71 慟哭

 遠くで、何かが揺れている。地震?


「……?」


 真っ暗で、よく分からない……いや、これ。

 目を閉じてるのか。


『戻った?!』

「ひぇっ」


 ぱちっと目を開いたら、睫毛バサバサの美少女が眼前に?!


『自分が誰だか分かる?!』

「えっはい……」

『はいじゃあ誰でしょう?!』

「えっ。……榊原さかきばらあんずです、が……」


 仰向けになっていた身体を起こし、その人へ手を向ける。


「ええっと、天遠乃あまえの、さん……?」

『うん! 私の事も分かるのね! 正常!』


 満面の笑みで頷かれる。


「起きたなら状況説明して下さい! 当主!」


 その横に、同じ様にしゃがみ込んだ遠野とおのさん。

 厳しい顔つきで上を向いて……空?

 そういや、ここ、どこ?


『えぇそう……来る!』

「!」「?!」


 何かが勢い良く迫ってくる。いや広がっていく。

 天遠乃さんの声と同時にそれに気付いた直後、ふわりと浮かんだ天遠乃さんに抱きつかれた。


「へ?! ……う゛?!」


 斜め上、地上からここまで届く咆哮と振動。衝撃波。


「ッ!」


 張られていた結界がびりびりと揺れる。

 それが壊れないように力を注ぐ遠野さんと、私を庇う天遠乃さん。


「て、つ……!」


 そうだ。ここは落とされたうろ。その底だ。

 私が『かれら』を還したから、空っぽになったんだ。そして見える青空は……蓋、床だった所?


『……大丈夫だった?』


 程なくして音は止んで、天遠乃さんがそろりと腕を外す。


「はい、大丈夫です。……今の、てつですよね?」

『ええ。……杏さん』


 ほっとした顔から、真剣な表情に。


『てつさんを止めてくれる?』

「はい」

『今のてつさんはね、え?』


 そして、ぽかんとした顔になる。


「……榊原さん? 現状を理解しているんですか?」


 結界からこっちに意識を向けた遠野さんが、そう言ってくる。

 ……その手で掴んでる狐、どうしたんたろう。


「てつ、元気になったんですよね? 元気というと語弊がある気もしますけど」


 そう言われたんです。それに、迸る力は確かに感じる。

 溢れて、溢れさせて自分すら壊そうとする力だ。


「けど、自棄になってて。今、外はしっちゃかめっちゃかで。それを止めようって事ですよね?」


 螢介さんの言葉を要約すると、こんな感じ?

 だいぶ穏やかに表現してみる。


「……まぁ」


 遠野さんは苦い顔で、天遠乃さんはしっかりと首を縦に振る。


『そうなの。私でも抑えられないし、やっぱり杏さんじゃないと駄目なの』


 私じゃないと……か。


『もしかしたらまた、死にかけるかも知れない。どれだけの力を使えば近付けるのか、てつさんが我に返るのか……』


 そうだ。私、死にかけてたね。

 それにそういや、なんで身体も服も元通りなんだ? そこの説明は、螢介さんもしてくれなかったな。

 まぁ、今はいいか。


『でも、あなたにしか出来ない』

「分かりました。まずはここを出なきゃですよね」


 上を見上げる。丸く空いた青空が見える。


『……そうね。私が上まで連れて行くから。守弥かみや


 少し間を置いて、遠野さんは口を開いた。


「外は、てつさんの力で荒れ狂っています」


 言われれば、音がしていない今も空気が震えているのに気付いた。


「静かに見えるかも知れませんが、結界これを外した途端に身体を持って行かれるかも知れませんので、気をつけて」

「はい」

『じゃあ、ちょっと失礼』


 天遠乃さんが、私に抱きつくように身体を寄せる。

 ……幽霊って触れるんだな。今更だけど。


「いきますよ」

『オッケー』「はい」


 透明の半球が消える。

 瞬間、ゴゥッ!!と風が逆巻いた。思ったより強い!


『掴まっててね!』

「は、はいっ!」


 その中を昇っていく。

 耳元で轟々と音だけが唸る。風は最初が一番強かった。

 そこに、


「!」

『また来る……っ!』


 咆哮、轟音。破裂音に、目に見えない圧力。

 ギシギシと空気が軋んだ。


『……ッ!!』


 天遠乃さんが歯を食いしばる。抱き締める手に力が篭もる。

 圧される全てが、少し和らぐ。

 凄い。


『……こっからが、また遠いのよ』


 衝撃が収まり、虚から出ると、


「……は」


 どこまでも見渡せた。

 端の方に緑があって、あれは、森? その奥に、山?

 お堂やらの建物は?


「…………」


 はっとしてもう一度見回すと、辺りには残骸が沢山あった。

 木とか、石とか、…………他にも。


「…………てつ…………」


 その遠くに、点のように見える狼。

 金色だったそれは、いつか視たように赤黒く。


「……ありがとうございました、天遠乃さん」


 言って、するりと腕から抜ける。


『……壁くらいにはなれるわ。やっぱり私も──』

「ありがとうございます。でも、大丈夫です。天遠乃さんは戻った方が良いんですよね?」


 とても心配そうに揺れている『気』が、より大きく揺らいだ。


「私は大丈夫です。避けながら行けます」

『……そ、う? でも』

「大丈夫です、からっ!」


 言いながら駆け出す。


『えっ あ──』


 天遠乃さん達は大丈夫だと言い聞かせながら。というか、てつの事が気になりすぎて。


「……ッ!」


 てつは動かない。もう動く気もない。

 ただ脚を地につけ、顔を天に向けて、思い出したように吠える。

 全方位に轟く衝撃それの隙間を縫いながら、出せるだけのスピードで走る。


「てつ……!」


 でも、私が行って本当に解決するんだろうか。

 だって、てつが、藍鉄あいてつが今叫んでいるのは、


「て、つ、藍鉄!! ぅわっ」


 止まろうとして、止まりきれなかった。つんのめるようになって、前脚に掴まる。

 べったりと血が付いた。


「……」


 とりあえず、また死にかけたりはしなかった。


「……てつ……」


 更地になったその中心で、微動だにしない狼は、私如きが脚を掴んでも気にも留めない。

 全く、動かない。


「てつ、藍鉄、」


 視えるのは、悲しみ、苛立ち、諦め、怒り、虚無。

 息が詰まる。


「……ねぇ っ!」


 それは瞬く間に膨らんで、弾ける。

 ォオォォオオオ゛オ゛オ゛オオ゛オ゛オ゛────!!!

 全身に、直に響く。骨が粉々になりそう。肉が引き裂かれそう。


「……!」


 でも、ならない。

 てつには降り注いでいるのに。自分を斬りつけているのに。


「て、つ……」


 私を私と、認識してる。


「………………あんず」


 引き絞った声が、聞こえた。


「…………あぁ……杏……なぁ」


 天を見ていたその顔が、ゆっくりと、こっちへ向く。


「零れたんだ、すり抜けた……お前も、あいつも、俺は」


 よりも大きくなった、その鼻先に触れる。


「俺は……俺が、結局……一番の莫迦だった…………、……っ」


 その顔を上げ、


「────────────!!!」


 また、叫ぶ。


「ぐっ……!」


 止められない。あぁ、やっぱり。


 螢介えいすけさん。あなたじゃなきゃ、駄目なんだ。



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