第8話 奴隷6

「おまえ、朝っぱらから旦那様の前で大泣きしたんだって?」


 部屋でボーッとドレッサーの前で座っていた時、サンドラがやってきて私に声を掛けた。


「…そんなことまで知ってるんですか…」


 サンドラって、ガイアとどういう関係なのかな。

 いつも思うけど情報が筒抜けすぎる。


「ケッサクだ。旦那様もだいぶ困ってたみたいだよ。だが気にすることはない。来たばかりの奴隷は、皆ナーバスになるもんだ」

「そういうものですか…?」

「ああ。そうだ、旦那様からおまえを寝所に呼ぶときは朝まで部屋に戻らなくていいとお達しを受けてる。おまえは早起きが苦手らしいね。旦那様が、朝からいくらしても全然目を覚まさなかったって笑っていたよ」

「…!」


 本当にサンドラには何でも話すんだな、あの人。

 ベッドでのことまで話すなんて、恥ずかしくないのかな…?


「まあいいさ。娼館に行くまではおまえは旦那様の愛玩奴隷だ。他の奴隷とは少々違う扱いになっても仕方がない。だが昼間は働いてもらうからね」

「は、はい」


 サンドラから許可が出たので、ガイアの寝室に呼ばれた翌日は、朝食を共にしてから自室に戻って良いことになった。

 自室に戻ったからってゆっくり眠れるわけじゃない。

 私は奴隷なのだ。

 奴隷には奴隷の仕事がある。

 早朝から日が暮れるまで、きっちり与えられた仕事をこなさなくてはいけない。


 この屋敷には奴隷以外にも、ちゃんとした執事やメイド、料理人たちがいる。

 ガイアやサンドラたちの身の回りの世話は基本彼らがする。

 彼らは住み込みで働いている一般人で、私たち奴隷は彼らの下働きとして存在するのだ。

  

 今日、私に仕事を振ってくれるメイドはメアリという少し年上の女性だ。

 奴隷にも気さくな人で、いろいろ話しかけてくれる。

 彼女は色々な奴隷を見てきたせいで、奴隷には同情的だった。

 奴隷って縄で縛られたり、足枷を嵌められたりとか、もっと厳しく管理されるものだと思っていたので、意外だと思った。

 仕事の内容は割と一般的な家事がメインだった。

 奴隷と一般のメイドとの大きな違いは給料が出ないことと、労働の内容が重いこと、自分の自由になる時間があまりないことだ。

 もっとも、奴隷の身分で自由な時間が取れたとしても、何もすることがないのだけど。

 

 私に与えられる仕事は、廊下や庭の掃除、草刈り、汚物の処理、洗濯物の取り込みなどで、特別大変なことでもなかった。

 ただ、お屋敷がめちゃくちゃ広いので、その分やることは山ほどあった。

 たまに屋敷に客人が来ることもあって、その準備に追われることもしばしばだった。

 

 メアリは話好きのようで、部屋の掃除をしながらお屋敷にまつわるいろいろな話を聞かせてくれた。

 メアリがこのお屋敷のメイドになったのは今から五年くらい前だそうで、その頃は王都からガイアを訪ねて貴族の女性が何人もやって来ていたそうだ。

 だけど、だいたい翌日の早朝には彼女たちは怒って帰ってしまうのだそうな。

 何があったかは彼女たちメイドにはわからないけど、どうやらガイアという男は相当な遊び人らしかった。


 その話を聞いて、私は嫌な気分になった。

 自分以外にも彼がいろんな女性を抱いているのだと知ったからだ。

 別に、彼に初めて抱かれたから特別な感情を持ったというわけじゃない。

 あんな男、私には関係ないし、どこで誰といようが興味なんかない。

 だけど、なんだかそんな汚れた手で抱かれたのかと思うと、モヤモヤする。

 しかも現在進行形で、そんな男の相手をしなくちゃならないわけで…。


「はあ…」


 洗濯物を畳みながら、思わずため息が漏れる。 

 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。


「ごくろうさん。もうお昼だから食堂に行ってきていいわよ。食べ終わったら続きをお願いね」

「はい」

 

 メアリの態度は奴隷を見下してる感じじゃなくて、バイトに接する社員みたいだと思った。もう好感度しかない。


 食堂に行くと、私と同じ麻袋の服を着た奴隷たちでいっぱいだった。

 皿に食べ物を取って、開いている場所を探していると、一人の奴隷が声を掛けて来た。

 

「やあ、あんた新入りだね。こっちへ座んな」

「は、はい。ありがとうございます」

「仕事は慣れたかい?」

「ええ、まあ…」


 その人は私よりずっと年上の女性で、奴隷にしては恰幅が良かった。

 彼女の皿には大量の肉が山盛りになっていた。

 なるほど、この食事でこの人の体型は維持されているわけだ。

 それを見ている限り、これが奴隷の食事だとは思えない。

 同じテーブルで食事を取りながら、彼女は気兼ねなく話をしてくれた。

 

「ここはいいところだよ。あたしゃここで三か所目なんだがね。今までで一番のご主人様さ」

「そうなんですか」

「ああそうさ。前に居た所なんか酷かったよ。主人は優しいいい人だったけど、女房に頭の上がらない人でね。その女房ってのがヒステリー持ちでねえ。気に食わないことがあるたび奴隷をムチで打つのさ。特に若い娘の奴隷は拷問に近いことをされていたよ。あたしなんか腕を折られちまってね。治療費なんか出せないってんで転売されてここへ買われてきたんだけど、ここのご主人様は腕の治療をしてくださってね。本当にいい人だよ」

「そうですか…」


 サンドラの言った通り、ガイアは奴隷に対してはかなり寛容な主のようだ。

 そういう面ではいいのかもしれないけど、女癖が悪いっていうのはいただけない。


「あんた奴隷になったばかりなんだってね?悪い奴に売られちまったのかい?」

「…よく、わからないんです。気が付いたらこうなってて」

「そうかい。きっと眠ってる間に売られちまったんだねえ、気の毒に。けど、早く気持ちを切り替えるんだよ。一度奴隷になったらもう二度と普通の生活には戻れないんだ。だけど、ここにいれば食いっぱぐれることはない。頑張って働いて、ここを追い出されないようにするんだよ」

 

 彼女は私を励ますように言った。

 食堂にいる奴隷たちは、彼女の言う通り環境に不満を持っているようには見えなかった。

 むしろ、十分な食事と睡眠を取らせてくれるここの主人のために自主的に働いているように感じられた。

 だから誰かの足を引っ張るような意地の悪い者もいない。

 ここに居る奴隷たちは皆、運が良いという。

 だけどまだ私は受け入れることが出来なかった。

 そもそも運が良ければ奴隷になんかなっていないはずだ。

 

 それに、いくら奴隷に優しくって顔が良くたって、あんな男の奴隷になるなんて、苦痛でしかない。

 あんな奴、ただのスケベで女好きなだけじゃん。

 いつまでこんな生活続けなくちゃいけないんだろう…。


 しばらくそんな日が続いて、数日ぶりにガイアに呼ばれた。

 ここ数日、ガイアは泊りがけで出掛けていたみたいだった。

 私はしばらく平穏な夜を過ごしていたのだ。

 今日はいつもと違って寝室ではなく、彼の私室に呼ばれた。

 彼はテーブルで書類を見ていた。


「よう、来たな。さっそくだが手伝ってもらおう」

「は、はい」


 彼に差し出されたのは、以前にも見た、武器の計算書だった。


「この書類に間違いがないか見てくれ。この前と同じものだ。わかるな?」

「は、はい」


 私は彼の隣の椅子に座って、計算書に目を通した。

 結構な枚数があったけど、いくつか間違いを見つけて修正し、それを報告した。


「やはり早いな。助かった」

「いえ…」


 隣に座るガイアを見ると、なんだかいつもより顔色が悪い気がした。


「あの、どうかしたんですか?」

「うん?なぜだ?」

「なんだか顔色が良くないです」

「ああ、このところ忙しくてあまり眠れていなくてな」


 彼は気だるそうに、髪をかき上げた。


「早く眠った方がいいんじゃないですか?」

「おまえを抱けば治るさ」

「そういう余計なことしない方がいいと思うけど…」


 彼は私の顎を捉え、自分の方を向かせた。


「俺に抱かれるのが嫌なのか?」


 私は何て言っていいものかと思案していた。


「正直に言っていいんだぞ?」


 彼の目が、私の心を覗こうとする。

 私は嘘をつくことなく、本音で話そうと思った。


「…すごく嫌です。でも私は奴隷だから、仕方なく従っているだけで…できればあんなことしたくないです」

「ほう?そうなのか?抱かれている最中はいい声で啼くくせに」

「なっ…!」

「そんなこと言って、感じてるんだろ?」


 私は彼の手を振り払った。


「最低!」

「フッ、正直な反応だ。それでいい」

「…あなたなんか…!」


 この人、私をどうしたいんだろう?

 私を怒らせて…もしかして抵抗する女にコーフンするタイプとか?

 そんなのただの変態じゃん!


 私はプイッ!と顔を背けた。


「ククッ、そうむくれるな」


 ガイアは席を立って、私を背後から抱きしめた。


「可愛がってやるから、機嫌を直せ」


 その声で耳元で囁かれると、どういうわけかゾクゾクして、嫌な筈なのにその手を振りほどけなかった。

 まるで魔法に掛けられたみたいに、抵抗できなくなってしまう。

 そうして流されるままに彼を受け入れて、彼のペースにハマってしまう。

 なんだかどんどんいけない子になっていってしまう気がする。

 私、どうなっていくんだろう…。


 ふとそんなことが頭をよぎるけれど、彼に抱かれるとそんなことすらも、どうでもよくなってしまうのだ。

 悔しいけれど、彼の言う通りだった。

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