第11話 娼館
翌朝、一睡もせずにガイアは補給物資を積み込み、商隊を率いて出かけて行った。
一月以上は戻らないとのことだった。
ガイアが出発して数日後、突然サンドラが言った。
「私も出かけるよ。おまえはユージンと留守番だ。何かあったら執事に申し付けておくれ」
「えっ?サンドラさんも出かけるんですか?」
驚いた。
私に留守番させて出かけるってこと?
私、そんなに信用されてるんだ…。
「メルトアンゼル皇国の高級娼館へエリンを連れて行くんだよ」
「メルトアンゼルってまだ戦争してるんですよね?大丈夫なんですか?」
「確かに今アレイス王国とメルトアンゼル皇国の国境は紛争中で封鎖されているけどね。隣国へ行く道は一つじゃないんだよ。商人が使う専用の馬車道ってのが大きな都市を結んでいて、多少金はかかるが、証明書を見せれば安全に早く通れるんだよ」
「へえ…!」
「馬車道の通る国境は紛争中の国境からは離れているし、戦争に巻き込まれる心配はないから大丈夫だよ」
「…それじゃ、私も一緒に行っちゃだめですか?」
サンドラは驚いた顔をした。
「おまえ、娼婦なんか嫌だって言ってたんじゃないのかい?」
「エリンがどんなとこで働かされるのか、心配で…。それに、私もいつか行くんですよね?どういうところなのか、見ておきたいと思って…」
「う~ん、旦那様からは、許可なくおまえを屋敷から出すなと言われているんだがねえ…」
「いいじゃん。俺が一緒に行ってやるよ。見学して帰るだけならいいんじゃない?」
背後から声を掛けてきたのはユージンだった。
「そうかい?ま、それならいいか。わかった、連れて行ってやるよ」
「ありがとうございます!」
「良かったね、サラちゃん」
ユージンは意味ありげに私に笑いかけた。
そんなわけで私はサンドラに連れられ、エリンと共に馬車に乗ってメルトアンゼル皇国へ向かった。
ユージンが護衛として馬車を先導して馬を駆ってくれる。荷物持ちだって聞いていたけど、サンドラによれば護衛としての腕も一流だとかで、絶対の信頼を置いているみたいだった。
私たちは途中の村や関所で寝泊まりしながら、屋敷を出て四日後には馬車道に乗った。
明らかに道の質が良くて、馬車の揺れも少なかった。
馬車道って、いわゆる高速道路みたいなものなんだ。
「この馬車道は国際条約機構って組織が世界中に整備してるんだ。馬車道はその機構に加盟している国に作られているのさ。だから戦争してようが国交がなかろうが関係なく通れるんだ。その代わり国際条約機構に許可をもらってる商人しか通れないけどね」
「国際条約機構…?」
どこかで聞いたような気がしたけど、その時は気にも留めなかった。
馬車道には機構の雇った警備兵が巡回していて、盗賊や野盗の類が殆ど出なくて安全なのだそうだ。
そんな世界を股にかけた組織があるってことに、感心した。
「あの、今更なんですけど、ガイア様はどうしてお隣の国に娼館を建てたんですか?」
「そりゃアレイス王国では娼館を出すことを許されていないからだよ。裏で闇営業しているところもあるようだけど、しょっちゅう摘発を受けてるんだ」
「…え、マジですか…」
「旦那様は他にも外国に高級娼館をいくつか持っているんだよ。今日行くところはその一号館で、一番大きい娼館なんだ。しょっちゅうは行き来できないから、部下を常駐させて毎月報告を受けてるんだよ」
「うはぁ…」
自国で禁止されてるからって他国に店を出しちゃうなんて、商魂たくましいというかなんというか。
そうまでして娼館を出すってことは、よっぽど儲かるんだろうな。
やってることはフーゾクじゃん。
商人だなんて聞こえはいいけど、女に体を売らせて稼ぐなんて、やっぱり最低だ。
やっぱり、あんな男に気を許しちゃいけないんだ。
エリンは馬車の中でおとなしくしていたけど、いつの間にか眠ってしまっていた。
「実はね、私がわざわざ隣国まで行くのは、この子を送り届けること以外に、身請け案件があるからなんだ」
「身請け案件って何ですか?」
「なじみの客が娼婦を気に入って買い取ることさ。身請金を支払えば娼館から連れて帰れるんだよ。もちろん、その娼婦がうんといわなきゃ売らないし、客の身元もちゃんと確認するけどね。おかしな奴にうちの大事な娘たちを売るわけにはいかないからね。娼館の管理人からその確認に来て欲しいって要請があったのさ」
「娼婦がお客さんを好きになることなんてあるんですか…?」
「稀にね。けど、身請けなんて滅多にないことなんだ」
「どうしてですか?」
「身請金はとても庶民には用意できない莫大な額だ。そんな大金を払ってまで身請けするってことは、相当入れ込んでるってことだけど、娼婦だってバカじゃない。身請けされたって結局専属の愛人になるだけなら、いつ転売されるかわかったもんじゃない。結婚を望まれるような相手じゃないと受けないよ」
「奴隷でも結婚できるんですか?」
「この国じゃダメだけど隣国では許されてるのさ。身請け金を支払っても体に刻まれた奴隷番号は消えないけどね。まあ、相手が気にしなきゃいいだけさ」
「そうなんですか…」
じゃあ、私はこの国にいる限り、一生結婚できないんだ…。
屋敷を出発して六日後、関所のようなところで商人の身分証とお金を払って、ようやくメルトアンゼル国内に入った。
到着するまでは、女同士のちょっとした旅行気分で楽しかった。
だけど、もう少しでエリンともお別れかと思うと、寂しい気がした。
しばらく走っていくと皇都アンゼルに入った。中心部を過ぎ、郊外に出たところにガイアの高級娼館は建っていた。
それは高い塀に囲まれた広大な敷地の中にある、ツタの絡まるおしゃれな洋館だった。
門から洋館の正面玄関までは、結構な距離があり、車寄せでようやく馬車は止まった。外観は隠れ家カフェみたいな雰囲気で、とても娼館には見えない。
白い扉から中へ入ると、豪華なシャンデリアの釣り下がっている吹き抜けのロビーがあった。
ロビーに入ると、恰幅の良い中年の女性が出迎えてくれた。
「サンドラ様。お出迎えが遅くなって申し訳ありません」
「ああ、ユイフェン。忙しいようだね。カタリナは部屋かい?」
カタリナ…?
それって、たしか前に私の部屋を使ってたっていう娼婦じゃ…?
「はい。カタリナさんが出て行くとなると、寂しくなりますねえ。で、その子がカタリナさんの後釜ですか?」
「ああ、こっちはサラ。今日は見学だ。まだ先だが、いずれここへ寄越すことになるかもしれないよ」
「あ…どうも、サラです」
「まあまあ、黒い髪が綺麗だこと。旦那様もお目が高いですわ」
やっぱり、髪以外に褒められることってないわけね…。
ユイフェンというこの女性が、この高級娼館の管理人のようだ。
彼女自身も貴族の愛人で、正妻に売られて奴隷になったところをガイアに買われたのだとサンドラから聞いた。
読み書きとお金の勘定ができることから管理人に雇われたらしい。
エリンはユイフェンに預けられることになった。
聞けば、ここには他にも下働きの若い女性がいるようで、彼女らに仕事を教えてもらいながら働くことになるのだそうだ。
私が心配そうにエリンを見ていたことに気付いたサンドラは、私の背をポンと叩いた。
「ユイフェンに任せておけば大丈夫だよ。彼女はここの皆の母親役なんだ。ユイフェンの世話で結婚した下働きの娘だっているんだよ」
「そうなんですか!」
そうか、この国では奴隷でも結婚できるんだった。
エリンは私に手を振って笑顔を見せた。
短い間だったけど、妹ができたみたいで嬉しかった。
どうかエリンが少しでも幸せになれますようにと祈るばかりだ。
ユイフェンに連れられて行くエリンを見送って、私はサンドラと身請けされるカタリナという娼婦のコテージに向かった。
ロビーのある洋館の裏口から外に出ると、ちょっとした小さな庭があって、そこから庭園の中を突っ切るように細長い通路が続いている。
その通路の先に、別荘地みたいに独立したコテージがいくつも建っている。
そのコテージ一つ一つが娼婦に与えられていて、プライベートが完全に守られている。これは貴族などの身分の高い客のための配慮でもあるという。
カタリナのコテージは、入口から部屋までずっと花が飾られていて、すごくいい匂いがした。身請けする男性が彼女に贈ったものだという。
奥の寝室に、彼女はいた。
ドレッサーの前に座っていたカタリナという女性は、上品で美しい貴婦人そのもので、とても娼婦には見えなかった。
「まあ、サンドラ様!わざわざいらしてくださったんですの?」
カタリナは立ち上がってこちらへ駆け寄ってきた。
「カタリナ、聞いたよ。良かったじゃないか。これは餞別だ」
サンドラはリボンを掛けた箱を彼女に渡しながら言った。
箱の中身は純白のドレスだった。
「まあ、嬉しい!ありがとうございます!」
にこやかに笑うカタリナを見て、娼婦のイメージが変わった。
娼婦ってビッチって感じの、もっとネガティブな雰囲気の人を想像していたからだ。
その彼女と目が合った。
「あなた、新入りね?その服、私のじゃない?」
カタリナは私に語り掛けて来た。
彼女の指摘通り、私の着ている服はカタリナのお下がりだった。
「カタリナ、この子はサラってんだ。あんたの後釜にと思ってるんだけどね」
「あらサンドラ様、私の後釜なんて無理ですわ。私は私、他の方は私にはなり得ませんもの」
彼女はコロコロと鈴のような声で笑った。
すごい自信家だ。
カタリナは私を値踏みするようにじっと見つめた。
「サンドラ様、この子、本当にガイア様が買った奴隷ですの?なんだか趣味が変わったんじゃありません?」
「この子は旦那様のお気に入りなんだよ」
「は?冗談でしょう?」
「冗談じゃないさ。もう半月以上ずっと傍に置いて、毎晩のように可愛がってるんだ」
「嘘でしょう…?」
サンドラの言葉が信じられないとばかりに、カタリナは私を値踏みするようにジロジロと見た。
「私がいくら誘っても寝所にすら来てくださらなかったのよ?一体どんな手を使ったの?」
「え…?どんな手って…。いつも寝室に呼ばれるだけですけど」
「はぁ?呼ばれるって何?そんなこと一度もなかったわ!」
「カタリナ、旦那様は商品には手を出さない主義なんだよ」
「でも、この子は抱いてるんでしょう?」
「サラは特別さ」
「特別?どこが?」
「この子は処女だったんだよ」
「…は?だって、奴隷だったんでしょ?そんなことってあるんですの?」
カタリナは目を白黒させて私を見た。
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