6 妖精

 ギニスタが目覚めてから、十日あまりというある日。


「……なあ、シャルプ」

「はい師匠」

「……」


 絶対に自分を師匠と呼ぶシャルプに、


「それ、どうにかならないか?」

「それ?」

「アタシが師匠である必要はないと思うんだ。やっぱり」


 ギニスタはなんとか説得を試みていた。


「そんな事ないです!」

「でもな。アタシは君に、何も教えられていない」


 テーブルに着いていたギニスタは腕を組み、対面のシャルプも同じ様にする。


「そんな事ないんですってば! ……この前の“使役獣”だって」


 もごもごと、少し喋りにくそうにその口が動く。


「ボクは、……師匠が言わなきゃそのままにしてただろうし……翼折っちゃったし……」

「ぁー……それは」


 そうだが、そもそも自分が居なければ始めの問題も起こらなかったのではと、ギニスタにはそんな思いもある。


「だが、その後はしっかりしていたじゃないか」


 言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「アタシは戻れと言っただけだが、あの大鷲にこの山を餌場とするなと教え、しっかり治癒を施してから空へ帰した。周りも宥めて山の流れを淀ませなかった」


 他の仕事も、初手以外はどれも見事なものだった。


「だから、アタシがお前に教えられる事など──」


 ギニスタはそこで話を止め、窓を見やった。

 シャルプはそれを静かに見つめる。


「シャルプ」

「はい師匠」

「だからそれは……いやいい。今、何かあったな?」


 窓を見つめたまま確信したように言うギニスタに、シャルプはほんの少し肩を竦めた。


「はい。あいつらがはっちゃけたみたいです」


 あいつらとは、山の者達ようせいの事。

 なんという呼び方だと思いつつ、ギニスタはシャルプに向き直る。


「彼らに何かあった……なら、早く」

「…………はぁい…………」


 肩を落とし、それはそれは緩慢な動作で椅子から立ち上がるシャルプ。


(なんでそんなにやる気が出ない……)


 管理者であれば、常時意識の何割かは山へ向いてる筈なのに。

 これも真の者故だろうかと、ギニスタは内心首を捻りながら急かす。


「ほら頑張れ。何かあってからじゃ遅い」

「……あんなやつら、」

「シャルプ!」


 続きは言わせまいと声を上げる。

 いつもより険しい眼差しに、流石にシャルプも口を閉じた。


「早く」

「……はい……」


 やっとドアノブに手をかけたシャルプは、そこでギニスタに向き直り。


「……行ってきます」

「あぁ」

「……行ってきます!」

「?! あ、行ってらっしゃい……」


 それにはにかんで、出て行った。


「…………大丈夫なのか……?」


 ◇◇◇◇◇


〈ああ! 真の者!〉


 隣の山との境にシャルプが到着すると、涙目の妖精達が集まってきた。


〈助けて!〉

〈助けてくれ!〉

〈消えてしまう!〉

「はい大丈夫だから」


 そう言いつつ視線を妖精達から外し、境の外・・・へ向ける。


 そこには、


〈あ、ぅ……! アァッ!〉


 下草に埋もれそうになりながら苦しげに喘ぐ、一体の妖精。


(なんで出ちゃうかなぁ)


 今までも同じ事があったのにと、呆れ混じりに頭を振る。

 妖精は、主の山と共に在る。主の生命の流れ、その管理の外側では存在を保てない。


「ほら、戻るよ」


 なのに、勢いあまって管理外に出てしまう事がある。そういったものは大抵、妖精として形を取ったばかりのものだ。


(また生まれたてのヤツかぁ)


 自分と周りの認識が朧な事で起こる事故。今回も例に漏れずそれだった。

 シャルプは境を躊躇い無く越え、身体が半分以上消えている妖精を抱えた。


〈あ……ま、ことっ……の……!〉


 そしてすぐさまその身体を戻し、山に戻る。

 存在が安定した妖精は、ほぅ、と息を吐く仕草をし、


〈あぁ、ああ! 真の者よ!〉

〈ありがとう!〉

〈ありがとう!!〉


 その周りを同じ存在である妖精達かれらが取り囲む。


「うんどういたしまして。もう大丈夫──」

〈流石は真の者!〉


 シャルプの言葉を遮って、抑えきれないといった声が響く。


〈やはり真の者が居ればこそ!〉

〈この場所は安泰なのだ!〉

〈今までの者達とは比べものにならない!〉

「……」


 その言葉に少し冷ややかな目をするシャルプだが、彼らは気にせず口を動かす。


〈これまで、何もせずとも消える事すらあったのに!〉

〈真の者のおかげでそのような事は無くなった!〉

〈今までの管理者はどれも、……〉


 そこまで迷い無く紡がれていた言葉が、止まる。


「どれも?」


 シャルプが、底冷えのする笑みを浮かべていた。


「どれも? なに?」

〈……い、や……まことの……〉


 彼らは竦み上がり、惑うように互いを見る。

 誰が言ったかは問題にならない。彼らは互いに同一なのだ。


「……ねえ。ボクが来るまで、ここを管理まわしていたのは誰?」


 シャルプからが零れ出る。


「そのひとを侮辱するなと、ボクは何度も言ったよね?」


 その力は少しずつ強く大きくなり、辺りを揺らめかせ。


「なのに、ねえ?」


 山の流れと引き合い、混ざり合い、透明な不協和音を響かせる。


「君達はいつまで、そんな風に言うのかな?」


 辺り一帯にかかる重圧は、妖精達に容赦なく降りかかった。

 動けなくなった彼らから、焦りと悲壮感が漂う。


「ねえ?」

「何がどうしたんだ?!」

「っえ」


 そこに響いた声にシャルプは目を瞬き、妖精達はびくりと震えた。


「凄い圧を感じたが、何かが侵入したか?!」

「師匠?!」

(なんでここ、いつの間に?!)


 さっきまで、気配はとても遠かったのに。

 ギニスタは辺りを見回して、


「……何があったんだ?」


 驚くシャルプと妖精達に、固い声で問いかけた。


「あ、えぇと。彼らのひとりが外に出てしまって……」


 シャルプは言いながら、妖精達へと目を向ける。彼らは一塊になって自分達から距離を取り、また顔を見合わせていた。


「……ああ、なるほど。生まれたばかりの」

「そうです」


 シャルプの言葉に、ギニスタが納得したように頷く。

 ギニスタも何度もそれを助けたと、シャルプは植え付けられた【情報】から得ている。


(……そう、何度も危ういところを救われているのに)


 妖精達かれらは師匠を傷つけようとする。そう思い返し、僅かながら怒りが戻ってきたシャルプは、


「で、無事助けられたんだろ? お疲れ様」


 その言葉と、柔らかな声と、足に添えられた小さな手に、


「……ぃぇ……」


 たちまちその牙を引っ込めさせられてしまう。


「……だが、それなら彼らのあの怯えようは……?」

「あー……」


 眉を寄せたギニスタに、なんと言おうか迷う。素直に言えば、またこのひとを傷つけかねないと。

 しかしその反応で、ギニスタは察しがついたようだった。


「あぁ、うん……まあ、何事もなかったようでなによりだ」


 そう言って苦笑する。


「んぐぅ」


 シャルプの口から、言葉にならない呻きが漏れる。そしてそのまましゃがみ込む。


「はっ? どうした?!」

「……いえ」


 どうしてそう、自分の事を二の次のように扱うのか。


「……師匠は、もっと……あれ?」


 はた、と顔を上げると、少し狼狽えた水色の瞳と目があった。


「なっ、なんだ、どこか怪我でもしてたのか」

「いえ、どうしてここにって」


 思って、と続けると、ギニスタの動きが一瞬止まり、


「あっ、や、……少々心配になってな」


 そう言いながら、赤と銀の混じるその毛先を指に巻き付ける。


「なんとも気怠そうだったから……ついて行ったんだよ……悪い」


 ばつが悪そうな表情をされ、シャルプもそれ以上聞くのは止めにした。


「……そうでしたか。……じゃ、終わったし、帰りましょう!」

「えっ、わぁっ!」


 立ち上がると同時に抱き上げられたギニスタは、驚きに目を瞬かせた。

 そして後方の妖精達と視線がぶつかる。


「……」


 彼らは何も言ってこない。しかし、その顔は険悪そのもので、ギニスタを敵のように睨みつけてくる。


「……なぁ、彼らは良いのか」

「え? はい。もう終わりましたし」


 横の顔に囁き声でそう聞けば、あっけらかんとした返答が返される。


「そうか……」


 この場に自分がいても、問題は解決しない。

 ギニスタもそう考え、シャルプの言葉に従う事にした。


(しかし、このままでは……)


 歩き出したシャルプに、咄嗟に手を伸ばす妖精達。しかし結局、彼らがこちらに来る事はなかった。


(マズいな、相当に)


 やはり妖精達かれら管理者シャルプの絆が、解けかけているのではないか。それもシャルプ側から、しかも自分のせいで。


(主との絆と同じく、彼らとの絆も大切なもの。なんとかしなければ……)


 シャルプに抱えられ揺れながら、ギニスタはそんな事を思った。

 


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