6 非日常の中で

 てつに言われるがまま、凝りが最も溜まっているという場所へ向かう。


「いや、これは……」


 着いた先は広場だった。

 私の通う大学は第1棟から第6棟までの6つの棟が、敷地内に半時計回りに円を描くように配置されている。その円の中心は公園のように整備され、『広場』として使われていた。夜も幾つかある赤っぽいライトが広場の道を照らすので、いつもならそれほど抵抗無く使える場所なのだが。


「先がよく見えない……」


 黒っぽいもやのようなものが辺りに漂っている。よく観察すると、そのもやは緩く揺らめいていた。その揺らめきと共に、生温い空気が流れていく。明らかに、異常な空間だ。


「いつからこんな感じに……?」


 周囲にはまだ結構人がいる。皆この異常事態に気付いてないのか、普通に歩いたり、ベンチがある辺りで騒いだりしている。


 ──昼頃から薄く漂っちゃいたが、黄昏辺りで急に濃くなりやがったな。散るどころか、ここいらの凝りを引き寄せてるみてえだ。


 てつの言い方からすると、このもやが凝りなようだ。


「皆、普通にしてるけど大丈夫なの?」

 ──知らん。認識の差? だとかで、大分ちがうんじゃあねえか?


 よく分からないし、不安になるので疑問形はやめて欲しい。

 不思議な事に、もやは棟の中には入りこまず、広場に留まっているようだ。しかしまだ人がいるこの場に、てつの言う妙なのが来るとしたらどうなってしまうのか。本当、私がいたとして何が出来るのか。


「結局ここからどうすればいいのよ……」


 思考がぐるぐる回る。ただの空回りだ。疲れるだけで意味がない。


 ──見極めだっつったろう。ここにいればいい。ただ、何かあったらすぐ動けるようにしとけ。

「何かって何よ。やっぱり危険があるなら、ここにいる人達もどうにかしなきゃ……」


 言いかけ、ふと言葉が止まる。

 視線か、ただの気配か。それを感じた方向に目を向ける。


「……!」

 ──来たな。


 私のいる第2棟から、向かって左方向の斜め上。第6棟の4階の壁面に、いつの間にか子供が5人へばりついていた。全員膝くらいまでの着物を着ていて、裸足。どうやってへばりついているのか。ここからでもよく分かるほどの怖いくらいの笑顔で、広場を見下ろしている。5人はベランダの柵や窓のサッシにぶら下がったり、お互いに引っ張り合ったりと遊びながら、徐々にこちらに降りてくる。


「え、いや、なに? あれ」


 壁を降りきると、追いかけっこを始めた。人には全くぶつからず、するするとその間を走り抜けていく。急に現れた10才くらいの子供達に、広場にいた人は誰も意識を向けていない。

 子供達は広場の真ん中あたりに着くと、4人が手を繋いで輪になった。残り1人が輪の中に入り、しゃがみこんで俯く。4人はそのまま回り始めた。これ、見覚えがある。


「……かごめかごめ、してるの……?」


 声は聞こえないが、口を動かしているのは見える。というか、あれだけはしゃぎまわったのに、ここまで笑い声1つ、足音1つ聞こえていない。

 この薄暗い時間のもやの中でも目を引くほどに艶やかな黒髪と、かすかに光っているようにも見える白い肌がくるくる回る。くすんでいるがそれぞれ色が違う着物も相まって、幻想的にも見える光景に一瞬意識が遠のく。


 ──呑まれんなよ。

「はっ……? え」


 てつの声で我に返る。今、本当に気絶しかけていた?


 ──こりゃあ、なんとも。


 周りを見て驚く。今まで歩いていたりベンチで喋っていたりした人達が、軒並み倒れていたり俯いたまま動かなくなっているのだ。慌てて近くの倒れてる人に駆け寄る。


「えっどっ大丈夫ですか……?!」


 一見すると目を閉じて呼吸をしているだけ、つまり寝ているだけに見える。でも声をかけても肩を叩いても頬を叩いても、ぴくりとも動かない。


 ──お前もしゃがんどけ。あまり動くな。

「何がどうなってるの! 動くなって何?!」


 展開が早すぎる。

 子供達は未だくるくると回っている。凝りもその動きに引っ張られるように靡きだした。そのままうねるように揺らめき、大きな渦を描いていく。


「明らかにやばそうなんだけど?! 何が起きてるのか教えて……!」


 緩く流れていた風も、段々と強くなっていく。


 ──あいつらは小鬼だな。このまま凝りを取り込もうってんだろう。オトされた奴らは、邪魔だったんじゃねえか?

「……っ、それで危険は?!」

 ──あー、危険なあ。それほどの脅威にはならねえが…強いて言うなら、寝てる奴らはそのまま喰われるかも知れんな。

「問題! 大あり!!」


 今や広場には黒い竜巻が出来上がっていた。その中心で、かごめかごめをする小鬼達。ふいに輪の中にいた子供が立ち上がり、上を向いた。途端、竜巻は急激に細くなり、空へ昇っていった。


「……へ……?」


 拍子抜けした、と思ったら。

 


ドオォッッ!!



「ひゃぁっ?!」


 凝りが、小鬼達に一気に降り注いだ。共に勢い良く吹き降ろして来た風に、体勢を崩しそうになる。

 風が収まり、凝りが降り注いだ方を見て、目を見張った。5人の子供がいた場所に、その3倍ほどの大きさの、5体の何かがいた。

 2つだっだ目が3つになっていた。開いた口から覗く有り得ない鋭さの歯がよく見える。そして、頭から伸びた2本の角。


「……鬼」


 絵本とかで描かれるものより細身で、ぱっと見ただけでは恐ろしさは感じない。けれど、あれはまさしく鬼。


 ──成ったな、妙な姿だが。さて、俺はもう用は済んだが、寝ちまった奴らをどうにかすんだったか?


 言われてはっとする。


「そっ……そう! 喰われるとか駄目!」

 ──面倒くせえなあ。また、借りるぞ。

「あ、やっぱりそうな」


 言い終える前に視界が動いた。てつに操られた私の身体は、上を向いてぼうっと立ったままの鬼達の方へ歩いていく。って正面突破?!


 ──慌てんな。俺もお前も存在を薄くしてるし、変な事しなけりゃ気付かれねえよ。


 いつの間に。でもそう言えば、私が散々声を上げても動いても、鬼達はこちらを気にしなかった。気が動転していたせいもあるが、相当危ない事をしていたんだと今更気付く。てつのおかげで何もなかったのか。


 ──ざっと20ほどか? 終わるまでこいつらがこのまま呆けてくれれば楽だがな。


 私の身体、もといてつは鬼達の一番近くで倒れている2人組を軽々と肩に担ぐ。2人いっぺんに左肩に乗せたが、これ、下の人と私の肩は大丈夫なのか。

 両肩に2人ずつ計4人担いだ所で、てつは第2棟の入口近くまで一気に飛んだ。


 ──さっきまで俺らがいたここなら、認識が曖昧になる。集められるだけここに集めるぞ。

「りょ、了解」


 一瞬で数十メートルも移動したのか。もう画面越しに中継を観ているようで、実感が湧かない。

 担いでいた4人をそこに降ろし、また倒れている人の元へ向かう。それを何回か繰り返し、半分ほど集まったところで、


「……あ゛? ああ゛?」


 1人の鬼が首を回した。


「減っている? 減っているぞ?」


 辺りを見回してそう言う。見た目が細身なわりに、結構太くて低い声が響いた。その声に連なるように、全員が動き出す。


「本当だ。減っている」

「我らの飯が、誰が取った?」


 ヒュッと喉が鳴り、全身から血の気が引く。

 気付かれた。

 今まで人形のように立っていた鬼達は、肩を怒らせ口を歪ませめいめいに彷徨き出す。


「どこじゃ? どこへ行った?」

「ようやっと喰えるというのに! どこぞへ消えよった!」


 極限まで見開かれた目は血走り、口の端からは涎が垂れる。手足の爪はいつの間にか鋭く尖っていた。

 余程飢えていたのか、文字通りの鬼気迫る様子に身が竦みそうになる。


 ──あー、あと少しだったのによお。


 その間に、1人の鬼がまだ集め切れてない人のそばまで行ってしまった。


「まだ幾つかはあるぞ。喰ってしまおう。このままでは腹が減りすぎて、探せるものも探せん」


 そう言って、倒れていた人の頭を掴んで持ち上げる。


「ッ、駄目!」


 私は咄嗟に駆け出す。けれど、距離がある。鬼はそのまま頭にかぶりつこうと、顎が外れるんじゃないかというほど大きく口を開いた。

 間に合わない!


「はあっ?!」

「あ゛がっ?」

「ったぁ!」


 直後、何かにぶつかった。てつと鬼と私の声が重なる。


「えっ……え?」


 何が起きた?


「杏お前……何しやがった?」


 てつがテレパシーもどきで無く、普通に喋っている。周りを見ると、足下に頭を掴まれていた人が倒れていて、喰べようとしていた鬼は少し先の方でうずくまっていた。


「……へっ?」


 走った勢いのまま鬼に体当たりをかまし、間一髪で喰べるのを阻止出来た、という事なのか? 鬼まで数十メートルあったんだけど? てつが身体を乗っ取った状態なのに、しかも一瞬で? あんな図体のでかい鬼に?


「おいぼさっとしてんじゃねえ!」


 てつの声と共に視界が回った。さっきまで私の頭があった場所に、風切り音をさせて腕が薙払われた。


「お前かあ゛!!」


 うずくまっていた鬼がすぐ目の前にいる。振った腕をその勢いのまま捻り、またこちらの頭を狙う。


「だあくそっ! 何やってんだお前は!」


 今はてつが動かしてるらしい私の身体は、バク転のような動きをして鬼の腕を払いながら距離をとる。


「いや私にも分からないけど!」


 呆気にとられていたらしい他の鬼も、一斉にこちらに向かって来た。


「こいつが盗ったのだ! こいつだ!」

「お前も喰ろうてやる!」


 見るからに怒っている。


「逃げるぞ!」


 そう言われても、5方向から迫って来る鬼に対して逃げ道など無さそうに見える。


「逃がすものか!」


 目の前の鬼が突き出した腕を右に逸らしながら引き、身体を半回転させて鬼の頭を掴む。そのまま流れに沿うように勢い良く地面に叩きつけた。ごんっと音が響く。


「ガッ…!」

「1」


 続けざまに左右から2体。今度は左の鬼との距離を一気に詰め背負い投げて、右の鬼にぶつける。


「2、3」


 と、もう1体が後ろから覆い被さってくるのをしゃがんで避ける。流れで鬼のすねを思い切り蹴ると、パキャッと軽い音がして膝下が有り得ない曲がり方をした。


「がああぉああ?!」


 動きが止まった鬼の足の間を潜り抜ける。一緒に足も持ち上げひっくり返し、お腹を思いっきり踏みつけた。


「ぐぼぉっ」

「4」


 残り1体になってしまった鬼は、驚愕の表情を浮かべ、固まっている。

 …てつがやった事とはいえ、容赦ない。ここまで鮮やかに決まるとは。というか、逃げるんじゃなかったのか?


「図体だけでかくなってもなあ、頭を使わねえと。連携ってのは難しいもんだって教わらなかったか?」


 てつが語りかけると、鬼は顔を歪めて後ずさった。


「おう、追わねえよ。逃げたきゃ逃げろ」

「えっ待った待った!」

「あん?」


 このま逃がすのは流石にやばい。


「このまま行かせちゃったら外の人達が危ないよ! こう、なんかもう襲いませんみたいな約束とか…」

「そんなもん、約束させたところで守ると思ってんのか?」

「いや、それは」


 どうだか分からないけど。


「自分が持てる分だけの責任を……って、あー逃げたぞ」

「?!」


 言い合っている間に、鬼はこちらに背を向け逃げ出していた。


「追いかけなきゃ!」


 その時、赤黒い液体が鬼から吹き出した。


「な?!」


 鬼は少し左右に揺れた後、膝をついて前のめりに倒れ込む。びしゃりと水の音がした。


「なに……今の」

「次から次へと……」


 何が起こったのか、てつには分かるようだ。私もなんとなく予想がついた。が、こんな予想、つきたくない。



「どうも、こんばんは」



「ひゃぁっ?!」


 後ろから声をかけられ、盛大に驚く。慌てて振り向くと、真後ろに人が立っていて、また驚く。


「……っ?!」


 すぐさま距離を開け、その姿を確認する。

 一見すると、普通の人間に見える。スーツもネクタイも靴も黒くて、まるで喪服のようだ。対して髪の毛は色素が薄い。明るい場所で見ればちゃんと色が分かるだろうか。そして、なんだか凄く胡散臭そうな狐目と笑顔が、とても目を引く男だった。


「驚かせてすみません。ちょっと道に迷ってしまいまして」

「……はあ……」

「この場所なんですけど、ご存じですか?」


 そう言って、スマホの画面を見せてくる。見ると、地図アプリが開かれ、目的地だろう地点がマークされている。場所は大学近くのファミレスだった。


「ああここなら……」


 いやちょっと待て。さっきまでの状況を思い出せ。


「どうしました?」


 道に迷ったのは良いとしよう。それでこんなとこまで来てしまうのも、まあ良いとしよう。だけど、こんなに人が倒れている場所で、鬼も倒れたままで、何も言ってこないのは流石におかしい。


「……」


 というか私も、何故自由に動けているんだ。てつが引っ込んだ?


「すみません、分かりにくい場所なんでしょうか?」


 のぞき込んでくる顔をまじまじと見返す。解ってやっているのか、前の私のように解っていないのか。

 どうする? どうやるのが一番の選択なんだ?


「………ふっ」

「?!」

「いえ、あなたの顔が面白くて。あまりにも必死に色々考えてるのがよく分かってしまったもので」

「?!!」


 そう言うと狐目の男は一歩下がり、慇懃に一礼した。


「改めまして、こんばんは。僕はある組織から派遣されてきました、遠野守弥とおのかみやと申します」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る