8 シャルプの過去-2

 領主は考えを巡らせる。


『兎に角今は、あの悪魔を』


 どうにかしなければ、生きた心地がしない。

 棄てる? 今更? しかし、棄てたところで生き延びるように思えてならない。

 アレが生き延びれば、どうなるか。

 化け物がより化け物らしくなり、いつか自分に復讐する。災厄を齎す。

 怯えきった領主はそこまで思考を巡らせて、一つ、思いつく。


『そうだ。いっその事、あの“贄”に』


 領地が使い物にならなくなってきたからと仕入れた、あの“呪具”の贄に。

 山から溢れる生命力を引き抜いて痩せた畑にばらまく為の、その呪わしい道具の動力源は『生き血』だった。何の生き血でも良いとは言われたが、人間のものが一番効いた。

 それは実践もして、確かめた。


『そう、それだ!』


 絞り尽くした領地に、手っ取り早く恵みを齎す。その上忌まわしいモノも居なくなる。

 呪具は使うものを呪うとされたが、元々幾つか呪具には手を出し、今も生きていた。そんな慢心と、呪具よりもあの化け物への恐怖が勝ったのだ。


『領地と領民のためなのだよ』


 人身御供だと、シャルプには伝えられた。


『承知致しました』


 シャルプはそれを受け入れた。

 死ぬ事も、人身御供ではない事も、けれど領地の恵みにはなる事も、推測できる全てを受け入れた。

 それはものの見事に、周りの人間の恐怖を助長させた。

 シャルプはただ、頼られた事が嬉しくて精一杯の事をしようとしただけなのに。

 この中に、と言われる前に、自ら呪具に入る。絶句する周りなど、気にも留めない。


『……っ』


 使用人が、震える手で扉を閉じる。一拍して呪具が動き出した。

 そこは暗くて、痛くて、やっぱり怖くて。

 死ぬ事はやはり恐ろしいのだと、己の血を浴びながらシャルプは気付く。しかし、叫んだりはしなかった。しても意味などないと理解していた。

 それよりも。意識を失う直前に頭に浮かんだ事。


(……魔法使いに、)


 今まで生きてきた中で唯一、煌めいていた記憶。

 それは、自身が思うより強く──


 ◇◇◇◇◇


 呪具が稼働し、幾ばくかもせずにそれは起きた。


『なっ……?!』


 呪具が中から光り出す。光は強く、まるでこちらを威嚇するように揺らめいた。


『一体、何が……』


 皆恐ろしくて、その場から動けなかった。

 そうでなくとも呪具であるから、近付きたいと思う者などいなかった。

 呪具が停止し、光が収まり、使用人は恐る恐る扉を開ける。

 そこにあるはずのモノを、回収しなければならないと。


『……ひぃ!』


 けれど子供の遺骸など、その狭い空間のどこにも無く。

 妾の産んだ忌み子は、忽然と姿を消した。自身の真っ赤な血糊を残して。


 ◇◇◇◇◇


 この一件は領主の頭を痛めさせた。

 呪具は作動したが、死んだのかどうかも定かでない。それがまた不気味だった。

 使用人達は怯えきった様子で『やはり色混じりは化け物だ』『災いが起こる』などと言葉を交わし、領主の苛立ちを助長させてくる。

 精神が疲弊した領主は、騒ぎ立てる者達を“贄”とする事で、生活に静寂と平穏を取り戻していった。


 そしてそれら全て、今のシャルプにはどうでも良い事だった。


 ◇◇◇◇◇


「ボクは今はぁ……あなたと居たいんですぅ……」


 手で覆ったまま、その顔を伏せて言う。


「師匠は……魔法使いじゃなくても魔法使いなんです……」

(またそれは、どういう事なんだ……)


 唸りかけた声を押し留め、ギニスタは腕を組み直す。


「ボクを助けてくれた……一緒に居てくれた……温かくて……どこまでも優しぃ……あなたは……」


 いつもの様に意味を掴み損ね、赤と銀の頭が傾ぐ。


「あなた……あなたと居たいんだ………………ねぇ、」


 徐に上げられた顔の、その視線が真っ直ぐに刺さる。


(……!)


 無意識に、息を詰めた。


「師匠……分かりました……?」

「…………え? ……、っとな」


 我に返ったギニスタの、形の良い眉がくにゃりと曲がり、


「……ちょっと待っ「ボクの師匠はあなたしか居ないしなんなら師匠の弟子は僕だけなんですそういう事なんですぅ!」……待ったってば……」


 テーブルに手を突き前のめりに言ってくるシャルプに、その身体は若干引き気味になる。


(なんだかなぁ)


 溜め息を堪え、その顔を見つめ返す。

 困惑混じりの水色と、とても真剣な青と金。


(やっぱり分からん。が)


 ギニスタは一つ息を吐き、真正面の顔と向き合った。


「……君が、アタシに構い過ぎだというのは、分かる」

「っだぁ! もう!」

「?!」

「それは分かってないって事だと思います!」

「あぁうん、まぁ」

「もぉおぅううあぁあああ!」


 頬をかくギニスタを見て、シャルプは盛大に嘆いた。


 ◇◇◇◇◇


「じゃあ行ってきます」


 今日は主を診に行く日だ。

 その老木の元へ向かうシャルプを、ギニスタはあまり違和感を持たずに見送れるようになった。


「おぉ……あ、いってらっしゃい?」


 その言葉にシャルプは大輪の笑みはなを咲かせ、滑るように霧の奥へと向かっていく。

 姿が完全に見えなくなり、気配も追えなくなってから、ギニスタは家へと戻った。


「……」


 そして一人、改めて思う。


(やはり、力が戻ってきている)


 目覚めたばかりの頃は、この幼い身体に魔力など殆どなかった。残っている分は、【管理者】であった頃の残滓だと考えていた。

 しかし、その力は減るどころか増えていく。

 今や十五年前の、自分が【魔法使い】であった頃の半分は確実にある。


(しかも、問題なく使えると来た)


 数日前、妖精が消えかけたその日。ギニスタはシャルプに言ったように、その後を追いかけていた。

 けれど、一瞬で目的地に着けるシャルプと、地道に短い足を動かさなければならない幼子じぶん

 いつになったら追いつけるやらと、懸命に藪をかき分けていたその時。

 向かう先から、途轍もない圧を感じた。

 空気が揺れる、動物達が怯えて惑う。

 何かがあったと、早く向かわなければと、その思いだけで歩みを──


『……っ?!』


 進めようとして、飛んだ。

 飛べた。以前のように、鳥や妖精達のように。


『な……ッ』


 景色が後ろに流れ、それに驚きながらもギニスタはそのまま飛んでいく。

 シャルプ達の元へ向かう事を優先した。

 そして無事、あの場に到着したのだった。


(力が無くならない筈だ。使うより増える方が多いんだからな)


 先ほどもシャルプの気配を辿れたし、それによって減った分も、少しずつ回復してきている。


「ふむ」


 その感覚を確かめた後、


「やるか」


 ギニスタは静かに気合いを入れた。



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