第3話 奴隷

「おい、起きな」


「ん-…もうちょっと寝かせて…」


「ふざけるんじゃないよ、いつまで寝てるんだい」


 あれ…?

 誰の声…?


 肩を揺さぶられて、私はハッと目を開いた。

 目の周りが渇いてパリパリする。


 目の前には見知らぬ女性の顔があって、私を覗き込んでいる。

 

「誰…?」


 その女性は包まっていた私ごとシーツを剥ぎ取った。

 素っ裸で眠っていた私はベッドから転げ落ちた。


「きゃあ!」

「奴隷のくせに、いつまでも寝てるんじゃないよ。とっとと起きな。ほら、汚れたシーツを取り替えるよ」

「え?は、はい…」


 え?

 …今、奴隷って言った?


「あんた、名前は?」

「あ、蒼樹沙羅アオキサラ…です」

「アオキサラ?言いにくい名前だねえ」

「えっと、サラ…でいいです」

「サラ、ね。私はサンドラ。旦那様からあんたの教育係を言いつかったんだよ」

「教育…係?何の?」


 思い出した。

 昨夜起こった事を。

 体を動かすと、だるくてまだ股間に違和感が残っていた。

 あれは、夢じゃなかったんだ…。

 夕べ、このベッドで初めてをあの男に奪われたんだ…!

 だけど、奴隷って何?昨夜あの男も言ってたけど、どういうこと?


「あ、あの、私、違うんです!いつの間にかここにいて…。奴隷なんかじゃないんです!何かの間違いで…」

「ワケありの奴隷は皆そう言うんだ。今まではどうだったか知らないけど、あんたは奴隷商人からうちの旦那様が買ったんだ。ここではあんたの意思など関係ない。言われたことだけをやればいいんだ。それをしっかり自覚しな」

「そ、そんな…、嘘でしょ…?」

「口答えしない!今度そんな口をきいたらムチで打つよ」


 私の言葉を遮って、サンドラは怒鳴った。

 私はその剣幕に驚いて何も言えなくなった。


「うう…、怖い…」


 何がどうなってるの?

 何が起こってるの?

 何で私、この人に怒られてるの?


 サンドラという女性は、金色の長い髪をポニーテールに結い上げた美人で、年の頃は三十歳くらいに見えた。


「この服を着て、ついて来な」

「服って、これ…?」


 サンドラから渡されたのは、服というよりお米とかを入れるような大きな麻袋みたいなものだった。袋のてっぺんと裾がカットされているものを、頭からすっぽりかぶって腰に帯を巻くだけの質素な服だった。袖のない、膝丈までのそれは、古代ローマ人とかが着てそうな素朴なものだ。下着をつけていないので、中がすんごくスース―するし、素肌に布地がこすれてチクチクしてあちこち痒い。

 私が着ていたワンピースはどうやら捨てられてしまったらしい。


 それに比べてサンドラは絹のようななめらかな上等の生地のロングワンピースを着ている。

 大きく開いた胸から、びっくりするほど豊かな胸が半分以上見えている。ものすごい巨乳だ。

 思わず控えめな自分の胸と見比べて、悲しくなる。


「あんた、年はいくつだい」

「18です」

「へえ?もっと下に見えたよ。18で処女って、奥手すぎやしないかい?」

「え…ええっ?なんでそれ…」

「昨夜、旦那様に抱かれたんだろ?」

「旦那様って…昨夜の男の人のこと?…って、何で知ってるんですか…!」

「旦那様のことなら何でも知ってるさ。私はこの屋敷の管理を任されてるんだ」

「そ、そうなんですか…」


 サンドラは不意に私の顔を覗き込んだ。


「顔色が悪いね。何より目に光がない。それにやせっぽちだ。ちゃんと食べてるのかい?」

「そんなにひどい…?」


 あれ…?そういえば私の眼鏡、どうしたんだろ。

 普通に見えてるから、掛けていないことに気付かなかった。

 突然目が良くなったのかな?

 1メートル先もよく見えない程目が悪くて、眼鏡ナシじゃ身動き一つ取れなかったのに。これも異世界マジックなのかな?


「よし、まずは腹ごしらえだ。ついて来な」


 私のいるところはかなり大きなお屋敷のようだった。

 彼女に連れられて歩くお屋敷の中は、まるでお城みたいだった。

 吹き抜けの階段を降りると、一階のロビーには大勢の使用人が整列していて、彼女に向かってお辞儀をしている。

 このサンドラって人、ここでは偉い人なんだな。


 彼女に連れて行かれたのは、食堂だった。

 奥には大きな厨房があって、料理の並ぶカウンターの前には多くのテーブルとベンチが置かれている。どこかで見た光景だと思っていたら、学食に似ているんだ。


「ここは使用人たちの食堂だよ」


 確かに、奥のテーブルでは私と同じような服を着た人たちが食事をとっていた。

 サンドラから、カウンターに置かれている大皿料理から好きなものを好きなだけ取って良いと言われて、私は平べったい皿に長細い米を煮たリゾットみたいなご飯と煮込み野菜のスープを取った。

 彼女からはもっと食べろと言われたけど、朝からそんなに食べられない。

 元々朝が弱くて、いつも朝食なんて食べていなかったんだ。

 料理は温かくて、全部スプーンだけで食べられるほど柔らかく煮込まれてる。

 奥のテーブルの人はワイルドにも手づかみで食べていた。

 温かい食事はそれなりに美味しくて完食した。

 奴隷って言うから飲まず食わずで肉体労働でもさせられるのかと思いきや、ありがたいことにちゃんとご飯も食べさせてくれるみたいだ。

 食堂が開いている時間なら、仕事の合間に来て勝手に食べても良いと言われた。

 ここの奴隷って食に関しては待遇いいんだ。


「あんたは運が良いよ。普通の奴隷は、ちゃんとした食事をとることすらできないんだ。うちの旦那様はね、どんな末端の奴隷でも飢えさせないってのが信条なのさ」

「そうなんですか…」

「まあ、奴隷を脱走させないための方策でもあるんだがね」

「脱走とかあるんですか?」

「まあ、うちはないけど、劣悪な環境で労働させられてる所は多くてね。奴隷の脱走が多いんだよ。脱走した奴隷を捕まえたり、使えなくなった奴隷を処分する<処分屋>なんて商売をしてる連中もいるくらいだ」

「処分って…どういうことですか?」

「そうだね、殺されて魔物のエサにされることが多いかな」

「ええっ?」

「若い奴隷は、まだ価値があるから転売されることが多いんだ。だがその末路は場末の売春宿って相場が決まってる。そこへ来る頃にはたいてい何かの病にかかって、五体満足ですらないもんさね。そうなったら最後、処分されるんだ。酷い有様さね」


 私はゾッとした。

 昨夜、あの男も私を処分するつもりだったって言った。

 きっと私も殺されて魔物のエサにされるところだったんだ。


「あ、あの、私も…また売られるんですか…?」

「昨夜言われなかったかい?あんたはうちの娼婦になるんだよ」

「…うちの娼婦…?」


 そういえば、そんなことを言われた気もする。

 娼婦って体を売る女の人のことだよね…。

 っていうことは、ここはそういう所なんだろうか。

 見たところ、普通のお屋敷みたいに見えるけど…。


 食事が終ると、サンドラに連れられていろいろ説明を受けながら屋敷の中を歩いて行く。

 厳しいけど、何気に世話を焼いてくれる。

 案外悪い人じゃないのかもしれない。


「あの、ここって売春宿なんですか…?」


 私が尋ねると、サンドラは笑って訂正した。


「ここはアレイス王国の大商人ガイア様のお屋敷だよ」


 アレイス王国…?

 どこかで聞いた気が…。


 私はハッと気づいた。

 そうだ。

 あの火の海になった都。

 あれは確か、アレイス王国の王都だって聞いたような…。


 でも、ここには爆撃の跡はない。

 きっと王都からは離れた場所なんだろう。


 ガイアっていうのが主人の名前なんだ。

 きっと昨夜のあの男がそうなんだろう。顔も良く覚えてないけど、あの人、商人だったのか…。


「旦那様はお隣のメルトアンゼル皇国の皇都に高級娼館をお持ちなんだ。いずれあんたもそこへ行くことになると思うよ」

「メルトアンゼル…」


 メルトアンゼル皇国。

 今まで私がいた国だ。

 でもたぶん、それは言わない方がいい。


「うちの旦那様、上手だったろ?」

「は?」

「ま、初めてじゃ比べようがないか」


 サンドラはアハハ、と笑った。

 その意味がやっと分かって、顔が爆発しそうに赤くなった。


 次に連れて行かれたのは、お屋敷の別棟にある大きなお風呂場だった。

 銭湯や旅館でも、こんな大きなお風呂は見たことがなかった。

 ローマ風呂のような立派な浴場で、円形の巨大な浴槽の中央にはライオンの代わりにドラゴン?みたいな像があってその口から湯が浴槽に流れ込んでいた。

 ここ、温泉でも湧いてるんだろうか…。


「すっご…!大きなお風呂…」

「すごいだろ?このあたりは温泉が湧いててね。そこからお湯を引いているんだよ」

「私も入って良いんですか?」

「こっちはご主人様用だ。使用人は向こうを使うんだよ」


 石の床を歩いて大浴場を通り過ぎると扉があり、その先にはもっと簡素で小さ目の浴場があった。使用人はここを使うようだ。

 浴槽に浸かることは禁じられていて、お湯を使って体を洗って流すだけの入浴が許されている。

 服を脱いで体を洗うよう言われて固形石鹸を渡された。

 シャワーなんてものは当然なくて、手桶で浴槽からお湯を汲んで流さないといけなかった。

 風呂用の椅子に座って体を洗っていると、自分の内太股に血がこびりついているのを見つけてショックを受けた。

 やっぱり昨夜のあれは現実だったのだ。

 そして、もうひとつの異変に気付いた。


「あ…れ?何これ」

「ん?どうしたんだい?」

「あ…、な、何でもないです」


 私がそう言うと、サンドラは私の前にしゃがみ込んだ。

 

「脚を開きな」

「ええっ?」

「いいから言う通りにしな」

 

 サンドラの言う通り、私は椅子に腰かけたまま、少しだけ両脚を開いた。

 すると、サンドラに強制的にガバッと大きく脚を開かされた。


「は、恥ずかしいんですけど…」

「何言ってんだい。さんざん旦那様の前で股座またぐら開いたくせに」


 そ、そんな恥ずかしい事、堂々と言わないで欲しい。


「ああ、やっぱりあった。ごらん、これがあんたの奴隷の証だ」

「え…?」


 サンドラに言われて、自分の開いた内腿の付け根を見ると、そこに数字の刻印があった。

 いつの間にこんなものを書かれたんだろう…?

 しかもこんな、脚を開かなきゃ見えないめちゃめちゃエッチな場所に。

 刺青みたいに見えるけど、痛くはない。

 皮膚に直接5桁の数字がインクのようなもので書かれているように見えるけど、洗っても落ちない。眠ってる間にあの男がこれを刻んだのだろうか…?


 この番号が奴隷としての印。

 これがある限り、私は奴隷なんだ…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る