70 片隅であり、狭間である

「ぁ、のぉ……」


 声に思わず振り返る。


「……あ」


 いつか見た狐が、おどおどと藪から出てくる所だった。


「お久しぶりで、御座います……」

「これはどうも」


 あぁ駄目だ。立ち止まってしまった。

 でもだって、こんなに所在なさげなんだよ?

 ここは多めに見て欲しい。


「先日は……失礼致しました……」

「いえ、僕は」

「ですが、何か誤解があるように思うのです……」


 誤解、ね。


「それを解くべく、ご助力願えませんか?」


 狐さんをどうこう言うつもりはないけれど。


「申し訳ありませんが、もう終わった事ですから」


 僕は、藍鉄あいてつを信用するし信頼する。

 そもそも彼に来た話だ。


「そんな事を仰らずに、どうか」


 足を止めてしまった責任はあるかな。


「……では、伝えるだけは致しましょう。彼がどうするかは、僕に決められる事ではありません」

「…………分かりました」


 あぁぁ……うなだれてしまった……。


「……では、失礼」


 駄目だ。行こう。絆されてはいけない。

 さっさと藍鉄に伝えてしまおう。


「……」


 少し行って振り返る。ぽつんと、その場で動かない黄色が目に入ってしまった。

 あー、だめだめ。駄目。さっさと行く。


「……この、人間風情が」


 また聞こえた狐の声に、懲りもせず顔を向けてしまった。

 聞き取れなくて、聞き返そうとして。


「え」


 そしたら、黄色が視界いっぱいに広がった────



 ────。…………?

 …………あれ?

 今、私、完全に螢介えいすけさんとシンクロしてなかった?


「してましたね。危なかった」

「うわあ?!」

「あ」


 誰?! じゃない、この声!


「なっ……?」


 振り向けば、すぐ横に。


「やー、やっと声が届きました。良かった良かった」


 朗らかに、そんな事を言う螢介さん。

 辺りはいつの間にか、白っぽいもやもやした空間で。


「え、ど、どこ」


 どこココ?


「あー……あなたの魂の片隅と言いますか、生死の狭間と言いますか……あ」


 そこで、螢介さんはポンと手を打ち、


「まだきちんと名乗っていませんでしたね。僕は、名を螢介と申します。家の名は面倒なので省かせて下さい」


「あ、榊原さかきばらあんずです……」


 互いに頭を下げて、……って!


「いえ! その?! 何ですか魂とか生死とか?! やっぱり私死んだんですか?!」


 だとして何故に螢介さんと喋ってんだ?!


「死んでません。あんず、杏さんでいいですか?」

「え、あ、はい」

「杏さんは確かに生死の境を彷徨ってますが、それは大きく『生』に傾いてます」


 螢介さんは、少し困ったような、申し訳なさそうな顔になる。


「僕がここにいるのはそれと関係なく、藍鉄があなたの方へ僕を押しやったから」


 押しやった、とは。


「しかもあなたと僕のは似ていたらしいんです。朧な僕でも、跳ね突けられたり消えたりせず、ここまで保っていられてしまった」


 ……???


「つまり、死にきれなかった僕が杏さんに憑いてしまってたんですね。特に何か出来る訳でもなかったんですが」


 はい?


「僕は藍鉄とも混ざっていたし、そのせいであなたと藍鉄に繋がりすら作ってしまった。いや、申し訳ないです」


 はい、待って。


「ちょっと、待って貰えますか」

「はい」


 柔らかな雰囲気で頷かれて、混乱が少し収まる。

 いや、この人の話で混乱してたんだよね?


「……ええと、始めに」


 私がてつと、『手』と遭った時に。


「てつ、藍鉄と螢介さんは混ざってて……それは、あの四人のせいですよね?」

「……そうですね。僕が油断してしまったから」


 悔やむような声だけど、それより思考整理に気がいってしまった。


「でぇ、ぇと、バラバラになって、あそこで私と遭って、……藍鉄と混ざってた螢介さんが、私に憑いてしまった?」


 というか、それこそ融合だった?


「そうだと思います。僕、なんか混ざり易い体質なんだそうです。あの四人が言ってたのを聞きました」


 苦笑い。

 どう返せばいいのか。だってそれは、嬲られてた時の筈だ。


「……そ、の、……え、じゃあ、今までの。私の『力』は螢介さんのだって事ですか? てつのじゃなく?」


 異界由来でも、異界の人間由来だった?


「いえ、杏さん自身の力です」

「はい?」

「それを使って目を覚まして欲しいんです。そして藍鉄を助けて欲しい」


 ふわりとした雰囲気が、そこで急に引き締まる。


「て、た、助ける?」


 だって、てつはあの時。

 力を振り絞って還して戻した……と思ったけど。まさか。


「戻ってないんですか。死にそうなまま?」


 直接確かめた訳じゃない。


「違います。元気いっぱい」


 元気いっぱい。


「だからなんです。溢れる力で暴れに暴れて、周り総てを壊しかねなくて」

「は」

「藍鉄はあなたが死んだと思ってるんです」

「はい?!」

「僕の残り全てがあなたに行って、瀕死のあなたからの繋がりが切れたから。それに頼ってた事すら忘れるくらいに、今の彼には余裕がない」


 真剣な螢介さんに、私は恐らく、とても間抜けな顔を向けている。


「だから起きて、無事な事を教えてやって下さい。このままでは、藍鉄自身も壊れてしまう」

「え、いや、でもどうやって」


 螢介さんは外? の様子が分かるようだけど。

 私にはそんなもの捉えられてない。

 てか、そもそも、てつ……?


「あの手を取って、そのまま行けば──」


 示された先に目を向ける。


「……は」


 また口がぱかりと開く。

 大きな輝く両手が、「こっちにおいで」みたいに掌をこっちに差し向けていた。

 しかも、それが二人分。


「…………え、あれ、ですか……?」


 怖くない?


「あれです」

「……他に道は」

「ないです。あったとしても、探す時間が惜しい」


 そんな。


「危険はありませんから。救いの手ですから! ほら!」


 ぐいっと背中を?!


「いや押さないで?! 急になんですか?!」

「いやちょっと話し込んじゃったなって! すみません!」


 そんな理由で?!


「あのほら、勢いでそっちに飛べますから!」

「はっ?!」


 よろけて踏鞴を踏みそうになって、その言葉に身体が反応した。

 もやもやで見えない地面を蹴ると、本当に身体がふわりと浮かぶ。


「ぅわっ?」


 半分引っ張られるようにして、輝く四つの手の方へ。


「……えっ、あ?! 螢介さんは?!」

「僕は駄目だと思いますー」


 明るく手を振らないで!


「もうホント、今が奇跡なくらいなんですよー……藍鉄を宜しくおね……ま……──」


 周りがどんどん輝いてく。気が遠くなっていく。

 ふつりと、意識が途切れた。



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