54 破裂

榊原さかきばらです! 姫様の一時保護完了しました! 連結お願いします!」


 船に付いてる梯子に手をかけ、海から顔を出す。D班の人達はもう甲板に出ていて、


「了解」


 持っていたロープを、姫様の結界へ投げる。ロープはまっすぐに、半分海面から出た水色の結界はこへ伸び、勝手に絡みつく。


「……連結完了」


 持っていたロープの端を、足元の鎖へ結び付け、一息吐くD班。

 ……うん、どうなってるのか分からない部分が多すぎて、ただ不思議な光景に見える。


「姫様? ……姫様!」


 こっちでも、すでに保護されていたひと達が姫様を見て声を上げた。


「姫様! ご無事……なのか?!」

「おい! 姫様はどうなさったんだ?!」


 皆結界の外へ、姫様の元へと寄ろうとして、その勢いで結界が揺れる。


「うわっ?!」

「お?!」


 繋がっている船も揺れる。というか傾いで、上の人達が転びかけた。


「ご、ご無事です! 落ち着いて下さい! ……今は、気を失っていますが……ちゃんと目を覚まします」


 姫様の気は、とても落ち着いている。それに、僅かだけど回復してる。


「皆さんと共に、姫様も支部へお運びします。そしてきちんと治療と、療養も受けられます」

「共に……!」

「姫様も一緒に行けるんだな!」

「はい」


 頷くと、歓声が上がった。そしてまた結界はこが、船が揺れる。


「また?!」

「だから落ち着いて下さいって! 姫様も揺れますから! 静かに! 安静に!!」


 姫様、という言葉でまた倣うように揺れが収まる。……『姫様』効果が凄い。


「……では、私達は戻りますので……宜しく、お願いします……」

「あ、ああ……」


 双方少し不安な顔でやり取りをして、私はまた潜った。


「てつ、お待たせ」


 面倒と言って上がらなかったてつは、すぐ下にいた。


「……」


 そして、お社の方へ目を向けている。


「てつ? 何か……」

「……妙な……いや、何でもねえ」


 言いかけ、口を閉じる。


「妙? 何が──」


 何かが、悲鳴が、膨れ上がる。


「?!」


 瞬く間に破裂し、それは溢れ出た。


「何……ぅわっ?!」

「社だ」


 濁流に流されかけ、てつに捕まえられる。


「お社?!」


 上の船も、連結された結界も大きく揺れてる。幸い、転覆するほどじゃないみたいだけど。


「あいつ……何かあったな」


 人型になったてつに俵抱きされ、私は目を丸くする。


「あいつ、て……遠野とおのさん?!」


 お社から溢れ出し、流入して来る異界。そこを留めていたのは遠野さんだ。


「ああ。今、あそこに近付くのは……」

「行かなきゃ!」


 遠野さんは勿論、他の人だって。保護してないひと達だって、まだいっぱいいる!


「お前なぁ……」


 てつが呆れた顔で私を見る。


『榊原です! 今から戻ります! お社に何がありました?!』


 敢えて無視して呼び掛ける。何か雑音は聞こえるけど、誰も応答しない。


「お前、本っ当おまえ……」

「ごめんてつ! でも戻ろう! 私一人でも流されないようにするから!」


 お腹に回ったてつの腕を叩く。


「迷惑かけないので! 離して平気なので!」

「……いい」


 濁流の中、大きな溜め息を吐いて、てつはお社へ視線を投げた。


「離せば何をするか分からねえ。この方がまだマシだ」

「信用がない……!」

「当たり前だ阿呆」


 言って、濁流を掻き分ける……というより、流れの境目を縫うように、てつは進み出す。

 ほとんど何の抵抗も受けないで、滑らかに泳いでいく。


「どうやってるの……」


 抱えられたままの私は、ただそのまま連れてかれるだけ。


「いちいちぶつかるなんてのは、無駄に力を使うだけだ」

「いやまあ、そうなんだろうけど」


 もう窪地は目前。けど、濁りと淀みと濁流で、状況が読み難い。


「っ……」


 それに、今までの比じゃなく、叫びが響いていた。強く、それこそ轟くように、慟哭が辺りに撒き散らされる。


「ぐ……ぅ……!」


 頭に、身体に、私のなかに入り込んでくる。


「ぅあ……!」


 入れるな。追い出せ。受け流せ。正面から向き合えば、呑み込まれる。


「杏! ……この馬鹿が!」


 大きな金色が、視界を覆う。途端、声は小さくなる。


「……っはあ……! はぁ……」

「だから、近付くなっつったんだ」


 狂ったような音が消え、思考がはっきりしてきた。


「……すみません」


 てつに顔を押さえられた状態で、だんだんと周りが視えてくる。

 あの後、稲生さん達に詰め寄ってたひと達は、すぐに結界に入れたんだろう。沢山の四角の中で、濁流に押されながらも無事なのが解った。


「……てつ」


 A班もB班も、それぞれ結界を張ったりしてるのが視えた。散らばってしまってるし、身動きが取れないようだけど。


「あ?」


 はっきりしてきた頭で、考える。そして一つ、分かったことがある。


「てつは保護したひと達が遠くに行かないように、集めてくれない?」

「はあ?」

「私はお社へ、その亀裂を『解きほどき』に行く」

「はああ?」


 てつが呆れるのが、そしてまた苛立つのが伝わってきた。


「馬鹿も休み休み言え。この場に立つ事すら出来てねえ奴が」

「出来ます」


 てつのもふもふした大きな手をぐいっと外し、その顔を見上げる。


「てつのおかげで、もう大丈夫」

「……」

「それに、この叫び想い。無差別に響いて、震わせてるかと思ったけど」


 それを受け流せてないんだと思ってたけど。


「何分の一かは明確に、私に向かってる」


 だから、余計に影響を受け易かったんだ。


「なんでかは分からないけど。でもそれなら、私がお社に行けば」


 四方に広がる濁流が、幾らか私に向かうはず。この一帯への影響は、少しだとしても薄くなる。


「皆が動き易くなる。それに、あの亀裂、なんか絡まってる感じがする。それを解く」


 てつは無言で、斜め上から私を見下ろす。


「だからてつ、手を離して欲しい」

「……で?」

「で……って?」


 てつが、嗤うように頬を引き上げた。


「この海のは兎も角……ああ言ってる奴らを助けるって?」

「は?何言って」

『────から! これもあいつらのせいだろ?!』

「え」


 突如聞こえた、雑音混じりの怒声。


『俺達は生け贄同然なんだろ! 囮だかなんだか知らないが、結局こんな事が起きた!』


 B班の人の声。焦りと苛立ちと、悲壮感が綯い交ぜの叫び声。


『落ち着け。今は、その起きた事に集中して欲しい。遠野とも連絡がつかないこの状況は、かなり不味い』


 稲生いのうさんの声も聞こえる。抑え気味の、いつもより低い声音。


『ああ不味いな! 遠野さんに、天遠之あまえのの方に何かあった! 上に殺される!』


 てつの力だ。それ・・で聞き取れないはずの、別の・・回線の声を拾ってる。


『煩いな! 落ち着けって稲生さんが言ってるじゃんか! 今はこの場をどう切り抜けるかだけ考えろ!』

『黙れガキ! お前と違ってこっちはただの人間なんだよ!』

『今それは関係ないだろ馬鹿野郎!』


 ぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃだ。


『あの、……』


 私の使うモノは、その回線は通ってないらしい。声を届けようにも届かない。


「で? どうする」


 てつが冷たく笑う。


「……行くよ」

「あ?」

「何がどうだろうと関係ない。織部おりべさんも言ってたでしょ、どう切り抜けるかだけ考えろ」


 その冷徹な眼を、真正面から見返す。少し睨んでるような、私の顔が瞳に映る。


「……この…………」


 少し、その青緑が揺れた。やがて、てつは大仰に溜め息を落とし、


「どこまでも…………阿呆が……」


 腕の力を緩めた。




「っ……!」


 荒れ狂う、その中心へ。また一歩足を進める。


「……つよ……っ」


 足を掬われかける。やっぱり一緒に来てもらうべきだったかと、一瞬思考が逃げに走った。


「……」


 ここまで来て、弱音を吐くな。


「大丈夫、いける」


 てつは流されてしまったひと達のもとへ。私はお社へ。また、別々に動いてる。


『何かあったらただじゃあおかねえ……覚えとけ』


 遠野さんの気は追えないし。稲生さん達と合流も考えたけど、諦めた。皆、距離が開きすぎてるのもあるけど……なにより。


「今私が出てくと、余計混乱を招きそうだしな……」


 囮だとか、生け贄だとか。ようするに、良い感情を持たれてなかったわけだ。だからずっと、線を引かれたような、壁があるような感じだった。


「だからなんだって、話だけど……」


 言い聞かせながら、縁を降りきる。

 あっちでの、言葉と感情のぶつかり合いは、まだ続いてる。それ・・に捕らわれて集中出来ないなんて、この状況じゃ笑えない。


「今は、お社」


 もうそこに、お社は無いけれど。白い残骸が、地面に刺さるように少し。それと、壊れた封の残滓が視て取れた。



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