第19話 商談
ガイアと商談に向かう日、朝からサンドラが部屋にやって来た。
以前、仕立て屋で作った服が出来上がったと言って持ってきてくれたのだ。
「わあ…!すごい、素敵…!」
私が選んだサーモンピンクの生地は、素敵なワンピースに仕上がっていた。
濃いピンクで縁取りされたショート丈のチュニックと合わせると大人っぽさの中に可愛さもある上品なデザインになっている。膝下丈のスカートは腰のところから膨らんでいて少しクラシカルな感じ。胸元のリボンと腰に巻いた白いサッシュベルトがアクセントになっている。
中世ヨーロッパ風のそのドレスは、黒髪の私が着ると、大正時代の女性みたいに見えた。
それでもサンドラが綺麗に髪を結い上げてくれて、化粧を施すと、鏡の中の自分が立派な貴婦人に見えるから不思議だ。
襟の高い服を着たのは久しぶりで、なんだか背筋が伸びる気がした。
サンドラは笑顔で私の背を叩いて気合を入れてくれた。
「よし、綺麗に出来た。これならどこへ出てもOKだ」
「ありがとうございます…!」
「これはチャンスだよ。認められるよう頑張りな」
「は、はい…!」
その衣装を着てガイアの部屋を訪れると、彼は「おっ」と声を出した。
そして私を足元から舐めるように見て、感心したように言った。
「驚いたな。どこから見ても立派な貴婦人だ」
そういうガイアは、白金の髪を撫でつけて額を出していて、袖と胸ボタンに宝石をあしらったブルーのおしゃれなロングジャケットを身に着けていた。
まるで王子様みたいな男前っぷりに、思わず見とれてしまった。
「あ、ありがとうございます。…ガイア様も、素敵です」
「ほう?おまえが俺を褒めるとは珍しいな」
「そ…そんなことないです。いつもカッコイイって思ってますよ」
「そうか?…フッ、では出かけようか」
そう言うと彼は、貴婦人をエスコートするように私に手を差し出した。
行き先は以前訪れたスールの街。
馬車の中では、ガイアから読むように勧められて読んでいたビジネス書についての話をした。というよりも、経済についてのなかなか難しい内容で、もっぱら私が質問してばかりだったのだけど。生徒と家庭教師みたいなやりとりがしばらく続いた。
どうやら彼は私に商売の仕方を教えるつもりのようだ。
「ウルリック以外とこんな話をしたのは初めてだ。おまえは見どころがあるぞ」
そう言って楽しそうに笑った。
「他の女の人とはそういう話、しないんですか?」
「上流階級の女は男の仕事に口を出さぬよう、読み書き以外の教育を制限されることが多いんだ。まあ、制限されずとも仕事に興味を持つ女など皆無だがな。女どもは金を持つ男を品定めすることが仕事のようなものだ」
「そんなことないと思いますけど…。この服を作ったお店の人だって元娼婦だったんですよね?」
「サンドラから聞いたのか?まあ、あれは特別だ。親の借金のカタに売られた商家の娘でな。女ながらに商才があると見込んだから援助してやったんだ」
「女性の商売人って珍しいんですか?」
「いないことはないが、苦労するのが目に見えている。男の商売敵から嫌がらせを受けて潰されることが多いんだ。だからあの店の名義は俺なんだ」
「そうなんですか…」
改めて感じたのは、この世界は差別に満ちているってことだ。
私のいた世界でも、そういう差別がないわけじゃない。
特に昔は多かったと歴史で習った。
文化的レベルはその時代と変わらないのかもしれない。
そうしている間に馬車はスールに入った。
オズロー商会はスールを拠点に主に地方都市で商売をしている。
その建物は貴族や富裕層向けの高級商店が立ち並ぶ一角にあり、入口には屈強な私兵が立っていた。
私たちは豪華な応接室に通され、少し待っていると店主のオズローが現れた。
恰幅のいい、少し頭の薄い中年の男で、金ぴかの指輪を両手指いっぱいにつけていた。これ見よがしの金持ちアピールだ。
「おや、ガイアさん。そちらの貴婦人は奥方殿ですかな?」
「ああ、これは秘書です」
秘書、と紹介された私は、オズローに会釈だけした。
ガイアから、店主と直接口をきくなと言われているのだ。
「秘書…?なるほど、そういう名目なら連れ歩いても良いですなあ。私も見習うとしましょう」
オズローは私を見て薄ら笑いを浮かべた。
私を愛人だと思い、秘書と名乗らせて連れ歩く口実にしているとでも思っているのだろう。
失礼な話だ。
まあ、奴隷なんだけど。
革張りのソファに腰を下ろすと、さっそくオズローが話をし始めた。
初めて見る商談に、私は興味津々だった。
ビジネスの話を始めるかと思いきや、世間話から始まった。
大人の会話って、いきなり本題にはいかないものなのか。
勉強になるなあ…。
それは、当たり障りのない景気の話から、やがて隣国との戦争についての話になった。
「噂では国境付近に神風が吹いたらしいですな」
「…ほう?神風ですか」
「国境から引き揚げてきた兵士たちの噂によると、異界人の仕業じゃないかってずいぶん騒いでいましたがね。本当のところは国王お抱えの優秀な魔法士が、戦況をひっくり返したということのようですよ」
オズローは見て来たかのように国境砦での戦について話しだした。
ガイアはそれに相槌を打ってるだけだったけど、戦争のことが少しだけわかった。
この世界にも優秀な魔法士がいるんだな。
だったらわざわざ異界人を呼ぶ必要なんてないんじゃないの?
「それほどの魔法士が我が国にいたというのは驚きですが、不思議なことにその身元については一切明かされておらんのです」
「ほほう?」
「我が国の英雄だというのにですよ?おかしな話です、まったく。これでは異界人だと噂が立つのも仕方がないですな」
それからようやく商談が始まった。
その内容は、武器商人であるガイアから武器防具をオズローが仕入れたいということだった。
ガイアの扱う武器は質が良いと評判で、アレイス王宮の宮廷騎士団にも納品しているのだとか。
その見返りに、オズロー商会は武器の原材料を通常より安価で提供するという案を提示してきた。
オズローは武器の卸売りのようなことを生業としており、敵国であるメルトアンゼルにも武器を売っているという噂があるとガイアは言っていた。
見掛けは人の好さそうなオジサンだけど、裏では地元の豪族との癒着があり、儲かるとなれば敵味方関係なく高く売れる方に武器を売るという死の商人だ。商売敵を闇に葬ったり二重スパイのようなことをしたりと、とかく黒い噂が絶えない人物だという。
地方にいるから目立たないだけで、これが王都ならとっくに詐欺罪で投獄されているはずだ。そんな男がまともな商売をするわけがない、とガイアは言うのだ。
オズローが出してきた計算書を見るようにガイアに言われた私は、それを確認した。
…わかりづらい書類だ。
パソコンソフトで作られているわけもなく、ただメモ書きみたいな項目の横に桁の多い数字がズラズラと書かれていて、見づらいったらありゃしない。
うーん、表計算ソフトで作り直したい。
これに比べれば先日見せてもらったガイアの計算書はまとまっていた。
それで気付いた。
これはわざとわかりづらくしてあるんだ。
ガイアによれば、この世界では高等教育は一部の金持ちや上流階級の子弟しか受けることができないらしい。特に高度な計算ができる者は貴重で、商売人ならばこうした能力を持つ者を雇わねば成功できないとも言われているそうだ。
この世界には電卓も算盤もない。計算をするときに使用するアイテムはあるらしいけど、使い勝手が悪くて使いこなすにはそれなりの技術がいるらしい。
ウルリックなどは、計算に長けているだけでなく、特殊な古文書を読解したりすることもできる、超貴重な人材なのだという。
オズローはニヤニヤしながら私を見下ろしている。
こんな小娘になにができる、と思っている顔だ。完全にバカにしてるんだ。
ここへ来て勉強なんて何の役にも立たないって思っていたけど、思わぬところで活躍の場を与えられることになった。
せっかくの機会だし、勉強しか能がない私でも役に立つところを見せて、なんとかガイアにアピールしないと。応援してくれているサンドラの気持ちを無駄にしたくない。
…彼に認められたい。
間違いだらけの書類。
私の世界の、どこかの会社でこんな間違いしたら、即クビかもしれないっていうくらいの金額の差だ。
私は暗算で計算の間違いを正し、その場でサラサラと正解を書き込んでいった。
その時、店主の顔色が変わったのがわかった。
彼は太った体に冷や汗をかきながら、私に言った。
「こ、これはなかなか優秀な秘書でいらっしゃいますなあ…」
ガイアはそれを見て、満足そうに微笑んだ。
結局、こちらの要求していた金額とかなり差があったので、オズロー側が見積もりをやり直すことになって、この日の商談は保留になった。
帰りの馬車の中で、ガイアは私を隣に座らせて上機嫌だった。
「愉快だ。あの店主の顔を見たか?これでもう誤魔化しはできないとわかっただろう」
彼は私の肩を抱いて笑った。
「お役に立てて良かったです」
「ああ、役に立った。おまえには何か褒美をやらねばならんな」
その時、馬車が急に止まった。
御者が慌てた様子で何か叫んでいる。
「な、何?」
「フン、やっぱり来たか」
「来たって何が?」
ガイアは馬車の座席の下から剣を取り出した。
「オズローの手の者だ。おそらくおまえを奪いに来たんだろう」
「私を…?」
「あんな計算を簡単にされたら、不正がしにくくなるだろ。おまえが邪魔で攫うか殺せと命じられたんだろう」
「ええっ!?」
「おまえはここに隠れていろ。馬車から出るな」
「は、はい」
そう言ってガイアは剣を手に、外へ出て行った。
私は心配になって、馬車の窓から外を見た。
馬車の周囲は十人程の人相の悪そうな連中に囲まれていた。全員手に武器を持っている。
ガイアが出て行くと、賊らは一斉に取り囲んだ。
「大人しく女を渡せば命だけは助けてやる」
リーダーらしき男がガイアに言った。
あんな大勢で襲うなんて卑怯だ。
どうしてこんな時に限ってユージンはいないんだろう。
「オズローの命令か」
「貴様が知る必要はない」
「そうだな。聞くまでもなかったな」
ガイアは剣を抜いたかと思うと、突然その姿を消した。
「何っ!?」
声を上げた瞬間、男たちは倒されていた。
次にガイアが姿を現した時には、男たちの半数が地面に伏していた。
これには私も驚いた。
姿が消えるって、魔法なの?それとも技?
「な、なんだ貴様…一体な…」
その男は言いかけた言葉の途中で地面に倒された。
ガイアの剣技が速すぎて、その手の動きが全く見えなかった。
そうか、ものすごく早く動いているから、消えたように見えるんだ。
「すご…」
速いだけじゃない。彼は尋常じゃない強さで、男らをあっという間に打ち倒してしまった。
いざとなったら魔法を使う覚悟をしていたけど、その心配はなさそうだ。
私が感心して見ていると、突然その視界に知らない男の顔が現れた。
「ひゃっ!誰?」
「ヘヘッ、こっちの目的はあんたさ」
ガイアを取り囲んでいた男たち以外にも後ろに伏兵がいたようで、その男は馬車の扉をこっそり開けて、私の腕を掴んで引きずり降ろした。
ずいぶんと大きな男だった。
「きゃあ!」
私の悲鳴に気付いたガイアがこちらを見た。
「サラ!」
「おーっと、動くな。この娘の命が惜しかったら剣を捨てな」
大男は私の首筋にナイフを当てて、ガイアを脅した。
ガイアは剣を下した。
「ガイア様…ごめんなさい」
「謝るな。おまえのせいじゃない」
その時、ガイアの後ろに、彼の背を狙って弓を構える男の姿が見えた。
まだ他に仲間がいたんだ。
私は咄嗟に叫んだ。
「ガイア様、危ない!」
私は迷いなく手のひらを前にかざして両手指で三角形を作った。
それは私が魔法を使う時、組む印の形だった。
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