10 縛り

「ただ、い……ま……?」


 扉を開けた途端強くなったその違和感に、シャルプはいよいよ眉をひそめた。


「師匠……?」


 道すがら、山の者達の様子がどうにもおかしかった。けれどシャルプは、帰る事を優先する。

 早くギニスタの顔が見たかった、のに。


「ね、え」


 居ない。


「……なんで?」


 ハンモックに寝ているのは【ダミー】だと即座に気付く。上着もない。

 置いて行かれた。そう思った。


「ねぇ、ししょう」


 呆然と立ち尽くす。その視線は、ダミーと上着掛けとを往復する。


(なんで、出て……いつ? 何故気付けなかった?)


 口が戦慄く。指先が冷えていく。

 反対にふつふつと、腹の奥から何かが煮える。


(誰も、気付かなかった……? 違う)


 山の者達の、あの妙にそわそわした雰囲気。

 何かあったとは思っていたが、それはこれだ。

 そして彼らは、あえてシャルプに伝えなかった。そうしてギニスタが居なくなれば、シャルプの気は彼らに向かうだろうと。


(そう、思ったのかな。……馬鹿だなぁ)


 そんな事、有り得ないのに。

 そもそもとして管理者が山に気を配っていたのは、そういう仕組みだったからだ。管理というより、それは『縛り』。しかも【仮の管理者】は、力が弱いからこそ縛られやすい。

 しかしシャルプは、この山を終の住処とすると決めた、初めの【真の者】と同じ力を持つ。


「だからボクは、縛られないよ」


 呟き、家を後にする。


〈真の者!〉


 するとたちまち、妖精達に囲まれた。

 皆一様にシャルプへキラキラと、期待の眼差しを向けている。そしてシャルプからの言葉を待っているのだろう、それ以上は口を開かない。


「……皆」


 シャルプは明るい声と、麗しい笑顔で、


「ボクここを出て行くね」


 すると、妖精達は一瞬呆けた顔になり、数秒してから悲鳴を上げた。


〈何故! 何故!! その様な事を言う?!〉

〈真の者よ!〉

〈それが意味する事を理解しておられるのか?!〉


 キャアキャアギャアギャアと、その声はシャルプには雑音と同等に聞こえ出す。


「分かってるよ?」


 言いながら、ふわりと宙に浮く。


(このまま、山を下りて師匠を探そう)


 そう遠くまでは行っていない筈だ。


〈ならば、ならば!〉

〈我らが消えて良いという事か?!〉

〈山に人間が入っても良いという事か?!〉

〈主をお守りするのは誰になるのです?!〉


 慌てふためき、それでもきゃらきゃらと惑うその様子は、さすが【妖精】だ。

 シャルプは、遠くそんな事すら考える。


「主の様子は見に来るよ。時々ね」

〈そんな!〉

〈何故、なにゆえ!〉


 流れるように山を下りていくシャルプに、なんとか追いすがる妖精達。それにちらりと横目をやって、シャルプの口が開く。


「……師匠を、どこにやった?」

〈我らのした事ではありません!〉

〈あの者が勝手に決めた事!〉

〈我らは見ていただけ! 手など貸、し……て……〉


 真の者の口は弧を描き、その瞳は恐ろしいほどに澄む。


「見てたんだね。止めなかった」

〈……!〉

「ねえ?」


 何も言えず、けれど妖精達は半ば本能的にシャルプにすがりつく。

 そうするうち、管理の縁にまで着いて来てしまった。


「……そろそろ離さないと、よ?」


 妖精は管理の内側でのみ、管理者の力が届く範囲でのみその形を保てる。そこから出ればこの前のように、存在は消滅してしまうだろう。


〈……ッ、お考え直しを!〉

〈真の者よ! どうか……我らを……!〉


 腕に肩に、頭にまでしがみついてくる妖精達。その頬には涙が伝う。


「……じゃあね」


 しかし、シャルプは歩みを進め、


〈ああ!!〉

〈そんな……〉


 妖精の腕が離れる。

 【真の者】が、【管理者】で無くなった。山の霧が、少しずつ晴れてゆく。


「……」


 シャルプは視線を後ろに投げ、もう戻らないだろうその山へと目を向けた。

 鬱蒼と茂る木々、その暗がりに取り残されたように漂う妖精達。


(……?)


 その景色が、何かと重なった。

 前に見た事がある、いや、見た事はないけれど。


(置いて、いかれる……)


 とても、覚えがある。

 十五年前、ギニスタに。自分も置いて行かれてしまった。

 ひらひらと手を振り、遠くなるその姿。

 怖かった、寂しかった。取り残されてしまうと、棄てられてしまうと。

 なによりも、あのひとが目の前から居なくなるという事が。


「……」


 今、彼らも同じように思っている?


「………………ふぅ」

(早く師匠を探さないといけないのに)


 そう考えながらも、仕方ないというように体の向きを変えた。


「ねぇ」

〈…………ぁ〉

「そんなにボクに戻って欲しい?」

〈……ぇ、は、はい!〉

〈それはその通りで御座います!〉

〈真の者が管理すればこそ──〉

「それなら、こういうのはどう?」


 シャルプは頭を僅かに傾かせ、胸の前で腕を組む。


「師匠を探すのを手伝うの。それで何かしら貢献したら、戻るか考えても良いよ?」


 突然の提案に、妖精達は目を瞬かせた。


〈……え、え?〉

〈は……で、ですか!〉

〈それでは我らは外に行かねば!〉

〈さすれば消えてしまう!〉

〈そのような!!〉


 悲痛な声を上げ、抗議する妖精達。


「そのくらいは補助するよ。駄目でもきっちりここに帰してあげる」


 殺す気はないよ、と肩を竦めるシャルプに、妖精達は互いの顔を見交わした。

 もうすでに、【魔法使い】という管理者を失ったこの山。今のこの状態が常になれば、そのうちにそこらにある山と変わらなくなるだろう。

 即ち、主の力潰えた後は、妖精じぶん達も消えるという事。


〈……っ〉


 妖精達は、これからを思い泣きそうになりながら、


〈……承知、した〉

〈真の者よ〉

〈約束を交わそう〉


 こくりと、頷いた。



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