5 使役獣

「……?」


 朝食を食べていたギニスタの眉が、ほんの少し持ち上がった。


(……なんだ?)


 その違和感は、上空から山を巡るような動きをする。


「……なぁ、シャルプ」

「はい?」


 けれど目の前の管理者は、自分が作ったコーンスープを飲みながら器用に首を傾げるだけ。


(アタシの思い違いか?)


 しかし、その違和感は大きくなるばかり。


「何か、感じないか?」

「何かですか?」

「そう、何か……これは、使役獣……?」


 思い至った途端、ギニスタは椅子から飛び降り、


「シャルプ! 【仮面マスク】、祭りに使うような仮面って知らないか?!」


 言いながら、自分がそれを仕舞っていた引き出しを引っこ抜く。


「……」


 シャルプは、少しばかりそれを眺めてから動き出した。


「えぇっと、これですか?」


 そう言って、ギニスタが探していた引き出しからは随分離れた、その上高い戸棚を開ける。

 そこから出して来たのは、ギニスタが言った通り、祭りなどで見かける顔の上半分を覆う形の仮面だった。


「それだ! ありがとうまだ持って……」


 受け取ったそれをまじまじと眺め、ギニスタの顔に疑問が浮かぶ。


(装飾を、直した?)


 魔力を通しても、さして機能に変わりはない。

 ただ、剥がれていた花の塗装や箔などが、綺麗に直されていた。


(まぁ、いいか)

「ありがとうシャルプ。じゃ、ちょっと出て、いやお前も来い!」


 飛び出しかけ、そう言い添える。

 そして改めて出て行った師匠ギニスタに聞こえないように、弟子シャルプはぽつりと呟いた。


「……気付いちゃうかぁ……一緒にゆっくり、食べたかったんだけどな」


 ◇◇◇◇◇


 庭へ出たギニスタは【仮面】を顔にあてがい、山の中腹へ目を凝らす。

 【仮面】は望遠、透視、顕微鏡などの役割を果たす道具だ。魔力を流し、時々に合わせてその力を調整して使う。

 今ギニスタは、望遠を使っていた。


(やはり)


 見えたのは、霧を散らして獲物を狙う大鷲だった。その足首に、魔石をあしらった枷が着けられている。

 帯びる魔力の特徴も一致する。あれは人に使役された獣、所謂“使役獣”だ。


「何かありましたか?」

「……シャルプ、お前ももう分かってるだろ。使役獣が入り込んだ」


 横からの声に顔を向けず、ギニスタは厳しく応じる。


「これが感知出来ないとは言わせない。アタシでさえ気付けたんだ。管理者であるお前はこれをきっちり──」

〈〈〈真の者!〉〉〉


 続く言葉を、震える声が連なるようにかき消した。

 逃げ惑うように、妖精達がやってきたのだ。


〈ああ! 真の者! もう気付いていたのだな!〉

〈あんな恐ろしい……! ことわりから外れた者など、早く追いやって下さい!〉


 妖精達は、ギニスタなど視界にも入ってないように動く。

 そのままシャルプの周りに集まって、泣きそうな顔で懇願する。


〈真の者! お早く!〉

〈どうか! 被害が出ぬうちに〉

〈真の者!〉


 ちらり、とこちらを伺うシャルプ。その視線も、すぐ妖精達が塞いでしまう。


「……」


 仮面を外し、それを仰ぎ見るギニスタは、少しだけ肩を竦めた。


「……ぁーもぅ……分かった、行くから!」

〈〈〈ああ! 真の者よ!〉〉〉


 ばっさばっさと手を振って、群がっていた妖精達からなんとも乱雑に抜け出すシャルプ。


「……師匠も、それで良いですか……?」

(何故聞く)


 潤んだ瞳に問われ、ギニスタは盛大に首を傾げたくなった。


「ああ、良いとも。てか早く行け。迷い込んだなら良いが、偵察などであれば早急に対応を考えなければいけないからな」

「それは大丈夫です。ただお腹空いてるだけみたいだし」

「え」


 目を丸くするギニスタに淋しげに手を振って、「行ってきます」とシャルプは飛び立った。


「あ! ご飯待ってて下さいね?! 一緒に食べましょうね?!」

「分かった分かった」


 それを見送ったギニスタに、


〈……また、真の者への口出しか〉


 恨み節のような声音で、妖精がそう零す。


(飽きないな、彼らも。……いや)


 気が収まらないのだったな。と、思い直した。


〈自分の立場も弁えずに〉


 シャルプの仕事ぶりを見ていようかと思っていたギニスタだが、


〈本当に、懲りないものだね〉


 このままここにいては、また彼らがシャルプに何か言われかねないとも思い始める。

 ここは怖じ気づいた感じで、引っ込んでしまおうか。


「師匠!」

「……ぅわっ?!」

〈〈〈?!?!〉〉〉


 急に目の前に現れたシャルプにギニスタは飛び退いて、妖精達は大仰に慌てた。

 先ほど霧の中に入ったばかりなのに。


「も、もう終えてきたのか」


 結局見れなかった、と思いながら訊ねると。


「はい! 追っ払おうとしたら向かってきたんで、跳ね返してやりました!」

「は?」

「誰も食われたりしてませんよ!」

「いや、待て、ちょっと待て」


 自信ありげに胸を張るシャルプを押しやり、ギニスタは再度【仮面】を付ける。


「……」


 見えたのは、左の翼が折れて地面にうずくまる大鷲と、それに怯える周りの生き物達だった。


「……シャルプ」


 仮面を、そっと顔から外す。


「はい!」

「駄目だ」

「え?」

「やり直し。戻ってきちんとやってきなさい」

「えー」


 なんともダルそうな声を出し、それでいて顔をしょげさせるシャルプ。

 それを見て、ギニスタは溜め息を一つ。


「使役獣が何か、お前も知ってるだろう?」

「……人間からの強制契約により、その人間の魔力によって操られる獣の総称。強制契約には魔石を使った装身具を使う事が多い」

「それだけじゃないだろ? 使役獣に何かあったら、使役する人間はその獣、あの大鷲を探すかも知れない。そしてこの山に辿り着くかも知れない」


 諭すギニスタに、シャルプの頬が膨らんでいく。


「……この山が危険に晒されるだろう? そんな事、あってはならない」

「でも……っ」


 言いかけ、けれどシャルプはその口を閉じる。


「……」

「……」

(? なんだ?)


 待っても口はうねるだけ。言わないと察したギニスタは、こちらから口を開く。


「……それに、あのままではあの大鷲も辛いだろう。しっかり治して帰してやらねば」

「……」

「その後、周りの者達の不安も聞いてあげると良い」

(……こんな事、言われずとも分かっているのだろうが)


 今までの管理者の記憶、真の者の力、十五年分の経験。

 今のシャルプにはそれらがある。自分の知る幼子ではない。


(本当は、アタシが真の者この子に口出しする必要など無い)


 理解している筈なのに、こんな説教めいた事をしてしまう。『彼ら』の言う通り。

 やはり自分が居ることは、シャルプへの悪影響になっているのではないか。


「ッ……だっ」

「だ?」

「……っ……ッ!」


 ありったけ口をもごつかせ、整ったその顔が渋面になる。


「んんむぅんん、もぅっ!!」


 何がもう、だか訳が分からないギニスタは、首を捻るに留めた。


「分かりました! もう一回行ってきます! やってきます!」

「え? あ、うん……」

「待ってて下さいね!!!」

「分かったって」


 さっきと殆ど同じ場面を繰り返している、などと思うギニスタだった。


〈……、〉


 シャルプがいなくなった途端、少し離れた木の陰から見ていた妖精達の口から、また次々に言葉が漏れる。


〈……また、真の者が〉

〈このような者を、何故〉

〈この者のおかげでわれらが捨て置かれる〉


 捨て置かれるは言い過ぎな気もしたが、


(概ね同意出来る)


 ギニスタは頷きたくなった。

 そして、そんな事を言わせてしまっている自分の立場に、頭を抱えたくもなった。


 ◇◇◇◇◇


 かくして、今度はきっちりやり終えたシャルプは、


「やってきました! ちゃんと! どうですか?!」


 物凄い勢いで迫る。


「やった、やったなー、偉いなー」


 それを間延びした声で受け、頭を撫でさせられるギニスタ。


「うぇへへへへ」

(なんだろうこれは)


 少し現実から逃れたくなったギニスタは、ここまでのシャルプの行動について考え出す。


(この子は、アタシをどう見てるのか)


 そもそも何故生き返らせた、いや、まだ死んではいなかったのだからそれは違うか。


(しかし、管理者の最期の務めである【還元】に、何故抗ったのか)


 十五年前ギニスタは、シャルプを真の管理者──真の魔法使いと認定した後、【還元】のために老木あるじの元へ向かった。

 【還元】とは、管理者の生命力全てを山に還す作業の事。

 本来ならば寿命が尽きかけたその時に、次代の管理者を認定してから行うものだが。


(シャルプが真の者だったからな。山の者達も彼らも、早く代替わりする事を望んでいた)


 だからギニスタは、まだ寿命が残っていても継いで貰う事にした。自分を糧とし、山と主に恵みあれとも、少しばかり思っていた。

 そして主の元へ行き、その身体が輝く粒子となった所でシャルプによって弾かれたのだ。後に聞けば、拾った主の欠片を使ったのだと言うから、また頭が痛くなる。


(……恩返しなのか? 世話をした事への)


 シャルプなりの。そうも思ったが。


『ボクはあなたと居たい』


 青と金に、貫かれるようにしながら言われた言葉。

 あれはどう取っても、感謝の念ではない。

 さりとて、弟子という立場もどうも違うような。


(一つ、思い至るのは。刷り込みだとか言うものか)


 生まれて初めて見たものを『親』と思い込むモノ。

 シャルプの場合、『生まれて初めて』ではないが、記憶を失った状態だった。だから似たような条件下にあったのではないか、そんな風に思う。


(親、な。アタシをね……?)


 シャルプは、未だに自分をそう見ているのだろうか。

 この、成長した……


「うぇへへへへ」


 成長した大人は今、子供に頭を撫でられている。しかも、頬を盛大に弛めながら。


「ぇへへへへへ」

「……」


 状況を客観的に見ようとしたギニスタの気が、削がれる。


「あっ?!」

「?!」


 気が抜けかけていた所に声を上げられ、その小さい肩がびくんと跳ねた。


「師匠! ご飯!」


 シャルプは勢い良く立ち上がり、ギニスタの手を取る。


「忘れてました! 戻りましょう!」

「え、あ」


 庭先から、瞬く間に家の中へと。


(……なんか、もう、今は良いか?)


 連れて行かれながら、その胸中で嘆息した。



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