53 寄り添い護る想いを

 私の背より低い、崩れかけたお社を抱く姫様。その瞳は閉じられ、長い睫が良く分かる。


「ぼさっとすんなさっさと済ませる」

「はい、あの、あんまり引っ張んないで……」


 姫様を避けるようにして、てつはお社の側へ寄る。


「……亀裂が」


 中からの叫びこだまが、強くなってる。これ、まずいんじゃ……。


「今は姫だろう。目の前の事に集中しろ」

「……うん」


 切り替えろ。今は、姫様を助けるために。


「じゃあ、やります」


 お社へ手を置く。意識を、そっちへ移すように。


「……っ」


 どぷりと、存在ごと引き込まれる感覚。私と共に、てつもこちら・・・へと。


 沈む────





 思考が揺れる、騒めく、混ざる。渦巻いていた想いの洪水に、呑まれないよう自分を保つ。

 ……これは異界のひとの叫び。あれは小さい頃の私の記憶。あれは慟哭、これは嘆き、あれは──


「っはぁ!」


 なんかもう大変! それと変な感覚! こっち異界あっちと今と昔と!

 ここから姫様を引っ張り上げるのか!


「落ち着け」


 横でてつの声がする。姿は見えないけど居るのが解る。またそれも変な感じ。


「もたついてる暇はねえぞ。姫の気はもう細い」

「分かってる」


 奥へと向かう。底の方へ、より沈んでいく。


 「……あ」


 いた。まだいる……!

 でもてつの言う通り、それはもう消えそうで。しかも。


「傍に、誰かいる?」


 小さくて、朧気で。姫様はその誰かを、しっかりと抱いている。どちらも混ざり、消えかかっている……。


「また面倒くせえ……」

「……」


 近付くと、気が混じる。けど、それのおかげで理解が出来る。


「…………」


 姫様は、この子を護ろうとしてたんだ。

 この子が護ったお社を、この子の思いを、この子自身を。


「……イーシュ……」


 ごめんなさい、イーシュ。

 お前を守れなかった。お前は皆を護ったのに、私はお前を護れなかった。


「ごめんなさい……」


 ごめんなさい。あの時私が動ければ、お前より早く動ければ。ああ、イーシュ。私の大切な子。お前は死なず、今も私の傍に居てくれただろうに。


「ごめんなさい……」


 けれど、今度は私も護れたよ。僅かばかりでも護れたよ。イーシュ。お前も、皆も。私はここで、護り続けるから……


「共に……」

「おいこら杏」

「……あ……っ?!」


 ……引っ張られてた?


「問題無いっつったのは誰だ?」

「うっ」


 意識だけなのに、頭を掴まれぐらぐらと回されてる気がする。

 けど、それのおかげでしゃっきりした。


「てつ、ありがとう」

「……」


 周りで木霊する声達に流されないように、姫様を見失わないように。一気に近付いて、二人それを掴む。


「っ……!」


 イーシュ。これからは共に。


「ひめ、さま……!」


 護ってゆこう、ずっと一緒だ。


「姫様!」


 もう二度と、お前を。


「あなたがいるべきは!」


 離さない。


「こっちです! …………?!」


 朧気な気イーシュが、


「は?!」


 姫様を、こっちへ押した。


「ええ?!」


 生きて?! え、ちょっお、押しやられる……?!


「姫は掴んだ。行くぞ」

「え、や、まっ……いや、うん」


 余計な事は考えない。ここに長くいると、私達も危なくなる。


「……っ」


 力無くもがく姫様を、引き剥がして浮上──


「……てつ?」


 てつが遠い?


「てつ?!」


 今度はてつが引っ張られてる?! 嘘?!


「てつ!!」


 遠くへ泳いでいきそうな意識それを、強引に掴んで手繰り寄せる。崩れかけたてつの意識が、また形を取り戻す。


「……あ゛?!」

「てつ! 姫様! 戻ります!」


 動揺してるてつと、未だにもがく姫様。二人を連れて。犇めく叫びに呑まれないように……一気に、戻る!




「っがはっ……はぁ……!」


 気付けば、お社の前。私はそこに仰向けに転がっていた。


「…………くそが…………」

「……は、あ! てつ?! 大丈夫だった?!」


 声にがばっと起き上がる。隣を見ると、狼姿のてつが顔を歪めて伏せていた。


「うるっせえ……何ともねえ……」

「そ、そう……? …………姫様は?!」


 勢い込んでお社へ振り返る。


「あ……」


 ずっとお社を抱き抱えていた姫様の手は、そこから外れ。くずおれるように、地面に半身を横たえていた。お社に巻き付いていた長い尾も、緩んでそこから離れている。


「い、けた……?」


 でも、その『気』はまだ小さい。大丈夫なの……?


「心身共に消耗してるだけだ。社からは剥がれてる」

「そっ、か……じゃあ」


 姫様を、助けられたんだ。


「や、やった……っ?!」


 社からの悲鳴が、直にぶつかってきた。

 なんで、どうして、誰が、誰か、助けて──


「っ……ぅぼぅえっ……」


 流しきれない。受け止めてしまう。私の、魂が揺さぶられる。


「この……阿呆が」

「うぇ……てつ……?」


 てつは立ち上がり、私と社の間に……社を見るように立って、唸った。


「引っ込んでろ」


 叫びが、遠くなる。気持ち悪さが、引いた。


「……て、つ……今のは……」

「押し込めただけだ。すぐまた溢れ出す」

「まじですか……」


 もうあんまり受けたくないんだけどな……。なんであんなに悲痛な声ばっかり……。


こいつが止めてた流れが、押さえを失って暴れ出す。その前にさっさとそいつを連れ出すんだろう」

「あ、はい……」


 そうだ、この状態じゃ連れてけない。水槽けっかいに入ってもらって……


「……は、え?」


 作業着から小指の先ほどの四角い石を取り出して、動きを止める。


「今、暴れ出すって……?」


 言った?


「ぐだぐだすんなさっさとやれ」

「えっちょ、あ!」


 持ってた石を尻尾で弾き飛ばされた?! けど石は、姫様へ真っ直ぐ向かって。


「……なんという、コントロール……」


 意識を失ったままの姫様は一瞬で、ふわりと浮かぶ結界はこの中。


「行くぞ」

「えええ……う、うん……?」


 てつはこの閉じた空間の、青く濁る壁に近寄る。


遠野とおの!」


 てつが吠えた瞬間、その壁は入った時のように崩れ落ちた。


「……いやあ、ありがとうございます……」


 てつと、姫様と共に外へ出る。少し離れた所で遠野さんが、また入る時と同じ様に地面に手をついて。


「僕の力は……ほとんど必要ありませんでしたね……」


 青白い顔で浅く呼吸をしながら、そんな事を言ってきた。


「遠野さん?!」


 待ってこっちも気が弱々しいんだけど?!


「お前じゃ抑えきれねえよ。そのままやってっと姫の二の舞だ」


 冷静に何言ってんのてつ?!


「お二人が出て来たので……姫様もいらっしゃいますし……なんとか、なりますよ……」


 全然なんとかなりそうな気がしない! 笑ってるけど! 笑う余裕なんてないでしょ?!


「ちょ、と、遠野さん……! ほんと死にそうですけど……?!」

「保たせますから、姫様を……海上うえに……」


 最後まで言い切れず、遠野さんは倒れ込んだ。


「うわあ! もう本当にギリギリじゃないですか!」


 駆け寄って助け起こす。血の気がないし脈も弱いし、何よりどんどん命が削られてる……!


「僕の事はいいので……封に集中すれば、少しは……」

「何言ってるんですか死にそうな顔し、て?!」


 シャボン玉が割れるみたいに、周りの結界が消えた。逆に後ろの、お社の封の強度が増す。


「はぁ……お騒がせしました。もう大丈夫です」


 凭れていた私から離れ、遠野さんは呼吸を整える。


「いや、でも」


 確かに、さっきよりはか細くないけど。でも未だに、『気』は着実に弱っている。


「大丈夫っつってんだ。行くぞ」

「てつ、待っ──」

「姫様だ!」


 誰かが叫んだ。窪地の縁で沢山の、様々な声が、揺らぎが、渦のように巻き起こる。


「姫様!」

「ご無事か?!」

「あの者達だ!」

「お社は?! どうなってる?!」


 零れ落ちるように、雪崩れ込むように、周りにいたひと達が降りてくる。


「え、ま、待って下さい!!」


 そんなにいっぺんに動くのも危ないです?!


「──止まれ」

「っ!」


 てつの大きくもないその声で、たちまち周りは鎮まった。いや、気圧されて怯んだ。


「……榊原さかきばらさん、姫様を」

「……あっ、はい」


 遠野さんの声で我に返る。


「てつさんと一緒に行って下さい。万が一姫様に何かあっても、対応出来るように」


 周りへ睨みを利かせるてつを見ながら、遠野さんは付け足した。

 また苦しそうにし始めた遠野さんも気になるけど。今は姫様を優先しなきゃいけない。


『……榊原、と、てつ。姫様の保護収容で動きます』


 了解の声が届いてくる。てつも私に向き直る。全員分の了解それを聞き取ったところで。


「行くぞ」

「うん」


 窪地の底を蹴って、泳ぎ出す。姫様を連れて、船へ。


 またそれを追いかけて、大移動が始まりそうになったけど。


「お前らは来るんじゃねえよ」


 てつの一睨みで皆、動きを止める。


「姫様は無事です! これから船へ向かいますから!」


 悔しそうにこっちを見るひと達へ、なんとか声を張り上げる。それを聞いたひと達の気が、はっとしたように揺らめいた。


「皆さんも保護しますので! 姫様と一緒に支部へ行き──?!」


 私が言い終える前に皆向きを変え、戻っていく。我先にと稲生いのうさん達へ詰め寄り……多分、早く連れてけとか、言ってるな。


あんず

「あっうん! はい! 行きます!」


 呆れたようなてつの声に、慌ててそっちへ向かう。

 あれなら、保護も随分早く進むだろう。



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