57 雀の頭は堅いらしい

「あ?」

「聞いてくれますか! この話!」

「んわ?! ちょ」


 華珠貴かずきさんは私の頭に登り、声を張り上げる。


「島の皆さんを探している時に! 変な感じがしたんですよ! 空の方から!」

「空、ですか」


 顎に手を当て目を細める遠野とおのさんへ、多分、華珠貴さんは頷いた。


「はい! なんか知ってるような、知らないような、そんな気配が一瞬……一瞬で分からなくなっちゃいました……」


 華珠貴の声はへにゃりと崩れ、身体もだらりと力が抜ける。落ちない?


「その事について、誰かに話をしましたか?」

「一緒にいたしゅんさんと明日香あすかさんに言いました……でもそれだけ……もやもやしますぅ……」

「ええと、華珠貴さん」


 そのまま離れない黒猫を持ち上げ、頭から剥がす。うわすっごい伸びる。


「知ってるようなっていうのは……どこかで会ったとか、そういう事ですか?」

「そんな気もしますぅ……でも思い出せません……もやもやするぅ……」


 前に持ち直した華珠貴さんは、餅のように長く垂れる。そしてうにゃうにゃと声を出す。


「会った……華珠貴さんが会った事あるのって、住処いえのひととか支部の人とかですか?」

あんず

「いや、その」


 てつの苛立つ声に顔を上げる。でも、このうにゃうにゃ。とても物悲しく聞こえるもんで、話を終わらせるのが忍びないんだよ。


「ンナァ……住処の誰かじゃ無いです……似てなかったです……支部ここの、誰か……?」


 いまいちピンと来ないらしい。


「華珠貴さん、その事については──」

「あ」


 滑らかにスライドしたドアから、スーツの人がぞろぞろ入ってきた。え、なんかお偉いさんな感じがする。


「……これは、どうも」


 いつもの笑顔を向けた遠野さんには応えず、


「君は?」


 しかも一番上っぽい人がこっちを見る。


「え? あ」

「彼らは今回のメンバーです。もう帰る所なので」

「え」

「おうじゃあ帰んぞ」


 え、てつ? ちょっ……そんなさらっと出て行く?!


「おい」


 ドアの前で催促される。てつは本当に帰る気満々らしい。

 いやだって挨拶とか……。


「では、お疲れ様でした」


 振り返ると、胡散臭く笑ったまま遠野さんが言ってくる。


「……お疲れ様でした……失礼します」


 急になんなんだ。入ってきた人達へも会釈して、ドアをくぐる。


「また今度ですー……」


 ゆらゆらする華珠貴さんを抱え直し、通路を進む。


「……良いのかなあ、さっきの」

「あ?」

「だってさ、さっき来た人達……お偉いさんみたいだったし」


 なのにそそくさと出てきちゃって。後で怒られやしないだろうか。


「気にすんな。いちいち気にしてたら切りが無え、あんなもん」


 あんなもんて。


「華珠貴さんはどう……華珠貴さん?」


 腕の中で、黒猫は規則正しく寝息を立てていた。


「あー、疲れてたんだね……まあ、そうか」


 初めてが沢山で、予定も変わって。見た目より幼い猫又の元気は、底をついたらしい。


「じゃあ鈴音すずねさんの所に寄って、……帰りますか」


 諸々は明日以降だな。さっきのも明日、遠野さんか誰かに聞こう。


「……鈴音の怒りが、こっちに向かなきゃいいがな」

「なにそれ怖いんだけど」




 あー……よく寝た。うん、やっぱり自分のベッドのが、睡眠が深い気がする。買って3ヶ月くらいだけど。


「てつおはよ、ぅ?」


 ベッド脇で寝ていた筈のてつは顔を上げ、真っ直ぐに窓を見上げていた。


「てつ?」

「また、面倒な奴が」


 何が、と聞く前に

 バシン!


『っだぁ?!』

「はっ?!」


 ……今、窓に何かぶつかった? しかも盛大に?


『くう! くうう! この程度……っ! 痛くも何ともないのだからな!』


 とても痛そうに唸る、高めの声。どこかで聞いたような……あ。


「構うな。……おい杏」

「でも、怪我してるかも知れないし」


 多分、頭から突っ込んだよね。幸い窓ガラスは割れてないけど、ビルに衝突して死んじゃうとか、テレビでやってたりしたし。


「大丈夫ですか?」


 カーテンと窓を開ける。サンダルの上で懸命に羽繕いをしていた雀が、ぴゃっと跳ねて頭を上げた。


「あっ杏! いや?! 何も?! 特段可笑しな事はない!」

「いや正宗まさむねさん、窓に激突しましたよね」

「そんな事はない! 無いのだ!」


 元気そうに言うけれど、なんだか顔を顰めてるような。やっぱり痛かったんじゃ?


「まあ、入ってください」


 氷は無いから、濡らしたタオルでも作ろうか。動物病院……はさすがにあれだよね。


「なんとも! ないが! 入らせて貰おう! 御役目も果たさねばならないからな!」


 正宗さんは、目にも留まらぬ速さで私の脇を抜け、


「ひゃあ!」

「あ?」

「え? っひぃやあ?!」


 首の後ろがわしゃわしゃする?! 何?!


「まっ正宗さん?!」

「違う! ちょっと驚いただけだ!」


 それはいいから降りて?! くすぐったいな?!


「……雀、退け。今すぐ」

「いっ?」

「ヂュッ?!」


 てつの声が、とても低い。


「喰われてえか? あ゛?」


 正宗の動きが止まる。


「聞いてんのか?」

「てつ。待って、てつ」


 体を反転させ、動かない正宗さんを後ろへ。


「正宗さん驚いただけだって。ね、正宗さん……正宗さん?」


 反応がない。それになんか、重さを感じる。


「え? 正宗さん?」


 何が起きたんだ。真後ろなせいで状況を把握出来ないんだけど。


「……はぁ、おい、背ぇ見せろ」

「いや、だから待ってって」

「違う、外す」


 人型になって、胡座を掻いたてつが、呆れたように。


「気絶しやがった」




「いや、世話をかけた」


 タオルに寝かせて着替えている間に、正宗さんは目を覚ましたようだった。バスルームから出た途端に、また飛び込んで来たのは驚いたけど。


『杏あいつ怖い!』


 口調が崩れてましたよね?


「いえ……それで、朝からどうしたんですか? 後、ぶつけた所は平気ですか?」

「ぶつかりなどしていないのだ! よって全く問題無い!」


 正宗はローテーブルの上で羽根を振り回す。振り回すとしか言いようがない。


「早く要件を言え。『御役目』だかがあんだろう」

「そうだ! 杏! お宮の方から杏へ、言伝ことづてを承ったのだ!」


 ぴょんと私へ向き直り、正宗は胸を張るような仕草をした。


「言伝?」

「そうだ。直に伝えよ、と仰せつかっている。心して拝聴しろ」


 その小さな嘴は一度閉じ、ゆっくりと開かれる。


『──榊原さかきばら杏。人の子よ』

「?!」


 正宗さんの声じゃない。それにどうして、頭に直接その声は響く。


『先は大変だったろう。まだその身には余る事を、沢山したね。お前は強い子だ』


 いや、これは声なんだろうか。聞くというより……なんだろう。陽の光を浴びるみたいな。


『強いが、そのためにお前が息を詰まらせやしないかと、私達は心配しているよ。……杏、今は其処が良いならば、私達は見守ろう』


 染み込む、沁み入る。私の根源を、包み込むように。


『けれど、苦しみに身を蝕まれる前に。此方へ。お前がそれを望むなら、私達は受け入れよう』


 苦しみ……


『人である、未だお前は脆い。杏よ。私達は何時でも、お前の傍に在る事を、忘れないでおくれ──』


 空気が変わり、雀が再度、胸を張る。


「との事だ!」

「…………え? あ? ……正宗さん?」


 今なんか意識が飛びかけた? ……いや、途中からふわふわしてた。何故。


「んむ? 杏よ。きちんと聴いていたか?」

「あ、や、聞いてはいましたけど。……要するに?」


 どういう事? 頑張ったね、みたいな所は分かったけど。


「ふむ。ワタシの後輩になれるという事だな!」

「……」


 余計分からなくなった。


「後、輩? ……てつ、?!」


 横を向いたら、眉間と鼻の皺がすごい狼男が。加えて視線の先の雀を、眼孔鋭く見据えている。


「……どいつもこいつも勝手だな」

「何を?! これはとても神聖で、途方もなく名誉な事なのだぞ!」

「神聖で名誉なぁ」


 鼻で笑うてつに、正宗さんは天井まで飛び上がって、その高い声を張り上げる。


「お宮の方々は我らがあるじ! この地を治める方々への愚弄は、その地に棲む全てへの愚弄である!」


 今のそんな凄いひとだったの。


「だから何だって?」

「先ほどからなんだ! お前の意思がどうであろうと、これは杏への言伝だ! お前には関係がなかろう!」


 正宗さんの声は高くなり続けるし、てつはそれを聞いて立とうとする。


「ちょ、ちょい……二人とも、落ち着いて。特に正宗さん、少し声を落としてくれませんか」

「何故だ!」

「近所迷惑になりますから」


 鳩が豆鉄砲を食ったような、雀だけど。そんな顔になって、正宗さんはテーブルへ降りる。

 てつもそれを見て、また座り直した。


「……ふむ。以前も思ったが杏よ。お前はちょこちょこ、器が大きそうな言動をするな」


 大きい訳ではないと。これは怒るべきなの?


「……えー、と。一旦話を戻しますけど」


 流そう。話が長くなる。


「そもそもどうして私は、……勧誘? を受けたんでしょうか」

「ふむ。端的に言えば、ワタシ達と近しくなったからだ」


 首を捻る私の横で、てつが溜め息を吐いた。


「お宮の方はお優しいからな。すぐ此方に来なくとも良いと、先にも仰っていただろう?」

「ああ、はぁ」


 見守ってるとか、なんとか?


「人はシンペンセイリが面倒と聞くからな! 身を軽くしてからお宮の方々へ仕えよ! 杏!」

「はあ…………は?」

「ではワタシは行く! 御役目もしっかり果たしたのでな!」


 言って正宗さんは勢い良く飛び立ち、外へ──


「え? あっ! 正宗さん待っ」


 バシン!


「っでゅう?!」


 出ようとして窓にぶつかり、ぽてっと落ちた。


「だっ大丈夫ですか?!」


 今度こそ頭から突っ込んだぞ?!


「い゛っ痛くない……! ちょっとあれだ! あれなだけだ!」

「……こいつ、前より阿呆になってねえか」



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