60 それは頼み事とは言わない
姫様について、てつに頼みたい事があると。
「面倒だ」
てつは相変わらず素っ気ない。
「そんな事言わずに」
けど気にはなってたんだろう。話だけでもと言った私に、渋々ながらも承諾した。
今日は特に居残る理由も無かったので、大学を後にし支部に直行する。本来今日は休みなので、突然のシフト入りみたいな扱いになる。
「おい、出るぞ」
「え? あ、ぅえっ…………てつ」
「あ?」
もう支部の中。だから、まあ、出るのはいい。
「もう少し、余裕が欲しい……出るまでの」
「はあ? ……はあ」
通路に降り立った狼は、呆れたように溜め息を落とした。
「注文が多い。そんなら中に入れるんじゃねえ」
「……じゃあ出歩く時、どうするの」
「このままで行く」
「目立つから」
いやそこ以外も問題だ。
「てつは見えるんでしょ? 周りに」
「だから何だ。お前らは辺りを気にしすぎだ」
言いながら歩き始める。
「そりゃだって……有り得ないものを見たら驚くし」
小走りになって隣に並ぶ。
「驚かせときゃあ良いだろう」
「なんでよ」
「こっちが気に留める必要がどこにある?」
そこまで清々しく言われるとなぁ。
「こう……あ」
「あ?」
扉を開けると、モノクロの人物がすぐ先に。
「てつさん、
「遠野さん、お疲れ様です」
元の通りに、どこか読めない笑顔が立っていた。
「ああそういえば、てつさん」
通路を歩き、エレベーターを乗り換える。
「『覚えとけ』と言われて覚えているんですが」
姫様がいる場所まで、遠野さんの先導で進む。
「僕は何をすれば良いですかね?」
本当に一日で復帰したよこの人。どこも不調は無いし、久方ぶりに休めたとか言ってくるし。
「八つ裂かれれば良いですか?」
そして今度は何を言い出すのこの人。
「はあ? ……ああ」
てつは何で納得した感じになるの。
「死にたがりに手を貸すのは趣味じゃねえ」
「は?!」
「儲けたと思っとけ」
「そうですか、分かりました」
……話の見えない私が馬鹿なの?
「榊原さん。お二人に、お社に行って頂く直前の話ですよ。覚えていませんか?」
「……あ、ああ……」
てつが相当怒ってて。そんな事も、言ってた、そういえば。
「嫌みったらしく律儀な奴だ」
「有り難う御座います」
なんだろう。口を挟まない方がいいかな、これ。
遠野さん、死にかけてどっかのネジ飛んだ? 本来がこう?
「そうでした、榊原さんにも」
「え? はい」
真っ直ぐ前を向いたまま、
「本部長とお会いしたそうですね」
冷たさを感じる声を飛ばされた。
「……はい」
これは、説教か。歩きながら説教か。
「本部長は何かと真っ直ぐな方ですから、まあまあ慮った行動をお勧めします」
……はい?
「さて、丁度着きましたね」
何も無かったように、T字の突き当たりで振り返られる。そんな。
「ここに姫様、瑠璃鱗の磯姫様がいらっしゃいます」
その突き当たりの壁を、コンコン、と叩く。そこから波紋が広がって、壁は白から青へ変わった。
「……は、ぁ」
青じゃない、透けたんだ。
水族館の大きな水槽のような、そんな眺めが広がった。それが左から右まで、壁一面に。
「それで、今日お呼びした内容ですが」
水の奥へ向きかけていた意識を戻す。この広さ、一瞬じゃ姫様は見つけられない。
「てつさん、に上からの命が来ています」
上? ……本部長?
「基本的に退けられません。それを承知の上で聞いて下さい」
遠野さんの目が細められる。
「榊原さんと二人で、姫様を目覚めさせる事」
目覚めさせる? ……え、私も?
「目覚めさせるのはどちらでも構いませんが、取り組むのは二人で行うように。と、そういう指示です」
てつに来た話なのに、私も? というか、
「え、目覚めさせるって……どういう事ですか」
「そのままですよ。あれから姫様は、目を覚ます事なく眠り続けています。そしてそれは、外的要因からではありません」
目覚める事を拒み、世界との繋がりを絶とうとしているから。
自らそうしていると、そういう事か。
「上からだの何だの、俺が聞く義理はねえ」
いつものようにぶっきらぼうに、てつの声が耳に届く。
「やらなければ後々の方が面倒ですよ、てつさん」
話を聞きつつ、青の向こうに目を向ける。姫様が気になって、ガラスへ足を向けてしまう。
「面倒になるのはお前らが、だ。俺がやる理はねえな」
生き物は何も見当たらない。揺れる海藻も、珊瑚も、全ては
「そうバッサリ言えればこっちも楽なんですが、そうもいかないんですよ」
姫様はどこにいる?
「勝手に言ってろ」
「……てつさんは良いとしても、榊原さんが問題になります」
居た。あそこ。……あれが。
「一度、取り組むだけです。その後の結果はまた別になります」
「やらせて下さい」
てつが何か言いそうになったけど、私の言葉のが早かったようだ。
「っ……
「やらせて下さい、私はやります。……お願いします」
てつに変だと言ったけど、私もどこか変だ。
「……ええ、お願いします。……てつさん」
その真っ白な眉が、ほんの少し歪んだ気がした。すぐ戻ったけど。
てつの顔は分かり易く皺が寄った。
「そんな良いように使われて楽しいか?」
良いように使われてるのか。
「楽しいかは、考えてなかったけど。あの姫様はどうにかしたいよ」
水の奥の奥にある、あの岩。
「俺ぁそういうのに手は貸さねえ。あいつの意思でああなってんだ、放っておけ」
蜷局を巻き、身体も丸めた姫様。一目見るだけなら、そう彫刻された石像にも見える。
お社の時とは違って、同化している訳じゃない。姫様が姫様のまま、岩に変化しているんだ。
「じゃあ横で見てて。二人で行かなきゃいけないんですよね?」
こんな強い口調、昔なら使ってない。使えない。
「そうです。てつさん、本来なら拒否は出来ないんですよ。腹立たしいとは思いますが」
その場合どうなるか、あなたは解っているはずだ。……何でそんなに、分かり難い言い方になるんだろう。
「……下らねえ……」
てつは相当苛ついている。牙を剥いて、地を這うような声を出す。
「てつ、見てるだけで」
「ああ手は出さねえ。居るだけだ。何があろうともな」
これは骨が折れそうな……え?
「は? 今なんて」
「手は出さねえっつった。お前だけでやれ」
あれ? オーケーが出た?
「……ではこれを」
「あ、はい」
受け取ったそれは、この間も使った護符。
「? ……あ」
水の中に入るからか。
「てつさんも」
「いっちいち面倒くせぇ」
前足に着けられる前に、てつはそれを咥え持った。
「指までいかれるかと思いましたよ」
「そんな無駄な事誰がするか」
呆れ顔が返される。遠野さんは笑うけど、私もちょっとひやっとしたよ。
「ではもう入れますので、どうぞ」
遠野さんの言葉が終わる前に。
てつはガラスをすり抜けて、水の中を泳いでいく。
「……てつ?!」
「これは本当に、後が怖い」
なんですかそれ?!
『早く来い』
行きますけども?!
「では、榊原さんもどうぞ」
「……」
流されては、いないはずだ。私が行かせてと言ったんだから。
ガラスへ向き直り、手を当てる。床を蹴り、半分吸い込まれるように、身体を水へ。
「ほどほどに。失敗しても良いですから」
その後も何か呟かれたけど、小さすぎてよく聞こえなかった。
「行くぞ」
「え、まっ……速っ!」
てつはもう姫様の側にいる。慌ててそれを追う。
「言ったが、俺は見てるだけだ。……万が一、死にかけたら手を貸す」
「……」
死にかける事が起きるの?
「……まぁ、いいよ。分かった」
そんな事を起こさなければいい。……この自信どこから来るんだろう。
「私だけでやる。てつの手は煩わせない」
その場に伏せた狼は応えない。ただこっちを見据えるだけ。
「姫様」
意識を集中させる。
私もやっていいって事は、てつの力を使っていいって事だよね。
「起きてくれませんか」
近寄り、触れる。その感触は滑らかで、とても冷たい。
「……ねえ」
姫様の意識は、深く遠い底の方にある。そこに入り込んでいく。
「ねえ、姫様」
何もかも拒絶して、否定して夢を見てる。
似たものを知っている。けど、あれとは違う。
「目を開けてくれませんか。……くれませんか」
触れる度に弾かれる。受け入れたくないと揺らぎ叫んで、私にも罅が入りそうだ。
「姫様。あなたが拒む世界には、あなたを想うひと達がいます」
あの島、他の島、海一帯。
「あなたが今いるところには、誰がいますか? 独りきりじゃないですか? ……姫様」
今から私は酷い事を言う。微睡む夢を、壊す。
「イーシュは、もう居ないんです」
波打つ髪が私に巻き付き、締め上げてきた。
「っ……」
岩に色が戻り、動き出す。
「…………ああ、お前」
起こされた姫様は、艶やかに、身の毛もよだつ笑みを湛える。
「人間よ、選ばせてやろう。どうやって死にたい?」
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