第13話 娼館3
「やめて!」
私は思わずユージンの胸を突き飛ばした。
彼はよろめいて二、三歩後ろへ下がった。
「案外気が強いんだね。旦那様に義理立てしてんの?」
「来ないで…!」
ユージンが迫ってくる。
「君がいくら旦那様を想っても、無駄だよ。そもそもアレイス王国じゃ奴隷は結婚できないからね」
「そんなこと…わかってます…」
「なら、割り切って楽しんだ方がいいんじゃない?」
彼の手が私の肩を掴もうとしたその時、私は咄嗟に胸の前で両手の親指と人差し指で小さな三角形を作った。
「風よ…!…」
私は口の中で短い呪文を唱えた。
するとユージンの体は私の指先から噴き出した突風に弾き飛ばされ、回転しながら空中に持ち上げられた。
「わわっ!?」
私は両手で印を固定したまま、空中に掲げた。
彼の体は、木の枝に干されたシーツのはるか上空に浮き上がり、縦回転、横回転とグルグル回されながら、更に上空へ昇っていく。
「うわーっ!!助けてくれ!!」
そこで私はハッと我に返り、両手の印を解除した。
その途端、彼の体は糸の切れた凧のように、庭の植え込みの中に落下して見えなくなった。
自分がやった事なのに、私は他人事のように、呆気に取られてその様子を見ていた。
「痛てて…」
ユージンの声が聞こえて、私は慌てて植え込みに駆け寄った。
「ユージンさん!」
植え込みをかき分けると、彼は枝の間に引っかかるようにして横たわっていた。
「って~っ…」
「だ、大丈夫ですか?!」
「今のサラちゃんがやったの?」
「あ、あの…」
「今のって魔法だよね?」
「ごめんなさい!怪我してませんか?」
「大丈夫だよ」
ユージンは植え込みの中から這い出して来て、髪や服についた葉っぱを払いながら立ち上がった。
木の枝で腕や首筋にたくさん擦り傷が付いていた。
「おっかないなあ。サラちゃんにちょっかい出すとこういう目に遭うんだね」
「す、すいません…!手当てをさせてください」
「平気だって。こんなのかすり傷だよ」
「本当にごめんなさい!」
私は彼に頭を下げた。
身を守るためとはいえ、つい魔法を使ってしまったことを後悔した。
「魔法を使える奴隷なんて、初めて見たよ」
「…あの!このことは誰にも言わないでくれませんか?」
「どうして?魔法を使えるなんてすごいじゃん。きっと旦那様も見る目が変わると思うけど?」
「ダメですよ!あ、危ない奴だと思われるじゃありませんか…!」
「…そうかなあ?けどさ、この力があれば簡単に逃げ出せるんじゃない?何で今まで使わなかったのさ?」
「…逃げたって、行くところもないし…。逃げたいとかも思ってませんから。今のはユージンさんが迫ってきたから仕方なく…」
「ふうん?…まあ、君がそうして欲しいってんなら言わないでおいてあげてもいいけど?その代わり…」
「…!」
ああ、私のバカ。
弱みを見せてどうすんの!
代わりに体を要求されるに決まってるのに…。
「俺がサラちゃんを襲ったことは内緒にしてよね」
「へ?」
「旦那様にバレたら俺、マジで殺されちゃうからさ」
「は、はい…それはもちろん」
「良かった。じゃあ、今のはナシってことで。俺、サラちゃんに嫌われたくないし」
ユージンはそう言って舌をペロリと出しながらどこかへ行ってしまった。
私はその彼をボーゼンと見送った。
あまりにもあっさり引き下がったので、正直、拍子抜けしてしまった。
てっきり、黙っている代わりに体の関係を迫られるとばかり思っていた。
ユージンって、根は悪い人じゃないのかもしれない。
それとも、それだけガイアが怖いってことなのかな…?
ともかく根に持つ人じゃなくて良かった。
だけど、こんなことで魔法を使ってしまうなんて私も迂闊だ。
もっと気を付けないと、異界人だってバレてしまっては大変だ。
そう自分に言い聞かせて、私はロビーに戻った。
ロビーのある洋館の上階にはゲストの泊まれる部屋がいくつかあって、私はその一つに泊らせてもらえることになった。
ガイアのお屋敷の部屋より少し広い程度だけど、ドレッサーと洗面用の樽がついているし、ベッドもゆったりしていて泊るには十分だった。
ベッドに横になって、天井を見つめながら、ふと考えた。
娼婦って、プロなんだな。
考えれば考える程、私なんかがカタリナのようになるなんて無理に思えてくる。
いきなりこの世界に来た私には、ここで生き抜く覚悟も知識もない。
不本意だけど、さっきウォルフに声をかけて、ここから連れて逃げてって言えば良かったのかもしれない。
ふと、ガイアの顔が頭に浮かんだ。
フーゾク経営のクソ野郎って思ってたけど、ここの女の人たちを見てると、何か少し違う気がする。
彼、本当は奴隷の女の人たちを助けてるんじゃないのかって思えて来た。
私も含めて…。
私のこと可愛いって言って、あんなに毎日抱いたのに、ある日ポイッと捨てて娼婦にするなんてことがあるのかな…?
男の人ってよくわからない。
「サラ、ちょっといいかい?」
扉の外で声がした。
「は、はい」
扉を開けてサンドラが入ってきた。
私はベッドから飛び起きた。
「少し話をしようと思ってね。寝るところだったかい?」
「いえ、大丈夫です」
サンドラは部屋の中に入って来て、ドレッサーの椅子に座った。
私は、ベッドに腰かけてサンドラと向かい合った。
話ってなんだろう。
もしかしたら、ユージンがしゃべったのかな…?
そう思って少し怯えたけど、違った。
「おまえ、旦那様のこと、どう思ってる?」
「…どうって…正直に言うと、よくわかりません。偉そうで怖かったりもするけど、たまに優しかったりもするし…いい人なのかそうでないのか…」
「まあ、女の扱いはちょっと問題だがね。あの外見だろ?言い寄る女は大勢いて、常に女を欠かしたことがないんだよ。言い方を変えれば、とっかえひっかえってことだが、私が知る限り特定の恋人や愛人は作ったことがない」
サンドラは苦笑いをした。
女をとっかえひっかえ?
やっぱ最低じゃない…。
「同じ女を二日以上傍に置くなんてこと、おまえが初めてなんだよ」
「え…。マジですか…」
「ああ、本当にビックリしてるんだよ」
「でも、そんなの今だけでしょ?私が初めてだったから、珍しくて傍に置いてるだけなんですよね?カタリナさんだってそう言ってました」
「私はそうは思わないよ。私が見る限り、旦那様はおまえに夢中だと思う」
「え~?そうですか…?」
サンドラは、スリットの入ったロングドレスから惜しげもなく太股が露出するのにも構わず脚を組んだ。
「寝所で話したりもしてるんだろ?」
「はい…いつも偉そうにしてますよ」
「ハッ、本当に偉い方なんだから仕方がないよ。だいたいね、旦那様は一晩寝た女は話すらしないで翌朝追い出すんだ」
「そう…なんですか?」
「ああ。上流階級の貴婦人方の集まりじゃ、女に冷たいって噂されているみたいだよ。それでも寄ってくる女が後を絶たないんだから大したものさ」
「ただの女たらしじゃないですか…」
私が口を尖らせて言うと、サンドラは笑った。
「…あの、前から気になってたんですけど、サンドラさんてガイア様とどういう関係なんですか?」
私の質問に、サンドラは少しだけ戸惑ったように見えた。
「…あまり大きな声でいうことでもないんだがね。私と旦那様は異母姉弟なんだよ。私とユージンの母親は大旦那様のお屋敷の使用人なんだ」
「え!?そ…そうだったんですか?」
「旦那様のお父上…大旦那様には正妻以外に愛人が複数人いてね。あの頃にはまだ避妊香がなかったから仕方がないんだけど」
それって仕方がないで済んじゃうこと?
問題はそこじゃないよね…?
「でも、それじゃあサンドラさんはガイア様のお姉さんってことですよね?どうして弟なのに旦那様って呼んでるんですか?」
「旦那様は正妻である大奥様のご子息だ。私たち愛人の子とは違うんだよ」
「あ…」
正妻の子と愛人の子ではそんなにも扱いが変わるんだ…。
「大奥様はお優しい方でね。奴隷に売り飛ばされてもおかしくなかった私たちを、お屋敷の下働きとして引き取って育ててくれたんだ。私たちの母親は、今も王都のお屋敷で大奥様の侍女として奉公させていただいてるんだよ」
「え…。奥さんと愛人が、一緒に暮らしてるんですか?」
「そうだよ」
ちょっと考えられない。
修羅場になったりしないんだろうか。
それとも
この世界の倫理観って私には理解できないな…。
「だけど子供の頃から私たちと一緒に育った旦那様には、その差別が耐えられなかったみたいでね。博学院を卒業なさった後、弟たちを連れてこっちへやって来たのさ」
「弟たち…?サンドラさんは?」
私が尋ねると、サンドラはフン、と鼻で笑って話を続けた。
「私は十六の時、大旦那様の命令で三十も年上の男の元へ嫁がされたんだ」
「…サンドラさん、結婚してたんですか!」
「まあね。けど五年経っても六年経っても子供ができないもんだから、役立たずだと責められて居づらくなってね。毎日辛かったよ。そうしたら旦那様が怒鳴り込んできてね。離縁して戻ってこいって迎えに来てくれたんだ」
元の世界でも昔は子供ができないと離婚させられることがあったって聞いたことがある。
この世界でも同じなんだ…。
「私もそんなの離婚して当然だと思います。だいたい、子供ができないことを全部女のせいにするのっておかしいじゃないですか!」
サンドラは軽く笑った。
「もう昔のことさ。旦那様は私を高級娼館の女主人にしてくれて、弟たちにも仕事をくれたんだ。いつでも自立してくれて構わないって言ってくれたけど、私たちは一生旦那様に尽くすと決めてるのさ」
「…ガイア様はサンドラさんたちをちゃんと自分の姉弟だって認めているんですね」
「ああ。…不思議だね。こんな話、他人にしたことないのに。なんでかおまえには話したくなっちまう。おまえが一生懸命に人の話を聞いてくれるからかな」
「いえ…なんか
「いいや、いいんだ。おまえは人の話を良く聞くし、自分の感情に素直で、言葉を飾らない。旦那様がおまえを傍に置く理由がなんとなくわかる気がするよ」
「はい…?」
サンドラはソファから立ち上がった。
「旦那様は大奥様や愛人たちを幼い頃から見てきているからね。女に対する考えが偏ってるんだ。特定の愛人を持たないのも、大勢の愛人を囲うお父上への当てつけなんだろうさ」
お父さんのようになりたくないから、特定の人と交際せずに遊びまくってるって…?
それもどうかと思うけど。
ただの女好きなんじゃない。
「最初におまえを見た時、やせっぽちで魅力のない娘だと思ったよ。旦那様も酔狂なことをすると思ったけど、慣れてくるにつれ、おまえは普通の奴隷とは違ってた。奴隷のくせに表情が豊かで、生意気にもちゃんと自分の言葉で話すし、何より頭がいい」
「えっと…それって褒めてます…?」
「もちろんだよ」
サンドラはハッハ、と笑った。
「おまえは読み書きができるんだろ?だったら娼婦なんかよりずっとできることが多いはずだ。まあ、決めるのは旦那様で、私にはどうすることもできないんだがね。おまえが来てから旦那様は明るくおなりになった。おまえにはずっと旦那様のお傍に置いてもらえるよう頑張って欲しいんだ」
「…サンドラさん…」
なんとなくサンドラが味方になってくれたような気がして、私は泣きそうになった。
「だから、さっきカタリナに習ったことを実践して、旦那様に飽きられないように頑張るんだよ」
「ええっ?!む、無理ですっ!それは無理!」
サンドラはハハ、と笑いながら部屋を出て行った。
ガイアのことは嫌いじゃないと思う。
だけど、正直よくわからない。
ガイアとは体だけの関係で、恋愛感情なんかないはずだ。
私が夢見てたのは少女漫画みたいなキラキラした恋愛だった。
手を繋ぐのにもドキドキしてもどかしかったり、二人で観覧車に乗って初キスしたり…。
厳しい両親の目を盗んでこっそり読んでた少女漫画の世界に憧れていた。
なのに、現実はロマンチックなことなんかひとつもなくって、いきなり大人の世界に放り込まれた感じだ。
体の関係が先走って、心が追い付いていかないんだ。
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