第14話 娼館4
いつもと違って起床の鐘が鳴らなかったので、久々に寝坊してしまった。
「そっか、ここは娼館なんだっけ…」
娼婦たちは朝が遅い。
宿泊していく客もいるけど大抵は朝になる前に帰っていくそうで、娼婦たちはその後に眠る。
彼女らを起こさないよう、朝の鐘は鳴らさないし、部屋の掃除なども午後から行われることになっている。
部屋を出てロビーに降りると、サンドラとユージン、管理人のユイフェンが立ち話をしていた。
「サラちゃん、おはよう」
ユージンは何事もなかったかのように、普通に挨拶した。
「おはようございます。何かあったんですか?」
「昨夜遅くに伝令が来てね。国境での戦争が終わったみたいなんだ。メルトアンゼル皇帝軍が撤退したらしい」
「…え?メルトアンゼル軍が負けたんですか?」
「負けたって言うか、占領してたアレイス軍の砦を放棄して国内に兵を退き上げたらしい。アレイス軍が圧倒的な力で、砦を取り返したそうだ」
「…圧倒的な力…?」
「詳しいことはわからないけど、アレイス王国にも強い魔法師がいたって噂だ」
「魔法師が…?」
「もしかして異界人だったりしてね」
ユージンが冗談ぽく言った。
私はその言葉にギクッとした。
「まさか。そんなことはありえないよ。異界人召喚には希少石が大量に必要だっていうじゃないか。そんなのもうずいぶんと前に失われて今じゃ手に入らないんだ。現存するものはこれぽっちで数億もの値が付く貴重品なんだよ」
サンドラは小指の爪を指差して言った。
「それもそうか。ケチで有名なアレイス王がそんな高価なものを召喚なんかに使ったりしないよね」
ユージンが半笑いで言うと、サンドラにシッ!と戒められた。
「希少石って何ですか?宝石?」
「宝石っていうより魔石だね。魔力が封じられている鉱石で、身に着けていると魔力を増幅してくれるといわれてる。昔はアレイス王国の鉱山でも採れたって言うよ。だけど召喚術が盛んになったために、世界中で取引されるようになって何十年も前に枯渇しちまったんだ」
「じゃあ、今はもう召喚できないんですか?」
「そのはずだよ。できたとしても国家予算並みの莫大な費用がかかるはずさ」
「そんなに?!」
驚いた。
私が召喚されたのって、そんな大金が掛けられてたってわけ…?
「でも、良かったよ。旦那様もこれで一つ肩の荷が下りるってもんだ」
サンドラはそう言ったけど、私には疑問が残る。
メルトアンゼル軍がアレイス王国に負けるとかありえない。
アレイス軍の圧倒的な力って何だろう。
私の知らない所で、一体何が起こってるんだろう…?
「サラちゃん」
「えっ?はい、何ですか?ユージンさん」
「昨日はごめんね。怒ってない?」
ユージンはサンドラに聞こえないように小声で私に話しかけた。
「怒ってないですけど、もうああいうことはやめてくださいね」
「わかったよ。サラちゃんは旦那様一筋だってことだね」
「えっ?ち、違いますよ!」
「アハハ、ムキになっちゃって、可愛いなあ」
この人ってノリが軽いんだよね…。
でも魔法のことは黙ってくれているみたいで助かった。
隣では、ユイフェンとサンドラが真剣な顔をして話していて、私とユージンの話は聞こえていないみたいだった。
急に、二人が私を振り向いた。
「…?何ですか?」
「いや、おまえのその黒髪、案外目立つと思ってね」
「そうですか?別に珍しくないですよね?」
「特に珍しいってわけじゃないが、ありふれているわけでもない」
「そうなんですか?」
ユイフェンが私に説明してくれた。
「処分屋が黒髪の娘を探してるって噂になってるんですよ」
「…処分屋?」
「処分屋ってのは脱走した奴隷を捕まえたり、処分したりしてる裏稼業の連中だよ」
サンドラが説明してくれたけど、そういや前にも聞いた気がする。
「えっと、つまり、黒髪の奴隷が脱走したってことですか?」
「ええ。昨夜うちに来てる客が教えてくれましてね。まあ、うちみたいな高級娼館に処分屋が来ることはまずないんですが、サラさんは念のため、この国を出るまでは気を付けた方がいいですよ。間違って処分屋に狩られてしまわないように」
「あ、はい…気を付けます」
狩られるって表現…怖いな。
「処分屋ってのは依頼主から、捜索する奴隷の特徴だけを教えられて探すもんだから、間違って他人の奴隷を勝手に攫っちまうこともあるんだよ。だが処分屋は機密保持のために、間違ってても帰しちゃくれないんだ」
「えーっ!?人違いなのに?」
「処分屋は黒装束黒覆面の暗殺者集団だって噂もある。顔を見たら殺されるって話だ」
「怖っ…。それじゃ私、黒髪ってだけで攫われちゃうかもしれないんですか?」
「おまえがアンゼルの街中をフラフラしていたら間違いなく捕まるだろうね」
「え~!無茶苦茶じゃないですか…!どうすればいいんですか!」
信じられない話だ。
間違って攫われたら、殺されちゃうなんて…理不尽にも程がある。
「俺が守ってあげるよ、サラちゃん」
ユージンが馴れ馴れしく私の肩に腕を回してきた。
「あ、でもそんな必要もないか」
彼は私の耳元で囁いた。
「ユージンさん!」
「シッ!大丈夫、誰にも言わないって」
彼は軽く言ってウィンクして見せたけど、大丈夫かなあ…?
「用心するに越したことはないね。ユイフェン、もしここへ黒髪の娘を探しに来る連中がいたとしても、絶対にサラのことは話さないようにね」
「心得ております」
その日の午後、カタリナの身請けの送り出しを見届けた。
カタリナの身請けの相手は、彼女の言った通り、背が低くてぽっちゃり型の、ちょっと冴えない青年だったけど、誠実で優しそうな印象を受けた。
サンドラから贈られた純白のドレスを着たカタリナは、男爵家の仕立て馬車に乗って行ってしまった。
幸せになると良いな。
その翌日、私たちはアレイス王国へ戻ることになった。
私はフード付きのマントで髪を隠し、帰りの馬車に乗せられた。それは処分屋に見つからないようにするための方策だった。
エリンは別れ際に少し泣いてしまったけど、笑顔で見送ってくれた。
頑張って欲しい。
少しでも幸せになって欲しいと願った。
その数日後。
高級娼館の入口玄関の掃除をしていたエリンに、ユイフェンがやってきて声を掛けた。
「日が出て来たね。エリン、ここはいいから今のうちに裏へ行って洗濯物を頼むよ」
「はい、ユイフェン様」
ユイフェンに命じられたエリンは、箒を置いて洋館の裏へと駆けて行った。
そうしてユイフェンが、洋館の中へ入ろうとした時だった。
「やあ、どうも」
背後からユイフェンに声を掛けて来たのは、黒い帽子に黒いコート姿の二人組の男だった。
ユイフェンは訝し気にその二人を振り返って見た。
門には門番がいて、不審者は通さないようにしているはずだが、彼らはそこを通り抜けてきたということだ。
だが彼らの背後には馬車らしきものは見えなかった。
入口の門からここまでの長い距離を歩いてやって来たのだろうかと彼女は不審に思った。
「どちら様?」
「ああ、失礼しますよ。我々は皇都アンゼルの市民局の者です」
「市民局…?お役所の方々が何の御用で?」
「実は、脱走した奴隷を探していましてね。お心当たりはないかと参った次第で」
「そんな者はおりませんよ。うちがどういうところかご存知でしょう?だいたいどうしてお役所の方が脱走奴隷を探してるんです?」
「実は処分屋と呼ばれる連中による人攫い事件が続発しておりましてね。早く奴隷を捕まえてくれと苦情が多く寄せられているんですよ」
二人組のうち、背の高い方の男が屋敷の周囲を歩き出した。
「ちょっと!勝手なことをしないでくださいましな」
「ああ、すいません。この館の周囲を調べさせていただくだけです」
「うちは皇帝府お墨付きの高級娼館ですよ?何も怪しい所なんかありゃしませんよ。ちゃんと捜索許可を取っていらっしゃるのでしょうね?」
ユイフェンはジロリと黒服の男を睨んだ。
「もちろん、心得ておりますとも。こちらの娼館にはメルトアンゼルの貴族の方々も大勢足を運んでいらっしゃると聞き及んでおります」
「なら、早々にお引き取り願いますわ」
「まあ、そうおっしゃらずに。あちこちの娼館を調べ回ってましてね。こちらが最後というわけでして」
男がユイフェンと話をしている間に、娼館の裏に回ったもう一人の男は、井戸から水を汲み上げて洗濯をしているエリンを見つけた。
男が声を掛けると、エリンは酷く怯えた。
「ああ、驚かせて悪かったね、お嬢ちゃん」
「…誰ですか?」
「怪しい者じゃありませんよ。私はお役所の人です」
黒い服の男は帽子を取ってエリンに話しかけた。
「お役人さん…?」
「そうだよ。可愛いお嬢ちゃん。お名前はなんていうのかな?」
「ユイフェン様のお許しがないと、しゃべってはいけないことになっています」
「ああ、それなら大丈夫。ちゃあんとお許しを貰ったからね」
「本当ですか?」
「もちろんだよ。向こうで仲間がユイフェンさんとお話し中なんだ。役人に逆らっちゃいけないことくらい、お嬢ちゃんにもわかるよね?」
エリンは手を止めてその男と向かい合った。
「私、エリンと言います」
「そう、エリンちゃんか。聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
男は彼女の目線まで腰をかがめて話した。
「ここに黒髪の女の人はいるかな?」
「…サラさんのことですか?」
その瞬間、男の目が光った。
「…そう、サラさん。アオキ・サラさんっていうんだったかな?」
「サラさんのお知合いの方ですか?」
「うん、そうだよ。ずっと会いたくて探していたんだ。どこにいるか知ってるかい?」
「サラさんなら、もうアレイス王国のお屋敷に戻りましたよ」
「アレイス王国?お隣の国だね。なんていう人のお屋敷かな?」
「商人のガイア様です」
「そう、商人ね」
男はニヤリと笑った。
「エリンちゃんはサラさんとは親しいのかい?」
「はい、ここへ来る前、いろいろお世話をしてくれました。優しくてとてもいい方です」
「そうかそうか。ありがとう、会いに行ってみるよ」
「でも、お屋敷に行ってもサラさんにはお会いできないかもしれません」
「おや、どうしてだい?」
「サラさんは旦那様のお気に入りの奴隷ですから、私たちとは違うんです」
「愛玩奴隷か…。厄介だな」
「あいがん…?」
「ああ、なんでもないよ。そうだね、人の奴隷に勝手に会っちゃいけないね」
「はい。お会いするのなら旦那様の許可をいただかないと」
「わかった、そうするよ。どうもありがとう」
黒い帽子をかぶり直して、男はエリンに礼を言った。
「あ、そうだ。私がサラさんと知り合いだというのは内緒にしてもらえるかな?」
「どうして?」
「知り合いが奴隷になったなんて恥ずかしくて、誰にも知られたくないんだ」
「…恥ずかしい?そうなんですか…。わかりました」
エリンは悲しそうに唇をぎゅっと噛みしめた。
サラが奴隷になったことは、この人にとって恥ずかしいことなのだと悲しくなったのだ。
男はその様子を微笑みながら見て、彼女は自分のことを話さないだろうと確信した。
彼はエリンの元を離れて、来た道を戻り、ユイフェンと話をしている男に手を挙げて合図をした。
ユイフェンと話していた男はそれを見て、急に話を打ち切った。
「ああ、戻ってきた。では我々はこれで失礼します」
「…?まあ、急に何ですの?」
「こちらの娼館のオーナーは、ガイアさんという商人の方でしたね」
「ええ…それが何か?」
「ガイアさんは今どちらに?」
「さあ、知りませんわ。私は雇われてるだけですので」
「…さすが一流の娼館の方は口が堅い」
男の黒い帽子の下の目がギラリと光った。
だがユイフェンは慣れたもので、少しも動じなかった。
「オーナーのことなど、お役人ならば調べはつくでしょう?そちらで勝手にお調べになってくださいな」
「ほう…?あまり舐めた口をきかぬ方が良いですよ」
男はそっと懐に手を入れようとした。
おそらくは懐に武器が仕込んであるのだろう。
ユイフェンは咄嗟に男の腕を掴み、懐から腕を出させまいとした。
「何をなさるおつもり?ここで騒ぎを起こせばあなた方もタダでは済みませんよ」
ユイフェンの後ろの玄関の扉から、護衛と思われる屈強そうな下男が出て来た。
「もういい。行くぞ」
戻ってきたもう一人の男が、彼の肩を叩いた。
男は「チッ」と舌打ちをし、ユイフェンの手を振りほどいた。
そうして二人の男は門の方へと去っていった。
ユイフェンはそれを見送って、フン、と鼻を鳴らした。
下男が駆け寄り、ユイフェンに声を掛けた。
「ユイフェン様、ご無事ですか?今の連中、何者なんです?」
「あいつら、役人なんかじゃないね。懐に物騒なものを仕込んでるところをみると処分屋ってとこか。わざわざあんな変装してまで探しに来るなんて、依頼主はよっぽどその奴隷に執着してるんだね。ま、いくら調べても脱走奴隷なんぞいないんだから、来るだけ無駄ってもんだ」
彼女は下男を伴って、洋館の中へと入って行った。
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