魔法使いの弟子になりたい

山法師

一章 魔法使いが助けた子供

1 魔法使いと子供

「お願いします!」


 山奥、その奥の奥。いつもは静かなその場所で、


「弟子にして下さい!」


 高く幼い声が大きく響いた。

 それに驚いた鳥や獣達が、鳴き声を上げながら逃げていく。

 幾らかして静まった木々の間、別の声が呟いた。


「え、やだ」

「そこをなんとか!」

「やだ」

「なんとか!」

「嫌だって」

「お願いしますぅ!! なりたいんです魔法使いぃぃぃ!!!」


 ◇◇◇


「そもそもなんなの? 君ワケアリでしょ?」


 赤と銀が斑に混じる髪をかき上げ、『魔法使い』は目の前の子供に声をかける。


「分かりません!」


 押し問答の末、その家に上がり込む事に成功した子供は、朗らかに笑う。


「助けていただいた以前の事はさっぱり! ですがこのご恩は忘れません!」

「なら恩返しとして帰って」


 子供は頬を膨らませ、椅子から勢いをつけて飛び降りた。


「帰れないし帰りません! 弟子にして下さい!」


 膝と手を床につき頭を下げられ、魔法使いは溜め息を吐いた。


「厄介なものに手を出した……」


 血塗れで、大木の枝先に引っかかっていたこの子供。せめて埋葬するかと下ろしたら、僅かに息があったのだ。見捨てるのもなんだろうと手当をしたが、目を覚ましてみれば、何も覚えていないと言う。つまりは記憶喪失だ。


「お邪魔にはなりませんからぁ! 家の事全部やりますからぁ!」


 上げた顔、涙を溜めるその瞳は二色。青と金は、夜明けの空を思わせた。


「……」


 色混じりと呼ばれるそれ。この世界では『色混じり』は、生前に罪を犯した者の印と言われる。それだけでなく。


「生涯仕える事でご恩をお返ししますのでぇ! 弟子に! して下さいぃぃ!!」

「……お前」

「っはい!」

「本当に何も覚えていないの? 朧気にも?」


 引き裂かれていた衣服の質。手入れの行き届いた髪や肌。この言葉遣い。


(ただの子供ではない)


 魔法使いの厳しい視線が注がれる中、床に座り直した子供は腕を組み、考え込んだ。


「………………やっぱり覚えてません!」


 そしてにぱっと笑う。


「なんなんだこいつ……」


 ハァ、と溜め息を吐いて、魔法使いは椅子にもたれ掛かり、天井を仰いだ。


 ◇◇◇


「むぅ……」


 子供は一人、魔法使いの庭先で唸っていた。


「どうすれば説得出来るのか……」


 透明な碗を持ち、藪にたまった朝露をそこへ集めながら。


『……そんなに言うなら、まず自分の事を出来るようになれ。これから一人で全てをこなせ』


 それが出来なきゃ人里へ下ろす。

 魔法使いはそう言った。

 完治していないという身体は、動かす度に違和感を覚える。時折痛む。魔法使いは、それで自分が折れると思っているらしい。


「別にこれくらいどって事ないもん……あだっ」


 言ったそばから足が痛み、倒れそうになるが、


「……おっと」


 なんとか堪える。碗が揺れ、露が零れそうになった。


「おぉぅ……危なかった」


 碗いっぱいに溜まった朝露は、淡く光を帯びていた。


「えーと、これを……確か上の棚の……」


 容器に入れていた。そこまで思い出し、子供は動きを止める。


「……と、届くかな……」


 椅子に乗って伸び上がって手を伸ばし、なんとかいくだろうか──


「あ?!」


 森の奥から声がした。


「あ、やば」


 子供が慌てて振り向くと、


「何勝手に出歩いて……!」


 霧をかき分け、煌めく黒を纏った者がまっすぐこちらに歩いてくる。魔法使いが、戻ってきた。


「っ……いえ、……お、お手伝いをしようかなーって」

「はあ? 手伝い?」


 見下ろされ、子供は目を合わせずに頷いた。そしておそるおそる、手に持った朝露の碗を持ち上げる。


「……これ……」


 魔法使いが息を呑む。


「あんた、なんで……」


 日が昇る前に、魔法使いが出かけたのには気付いていた。そして戻って来る前に、これを終えようとも思っていた。


「ご、ご飯は食べたので……何か手伝える事を、考えて……」


 見られたら怒られる。なら何故それをしたかと言えば、『もしかしたら』を期待したから。


(バカやったなあ……)


 肩を落とす子供に、魔法使いは首を振る。


「違う」

「……え?」

「なんで『これ』の事を知ってんの」


 細い指が碗を差し、顔には疑問が浮かんでいた。


「え……その、いつもやってるのを見てましたから……」


 熱と痛みに魘されながら、傍の『誰か』を見失うまいと目で追って。


「は?」


 動けるようになってからは、その行動に興味を持って。


「……それだけ?」

「?」

「アタシがやってんのを見てただけ? その知識がある訳でもなく?」

「は、はい……」


 頷く子供に目を見開いて、魔法使いは天を仰いだ。


「はあん……? 見よう見まねでこの質……?」

「ご、ごめんなさい……捨てた方が良いですか……?」

「何言ってんのもったいない!」


 目を剥いて迫る顔に、子供は若干身を引いた。


「これ! もう! 何?! どれだけ良質なものが出来ると……あ?!」

「?!」

「ちょっと待ていつからこの状態?! 早く保存しなきゃ!」


 碗に目をかざし、魔法使いは何事か呟く。


「……ほら貸して!」

「はっはい!」


 その手が上に向けられ、碗を渡し、魔法使いが家に飛び込む。


「…………あ、れ」


 子供は目を瞬かせ、


「……怒られ、なかった……?」


 ◇◇◇


(流されている)


 魔法使いは頭を抱えた。


(こんなワケアリ、すぐ放り出せば良かったのに……!)


 小さなハンモックに目を向け、魔法使いは顔をしかめた。


『一人で全てをこなせ』


 あれから、この子供は本当に一人でやっている。

 一人で起きて仕度をし、飯を作って片付けて。家の掃除すらし始める。


「君、そんな事する歳でもないでしょ……」


 五つにも満たないだろう子供は、静かに寝息を立てている。傷は浅くなり、熱や痛みにうなされる事も減ったようだった。

 だがそれも、本来この体躯では耐えきれないものの筈だ。


(何が君を動かしている?)


『なりたいんです魔法使いぃぃぃ!!!』


 人里へ戻そうとした時に言われた言葉。魔法使いは子供へ向けて、皮肉るように顔を歪めた。


「何をどう思ってるか知らないが。魔法使いってのは、なりたくてなるもんじゃないんだよ」



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