だって体がなまるんだもん」
「…生理中なのにそんなに動いて大丈夫なんですか?」
ウォルフの言葉に私は驚いた。
「ちょ…何で知ってんの!?」
ウォルフは着替えの中にあった私の生理用の下着を指でつまみあげた。
カーッと顔が赤くなるのを感じた。
慌てて彼の手から下着をふんだくった。
「…ちょっと!私の下着、見たの?」
「あなたの体のサイクルを把握しておくのも私の務めですから」
「信じらんない!!サイテー、変態!」
ここへ来て、避妊香を嗅ぐことがなくなったせいか、生理は遅れることなくきっちり28日周期でやってきていた。
「もう~、どうして世話係が女性じゃないんだろ。あなただって嫌じゃないの?」
「別にどうとも思いません。皇太后様は、女はおしゃべりだから秘密を守るのが難しいとおっしゃっていました」
「すっごい偏見…」
「皇太后様の周囲がそういう女性ばかりだったのでしょう」
「そうかもしれないけど、こっちは気を遣うよ」
「別に、気を遣う必要はありませんよ」
「あのね…」
あまりの無神経さに、私はもう何も言えなくなった。
「それで、皇帝とは寝たんですか?」
ウォルフは、いきなりぶしつけな質問を私にしてきた。
「は?と…突然何よ」
「あれから皇帝陛下の寝所に何度か呼ばれていますよね。抱かれたんですか?」
「そんなわけないでしょ!」
私は、ウォルフを睨みつけた。
「では何をしているんですか?」
「飲み物を飲みながら、お話してるだけよ」
「…寝所に行って、話をしているだけなんですか?」
「そうよ。ちなみに寝所じゃなくて私室ね。皇帝の寝所はその奥にあって、一度も入った事ないよ」
「…信じられませんね」
「あなたが信じなくても本当のことなの!」
「どんな話をしているんです?」
「私のいた世界の話よ。珍しいからっていろいろ聞きたがるの」
「…本当ですか?」
ウォルフの視線が意味深に見えた。
なんでこんなに突っかかってくるんだろう。
「あなたの考えてることはわかるけどね。…皇帝陛下は時々、私を呼ぶ前に誰かを呼んでることもあるみたいよ」
「…なるほど、そういうことを先に済ませて、あなたとは本当に話をするだけなんですか」
「だからそう言ってるじゃない。嘘なんかついてないわよ」
ウォルフは驚いた様子で私をジロジロと見た。
「サラさん、女性として見られていないんですかね?」
「あなた、マジで失礼よね…!」
「あの女好きの皇帝が手を出さないとは信じられないもので」
「女好きかどうかは知らないけど、確かに最初はそういうお誘いらしきものはあったわよ?」
「どうやって断ったんですか?」
「秘密」
私は少し嫌味っぽく言った。
まさかガイアがつけたキスマークのせいで断られただなんて言えないもんね。
「なぜ抱かれようとしないんです?相手は皇帝ですよ?」
「だって…恋愛感情ないもん。好きじゃない人とはできないよ」
「実に珍しい。あなたは処女を失ってからも貞操観念が強いんですね」
「どういう意味よ」
「この城の女たちは私が誘えばすぐに脚を開きますよ。あなたはそうじゃないってことです」
ちょっと待てよ…。今のってさりげなくモテ自慢したんじゃないの?
「私はあなたみたいな女たらしにキョーミないから。こないだのことだってそうよ。どういう気持ちで好きでもない人とそういうことできるわけ?」
私は彼を咎めるように強い口調で言った。
「…おそらくですが、男性と女性とでは性に対する価値観が違うのでしょう。男は性的に処理が必要になる時があるんです」
「最っ低な答えね…!ホント、誰でもいいの?そんな手で触られたと思うとゾッとするわ。ウォルフって、人を好きになったことないの?」
「恋愛対象として、ですか?」
「そうよ」
「意識したことはありません」
「初体験の時は?」
「娼婦にしてもらいました」
「…そ、そう…」
なんか、聞かなきゃよかった。
男の人って、根本からして考え方が違うのかも…。
「初体験なのに、そんな感じでいいんだ?」
「誰でもいいから、早く済ませたかったですね。女性と違って未経験の男に価値などありませんから」
「誰でもいいって…そんなことないでしょ?」
「あなただって、抱かれるなら経験豊富な男の方が良いでしょう?」
「わ、私に聞かないでよ…」
なんでこんな話になっちゃったんだろう。
経験豊富とかいうとガイアのこと、思い出しちゃう…。
他の人とは比べたことないけど、たぶんガイアは手慣れているんだと思う。
その分、たくさん女の人を知ってるってことになるんだよなあ…。複雑…。
王都に行くのに、私を置いていったのだって、もしかしたら向こうで女の人に会うためかもしれない。綺麗な人とたくさん付き合ってきたんだろうし、婚約者以外にも愛人がいたのかも…。
う…。
ダメだ。どんどん悪い方に考えちゃう。
もしかして私、飽きられてたのかな…とか。
それでウルリックに渡すようなことをしたんじゃないかとか。
私なんか胸も小さいし、美人じゃないし、これといって取柄もないし…。私が勝手に夢中になってただけで、実は彼の方はそうでもなかったんじゃないかって。
彼はモテるから、女の子皆にあんな優しい言葉を掛けてるのかもしれないって。
サンドラも、飽きられないように腕を磨けって言ったし、やっぱりそういう努力をした方がいいのかな…?
「ねえ、男の人って、同じ女の子とばっかりだと飽きちゃうもの?やっぱり女の人も経験豊富な方が良いと思う?」
私が尋ねると、ウォルフは眉をひそめて答えた。
「それを
「どうして?」
「浮気性な女性だと思われるからです。飽きる飽きない以前の問題です。私個人としては、そんな女性と結婚したいとは思いませんね」
「男は経験豊富な方が良いっていうくせに不公平じゃない?」
「誰とでも寝る女は娼婦で十分ですよ」
「毒舌…」
「この社会では女性は男性に求められるままに振舞うことが良いとされていて、概ねつつましやかで貞淑な方が好まれる傾向にあります」
「…確かにね…」
彼の言う意味はわかる。
以前ガイアも言っていたように、ここでは女性が経済的に自立するのは難しいから、結局男に頼って生きて行かなくちゃいけなくなる。言い方は悪いけど、男に媚を売って気に入られるようにしないといけないわけだ。
「…ですが女性でも金と権力があれば男を好きにできるんです。だから女たちは権力者に群がってその恩恵に預かろうとする。そしてさもそれが自分で得た当然の権利のように偉そうに振舞う。あさましいものです」
ウォルフは吐き捨てるように言った。
やけにトゲがある言い方だ。
どこかでそういう人に嫌なことでもされたんだろうか。
「話が脱線しました、すいません」
「ううん、別にいいけど…」
ウォルフは何を考えているのかわからない時があるし、表情からも口調からも読み取れなくて、いつも心を殺しているみたいに見えたから、こんな風に感情を剥き出しにするのは珍しいと思った。
しかもこんなに毒舌だったなんて。
見かけが美青年なだけにギャップがあるなあ…。
「それはそうと、サラさん、城内で噂になっていますよ」
「えっ?」
「皇帝が愛人を持ったと」
「あ、あいじん!?」
「皇帝の寝所に頻繁に通っていればそうなりますよ」
「え~…、それってマズいんじゃないの?だって私とサヤカの存在は秘密なんでしょ?」
「サヤカさんはともかく、サラさんはいいみたいですよ」
「え?なんで?」
「皇太后様のご命令です」
あんなにうるさく人目に付くなって言ってたのに、どういう風の吹き回しなんだろう。
「そういやサヤカは謹慎してるんだよね?」
「ええ」
「部屋の前に警備の人とかいなかったけど、あの子、勝手に出て行ったりしないの?」
「新しい騎士がつきっきりで見張っているようですよ」
「へえ~。…もしかしてすっごい美形だったりするの?」
「…そうですね」
ウォルフは仏頂面で言った。
あれほど一緒に居たウォルフを、そんな簡単に忘れられるなんて、きっと今度の人もすごいイケメンなのかな。どんな人かちょっとだけ興味あるかも。
「もしかしてサヤカがその新しい人にあっさり乗り換えたから、面白くないとか思ってる?」
「まさか」
「本当はサヤカのこと、好きだったんじゃないの?」
「バカなことを言わないでください」
ウォルフは少し強い口調で言った。
なんだかマジで怒ってるみたいに見えた。
その時、誰かが扉をノックした。
ウォルフが歩み寄って扉を開けた。
そこには皇帝キュリオスが立っていた。
私は思わず声を上げた。
「…こ、皇帝陛下…?!」
「時間ができたのでな。少し外を歩かないか」
「は、はい…あの、すぐ支度しますね」
いきなりの皇帝の訪問に、私は慌てた。
昼間から直接ここへ来るなんて、思ってもみなかった。
だけどどうしよう。メイドもいないし、メイクとかドレスとかすぐに用意できない。
扉の脇に控えるウォルフに助けを求めて視線を送ったけど、なぜか彼は目を逸らせてそっぽを向いた。この薄情者ー!
「そのままで良い」
「で、でも、あの…こんな普段着だし、メイクもしてないし、髪も結ってないし…。その…失礼では?」
「構わん。その辺を散策するだけだ」
私は部屋着の淡い緑のノースリーブのワンピースを身に着けていた。
こんなすっぴんで皇帝に会うのは、暴漢から助けてもらった時以来だった。
そうして私は、皇帝に半ば強引に部屋から連れ出された。
扉の外にはエルマーが控えていて、私の後について部屋を出ようとしていたウォルフに声を掛けた。
「ここからは私の領分です。あなたはあなたの仕事をして下さい」
エルマーの突き放したような言葉に、ウォルフは少しムッとしながらも黙って頭を下げた。
皇帝に腕を引かれて出て行く時、チラッとウォルフを見た。
彼は感情を押し殺した目で私を見送っていた。
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