2 黒ずんだ赤

 山のあるじの大木。年老いてなお光を放ち周りに生命いのちを与えるそれを、診に来た時の事だった。


「ん?」


 辺りはやたら騒々しく、それでいて怯えが広がっていた。魔法使いは彼らを宥めつつ、皆のざわめきのもとへ向かう。


「……ぁあ?」


 大木の、空近くの枝先で揺れる、黒ずんだ赤。最初は襤褸切れかと思った。


(……いや、違う)


 人間。それも、年端もいかない子供。


(何故、人間がこんな場所に……しかもなんと残酷な……)


 肉は裂かれ骨は砕け、原形を留めている事が奇跡に見える。その凄惨な姿は、聖なる主の光を受け、より禍々しく哀しく映った。


「……済まないが、この木から降りてもらうよ。別の所でおやすみ」


 声を掛け、手を振る。それは枝からふわりと浮かび、ゆっくりと降りてきた。


「…………」


 目の前に浮かんだ小さな身体は、


「………………カヒュッ」


 生きていると、主張してきた。


 ◇◇◇


「なんだろ……これ……」


 屋根の上で、子供はそれを拾い上げる。


「んー……」


 淡く翠に輝く、透明なもの。


「石?」


 屋根瓦に幾つも埋め込まれている色石と似ているが、それらとは違う。歪な、指先程度の大きさのものだった。


「…………ぅんー……」


 けれどどうしてか、ただの石ではないような、何か大事なもののような気がした。


「……聞いたら、何か教えてくれるかな」


 何かを感じるその翠を、腰の袋に仕舞う。


「よっしもう一頑張「そこか!」?!」


 すぐ傍で聞こえたその声に、子供は辺りを見回した。


「何してんだ! こっちが作業してる間に!」

「え? え??」


 声の主の──魔法使いの姿は見えず、困惑した子供の腰が浮く。


「あ! 動くな! そこ滑り易いんだから!」

「あっはい」

「お前飛べやしないのに! 待ってなさい! 動くなよ!」

「はい……」


 中腰で? と思う間もなく、赤と銀が屋根の下から見えてきた。


「どこ行ったかと思えば……今度は何を……」


 空に浮かんだ魔法使いは、肩を怒らせ子供を見据える。


「そ、その……屋根の掃除を……」

「またなんで屋根を選ぶ」

「その、『集中したいから邪魔にならないように、静かに』って……見える所にいると、邪魔かなって……」


 何やら器具を持ち出し、輝く石やら小さな円盤やらを組み立て始めた魔法使い。それを間近で見たかったが、見る事も集中を乱しかねないと思った。

 ぼそぼそと言い訳のように喋る子供へ、魔法使いは溜め息を吐く。


「……君は……」


 子供の前に降り立つ魔法使いに、俯いた檸檬色の髪が震える。


「ご、ごめんなさい……」

「本当だよ。落ちたらどうするつもりだったの」

「……はぇ?」


 顔を上げたその瞳に、魔法使いがぼやけて映る。


「そもそもここは。色々まじないがかけてあるんだ、よ!」

「みゅっ?!」


 片手で挟むように掴まれ、子供の顔が縦に潰れた。


「何か踏んだら、お前なんて消し飛ぶかも知れないんだ」


 そのまま頭を右に倒され、


「分かってないだろう?」


 左に倒される。


「自分から死にに行ってどうする気だよ」


 元に戻った視界には、こちらを睨む水色の瞳。


「ふゅ、ひゅみまへん」

「分かったら戻る!」

「ふゃい! ……?」


 子供の顔から外した手を腰に当て、魔法使いは辺りを見回す。


「……あ、の?」

「梯子も無しに、どうやって屋根に登った?」


 その視線に再び竦んだ子供の指先が、おずおずとあるものを示した。


「うぇ、あ、あれを登って来ました……」

「あれ……あれ?!」


 示したものに、魔法使いは目を剥く。

 それは屋根の反対側の端にある、立派な枝を張る常緑樹。『鈴の実』をつける稀少な樹だ。


「ばっかあれは気に入られなきゃ棘を出すっ……気に入られたのか……」


 魔法使いは首を振り、無傷の子供に顔を戻す。


まじないに掠った跡も無し、か」

「?」

「なんでもない。ほら、降りるよ」


 言った途端、魔法使いの身体が浮いて、


「すご……ぁえ?」


 それを目で追う子供の身体も、屋根から離れた。


「え、わ」


 自分は今、雲のように浮いている。それを理解した子供の瞳が、星空のように輝き出す。


「わ、わあ! わああ! 凄い!」


「この方が手間がないの。行きは無事でも、帰りも同じとは限らない」


 滑らかに視線が下がり、子供の足が地面に着く。


(と、飛んだ……飛んだ!)

「ふわああって飛んだぁ!」


 叫んだと思うと跳ね回り、そのまま庭を駆け回る。


「……」


 魔法使いはそんな子供を、観察でもするように眺め、


「いぎっ?!」

「あ?!」


 声を上げ傾いだ子供へ手を伸ばした。


「ぇあっ……?」

「……お前今、無理に動いただろう」


 手繰り寄せる手つきと共に、子供の身体が宙に浮く。


「わっえっ」


 何かに持ち上げられるようにして、その小さな体躯が草の上を滑る。そして眉根を寄せたその顔と、鼻が触れそうなほど近くで停止した。


「全てを一人でやるんだろう?」

「! ごめ、んなさい……」


 うなだれる子供を静かに降ろし、魔法使いは腕を組む。


(……泣き出せば良いものを。どうしてそんなに強がるのか)


 身体の傷も、今の言葉も。この子供を蝕んでいるのに。


(苦手なんだよ……逆ならまだ……)


 ここから離れたいと。この山から降ろしてくれと。そう言ってくれれば終われるのに。


「────……す……」

「!」


 幽かな声に、魔法使いは思わず腰を落とす。


「聞こえない。何だって?」

「そ、の」


 上げられた顔は、今にも泣き出しそうで。


「ありがとう、ございます。また、助けられちゃいました」


 それでも笑おうと、口がへにゃりと、柔く歪んだ。


「…………あああああもおおお!!」

「ふぁ?!」


 魔法使いは髪をかき回し、珍しく晴れた空へ叫ぶ。


「なんなんだ君は?!」



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