50 状況把握

「すみませんでした」

「……あ、ああ、うん。なるほど、力を使ったわけだね?」


 瞬きをして、稲生いのうさんが私へ向き直る。背中を合わせていた織部おりべさんも、ぎこちなく同じ姿勢になった。まだ口は開いたままだけど。


「……どういう事だ!」

「今のはなんだ?!」

「あの者が……!」


 だんだんと、鮫やウミガメのひと達も、状況が掴めてきたらしい。戸惑いと怒りが広がっていくのが解る。


「……キンガ?!」

「お前! キンガをどうする気だ! まさか……」


 再び膨れ上がった感情は、私に収束したようだった。


「ここまでしてもらって申し訳ないけど、また逆戻りかな」

「っ……榊原さかきばらさん!」


 私を真ん中に、稲生さん達が守りの形を作る。


「いえ、大丈夫です」


 言って、ぐるりと全体を見回した。それを受けたひと達が一瞬たじろぐ。……別に怖い顔とかしてないんですが……。


「キンガさん、ずっと抱えっぱなしで失礼しました。ここで降ろしても大丈夫ですか?」

「……え? ……あ、ああ……」


 そう入っていたわけでもないけれど、腕の力を抜く。キンガさんはするりと滑り降り、足元から私を見上げた。


「……姫様は、本当に大丈夫なのか?」

「はい。私が視る限りは」


 するとまた、周りの海水みずが揺れ出した。


「キンガ?!」

「そいつは何か知ってるのか?」

「姫様はご無事なのか……?!」

「無事です。ですから皆さん、落ち着いて下さい」


 私の声に、周りはしんと押し黙る。

 落ち着かせるんじゃなくて怯えさせてる? 私そんな怖い顔してるのか?


「……榊原さん。何か聞いてるのかな?」

 私の左から、警戒を怠らずに稲生さんが問いかける。


「姫様については、てつから。それについて相談があったんですが……」

「相談?」


 織部さんがちらりとこっちへ視線を寄越す。


「はい。……ですがこの状況については聞いてなくて、何がなんだか……教えてくれませんか?」


 皆さんにも、と続ける。今ならこのひと達も、話を聞いてくれるはず。


「……姫様の容態が急変し、この場で緊急の措置を講じる判断を下した。したがって、周囲の者達を速やかに保護し、ここから遠ざける事とする」


 稲生さんが抑揚を抑えて言った後、肩を竦めた。


「要するに、姫様の状況が少し大変になったって事だよ。榊原さん、お社の方は確認した?」

「あ、いえ……肉眼ではまだ。感覚的には視えてるんですが」


 稲生さんが、少しだけこっちへ振り返る。何かを見定めるように。


「あー、うん。それじゃ、一回後ろ振り返ってみようか。ここからそれ・・が見えるから」


 周りのひと達は、じっとこちらを見たまま動かない。私はゆっくりと、言われた通りに振り返る。


「……あれ、が?」


 見えたのは、半球状の結界。それは大きく、もう少し広がればこの大きな窪みからはみ出そうだった。けれど、その表面は曇りガラスのようになって、中はぼんやりとしか窺えない。

 なんか、視えてたのより硬そうだな。


「そう。その中に、遠野とてつさんと姫様がいる。そして今、姫様への処置を行ってる。私達がすべきなのは」


 稲生さんは全体を見渡しながら、その声を大きくした。


「そして、皆さんにお願いしたいのは、姫様の処置が滞り無く進み終わるように、この場から離れて頂く事なんです」


 稲生さんの声が辺りに響く。


「またこの場の流れが歪む可能性があります。皆さんの身が、また危険に晒されるかも知れない。そんな事になる前に、支部へ来て欲しいんです」


 聞いていたひと達は、その顔で、鰭で、瞳の奥で、反発の感情を滾らせた。


「そんなもの! 聞く訳がないだろう!」


 誰かが叫んだ。そこから一気に、怒りの渦が巻き起こる。


「姫様はどうしているんだ! お前達が何かしたのではないか?!」

「やはりこんな者共に耳を貸すべきでなかったんだ!」


 けど、手は出してこない。私が向き直ると、怒りの形相のまま口を閉じた。

 どうやってか私は今、威圧感でも出してるらしい。何故に。


「……姫様は無事です。何度でも言います。これは嘘ではありません。なんならこの身を賭けても良い」

「榊原さん?!」


 織部さんが勢い良く振り向き、稲生さんの肩が揺れた。周りのひと達は私の言葉に、少しの困惑を見せる。


「稲生さん。現状、伝えられる事柄はそれで全て、という事ですか?」

「……そうだね」

「そうですか」


 肝心要な姫様について、これじゃさっぱり分からない。不安を煽らないようにするためだろうか。その情報が伏せられたお陰で、逆に暴動が起きた、という事なんだろう。

 それに加えて、稲生さんの言葉は、何かを削り落としているような……?


「なあ、なあ! お前はあの檻を『姫様を守っているもの』と言ったな?! それに嘘はないんだろうな?!」


 足元からキンガさんが叫んだ。その言葉に、辺りが一気に騒々しくなる。


「守っている?! あれが?!」

「閉じ込めているんだろう?!」

「嘘を言うな!」

「惑わされるなキンガ!」

「嘘じゃありません」


 また皆押し黙る。これ何回繰り返すかな。


「あれを……出したのは遠野さんでしょうけど。その意図は分かりませんが、あの結界が持つ機能は中の者を害するものではありません。そう伝わってきています」

「伝わってくる……?」


 織部さんの気が揺れている。動揺してる。稲生さんは静かに、けど少し波立つように。


「はい。結界へ意識を向ければ皆さん……」


 周りの困惑が深まった。


「とは、私のこの力は違うみたいですね。そっか、私だけが解ってたのか……?」


 反対側のひと達もこちらに気付き、B班への攻撃を止め出したようだ。そして慎重に、疑り深く、私達の様子を窺う。


「どっちにしても今、姫様の気は安定しています。多分、あの結界の作用に依るところもありますから、皆さんが閉じ込めたと仰るあの結界は、解かない方が良い」


 集まってきたひと達も合わせ、それぞれに顔を見合わせ始める。


「……けれど、皆さんの信頼を損ねてしまった事は事実です。申し訳ありません」


 深く腰を折り、頭を下げる。……こんな下っ端が謝ってもどうしようもないけど。でもやらなきゃと思った。


「違う! 榊原さんは悪くない!」

「うわっ」


 織部さんにぐいっと姿勢を戻された。稲生さんも警戒を解く。


「……うん、そうだね。それをやるべきは私達だ」


 そして溜め息……じゃない。なんだろう、なんだか複雑そうな声と表情になった。


「……それじゃあ、姫様は……? 助かるのか……?」

「あ! それです!」


 キンガさんの声にはっとする。周りのひと達がビクッとする。


「稲生さん、さっき言った相談の内容なんですが……」


 言いかけ、またはっとした。

 これ、この場で言うのは駄目じゃない?


「ああ言ってたね。何について──」

『A班B班。何かありましたね?』



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