第17話 皇国

 豪華な装飾品に囲まれた執務室で、上質な革張りの椅子に座り、年代物の重厚な机に向かって女は書類にサインしていた。

 首元が白いレースで覆われた、襟の高い濃紺のドレスを身に纏っていたその女は三十代にも五十代にも見える、いわゆる年齢不詳な容貌をしていた。黄金の髪をきっちりと結わえ、翠の宝石の付いた大きな髪留めをつけている。


 彼女の前には、一人の男が膝を折っていた。

 その男は、黒覆面に黒装束という怪しげないで立ちをしていた。


「随分時間がかかったわね。高い報酬を払っているのよ。良い報告なのでしょうね?」

「はい。もちろんです、皇太后陛下。まずはこちらをご覧ください」


 黒覆面の男は立ち上がり、皇太后と呼んだ女の前の机上に、懐から取り出したものを置いた。

 彼女はそれを見て驚愕の表情になった。


「これは…!」

「見覚えがございますか?」

「ええ、間違いないわ、あの子のものよ」


 それは眼鏡だった。

 この世界では見かけない、レンズの上半分だけに細い金属のフレームがついている、特徴的なデザインのものだった。


「…これをどこで?」

「皇都アンゼルの闇市で売られていたのを見つけました。皇太后様からその奴隷が一風変わった眼鏡をかけていると伺っておりましたので、もし誰かに捕まっていれば取り上げられて売られているだろうと推測し、闇市を監視しておりました」

「さすが人探しのプロね。で、これを手掛かりにあの子の居場所を特定したというの?」

「はい。売っていた男から事情を聞きましたが、ずいぶんとあちこちに転売されていて、大元をたどるのに時間がかかってしまいました」

「結論から聞かせてちょうだい。あの子は見つかったの?」

「近隣の娼館を片っ端から当たり、ようやく居場所を特定できました」

「そう、どこにいたの?」


 皇太后は、黒覆面から唯一露出している男の両目を凝視した。


「結論から申しますと、脱走した奴隷は皇都アンゼル郊外にある高級娼館に買われたようです」

「高級娼館?何かしらそれは」

「普通の娼館と違い、没落貴族の子女らが身売りされているところです。中でもガイアという商人の高級娼館は有名で、質の高い娼婦が揃っているともっぱらの評判です。足しげく通っている貴族も多いようで、常連客には皇帝府の役人も名を連ねているとか」

「何というふしだらな…」


 彼女は眉をひそめた。

 そのような施設があることを初めて知ったという顔だった。


「で?その娼館で、あの子が娼婦をさせられているとでもいうの?」

「サラというその奴隷は娼館のオーナーの愛玩奴隷になっているようで、娼館にはおりませんでした」

「…信じられないわ。あの子はお世辞にも器量が良いとは言えないし、真面目だけが取り柄の子よ?娼婦の親玉に気に入られるなんてこと、あるのかしら。…別人の可能性はなくて?」

「我々はその娘に直接会っておりませんので断言はできかねますが、その奴隷はアオキ・サラという名の黒髪の娘だということです」

「…そう。じゃあ、ここへ連れてくればハッキリするわね」


 皇太后はペンを置いて、机の上に置かれた眼鏡を手に取って見た。

 すると黒覆面の男は彼女の前に近寄ってきた。


「…実は一つ問題がございまして。我々の情報網を駆使して調べた結果、娼館のオーナーの屋敷を突き止めたのですが…」


 覆面の男は声を抑えてヒソヒソと皇太后に話をした。

 話を聞いているうちに彼女の目は大きく見開かれた。


「…なんですって?それは本当なの?」

「はい。間違いありません」

「信じられない。一体どういうつもりなの…」

「手の者をアレイス王国に潜入させ、引き続き調査をさせております」

「…まさか、知られた…?国境砦の一件は、あの子が関わっているとでも…?いいえ、そんなことはありえないわ…」

「皇太后様…?」


 彼女は思案顔でブツブツと独り言を言い、自分の考えに沈んでいるように見えた。

 その様子に、黒覆面の男は首を傾げた。


「…一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「うん?何かしら」

「お探しの娘は脱走した奴隷だと聞いています。結構な額の報酬をいただいておりますが、その対価に見合うだけの価値のある奴隷なのでしょうか?」


 彼女は男を一瞥した。


「余計な詮索はしない約束のはずよ。命が惜しければ、命令されたことだけを実行しなさい」

「…はっ、失礼致しました」


 彼女は手の中の眼鏡をじっと見つめた。


「…どんな手を使ってもいいわ。あの子をここへ連れてきてちょうだい。万が一の時は私がなんとかするわ。但し、丁重に扱うのよ。おまえたち処分屋は奴隷を家畜のように扱うけれど、あの子にかすり傷一つでも負わせようものなら、おまえのその両目をえぐり出してやるからそのつもりでね」

「…承知いたしました」

「決して証拠を残さないこと。わかっているわね?」

「心得ております」

「では行きなさい」

「はっ」


 黒装束の男はそそくさと部屋を出て行った。


 黒装束の男と入れ替わりに、一人の青年が彼女の部屋を訪れた。

 すると彼女は驚いて椅子から立ち上がり、青年の傍に駆け寄った。


「まあ、キュリオス!」

「母上、今戻った」

「ご無事の帰還、お慶び申し上げます、皇帝陛下」


 彼女は青年の前で貴婦人らしくドレスの裾を持って華麗な礼を取った。


 青年の名はキュリオス・オットー。

 彼こそがこのメルトアンゼル皇国の若き皇帝であり、この城の主でもあった。

 武闘派皇帝の名にふさわしく黄金の髪を短く刈り込み、鋭く冷たい印象を与える一重の切れ長の目と薄い唇を持っていた。冷酷で残忍な皇帝と言われる所以は、即位するまでの一年間で、国内の政敵をすべて処刑し、その家族や親族に至るまで一人残らず皆殺しにしたからだ。


「母上、今の怪しげな者は誰だ?」

「ただの御用聞きよ、気にしないで。それよりいつ戦場から戻ったの?前触れを出してくだされば、ちゃんとお出迎えをしたのに」

「勝ったのならともかく、不甲斐なくも撤退してきたのだ。出迎えなど必要ない」

「悪いと思っているわ…あんなことになったのは私のせいでもあるのだから」


 皇太后は申し訳なさそうに言った。


「もうよい。鉱山などその気になればいつでも奪える」

「そうね。今度こそ異界人にアレイス王都を落とさせるわ。そうしたら堂々と国境を越えて、鉱山を占領すればいいわ。あなたの治世を盤石とするためにも、光石の鉱山を奪って、若輩者の皇帝と侮っている貴族や皇族連中に、あなたの実力を示すのよ」


 若き皇帝は、凍るような目で母親を見た。


「母上。これ以上異界人を使うのはやめたほうがいい」

「いいえ、異界人は必ずあなたの役に立つわ。そのために禁を犯して召喚術を行ったのよ?異界人はあなたの矛となり盾となる。それだけではないわ。あなたが望んでいたものが手に入るのよ?」


 彼女はキュリオスの手を取って力説した。

 だが、彼女の息子にはその熱量の半分も届いてはいなかった。


「そんなものを呼んでくれといつ頼んだ?!」


 キュリオスの突然の叫びに彼女はビクッとして彼の手を離した。


「キュリオス…?」

「国境砦では突然大風が吹いて、馬も物資も吹き飛ばされた。直接の被害はなかったが、誰かが異界人の仕業だと流言を流したために軍内がパニックになって統率が乱れ、砦から脱走する者が相次いだ。その隙をアレイス軍につかれ、なすすべなく撤退を余儀なくされたのだ」

「…聞いているわ。だけど、それは異界人の仕業ではないと思うの。だってあの子は奴隷…」

「余が言っているのはそんなことではない。異界人の存在など、人心を惑わすだけだということだ。そんなものは殺すか地下牢に一生幽閉すれば良いのだ」

「何を言うの…!」


 キュリオスは母親を睨むように見た。


「異界人は我々の手に余る。あの王都攻撃がいい例ではないか。余は王都を城ごと破壊しろと命じたはずだ。だが何だ?あの中途半端な攻撃は。挙句の果てに脱走しただと?それでこの体たらくだ。余はいい笑い者ではないか!」

「監督不行き届きだったことは謝るわ…」

「それだけではない。砦を占拠している間も、国際条約機構から使者が何度も来た。今度異界人を使えばもう知らぬでは済まされぬ。母上は余に国際条約機構の加盟国連合軍と渡り合えというのか?」

「異界人を使えば十分渡り合えるわ」

「母上の力添えには感謝している。だが、異界人などに頼れば、千年前の愚行を繰り返すだけだ。余は二度と異界人を戦争に使うつもりはない」

「キュリオス…!」


 皇帝は踵を返して彼女に背を向けた。


「余は魔力などには頼らぬ」


 そう言い捨てて彼は部屋を出て行った。

 皇太后はその背を見送って、大きくため息をついた。


「可哀想なキュリオス。私の子でありながら魔力を受け継ぐことができなかった哀れな息子…。だからこそ、あなたには異界人が必要なのよ」

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