第50話 刻印

「また会ったな」

「あ、はい…。あの、あの時は助けていただいて、ありがとうございました」

「怪我は大丈夫そうだな」

「はい、おかげさまで、良くなりました」


 私は膝をついたまま頭を下げた。


「まさかおまえが異界人だったとはな。てっきり城内の貴族に仕える侍女かと思っておった」

「名乗らなくてすいませんでした」

「そんなことはいい。…立て」

「は、はい」


 私は皇帝の言うとおりに立ち上がった。

 皇帝の視線を感じる。


「服を脱げ」

「ええっ?」

「言う通りにしろ」

「あ、あの…」

「早くしろ」

「は、はい…」


 皇帝は私に厳しい口調で命令した。

 この人は、人に命令することに慣れている。

 私は仕方なくそれに従い、ドレスを脱いで下着姿になった。

 ブラをつけていなかったので、両腕で胸を隠した。

 こういうことはガイアにも命令されたことがあるけど、相手が違うだけでこんなに恥ずかしいものなんだ。


 皇帝は傍にやって来て、俯いていた私の顎を持ち上げてじろじろと値踏みするように見た。

 そして、私の首にかかっていたネックレスを手に取った。


「ほう…青竜の涙ではないか。これはどうした?」

「この宝石のこと、知ってるんですか?」

「余は皇帝だぞ。当然だ。どこぞの貴族か金持ちにでも与えられたのか?」

「はい…」

「おまえは手違いで奴隷商人に売られたと聞いたが」

「あ…そのこと、聞いてるんですね」


 皇帝は、いきなり私のわき腹に触れた。


「ひゃっ!」

「この印を付けた者が青竜の涙を贈ったんだな?」

「えっ?」


 彼が指で押した場所にあったのは、ガイアに付けられたキスマークだった。

 私の体中に付けられたその痕は、とっくに消えていると思っていた。けどそれはまるで「俺を忘れるな」と言わんばかりにまだ色濃く私の体に刻印されていた。


「私を奴隷商人から買った人が…くれたんです」

「ほう?奇妙なこともあるものだ」


 皇帝はまるで目で犯すかのように私の全身を見た。


「青竜の涙は王侯貴族の婦人共がこぞって欲しがる貴重な宝飾品だ。この大きさからすると上金貨一万枚はくだらない代物だぞ。奴隷女ごときに贈るにしては高価すぎる」

「えっ?こ、これ、そんなにするんですか?!」

「何だ、その価値も知らずに身に着けていたのか」

「…はい…。高価なものだとは思っていましたけど、そこまでは…」

「フッ、それでは贈った方もがっかりしているだろうな」


 皇帝はそう言ったけど、仕方がないじゃない。

 だって…ガイアは奴隷の首輪だなんて冗談言うくらいで、そんな高価なものだなんて一言も言っていなかったし。

 上金貨一万枚ってことは…私の世界のお金で言えば十億円くらいの価値があるってことだ。

 まさかそんなにするなんて…!

 そんな高価なものをほいっとくれるなんて、さすが王子様だ…。


「興が冷めた」

「…え?」

「他人の印のついている女など抱く気にはなれん」

「あ…すいません…」

「その印が全部消えてからなら抱いてやっても良い」

「は、はあ…」


 別に自分から好きで来たわけじゃないんだけど、そんなこと言えるわけがない。

 だけど、助かった…!


 皇帝の気が変わらないうちに出て行こうと、私は慌てて服を身に着けた。


「あの、お邪魔しました…」


 私はこそこそと帰ろうとした。


「待て」

「は、はい?」


 皇帝が私を呼び止めた。

 やっぱり、気が変わったのかな…?と、ドキドキして振り向いた。


「せっかく来たのだ、暇つぶしに少し話でもして行け」

「は、話…?」

「おまえは異界人なのだろう?異界の話を聞きたい」


 皇帝は衝立の向こうに控えるエルマーにお酒を持って来るよう命じた。

 お酒が飲めないというと、私にはお茶を持ってきてくれた。

 皇帝はソファに腰掛けると、私に隣に座るよう促した。


「あの…陛下は異界人をどう思っているんですか?」

「別に、興味はない。アレイス王国を襲わせたのも母の発案であって、余が望んだことではない」

「…戦争は陛下の意志じゃないんですか?」

「余が言い出したことではない。母は異界人の力で他国を侵略し、まだ帝位について間もない余の力を諸国に見せつけるつもりだったのだろう。アレイス王国の光鉱山を奪えば、かの国の富が転がり込んでくるからな。だがあのような規格外の魔法を使えば国際条約機構が動かぬわけがない。国境での争いは想定外だったが、撤退して正解だったと余は思っている」


 国際条約機構って、異界人を捕まえる組織だって聞いた気がする。

 確かにそんな人たちがここへ乗り込んできたら、私もサヤカもヤバイことになる。


「母上は当初、異界人の女と交われば魔力が得られると言っていた。それであの無礼な女を余の元へ寄越したのだが、そんなことがあるはずがない」

「サヤカもここへ来たんですね…」


 ウルリックの言った通り、やっぱりアデレイドは異界人の女性と関係を持ったら魔力が得られるって思っていたんだ。

 ってことは、ウルリックみたいにどこかで実験をしてたりしたのかな…?

 その時、私はハッと気付いた。

 ウォルフはアデレイドの命令でサヤカとああいう関係になったって言ってた。

 もしかしてウォルフがサヤカと寝たのは、魔力が上がるかどうかの実験をしてた…?


 私がサヤカの名を口にした途端、皇帝は眉をひそめ、酒の器を掴んでぐいっと煽ると、乱暴にテーブルに置いた。


「あの汚れた女のことを口に出すな。あれは謁見室に下着で現れた下品で無礼な女だ」

「す、すいません…」


 下着って、あのキャミソールタイプのワンピースのことかな。サヤカ、いつも楽だからって着てたもんな…。あの感じで皇帝のとこに行っちゃったんだ。きっとタメ口とかきいたりしたんだろうなあ…。


「余があの女を拒否すると、今度はおまえを寄越して子供を産ませろと言う。母は異界人との子をもうけて、次代の皇帝を能力者にしたいのだろう」

「能力者…?」

「強い魔力を持つ者のことだ。皇帝になるには能力者であることが求められる。だが残念ながら余には魔法師である母の能力は引き継がれなかった。母は余を皇帝にするために、そのことを隠し通してきた。余の秘密に気付いた者は母がすべて始末した」


 そういえばこの世界では高貴な者は皆魔力を持っていると聞いた気がする。

 魔力ってそんなに大事なんだ。


「だが余は武力を持って政敵を排除し、自力で即位した。余には魔力など必要ない。そんな愚かな風習など打ち破ってやろうと思っている」


 メルトアンゼル皇帝は冷酷非道で残虐。

 そんな噂を耳にしたけど、皇帝には皇帝の事情があったんだ。


「余の話はもう良い。おまえの話を聞かせろ」

「あ、はい…でも何を話したらいいんですか?」

「そうだな。まずはおまえの家族やどんな生活をしていたかを話せ」


 私の顔を、皇帝は興味深そうに見た。


「私の両親は二人共教師だったんです」

「ほう?優秀な親だったのだな」

「はい。姉が優秀だったので、私にも勉強しろって毎日うるさくて。少しでも成績が下がると、私の交友関係や生活にまで口出ししてきて、全然自由がなかったんです。おかげで勉強ばっかりで恋愛もしたことなくって…つまらない人生でした」

「まるで人生が終わったような言い方だな」


 皇帝は私の言ったことが大げさだとでも思ったのか、笑いながらそう言った。

 そうか、知らないんだ。


「…異界人は向こうの世界で死んだ者だけがこちらへ召喚されるそうなんです。だから私、向こうではきっと死んでしまってるんです」

「死んだ?その若さでか。病か?」

「たぶん交通事故です。家に帰る途中、歩道に暴走車が突っ込んできたのを覚えています。きっとあのまま車に轢かれてしまったんだと思います」

「車の事故か。そうか、それは不運なことだ」


 たぶん皇帝は、車の事故と聞いて、馬車に轢かれたと思ってるんだろう。

 まあ、車には違いない。私を轢いたのはワゴン車だったけど。


 皇帝は私に同情したけど、それ以上に私の世界のことに興味を持ったようで、あれこれと質問してきた。

 学校のことを話すと授業の内容を聞きたがり、私の世界の歴史の話になって、興味津々で聞き入っていた。私は基本理系だけど個人的に歴史は好きだったので、戦国武将やらフランス革命やら、覚えていたことを話した。


 そうしているといつしか、夜の鐘が一つ、二つと鳴った。


「おお、もうこんな時間か。余のベッドで寝て行くか?」

「い、いいえ!とんでもない!部屋へ帰ります!」

「そうか、では侍従に送らせよう。そなたの話は面白い。また聞かせよ」

「は、はい…。お話だけならいつでも」


 予防線を張ったつもりだった。

 そんな私の顔を、彼は唐突に覗き込んだ。


「フッ、おまえはバカなのか?男が寝所に女を呼んで話をするだけなどありえん」

「で、でも、話を聞かせよって…」


 皇帝は声を出して笑った。


「そなたはどうやら世慣れておらぬようだ。女は皆、余に誘われれば喜んで服を脱ぐというのに」

「す、すいません…」

「まあ良い。そなたの心にはその石を与えた者がいるのだろう。そんな女を抱いても面白くない」

「どうして…わかるんですか?」

「男の寝所に、他の男からの贈り物を身に着けてくるのは、拒絶の意思表示だからだ。それを贈った男はどうした?」

「…その人には婚約者がいるんです。私はただの奴隷だから、どうにもならないっていうか…」


 私は素直にそう答えてしまった。


「捨てられたのか?酷い男だな。こんな高価なものを贈っておきながら」


 捨てる、ってキツイ言葉だな…。

 なんだか悲しくなってくる。


「余ならそんなことはせぬ」


 皇帝は私の髪を撫でながら言った。

 その優し気な仕草にドキッとした。


「そんな男のことは早く忘れることだ。余が忘れさせてやっても良いのだぞ?」


 皇帝の言葉は本気とも冗談ともとれるように聞こえた。


「…か、からかわないでください」


 皇帝はフッと笑うと、衝立の向こうに向かって声を掛けた。


「エルマー、この者を塔の部屋まで送ってやれ」


 すると衝立の影から、エルマーが現れた。


「かしこまりました」


 彼は皇帝より年上の、二十代後半くらいに見えるけど、落ち着いた大人っぽい人だ。

 灰色の長い髪を後ろで一つに縛っていて、騎士というより文官という雰囲気の男性だった。

 皇帝は私をエルマーに託した。


「ではな」

「は、はい。おやすみなさい」


 私はそう挨拶を返して、皇帝の私室を出た。

 エルマーは、手に光石のランタンを持って私を先導して歩いてくれたけど、塔の部屋につくまで余計なことは一切しゃべらなかった。

 塔に戻ると、ウォルフが部屋の前で立っていた。

 エルマーは私をウォルフに引き渡すと、さっさと戻って行った。


 ウォルフは私を呆れたような目で見た。


「まさか皇帝陛下の寝所に行って、その日の夜に戻って来るとは思いませんでしたよ」

「悪かったわね。そんな嫌味を言うために待ってたの?もう寝るから!おやすみ!」


 私はウォルフを睨みつけ、やや乱暴に扉を閉めた。

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