67 神和と守弥

 いっぺんに来てくれれば、まだやりやすい。

 そんな事を思いながら、遠野とおのは巻き付いてきた大蛇の瞳を見つめ返す。


「……ッ、カ……」


 蛇の頭が一度ぶれたかと思うと、蜷局は緩み、遠野の足が再び畳についた。


「?!」


 その様子に周りはどよめき、僅かに後退る。

 遠野を守るような位置についた蛇は、間髪入れずにそれらへ襲いかかった。


「……」


 何をだの、どうしただのと声が上がる。


「なんだ」


 先ほどまで同じ獲物を狙う者同士だった蛇に牙を剥かれ、その集団の壁も崩れてゆく。


「やっぱり同じ言語じゃないですか」


 遠野はそんな事を言いながら、脳内で状況を整理する。

 あの場で、自分達の前に突然現れた何者か。てつとあんずはその者を知っている素振り。そして、バラバラに飛ばされたらしいこの場所。

 十中八九、件の犯人が餌に食いついたと見て良い。

 しかし。


「甘いんですよね。考えが」


 上層部は『天遠乃神和シンボルの奪還』と『事件の完全な幕引き』で『揺らいだ地位を取り戻したい』。

 けれど、未だ僅かにしか情報を得られていない犯人、黒幕の目的は判然としない。その輪郭すら朧気なのに。

 そんな所にたった三人──うち一人はほぼ素人、一匹ひとりは精神状態が宜しくない状況で、招かれた・・・・

 甘いのは反保守こちらもだから、冷やかせる立場でもないが。


 準備不足、情報不足。上も仲間も、どれだけ素早く動けるか。いや、気付けるか。

 一つ希望があるとすれば、天遠乃神和あまえのかんなが居るらしい事。

 幽霊という事から既に消滅してる可能性もあるが、コンタクトを取れるならば。彼らを生きて返す道も見つけ出せる──


「…………?」


 蛇が意外に優勢だなと眺め、そこまで考えを巡らせていた時。

 遠くから、迫り来る何かを感じ取った。


「ッ!」


 反射的に結界を張った瞬間、


 ────オォオオオォォオオ゛オ゛オ゛!!!


 その場一帯に咆哮が轟いた。

 嵐のようなそれは、遠野を囲んでいた者達を飛ばし壁を壊し床を張がし、


「っ……!」


 幾重にも張った防御壁けっかいに罅を入れた。


 オォオォォォ──……


 そしてそれはまた唐突に止む。

 辺りは、一瞬にして災害にでも遭ったような有り様になった。

 敵らしき者達は一人残らずやられたようだと確認しながらも、遠野は防御の封を解かない。


「……」


 衝撃波が来た方へ視線をやり、神経を尖らせる。

 新手、ではない。むしろより厄介かも知れないというその勘は、的中した。

 奥の薄暗がりから、その体色が煌めいた。見上げるほど大きな狼が、のそり、とこちらへやってくる。

 その瞳は、どこか不安げに揺れている。どこを見ているかも定かでない。

 緩慢な動作をする脚は、しかししっかりと体を運んでいた。

 尾は垂れ、耳は細かに動き。


「……てつ、さん」


 何かに憑かれたように足を進める獣にとって、遠野はただの景色であるらしい。ちらりと視線を投げただけで、気にもとめずに先を行く。

 ガシャリ、バキリ

 散乱した物など障害にならず、先の咆哮でその足下に転がった蝦蟇も──


「てつさん!」


 ぐしゃり。


「……っ! てつさん!!」


 今近付くのは危険だ。けれどこのままにしておくのはもっと危険だろう。


「てつさん! 僕が分かりますか?!」


 防御壁けっかいを解き駆け寄る遠野に、やはりてつは反応しない。


「分かりませんね! だろうと思います!」


 内心で留めるはずの悪態が、思わず口をついて出る。


榊原さかきばらさんは分かりますか?!」


 その巨体が一瞬止まる。


「榊原杏! 分かりますね?! ……っ?!」


 遠くから何かが投げつけられ、近くで爆ぜた。パラパラと砕け落ちるのは、木屑。

 残党なのか後続なのか、また集まりだした者達が、そこらの物を投げつけてきた。


「……てつさん」


 あの雑魚共、畏れを成して近寄ってこない。面倒にならなくていい。


「榊原さんと天遠乃神和を見つけましょう。恐らくここは、敵地のど真ん中です」

「…………、……あんず」


 牙の隙間から、聞き取れるかどうかの音が漏れる。


「ええ。杏、榊原杏さんです。今、僕らが合流出来たのはとても幸運です」


 投げつけられたものが全て弾け飛ぶ。てつの力かと見当をつけながら、遠野は語りかける。


「一刻も早く二人を、特に榊原さんを見つけないと」

「……あんず……杏も……居ない…………違う……」

「最悪を想定しなけれ、ば……」

「違う、ちがう……お前 杏 ……ちがう、お前は  違う、」


 呻くそれが唸りになり、狼は頭を振る。

 周りの空気が震え出し、小さく弾け、辺りに緊張が満ちる。


「っ……」


 離れなければ。

 さもなければ、死ぬ。

 それだけが遠野の思考を埋め尽くした。

 息を呑み、後ろへ下がる遠野。

 頬を引き上げ鼻に皺が寄り、なのに狼は、怯えが混じる声を発する。


「誰、誰だ……いや、  違う、お前」


 お前 止めろ  ちがう、俺は あんず……杏、もう  おまえは


「…………ぁ」


 その空気が、突如として萎む。

 狼はある一点を、バラバラと瓦礫が放られてきたその奥を見つめた。


「ぁ、……あ」


 身体を震わせ、ほんの僅かに足を引き、


「ぁああァァア!!」


 悲鳴にも似た轟音が放たれた。


「ッ……!」


 展開していた防御壁が、その余波で剥がされていく。張る側から崩れていく。

 どれだけ保つか、遠野が歯噛みした瞬間に最後の一枚が弾き飛ばされた。


「ぐっ……!」


 瞬く間に身体が宙を舞い、遠野は護符さえも砕けたと感覚で捉える。

 飛ばされ転がり、全身を打つ。そんな中でどうにか組んだ結界も、また簡単に破れてしまう。

 この嵐の中、定まらない意識で構築したものは殆ど意味を成さない。


「ッ…………くっ……そっ!」


 結果、轟音と衝撃が影響しないほど遠くまで飛ばされた。

 遠野は怪我の程度を確認しつつ、辺りに意識を配る。


「……」


 どれだけ距離が開いたか、近くに敵はいるのか。


守弥かみや!』


 目の前に姉はいる。ならばまずは姉から話を、


「……、……は?」

『守弥ごめん狐が見つからなくてね!』


 ゆらゆらと浮かぶそれは、姉の姿と姉の声をしていた。仕草も、そのまま。


『なんとか見つけてから合流したかったんだけど、あっ大きくなったね!』

「…………! ……っ」


 我に返って距離を取る遠野に、『あっ!』と手を叩く。


『この辺りには異界の人は居ないから大丈夫。私だけ』


 言われても警戒を解かず、錫杖を模した媒介を取り出す遠野。


『あぁえっと、まずは状況説明よね? どこまで話がいってる? 杏さん達からの話は聞いてるかしら?』


 その言葉に眉が動いたが、遠野は無言で杖を構える。


『……えーと』


 それに困ったように曖昧な笑顔を作り、


『正体とか、疑ってる?』


 姉にしか見えないそれは、こてんと頭を傾けた。


「……」


 遠野の目が眇められる。

 居るとは聞いていたし、探していた人物だ。しかし確信に足る何かが無ければ。感情のまま動くのは、危険極まりない。

 二度も騙されたくはない。いや、あの時も騙された訳ではないが。


『うーん……』


 そんな事を、表情を消した遠野は考える。


『……もしや』

「?」

『あの狐、私にも化けた?』


 成る程、化け狐。それを聞いた遠野の口角が、自嘲気味に持ち上がる。


『ほーぉふーん……あいつ守弥にも手を出した訳ね……』


 こちらはこちらで納得し、腕を組んで一人頷く。


『……てつさんが今ああ・・なってるのも、多分そいつのせいなの。私が偽物かどうかはひとまず置いといて、その狐を探しましょ』


 ふわりと目線より高く上がり、薄暗い奥へ顔を向け、


『隠れるのが上手いみたいなのよ』


 そんな事を言う。

 目が自然とそれを追い、僅かに構えが下がる。


「……」


 ここは素直について行くべきか、どうするか。

 動揺していたおかげで、分かり易く警戒心を晒してしまった。

 加えてまた、神懸かりが効かない。同一のモノなのか、別のモノに惑わされているのか……。


『かんっぜんに、疑心暗鬼ね』


 姉の声に、その思わぬ指摘に、目を見張る。


『動きが硬いし』


 身体ごとこちらに向き直り、眼前に迫ったその顔に、無意識に息を詰めた。


『カオも硬い。何かあってもすぐ動けないでしょ、それじゃ』


 言って、やれやれと肩を竦める。

 それほど分かり易いかと、胸中で首を捻った遠野だが。


『何で分かるって顔ね。分かるわよ、姉よ?』


 呆れ顔でそう言われる。

 その理屈はどうか。


『冗談よ。……半分くらい』


 軽く溜め息を吐いて、少し陰のある笑顔を向けられる。


『死んで幽体になったからかしらね、存在自体が怪異寄りになったみたいなの。気配を辿ったり読んだりなんて、前よりも楽に出来るようになった』

「気配を読める幽霊など、そうは居ないでしょう」


 噛みつくように反論し、そんな自分に驚いた。


『そうねぇ、天遠乃だからかしらね?』


 寂しそうに笑う、その顔。


『……ごめんね』


 昔も言われた。

 家の目を盗んで会いに来て、別れ際に、いつも。


『なんで謝るんです』

『守弥には、負担ばかりかけてるから』


 そう言って帰るのだ。いつも。


「……何故」


 今、自分はどんな顔をしているのか。崩れてはいない筈だ。声も震えてはいない。

 大丈夫だと、言い聞かせる。


「謝るんです」


 十年前に。まだ周りが諦めていない中早々と、そう・・だと思って、そのつもりで生きてきた。

 現に死亡報告を受けても、幽霊になったと聞いても、そうかと受け入れていた。

 幽霊くらいなるだろうと、やってのけそうだと……


『死んじゃったから』


 申し訳ない、といった風に眉が下がる。


『守弥には、死んでからも負担をかけちゃってるわね』


 本当ごめん、と言葉を重ねる。

 それはやはり、どこからどう見ても天遠乃神和だった。


「……いえ、それほどでもありません」


 姉は死んだ。

 その事実が、生前と変わらない姿の霊を前に、改めて──初めて、胸に落ちた。



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