12 檻の中-2

〈そんな?!〉

〈山が荒れ果てるだと?!〉


 緊張した面もちでいた妖精達が叫び出す。


〈真の者よ! 早く山へ!〉

〈戻りましょう! 帰りましょう!〉

〈山が荒れるという事は主が、主が亡くなられるという事!〉

〈そんな! 恐ろしい!!〉


 嫌だ、消えてしまう、死んでしまう。妖精の声が木霊する。


(……知らなかったのか)


 舞い惑う彼らを眺め、ギニスタは少し呆れた。自分の事だからこそ、その辺りは鈍かったのだろうか。


「……」


 そしてシャルプは、口をひしゃげさせ黙ったまま。視線は下に落ち、その手もギニスタの肩から滑り落ちる。


「……分かったか? 自分が何をしているか」


 ギニスタは穏やかに、諭すように言う。


「…………………………でも、……なら!」


 がばりと顔を上げ、堰を切ったようにシャルプの口が動く。


「師匠はどうするんですか! このままなんですか?! ボクは?! 独り?! どっちも独り?!」

「……君は、何になりたかった? 何のためにアタシを『師』と呼んだ?」

「あなたが! ……あなた、が……」


 眉が下がり、顔が下を向きかける。


「が?」

「……っ……魔法使い、だか……ら……」


 その顔を手で覆い、左右に振る。檸檬の髪が合わせて揺れた。


「……ねぇ、……ししょう……っ!」

「その魔法使いは、こういう行いをするか?」

「ぅっ……ぅあ、……しない、です……ふ、うっ……」

(この子は、聡い)


 本当は、本当に聡いのだ。自分ギニスタの事となると周りが見えなくなるだけで。

 今も、もう自分が何をしたかをとても正確に、客観的に理解した。


「ごめんなさい……」


 自分と周り。その命の重み。


「ごめんなさい…………」


 シャルプはただ謝るばかり。許してとは言ってこない。

 言えない。言う権利など持ち得ないと、そう思ってしまっている。

 そして、そこから動けない。


〈ま、真の者……!〉

〈あぁ前の者よ! どうか!〉


 妖精達が集まってくる。その身体は、僅かに薄くなったように見受けられた。


「……アタシも」


 ギニスタの声に、シャルプの肩が跳ねる。


「驕りがあったよ」


 そこに、小さな手が置かれた。


「もっとしっかり考えてれば、ここまではならなかったな。済まなかった」

(この子は、まだ未熟なんだ)


 十五年経て、大人になったといっても。

 精神は未成熟で、何かあればこれほどに危うくなる。

 それを招く切欠きっかけが自分だと、ここまでしないとギニスタ自身も、本当の意味で理解が出来なかった。


(アタシも、未熟だ)

「……」


 ぎこちなく上向いた顔は、ぽろぽろと宝石のような雫を落としている。

 それにギニスタは微笑みかけた。


「こんなアタシでも、師匠にしたいか?」

「………………いいん、ですか」

「君さえ良ければ、な」

「もちろん」

「君に教えを請う事もあるだろう。逆に厳しくする時もあるだろう。それでも良いか?」

「もちろん!」

(即答するのは、どうなのか)


 しかし、答えではある。


「分かった。じゃあ、改めて。アタシは君の師となろう」


 この【魔法使い】が、自分を求めなくなるまで。そうなるように。

 絡まる想いも、解きほぐしながら。


「…………ホントに?」


 シャルプは涙を拭い、目を瞬いた。


「ああ」

「師匠?」


 ギニスタを指差す。


「ああ。けど、指すな」

「あ、はい。……師匠、ギニスタ師匠……」

「なんだ? うぐっ?」

「しじょう……っ!!」


 また抱きついてきたシャルプに締められ、ギニスタは思わず呻き声を上げた。


「じじょうぅう゛!!!」

「わ、分かった。分かったから、少し──」

〈〈〈ギャアアアア?!〉〉〉

「?!」


 突如響いたその叫びの元は、妖精達。


「なっ?!」


 妖精達が、皆一斉に空間に溶けていく。

 それは自らの意思でなく、管理から外れ力が途切れて、消失する現象と似た光景。


(何故突然──そうか!)

「シャルプ! 彼らへの力を通しているか?!」

「うぅぅ……うぇ……?」


 力が抜けたようにしなだれかかるシャルプに、ギニスタは推測が当たった気がした。


(いや今はそれより現状を!)


 どうにかしなければと、咄嗟に魔力を通した。


〈消えてしまう!〉

〈嫌だ! こんな所で! ……?!〉


 ギニスタからシャルプへ、シャルプから妖精達へと。


〈死にたく、な……?〉

〈戻っ……て……?〉


 消えかけていた身体が、また色と形を取り戻していく。唖然と自分達の身体を見つめる妖精達は、はっとしたようにギニスタを見た。


「……ししょう……?」


 シャルプもやっと状況を理解し、だからこそ目を丸くした。


「ほら、もう気を抜くな」

「……あ、はい……え?」


 頷いてから首を傾げ、ギニスタを見つめる。


「師匠、今、魔力……?」

「……ああ、ちゃんと使えるな。一度空になりかけたが、それなりに戻っていて良かった」


 そのままだったら、彼らを助けきれなかったかも知れない。ギニスタの言葉に、妖精達は震え上がる。


〈前管理者よ! 助かった!〉

〈もうこんな思いはしたくない!〉

〈早く帰ろう!〉

〈ああ帰ろう! 山へ、主の所へ!〉


 帰る、という言葉を聞いて、シャルプは口を引き結ぶ。


「そうだな、帰ろうか」

「……、え?」


 その口がぱかりと開いた。


「なんだ?」

「え、だ、だって……」


 シャルプは口ごもり、視線を彷徨わせ、ほんの僅かに妖精達を見やる。


〈お、お帰り頂けるの、ですか……?〉

〈真の……〉


 妖精達は、シャルプとギニスタを交互に見、不安そうに言葉を紡ぐ。


「……シャルプ。君の気にするものは、彼らとアタシの事だ。アタシ達で解決する」


 だろう? と声をかけられ、妖精達は詰まる。

 今、ギニスタに助けられた事。これまでの言葉の数々。

 真の者によって深く思考を巡らせられるようになった妖精は、複雑になってゆく自分達の心情を持て余してしまう。


「まあ、徐々にやっていけるさ」


 ギニスタはそれに笑いかけ、またシャルプへと向き直る。


「だから、大丈夫だ」

「……んむぅ……分かりました」


 若干眉を寄せながらも、その首を縦に振る。

 そしてギニスタへ、手を差し出した。


「……じゃあ、帰りましょう? 一緒に」

「あぁ……」


 そこへ自分の手を伸ばしかけ、ギニスタの動きが止まる。


「? 師匠?」

「……ちょっと、待っててくれ」


 辺りを見回していたギニスタは徐に、横に座り込んでいた子供の鎖を外しだした。


〈ぜ、前管理者よ。何をしているのだ?〉

〈早く緑の中へ、山へと帰路に……〉

「それはそうなんだが、すまん。少しでいい」


 言いながら、次々に周りの人間達の鎖や枷を外していく。


(我ながら、なんともな動機だな)


 少しばかりここにいた。それだけの空間。

 けれどそこに居た人々に、少なからず同情していた。

 逃げる気力どころか、生きる気力さえ無くした彼ら。痛ましさだけがこんこんと、胸に迫った。


(己の欲だけで手を出すのは、あまり宜しくないんだが)


 今までこういった事は、山のために行ってきた。けれどこの者達を前にして、彼ら自身が動かずとも、何か出来ないかと思ってしまう。


「……全部のを外せばいいんですか?」

「ああ、なんなら先に行ってて……ん?」


 シャルプが立ち上がり、腕を振る。

 砂が落ちるような音が響き、目の前の女の手から枷が崩れ落ちるのをギニスタは目の当たりにした。


「……!」


 崩れる音は通路の奥まで反響する。

 恐らくここにいる全ての奴隷達の、枷や鎖を退けたのだろう。


「……シャルプ……」

「はい。檻も全部どかしました。これで良いんですよね?」

「まあ、……うん。ありがとう」


 頭をかきつつ辺りを見回すギニスタ。

 困ったような苦笑を零すその顔が、また曇る。


(無反応、か。まあ、今更か)


 あれだけ騒いでも何もなかったのだから、鎖が消えたところで飛び起きたりなどしないのだろう。


「……師匠?」


 今度はどうしたのか、と言いたげな表情をするシャルプへ、呟くように言葉を向ける。


「いや……見張りもいないのだから、逃げ時なんだがな。教会なりなんなり行けば、僅かでも施しが受けられるだろうに」


 そこに辿り着く、以前に、そんな思考すらもう出来ないのか。

 ここにいる、彼らは。


「教会に行けば良いんですか?」

「まあ、多分な。保護まではいかないかもしれないが……」

「じゃあ」


 シャルプが、また腕を振る。


「……は?!」

〈ヒィッ?!〉

〈人間が!〉

〈消えた! いっぺんに!〉


 妖精の言葉通り、もののように動かなかった人々は消え去り、檻の中はがらんとした空間になっていた。


「え? あの、教会に送るんですよね……?」


 呆けた顔のギニスタに、慌てて言ってくるシャルプ。


「その、遠めの教会にバラけさせて送ったんですけど、……ダメでした……?」

「や、な、……や、うん。ありがとう……?」


 手をわたわたと振るシャルプへ、ギニスタは少しうなだれた声を返す。


(そう、この子は強大な力を持つ……このくらい一瞬で出来てしまう……)


 だからこそ、その扱いを間違えると恐ろしい。


「……今度から、何かやる前は一言言おう。お互いに」

「分かりました。気をつけます」


 しっかりと頷いたシャルプに、逆にどこまで「分かった」なのか不安になり、ギニスタは何とも言えない気持ちになった。



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