64 荒れ狂う中の
「……あれが、そうですか?」
だんだんと見えてきたモノに、なんとかそんな感想を口にする。
「そうだ。あそこから結界を張ってるから、あの嵐みたいなのはこっちまで来ない」
嵐、と
もう少し登った道の先、いや、そこから左右の森含めての山全体。
何故かそこから一気に暗くなっていて、見通しが利かない。近くは僅かに把握できるけど、風が吹き荒び木々が千切れ飛んで、まるで台風の映像でも見ているようだ。
これは、亀裂から発生したものだという。
「音が聞こえないのも、結界のおかげでしたっけ」
何もないように見える、けれど確かな隔たりが、向こうからの石や枝を弾く。だけど全く音は拾えず、より映像っぽさ──現実味の無さが強まる。
「ええ」
「っ!」
「でないと、辺り一帯に轟音が響き渡りますから」
……いつの間に、
「山全体の人払いは常時していますが、すぐ下は生活圏ですからね。そんな状態で怪音が響けば、面倒事が起きます」
それも説明されたな。もう一回してくれるとは、いや私が聞いたからか。
山に人が入らないようにしてるから、逆にてつは堂々と歩けている。
そしてこの目の前の結界、本来は視認も出来ない『設定』らしい。だから海江田さんも遠野さんも
私はかけずとも見えてしまう。それだけてつの力が、身体に馴染んでいるという事なんだろう。
「じゃ、俺はここまでだ」
亀裂とそれによる嵐を閉じ込めた結界の前で、海江田さんがそう言った。
現地の支部の案内役は、現場、ここで言うと結界の中までは入らない。あくまで案内だからだと。
「はい。ありがとうございました」
前の二ヶ所じゃ、もっと遠くで案内終了だった。元々全体を把握してる遠野さんがいるという事で、一応問題はないんだろうけど。
皆、怖いんだろう。亀裂に近付くのも、てつや私といるのも。知り合いでもない私達のせいで、
「ちゃんと戻ってこいよ。三人とも」
だからここまで言ってくれる海江田さんは、スッゴい良い人だ。
「はい! 行ってきま──」
するり、と脇を抜けて、てつが結界内に入った。
「てつ?!」
──やり取りが長い。
「は?!」
固まる私達へ振り返り、てつが顎をしゃくる。
「さっさと終わらせたいんでしょうね」
「ははっ、悪い」
「すみません……」
頭を下げる。視界の端のてつが、苛立たしげに尾を振って舌打ちするのが見えた。
「ぶり返しましたね」
「え?」
「いえ、なんでも」
遠野さんは首を振り、
「では、行きましょうか」
それに頷き、薄暗い嵐との境界線に手を当てる。
今だけ通れるようになっている結界をすり抜け、てつの隣に立つ。
「……」
そして、押し込めていた力を自由にする。
〈助けて、助けて助けて助けて助けて助けて!!!〉
〈嫌、嫌だ!〉
〈こんな筈じゃなかったんだ!〉
〈殺して!! 助けて!〉
〈──たいぃ……痛いぃぃい……──〉
「っぁ、う……!」
あらかじめ貰っていた護符で、飛んできたものは当たる前に弾かれる。けどやっぱり、この叫びは入ってくる。
「杏」
「榊原さん!」
一瞬ふらついたけど、保たせた。これで四度目、さすがに慣れてくる。
「……大丈夫です」
てつが
「大丈夫です。すみません、度々」
「……いえ」
後ろを見ると海江田さんが、驚いたような、それとちょっと不安そうな顔をしていた。『かれら』にがんがん揺さぶられて気は読めないけど、多分、心配されている。
すみません、とあっちにも、声は届かないから表情だけで言ってみた。
『! ……──、────!』
何か言われた。いやさっぱり聞こえないんですが。
「……フン」
てつは分かったみたいだ。
「え、なんて?」
「……」
「え、無視?」
「まあ、無理せず頑張れ、というような事でしょう。彼の性格を考えると」
遠野さんが苦笑する。
「自身のためにも、そんな海江田さんのためにも、早々に終わらせましょう」
よし、と気合いを入れ直して、暗く荒れ狂う山を登る。
「……てつ」
そして、懸念していた事が出てきた。なんでか少し落ち着いていたらしいてつの調子が、また悪くなってきている。
「大じょ「うるせぇ黙れ問題ねぇ」ぅ……」
神社に、亀裂に近付けば近付くほど、てつの気が揺れ動く。叫びに振り回されても分かるほどに、表面上からでも変化が見えるくらいに。
「……」
ぴったりくっつく、ていうか押し付けられてると言いたいくらいにてつが近い。
けど、私もてつも歩くのに支障は出てない。私、というよりてつが上手く避けているのか、
飛んでくるものも同じくで、これもまたてつの力だろうか。
けど、隠し切れてない怯えはどうにかしたい。そもそも何に怯えてるのか、いまいち私には分からない。
「……そっちは」
てつを酷い目に遭わせた『犯人』に、ここまで怯えているのだろうか。泣き叫ぶかれらのように。
「榊原さん」
でも何か違う気がする。それも絡んでるとは思うけど、『これ』はズレる感覚がある。
「……っ」
ああ、けど。何にしても。てつをこんな風にしたのは『そいつ』……『そいつら』? だって事は間違ってないと思う。
「てつさん! 榊原さん!」
未だにてつがそこの記憶を取り戻せてないのも、それのせい。
ああ、またムカムカしてきた。
早く、この場所の亀裂を宥めて。『そいつら』に少しでも──
「突っ切る気ですか! そっちは獣道ですらありませんよ!」
びくりと巨体が震え、その振動で我に返った。
「……は、え……あ?」
「お二人とも、感覚だけで動かないで下さい」
いつの間にか、完全に道じゃない場所を進んでいた。その後ろから、遠野さんが藪をかき分け近付いてくる。
「榊原さん。過集中で気配を追っていましたね?」
「……!」
「確かにこの方向なら最短距離ですが、ただでさえこの荒れようです。危険が増します」
また、力に引っ張られていた。そして指摘されるまで気付かないなんて。
「すみません……」
「……慣れない力で無理をさせているのですから。謝るべきはこちらです」
お互いに声のトーンが落ちる。こういったやり取りも、もう何度目か。
「てつさんも。周りを見る余裕を失くす──」
遠野さんの言葉が途切れる。私も、唖然とそれを見る。
私のすぐ隣にいた雄大な狼は、長い尾を下にして耳を伏せ、縮こまっていた。
「っ?! ……榊原さん!」
震えながらも離せないでいるその視線を、辿る。
なぎ倒されそうに揺れる木々の、数本向こう。暗くて見え辛い、でも、思いの外近い距離。
「ぁ」
長い黒髪をポニーテールみたく高く結って、袴を履いた、
「動かない「違う!!」っ?!」
「違う! てつ! あの人じゃない!」
あれは人じゃない!
「……ッ……、っ……!」
思い切り揺さぶっても、てつの視線は『あれ』に釘付けのままで。
「てつ、てつ!」
〈──厭ぁああぁあ!!〉
「……ッ!」
『かれら』の声。芯に響くそれで、目の前がチカチカしてきた。
〈……んで、なんで? どうして……?〉
ああ、頭がガンガンする……!
〈苦しぃ……助け────誰か! 誰か居な──〉
声が、こんな時に思考が鈍る!
てつはガクガク震え、総毛立ち、私の声も届いてないと理解する。
「榊原さん、てつさんと下がって下さい」
『何か』との間に遠野さんが立った。
遠野さんの気も揺れてる。何か、あれに放ってる? でも弾かれて……。
「下がれますか?」
「ぁ……さ、がれます! てつ!」
はっとして、もう一度その前脚を掴もうとして。
「……っ?」
瞬間、空間がぐにゃりと歪んだ。浮遊感が、全身を包む。
「え、わっ?!」「ッ?!」
瞬く間に景色は切り替わり、
「ぅ、っ!」
ツヤツヤした木の床に、転がった。
どこ、板張り? 何? ……こんなの、前にも?
「見た目は人間だな」
「?!」
その声に跳ね起きる。
がらんとした、天井の高い木造の建物。私はその中央に『落とされた』らしい。
てつもいない。遠野さんもいない。居るのは──
「中身も一応人間でしょ。ていうか前はただの人間だったし」
そこから少し離れた場所に、子供が四人……全員、人じゃない。
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