第16話 テスト

「おくつろぎのところ失礼致します、我があるじ

「前置きはいい。要件を言え」

「は」


 その人物は、執事みたいな黒服に身を包んだ長身の男性で、深緑色の長髪を真ん中から分けた、スレンダーな美形だった。

 年齢はガイアと同じ二十代半ばくらいに見えるけど、ガイアが陽なら彼は陰という印象を持つほど、冷たい美貌だった。何よりその切れ長の鋭い目が、底冷えする程怖かった。

 彼は私には聞こえないように、小声でガイアに何かを報告していた。

 そして、その冷たい目を私に向けた。


「…お取込み中でございましたか」

「別に構わん。もう済んだ」


 ガイアは、私を振り返った。


「サラ、この男はウルリック。王都から呼びよせた俺の腹心の部下だ」

「ウルリック・メルトラと申します。お見知りおきを」

「あ、ご丁寧にどうも…。アオキ・サラです」


 丁寧に礼を取る彼に、体を隠しながら私もお辞儀をして応えた。


 やだ、超気まずいじゃない…。

 ガイアもガイアよ。何で今部屋に入れるの?後でもいいじゃん…!


「これからこのウルリックがおまえをテストする」

「テ、テスト?って、これから…?」

「そうだ。服を着て隣の部屋へ来い」


 そう言ってガイアは隣室へ消えた。

 ウルリックは無言でじっと私を見つめていた。

 その眼は冷たく、私を見透かしてるみたいだった。

 彼がガイアの後に続いて扉の向こうに消えると、私はベッドから下りて自分の服を拾った。


 そういえば以前テストするとかなんとか言ってたっけ…。

 そのためにわざわざあの人を呼んだんだろうか。

 だけど、何で今?

 ガイアの考えてることがわからない。

 さっきまでの甘い微睡まどろみの時間が嘘のように消えてしまった。


 私は身なりを整えてから隣室へ入った。

 部屋に入るとガイアも服を着替えていて、ダイニングテーブルの上に両肘をついて私を待っていた。


「そこへ掛けろ」


 私はガイアに命じられて、いつもの彼の左の席に腰かけた。


「では始めましょうか」


 ウルリックは私の傍に立って、テーブルにA4サイズの紙とペン、インクの入った墨壺を置いた。


「文字は読めるのでしたね。計算が得意だと伺いましたので、まずは簡単な計算問題からやってみましょうか。これは私が作成した問題です。ここへ答えを書いてください」


 紙には足し算や掛け算などの簡単な数式が並んでいて、ウルリックはその余白の部分を指さした。

 小学生のテストみたいだけど、桁数が多すぎる。

 これを簡単ていうこの人はきっと優秀な人なんだろう。

 この世界の文字や数字、記号などは私の世界のものと少し違うけど、召喚されてから一番最初にそれらを学んだので、今では普通に理解できる。


「あの…書かなきゃダメですか?」

「…というと?」

「口頭で言ってもよければ…」


 私がそういうとガイアは驚いていた。

 この程度なら暗算でできるから、いちいち書くのがめんどくさいだけだったんだけど。

 ウルリックは表情を変えず、淡々と言った。


「構いません。では上から順番にどうぞ」


 私はそこにかかれている計算問題の答えを上から順番に口にした。


「全問正解です。簡単すぎましたか?では次はこちらを」


 その後も徐々に問題が難しくなったけど、暗算可能な算数レベルだった。

 因数分解とか二次関数とか数学的なものはさすがになかった。

 私が余裕の表情を見せると、ガイアは立ち上がってキャビネットの上から書類の束を取り、それをウルリックに渡した。


「これをやらせるのですか?博学院レベルですが」

「構わん」

「わかりました。…ではこれが最後です」


 そう言って彼はその書類の束を私に提示した。

 それは商品の売買明細書とか、原価計算書とか書かれた書類だった。

 損益計算をしろということかな。

 なんだか、一気に問題の難易度が上がった気がする。

 これ、ガイアの商売の書類なんじゃないの?

 知らない単語が並んでる。

 私が書類とにらめっこしていると、ウルリックが言った。


「無理そうならそう言ってください。できないのが普通ですから」


 どうせ無理でしょ?って言い方に聞こえて少しカチンときた。

 一応、簿記二級持ってるんだから、舐めるなと言いたい。


「いえ、やります」

「そうこなくてはね」


 ウルリックはニヤリと笑った。

 ガイアは興味深そうに私を見ている。


「あの」

「はい、何ですか?」

「よくわからない単語があるのでその都度質問していいですか?」

「いいとも。商売用語は素人には難しいからな」


 私の質問に答えたのはガイアだった。


 ガイアとウルリックの見つめる中で、私はペンを走らせた。

 仕分けの仕方も私の知っているやり方とは少し違っていた。

 なんだか、家庭教師と生徒みたいだなと思った。

 ガイアも楽しそうにいろいろ説明してくれた。

 できた書類を渡すと、ウルリックは満足そうに頷いた。


「…呑み込みが早いですね。計算も正確だ」

「それしか能がなくて…」

「謙遜ですね。これだけの知識と学力があれば国の官吏にだってなれますよ」


 私は褒められてちょっとだけ得意になった。


「まあ、奴隷には無用のものだがな」


 ガイアが水を差すように言った。


「そうですよね…」


 そうだった。

 いい気になってたけど、私は奴隷で、こんな勉強なんかいくらやっても意味ないんだ…。


 ウルリックは私の回答した書類をガイアに渡しながら言った。


「主、サラさんをどのようにされるおつもりですか?」

「…まだ決めておらん」

「娼館に送るとおっしゃっていたのでは?」

「その可能性もあると言っただけだ」

「ではお傍に置くので?」

「まだ決めておらんと言っただろう」


 しつこいとばかりにガイアは不機嫌そうに答えた。


「手放すおつもりなら、私にお譲りくださいませんか」


「えっ?」


 ウルリックの突然の申し出に私は思わず声を上げた。


「なんだと?」


 声を上げたのはガイアも同じだった。


「こんな貴重な人材を娼館に置いておくなんて、宝の持ち腐れですよ。私ならもっとうまく使ってみせます」

「どういう意味だ」

「私が王都で博学院の教授のお手伝いをしていることはご存知でしょう?彼女を助手にすれば今よりずっと仕事の効率が上がります」


 博学院って大学みたいなところだっけ…?

 でも、娼婦にならなくて済むのなら、断然そっちが良いんだけど…。


「誰が手放すと言った?」


 ガイアは椅子から立ち上がってウルリックに向かって叫んだ。


「サラは俺の奴隷だ。どうしようと俺の勝手だろう。おまえには譲らん」

「それは残念です。例の実験もしてみたかったのですが」


 例の実験…?

 何のこと?


「勝手なことをほざくな。実験と称してサラを奪う気だろう?」

「あんなものを見せられたら誰だってそんな気になりますよ」

「…あれは偶然だ。俺だって驚いている」


 ガイアは憮然として椅子に腰かけ直した。

 なんのことか全然わからない。

 二人はずっと私を無視して話を進めている。


「第一、測定器が手に入らねば確かめようがあるまい」

「ああ、それでしたら博学院の教授からお借りする算段をつけました」

「…ほう?あんな貴重品を良く貸してくれる気になったな」


 測定器?貴重品?

 話がさっぱり見えない…。


「教授のお嬢さんと食事をご一緒するという条件でお借りすることができました。明日受け取りに参ります」

「色仕掛けか」

「まさか。単なる接待ですよ。ですが、サラさんのような賢い方ならお付き合いしてみたいものです」


 軽口を叩くウルリックをガイアはジロリと睨んだ。


「測定器があったとしても、おまえにはやらせん」

「主がそこまで固執する理由は何ですか?知性?それとも体ですか?」

「下らんことを聞くな」


 ウルリックは笑いながら私の肩に手を置いた。


「試しに彼女を商談に連れて行ってみてはいかがでしょう」

「何?」

「明後日、オズロー商会へ行かれるのでしょう?オズローは油断のならない男だと聞いています。書類を改ざんするのが常套手段だとか。私は王都へ戻るため同行できませんから、ちょうど良いではありませんか」

「勝手なことを…」

「そこで役に立つかどうかで判断なさってみてはいかがです?」


 ウルリックは薄笑いを浮かべた。

 話の内容はよくわからないけど、この人が本気で笑っているようには見えなかった。

 このウルリックって人、得体が知れなくてなんだか怖い…。


 ガイアは私とウルリックを交互に見た。


「…良かろう。サラ、聞いた通りだ」

「え?え?」


 聞いた通り?

 今の半分も話が見えないんですけど?

 ちゃんと説明してくんなきゃわかんないよ…!


「明後日、スールの街へ商談に行く。おまえも同行しろ」

「商談…?お仕事に一緒に行くってことですか?」

「そうだ」

「でも、商談なんて初めてで、何をすれば…?」

「俺の言うとおりにすればいい」

「あなたなら大丈夫ですよ」


 ウルリックはそう言うけど、不安だ。

 大人の仕事についていくなんて、初めてで緊張する。


「あの、それもテストの一環なんですか?」

「そうなるな」


 だけど、これはチャンスだ。

 役に立つところを見せれば娼館に行かなくても済むかもしれないんだ。


「が、頑張ります」

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