68 赦し

 急に、頭ん中の霧が晴れた。


「────! ────!」


 全てじゃねえが、そんな心持ちになる。


「────!!」


 ここは何処だ。俺は、何をしていた?


「──さん! てつさん!」


 いや、どっか見覚えがある、ような。


「…………?」

「一回はたいてみていいかしら」

「止めて下さい危険です!」


 あ?


「……遠野とおのか」

「!」


 丁度良い。


「こんなボロ屋敷で何してる? そもそもここはどこだ」


 はあ? なんだその顔は。


「それに見た事ねぇ連れ……あぁ、お前は……」


 覚えがあるな。最近だ。


「あら? 私忘れられてる?」

「ここの地下に居た奴か」


 するとここは、その時の無駄にでかい屋敷か。


「そうそう! 意識もはっきりしてるわね。良かった!」


 何に安心してやがる?

 人ってのは本当に読み難い。


「……で、その提げてんのは何だ」


 それが一番分からねえ。


「あ」


 その野干やかん幽体そのからだでよくもまあ、器用に絞め上げたもんだ。

 死なねぇよう起きねぇよう、絶妙に気を削いでやがる。


「この狐さんは、あなたに幻影を見せてた奴よ」

「あ゛?」

「そこは深掘りしない方がいい気がするの。それに今は」

榊原さかきばらさんを見つけ次第、ここからの脱出を最優先に動きましょう」


 榊原。


「……あんず


 ああそうだ。杏。

 居ない。いつからだ?

 一人か? 独りで、ここの何処かに?


「落ち着いて聞いて。杏さんは多分」


 そんな夢見の悪い。

 あぁまた、またか? 俺は、


「四獣の、ぇ」


 あいつを、独りに。


「! 待って! 駄目!」

「てつさ──」


 声が遠のく。が、そんなの気にする必要もない。

 こんな場所で。あんな事、もう二度と。

 ……二度と?

 ああ、急がなければ。

 失う。お前を。


 また、




 いつからか。それほど痛みを感じなくなって。


「どう?」


 視界もボヤケて。


「いい感じじゃないか? 多分」


 モノのように転がされるだけになった。

 知ってる。この感覚。


「あっちは何? 手間取ってるの?」


 冷たいはずの床板と、まだ聞こえる耳。


「そうかもなぁ。あ」


 前にもあった。……どこでだっけ。


「でも」


 けど、あれは私じゃない。


「……もう来る」


 ────!!


 凄い音がした。


「……相変わらず、乱暴」


 そうだ、扉は壊されるんだっけ。


「ぁ、あ、あぁああぁあ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛!!!」


 空気が震える。……来なくていいのに。

 来ちゃ駄目なのに。


「五月蝿い」


 押しつけられるような重圧感と、幾つかの衝撃音。もう、全てが遠い。

 何が起きてるのか考える自分すら、どこかに行きそう。


「……?」


 またいつの間にか、音は止んで。


「しっかり、役目を果たして」


 そんな愛らしい声と共に、私達は落とされた。



 木霊するかれらが、縋るように爪を立ててくる。



〈──ぃや、嫌! 嫌だ! ──何処? ……ねぇ、──〉


 暗くて何も見えない、かれらが犇めくこの空間。

 とても広い事だけは解る。ここにかれらは押し込められて、私達も今、同じ様に漂っている。

 それは前にも……いやだから、それは私じゃないってば。


〈──助けて、助けて! 誰────……、もう駄目だ。もう……────〉


 こんな状態でここにずっといると、私達はかれらと同じになる。

 混ざり合い、境界が無くなり──それが『材』になる。


「……」


 てつ、てつを探さなきゃ。

 まだ形を保ってるうちに。視えるうちに。


〈──どこ、ここ何処? ──〉


 居た。良かった、手も届……


「……」


 まあ、手だ。形はあれでも。


〈──痛い……厭だ、厭だ! ──〉


 頬に触れても、反応はなくて。瞼も閉じたまま。

 生きてる。でも死にそう。

 あぁ、生きながら死ななきゃいけないんだから、そうか。


〈ごめんなさい……お願い、ごめんなさい──帰る。帰らなきゃ──〉


 多分ここ、てつの欠片もあると思うんだ。

 それを戻せば、元気になれると思うんだ。


「……」


 かれらを……かれらにも。……出来るだろうか。

 そこまで私は保つだろうか。


「……っ……」


 欲張り。

 今生きてるのも、こんなになってまで動けるのも、てつの力のおかげなのに。


〈──どうか、どうか! せめ──なんで? 何でこんな──〉


 でも、このままじゃ、あの人にどんな顔をすればいいか分からないよ。


「!」


 ああ駄目だ。てつの揺らぎが細くなる。

 死んでしまう。


「っ……」


 そんな事させない。

 死なせない。


「っ…………!」



 還すから、起きて。




「あとは、残ってるのとうろちょろしてるので終わり!」


 堂に響かせるように声を張り、鏤皎尤るこうは後ろ手に腕を組む。


「もうそれ明日とかにしない? 疲れたんだけど」


 げんなりとした口調で応じる麗燿りようは、その場にぺたりと座り込んだ。


「……まだ、いける」

「えー」


 調子を確かめるように手を握り込んだ靖華せいがに、また怠そうに顔を向け、覇気のない声を上げた。


「んー、まぁ。気分が乗らない時にやるのもあれってのは分かる」


 ならどうするか。

 手っ取り早く間違いのない方法は、判断を仰ぐ事だ。


「なあ勇淵ゆうえん


 疲れていようが苛ついていようが、そこからの一言が一番重い。

 多数決などしない。元々の目的は同じなのだから、問題はない。


「どうする? この後……勇淵?」


 一番幼げで一番恐ろしい勇淵ともは、足下に目を向けていた。


「……」


 眉間に皺が寄り、口は引き結ばれ。「気に入らない」と、その顔が言っていた。


「……どうした?」

「愚か」


 二人も、勇淵の纏う空気に気付く。

 何がと鏤皎尤が訊ねかけ──


『────ォォォオオオオオ゛オ゛オオ゛オ゛オ゛!!!』


 その声と力で、と共に自分達も吹き飛ばされた。


「はあ?! なに?!」


 ふたを粉微塵にするその余波で、天井さえ抜けてしまう。


「オイオイ、これ後で直すの?」

「……余力?」

「死に損ないが」


 彼らはそのまま空に浮かび、封をしていた容器なかを見下ろした。

 青空の下に、ぽっかりと空いた巨大なうろ

 そこから、先程より大きく力に溢れた狼が、静かにこちらを見上げていた。


「はっ?! ちょ……なん、中身は?!」


 狼だけしか存在しない。

 そう思えた麗燿が目を丸くし、翼になりかけた腕を振る。


「……ある、けど……」


 僅かに、残っている。

 けれどあれは残り滓だと、靖華の眉も顰められる。


「ぁー……ちょっと甘く見てた」


 鏤皎尤は頭をかき、ちらりと横目を向ける。


「……」


 案の定、勇淵の顔は怒りに染まり、その手がゆるく持ち上がる。


「潰れろ」


 それを、鏤皎尤はしょうがないと受け止めた。

 あの狼は死ぬ。まあ仕方ない。もっと良い材を探すのだけが、骨が折れる。


 パキャッ


「?」


 本当に、そんな音がした。

 しかもすぐ傍で。


「ヒッ?!」


 麗燿は引きつった声を出し、有り得ないものを見たような顔をしている。

 靖華も、いつも殆ど変わらない表情なのに、目を丸くして。

 恐らく、自分も同じ様な感じだろう。鏤皎尤は頭の片隅でそう思った。


「…………?」


 呆けたカオで固まる勇淵の、その細い右腕は折れて、途中から垂れ下がっていた。


「え、っ」


 その頭上に影が落ちた。

 茫然とする彼らが見上げた先に、さっきまで暗く深い底にいた金色の獣。


「……」


 何も言わず、ただ、彼らをぐるりと見回した。


「ぎゃ?!」「ッ!」「ぅ」「ァ?!」


 瞬間、彼らの細い体躯が跳ね、喉の奥から生温いものがせり上がる。


「? ……ごぽッ……!」


 その口から、血が滴り落ちた。


「っ、ガッ……な゛に?! 急に……!」


 麗燿の炎が、勢い任せに放たれる。


「ぁ゛っ、馬鹿っ!」


 鏤皎尤の声より先に業火は巨体にぶつかり、


「──?!」


 するりと抜け、消え去った。


「…………うそ」


 夢でも見ているのかと、その口が戦慄く。

 だって、さっきまでと違いすぎる。

 こんなの受け入れられない。

 自分達より強い奴なんて──


「………………俺は」


 低く凪いだ声が、全身に響いた。

 喘ぐ肺がより縮こまる。

 それは、呼吸すら憚られるほどの圧力。


「俺が許せねぇ」


 畏れを抱いた。

 何時振りか、格上から見下ろされ降りかかる、それ。


「だが」


 落ちる事も、平伏する事すら出来ない彼らは、その場で震えるしかなかった。


「お前らも、許せねぇ」


 心の底から悲鳴が上がる。何に対しての悲鳴なのか。


「赦さねぇよ」


 しかしそれは、絞られた喉から奇妙な音として出て行くばかりだった。



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