第18話 浴場
明日の商談を前に緊張していた私は、夕食の前にサンドラに浴場に連れ出された。
「今日は特別に主用の大浴場に入ってもいいと旦那様からの仰せだ。ゆっくりしておいで」
サンドラはそう言って風呂用の薄い浴衣を私に着せて出て行った。
特別にって、どういう風の吹き回しだろう。
いつもは大きなお風呂を横目に見ながら、隣の小さな浴場で、浴槽からお湯を汲んで体を流すだけの簡単な入浴をしているのに。
みんなで使うお湯なので、浴槽に浸かったりはできないし、後がつかえているのでのんびりもしていられない。
髪を結わえて大浴場に足を踏み入れた。
浴場は、中央のドラゴンの像の目に埋め込まれた光石と四方の壁に掲げられた光石で照らされてそれなりに明るかった。
たっぷりの湯が貯められている円形の浴槽の中央に、人影があった。
え?
誰かいる…?
湯気ではっきりと見えなかったけど、考えてみたらここはご主人様用のお風呂なわけで…。
「来たな。入ってこい」
それはガイアだった。
ドラゴン像の台座の下は緩やかな階段になっていて、腰から下が湯に浸かった状態で、彼はそこに腰かけていた。
掛湯をすると、着ているノースリーブの浴衣がうっすらと透ける。
浴槽に入ると、結構深くて、胸までの深さがあった。
服を着ているせいか、お風呂というより温水プールに近い感覚だ。
少しぬるめのお湯は、温泉そのままの温度なのだろう。
「あったかい…」
こんな風に湯船に浸かるのは久しぶりで、テンションが上がる。
お風呂で泳いじゃいけないって親に怒られそうだけど、気持ちよくて平泳ぎのようにスイスイと湯の中を移動した。
「おまえ、泳げるのか」
「はい。お風呂に浸かったの久しぶりなので…気持ちいいです」
「そうか。そんなに喜ぶなら、また呼んでやる」
口から湯を吐く中央の巨大なドラゴン像の近くまで来ると、そのたもとに座している彼が、私を見下ろしている。
「あ、あの…すいません、はしゃいじゃって…」
私は立ち止まってガイアを見上げた。
像のたもとに座る彼の上半身は、改めて見ると逞しくて彫像みたいで眩しすぎる。
これは…モテるだろうな。
…って、よく考えてみたら男の人と一緒にお風呂に入るとか、ヤバすぎるんですけど…!
なんだか急に恥ずかしさがこみあげて来た。
「こっちへ来い」
「は、はい…」
ガイアの差し出す手を取ると、グイッと引き寄せられて彼の膝の上に横抱きに座らされた。
そうするとちょうど腰あたりまでお湯に浸かることになった。
「一緒に風呂に入るのは初めてだな」
私は彼の腕に抱かれながら、その顔を見上げた。
途端に顔が熱くなった。
「…は、恥ずかしい…です」
「ハハッ、今更恥ずかしいもないだろ?」
彼は湯を手ですくって、私の肩に掛けた。
「寒くはないか?」
「大丈夫です」
彼の熱が伝わって来て寒くはない。
私はガイアの腕に体を預けて、しばらくじっとしていた。
半身浴してるみたいですごく気持ちいい。
先に入っていたガイアは、少し汗をかいていて、片手で額の汗を拭いながら髪をかき上げた。
それを見た時、胸がドキドキした。
あまりにも素敵すぎる。
「あ、あの…聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「実験とか、測定器とかって、何のことですか?」
「ああ、ウルリックの言ったことを覚えていたのか」
「…はい」
「そのうちわかる。ウルリックはもう王都へ発った」
「えっ?もう…ですか?」
「あいつが気になるのか?」
「い、いえ、そういうわけじゃ…」
「もしや、あいつの元へ行きたいと思っていたのか?」
ギクッとした。
見透かされている。
一瞬だけど、そう思ったのは事実だ。
だって彼についていけば、娼婦にならなくて済むかもしれないんだ。
「おまえは嘘がつけないな。思っていることが全部顔に出ているぞ?」
「え?そ、そうですか?」
私は自分の顔を両手で押さえた。
「ウルリックがな、おまえを欲しいと言ってきた」
「え…!?ど、どうして…ですか?」
ガイアはククッと笑った。
「さあな?おまえはどうしたい?あいつに抱かれたいか?」
「…どうして、そんなこと聞くんですか…」
「おまえがいいというのなら考えてやってもいい」
「…えっ」
思い知る。
私はこの人の恋人でも何でもなくて、ただの所有物なんだって。
平気で物のように他人に渡したりもするんだ。
だけど、そんなの…
「嫌です」
「なぜ嫌なんだ?ウルリックに気に入られれば娼婦にならなくても済むんだぞ?」
「だって…なんだかウルリックさんてちょっと怖くて」
「ハハッ、確かにあいつは愛想がないからな。それに、女の扱いが下手だ」
どういうつもりでそんなこと言ってるんだろう?
「…ガイア様は私が他の人に抱かれても平気なんですか?」
私の言葉に、ガイアは一瞬その表情を凍らせた。
「俺が優しくするからといって増長するなよ。俺は、おまえが誰と寝ようがどうだっていいんだ」
「…!」
さっきまで優しかったのに、急に真面目な顔をして、冷たい言葉を吐く。
突然突き放された気がした。
私は彼の整った顔を見上げた。
この人なら、女なんてよりどりみどりなんだろう。
私なんてきっと、その他大勢の一人で、代わりはいくらでもいるんだ…。
思わせぶりなことを言って、その気にさせて、そのくせちっとも本気じゃない。
私、どうしてこんな人にドキドキしてるんだろう…。
思わず涙が湧いてきた。
「…また泣く」
「泣いてません」
「泣いてるだろう」
「…意地悪」
私は両手で顔を覆った。
「なんだと?」
「優しくしたり冷たくしたり、わけわかんない。私…どうすればいいんですか…?」
頭上でガイアのため息が聞こえた。
きっと呆れているんだ。
突然、ぎゅっと抱きしめられた。
「泣くな。おまえがウルリックを物欲しそうに見ていたから、虐めてやりたくなったんだ」
「物欲しそうになんて見てません!」
急に顔を上げて叫んだ私を、ガイアは驚いたように見た。
「私が嫌って言うの、わかってたくせに…なんで、私を試そうとするんですか?」
「…試したわけではない」
「ガイア様以外の人となんて、私…絶対嫌です…!」
彼は私の頬に手を当てて、涙の跡をなぞった。
「サラ」
さっきまで冷たかったアイスブルーの瞳が揺れる。
「俺が好きか?」
唐突に彼は尋ねた。
「え…?」
「おまえは俺が好きなのか?」
「す、好きって…?だって私、奴隷ですよ…?」
「それがどうした?」
彼は私の顎を掴んで上を向かせた。
「奴隷でも心は自由だろ」
「…自由…」
「キスもしたことなかったようだし、何もかも、俺が教え込んだんだ。おまえにとっては俺が初めての男なんだろ?」
「そ、そうです…」
「初めての男に惚れるのは自然なことじゃないか?」
初めてっていうけど、私に言わせれば、あれは強姦も同然だったんだけど…。
価値観の違いなのか、彼にとっては違うらしい。
「俺が好きなんだろう?」
アイスブルーの目が、私の心を見透かそうとする。
「す…好きじゃありません」
「じゃあ、嫌いか?」
「嫌いじゃ…ありません」
「どっちなんだ」
「う…。そういうの、ずるいです…。ガイア様は私を好きじゃないのに…私にばっかり言わせようとするなんて」
「好きじゃないなんて言ってないだろ?」
「…え?」
「言葉なんて紡ぐだけ野暮だな」
彼は私の口を塞ぐように口づけた。
息も吸えないほど濃厚に舌を絡めてくる。
それだけで、頭の芯が痺れる。
今の言葉の続きを聞きたいのに…。
「良い匂いだ。…この香りが俺を狂わせる…」
またそんなことを言う。
お風呂に入ってるから、匂いなんてしないはずなのに。
だけど、彼に抱かれているだけで、震える。
「さっきはああ言ったが、おまえは俺のものだ。誰にも渡さない」
確かにそう聞こえた。
私は彼の言葉を心の中で何度も反芻した。
『…好きじゃないなんて言ってないだろ?』
あれは、ガイアが私のことを、好きってこと…?
女をとっかえひっかえするようなモテ男が、奴隷の私を…?
ありえない、ありえない…。
きっと、女を喜ばせるための話術なんだ。
…そうに決まってる。
『誰にも渡さない』
だけど、もし本当なら…。
そう思うだけで胸が高鳴った。
認めたくないけど、そうなんだ。
本当はもうとっくに気付いてる。
…私はガイアが好きなんだ。
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