第9話 奴隷7

 その日、朝食を済ませていつものように仕事をしているところへサンドラがやって来た。


「出かけるよ。支度するからついてきな」

「は、はい。えっと…どこへ行くんですか?」

「街まで買い物に行くのさ」


 仕事は他の奴隷に託してサンドラに付いて行くと、衣装部屋のようなところへ案内され、そこで着るようにと渡されたのは淡いピンクのワンピースだった。

 それはカタリナという、以前ここにいた娼婦のものだという。

 着てみると胸がかなり余ってしまったので、サンドラは大笑いしながら、胸当てに布を詰めてくれた。

 胸当てっていうのは要するにブラジャーのことだけど、この世界のものは肩紐がないチューブトップタイプが定番だ。だから私みたいに胸が小さい場合はどうしてもずり下がってくるので、詰め物をして下がらないようにしないといけなかった。

 …まあ、それはともかく、まともな服を着せてもらったのは久しぶりで、出かけるのがこんなにウキウキするものだということを久しぶりに思い出した。


 馬車というものに初めて乗った。

 この辺りはアレイス王国の最西にあるゼスティン侯爵領という地方領で、のどかな自然の中に街や村が点在している。

 郊外に建つガイアの屋敷から一番近くの街までは馬車で1時間ほどで着いた。

 スールというその街はゼスティン侯爵領内で二番目に大きな都市で、かなり賑わっていた。

 王都が攻撃を受けて商売ができなくなった商人が地方に流れてくるようになったので、物資が豊富になったんだとか。

 大通りでは多くの人や馬車が行き交っていた。


 馬車の窓から見る景色は新鮮だった。

 この世界に来てから、初めて見る街。

 建物や歩いている人たちの姿は、中世時代のヨーロッパを思わせる。

 まるでタイムスリップしたような気分だ。


「あれをごらん」


 同乗しているサンドラが窓の外を指差した。

 その先を見ると、向かいから走ってくる馬車の後ろを縄で縛られた男女が追いかけるように走っていた。

 男女とも下着のような薄着を身に着けていて、二人共裸足だった。

 両手を縄で縛られ、その縄の先は馬車の後部に固く結ばれている。

 二人は馬車に引っ張られるようにして走っている。


「何ですか、あれ…」

「奴隷だよ。普通奴隷は馬車には乗せないで、ああして車の後ろに繋いで走らせていくんだ」

「え…嘘でしょ…!?」


 視線を巡らせると、他の馬車も同じように人間を引きずっていた。

 中には引きずられて膝が血だらけになっている者もいた。

 あれが、奴隷…?

 私は驚いてサンドラを振り返った。

 彼女は腕を組んだまま、私の驚く様子を見ていた。


「自分がどれだけ恵まれているか、わかったかい?」

「は…い…」


 私もあんな風に下着姿で馬車の後ろを走らされてたかもしれないんだ。

 なのに、今、こんないい服や靴を身に着けて、ぬくぬくと馬車に揺られてる。

 少しの優越感と罪悪感が私の中には芽生えていた。


「あの連中を見てもまだ自分が可哀想だと思って泣いたりするのかい?」

「…いえ…。すいませんでした…」

「それがわかりゃいい」


 自分のことしか見えてなかった。

 奴隷になったってことだけで悲観して、自分が恵まれてるだなんて考えもしなかった。


「一度奴隷に堕ちたら二度と元には戻れない。体に刻まれた奴隷の番号がある限り、普通の生活には戻れないんだよ」

「…そんな…」

「誰かに騙されて売られたり、借金のかたに売られたり、食うために親が子供を売るなんてことが普通にある世の中なのさ」


 私はまた涙が湧いてくるのを感じた。

 この世界の理不尽さは想像以上だった。


「泣くのは今日までにしな。私はおまえを哀れんだりしない。あの奴隷たちに比べたらおまえなんか王女様扱いだ。あの連中は食事も満足にさせてもらえやしないし、糞まみれの馬小屋の隅っこで寝て、馬の飲み水で体を洗ったりするんだ」

「…酷い…」

「それが普通さ。おまえが特別なだけだよ。旦那様に感謝するんだね」


 サンドラは少しも笑わずに言った。


 馬車は繁華街の一角にある高級そうな洋服屋の前で止まった。

 品の良さそうな女店主がサンドラと私を丁寧に出迎えてくれた。


「ここで買い物するんですか?」

「ああ。旦那様がね、おまえの服を買いそろえるよう命じたんだよ」

「私の…?服を買ってもらえるんですか?」

「高級娼婦になるんだから高級品の洋服を持っていてもおかしくはないさ」

「ああ…なるほど」


 娼婦の着る服って、色っぽいドレスとかなのかな。

 そんなの私に似合うとも思えないけど。

 奴隷の私にこんな高そうな店で洋服を仕立ててもらえるなんて、思わなかった。

 名目はどうあれ、あのチクチクした麻袋みたいな服よりもマシなものなら何でもいい。


 その店は既製品は置いてなくて、布地を選んで仕立ててもらう、オーダーメイド方式で服を販売していた。絶対高いよね…。

 対応してくれる女主人は美人で物腰が柔らかくて人当たりが良い。貴族や豪商などの上流階級の奥さまやご令嬢らがお得意様だというのも頷ける。

 体のサイズを測ってもらって洋服を作るなんて、学校の制服を作った時以来で、なんだかわくわくする。どんな服なのか、生地の色以外はサンドラが注文したのでわからないけど、出来上がるのが楽しみだ。


「もしかして私の服を作るためにわざわざここまで連れて来てくれたんですか?」

「まさか。これはついでだよ。だけど、旦那様にはようくお礼を言うんだよ」

「はい…」

「目的はこれからだ。ついておいで」


 馬車を降りてサンドラに連れられて向かった先は、サーカスのテント小屋のような怪しげな店だった。

 中に入ると、大きな木箱が積まれていて、ますますサーカスっぽい感じがした。

 分厚い革のカーテンで仕切られた小部屋を、暖簾のれんをくぐるようにして進んで行く。

 まるで迷路みたい小部屋の先にまた小部屋があった。

 小部屋をいくつか抜けた先に広い空間があった。

 そこには箱やら檻やらが所狭しと山積みにされていた。

 その中央に黒い服を着た恰幅の良い中年男が立っていた。

 それがここの主人のようで、サンドラはその男に話しかけ、なにやら商談をしだした。

 

「おまえはしばらくここで待っておいで」


 私にそう告げるとサンドラはここの主人と革のカーテンをくぐってその先へと姿を消した。

 その場に取り残された私は、そこらをぶらぶらとして、積み上げられた箱や檻を見上げていた。


 それにしてもなんだか嫌な臭いだ。アンモニア臭というか何というか…。

 薄暗くてよく見えないけど、この箱とか檻に何が入ってるんだろう。


 すると、どこからか呻くような声が聞こえた。

 誰かいるのかと思ってきょろきょろと辺りを見回した。

 サンドラたちが出て行ったところとは別のカーテンの奥からその声は聞こえた。

 そーっとそのカーテンの隙間から中を覗いてみた。


 お香の匂いが鼻をついた。

 カーテンの奥は小部屋になっていて、四隅に光石のスタンドが置かれていた。

 その部屋の真ん中には、目隠しをされた裸の少女がいた。

 少女は革紐で両手を縛られ、天井から吊り下げられていた。


「え…」


 思わず声が出かかって、口を噤んだ。


 大人の男たちが数人がかりで彼女を囲んでいた。

 男たちは代わる代わるその少女を犯していた。

 よく見ると、その少女の前にも複数の男たちがいた。

 彼らは座って、あるいは寝そべりながら、犯されている少女を見てニヤニヤしている。

 聞きたくなくてもその会話が聞こえて来た。


 どうやら彼らはあの少女をこれから競りにかける算段をしているようだった。

 その時、私はサンドラの話を思い出した。


 『普通は奴隷に落とされる時、男どもに嫌って程仕込まれるもんなんだよ』


 まさか…。

 まさか…。


 私はカーテンを閉めて背を向けた。

 少女の喘ぐ声が聞こえ始めた。

 心臓がドクドクいってる。

 あの子も奴隷として売られるんだ。

 そうだ、ここは…。


 その時、積み上げられている檻の箱の中で何かが動いた気がした。

 耳を澄ませると鎖の擦れる音と息遣いが聞こえる。

 獣かと思って、暗い檻の中を目を凝らしてみた。


「ひっ…!」


 人だ。

 よく見ると、積み上げられている檻の箱の中一つ一つに人間が入れられていた。


 やっぱり、ここは奴隷市場なんだ…!


 その時、サンドラが私を呼ぶ声がした。

 私はサンドラの姿を見つけて駆け寄った。


「サンドラさん、向こうで女の子が…!」


 言いかけて、サンドラが十歳くらいの少女を連れていることに気付いた。

 痩せ細ったその子は、ボサボサの髪をして、例の粗末な麻袋みたいな服を着せられていた。


「この子は…?」

「私が買った奴隷さ」


 それで確信に変わった。


「サンドラさん…もしやここって、奴隷商人の店なんですか…?」

「そうだよ。ここは奴隷市場でね。裏でオークションもやってる。今日は娼館に送る奴隷を見繕いに来たんだ」

「それじゃこの檻の中の人も奴隷…?」

「全部売り物さ」


 つまり、ここは人身売買の現場だ。

 さっき見たあの女の子もやっぱり奴隷として売られるんだ。


「もしかして私もこんなふうに売られていたんですか…?」

「たぶんね。おまえは旦那様が連れて帰ってきたから、どこの市場で買ったのかは知らないよ」


 恐ろしくて寒気がした。

 目の前の少女を見ると、その子も震えていた。


「この子も娼婦にするんですか…?」

「いや、違うよ。まあ、客の中には幼い娘が好きな者もいるんだが、うちはそういう客は断ってる。この子は娼館の下働きにするつもりだ。実は娼館の小間使いの娘が結婚して辞めちまうってんで、代わりを探してたんだ」

「こんな小さな子に何をさせるんですか?」

「娼婦たちの世話係をさせるんだ。このくらいの子の方が、うちのプライドの高い娼婦たちには気に入られるだろうからね」


 私の世界なら小学校に通っている年齢だろう。

 世界的に見たら、これくらいの子でも働いていることはあるのだろう。けど、この震え方は少し異常だ。何かに怯えているようだった。固く結んだ唇が、恐ろしさに耐えているように見えた。

 サンドラはその子の肩に手を置いて語りかけた。


「おまえの名は?」

「…エリン…」

「エリンか。だいぶ怯えているね。おまえは今日からうちに来るんだ」


 こんな小さな子まで奴隷になるなんて、信じられなかった。


「この子は王都が攻撃された時、両親を亡くした戦災孤児だ」

「え…!?」


 あの王都攻撃の時、この子、あそこにいたの…?


「街をうろついてたところを奴隷狩りに捕まって売り飛ばされたんだろう。可哀想に、初潮もまだだってのに男たちの玩具にされちまって、小部屋の隅にゴミのように捨てられていたのさ。店主がタダで引き取ってくれていいってさ」

「え…!?こんな子供を…?」

「穴がありゃ子供だろうが男だろうが犯される世界だ。そうやって従順な奴隷になるよう調教されるんだよ」


 さっき見た少女は、まさにその状態だった。

 このエリンという子も、男たちに襲われたのだ。

 どれだけ酷いことをされても、誰も止めないし、罰せられることもない。

 ここじゃそれが当然のように行われている。

 私が思っていた以上に、奴隷って過酷な立場にいるんだ…。


「それにね、ごらん。この子は売り物にならない」


 サンドラはそう言いながらエリンの粗末な服を脱がせ、足元に落とした。

 エリンはまだ膨らんでもいない胸を両腕で隠しながら、目を瞑って恥ずかしさに耐えていた。

 太股の外側に、奴隷番号が入っている。

 けど、驚いたのはそこじゃなかった。


「…!」


 エリンの背中から脇腹、お尻のあたりにかけて、ケロイド状のヤケドの痕があった。


「酷い火傷…」

「これがタダの理由だよ。王都が攻撃された時、両親はこの子を庇って亡くなったそうだよ。この子もこんな火傷を負ったが運よく救護院に保護され、治療を受けたんだ。動けるようになってから親を探して街中を彷徨っていたらしい。親が死んだことは察しているようだけどね」

「そんな…!」


 私は愕然とした。

 この子もあの攻撃の犠牲になったんだ…。

 あの時、私はそれを間近で見ていた。

 こんな犠牲を生んでいたってことに思い至らなかった。


「ごめん…。ごめんね」


 私は謝りながら、エリンの服を拾って着せてやった。

 この子は親を亡くして独りぼっちなんだ。

 両親が命がけで救った子なのに、奴隷に売られるなんて…あんまりだ。


「あ…りがとう…」


 エリンは服を着せてもらった礼を私に言った。

 お礼を言われる立場なんかじゃないのに。

 なんとかこの子の力になってあげられないだろうか…。


 サンドラは私の肩をポン、と叩いた。


「犠牲者はこの子だけじゃない。戦争の後は、戦災孤児が多く出る。それを狙う連中もいて、多くの子供が奴隷に売られるようになるんだ。この子はうちの娼館で一生下働きとして暮らすことになるだろうが、それでもまだ運が良い方さ」


 私の考えを見透かしたように、サンドラは言った。

 私は、この子一人を助けることで、自分の犯した罪から逃れようとしていたことに気付いてしまった。

 最低だ…。


 エリンを屋敷に連れ帰った後、サンドラに頼まれて彼女を風呂に入れてやり、食事をさせてあげると、ようやく安心したようで、少しずつ口をきくようになった。


「私はサラ。あなたと同じ奴隷よ。よろしくね、エリン」

「サラ…さん」

「さ、たくさん食べてね。ここでは遠慮しなくていいんだからね」


 私はエリンのために食堂の料理をトレイいっぱいに盛り付けてあげた。

 エリンはスプーンをグーで握るようにして食べ始めた。

 よほどお腹が空いていたのか、あっという間に平らげてしまった。


「こんなにおなか一杯食べたの、初めて」

「これからは好きなだけ食べていいのよ」


 私がそう言うと、エリンは突然泣き出した。

 私はビックリして、どうしたものかとオロオロしてしまった。

 そしてハッと気付いた。

 私が大泣きした時、ガイアもこんな気持ちだったんだろうか…。


「…お父さんとお母さんにも食べさせてあげたかった…」


 エリンはポツリと呟いた。

 やっぱり親が死んだことはわかってるんだ…。

 元々エリンの一家は貧民スラム街に住んでいたらしく、日々の食べ物にも困っていたようだ。それでも娘を奴隷に売らなかった両親は真っ当な親だったんだろうとサンドラは言った。


 私は唇を噛んだ。

 そんな両親をこの子から奪ってしまったんだと思うと、心が痛かった。

 自分の罪は償えるだけ償いたい。できるだけエリンの力になってあげたいと思った。

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