第24話 決闘
二人だけの空間で、影の少女は私に優しく語り掛けてきた。
「アリス、もう気付いていると思うけど、私はアナタの二重体なのよ」
「ええ。なんとなく勘付いていたわ。だからアナタは私と同じ様に時空を理解して、この決戦でその力を振るったのよね」
「えぇ、そうよ。アナタが学べば学ぶ程、私も世界の構造を知れる。アナタが成長すればするほど、私の力が強くなる。だから最後までアナタを放っておいてあげたのよ?今この時点で、私とアナタが一つになれば怖いものは何も無い。無敵になれるのよ。それはアナタも分かっているはずよね?」
「いいえ。私はそんな仮初めの力に溺れたりしない。アナタの望む理想への協力なんて、絶対にしない!」
「残念。対話は無意味の様ね、飼い犬に手を噛まれた気分だわ」
「それはこっちのセリフよ!アナタこそ、私の影だったクセに好き勝手に動いて……」
「言うじゃない!なら、どちらが本当のお姫様か決着をつけましょう!」
影の少女はニヤリと微笑み、その姿を私の子供の頃の見た目に変化させた。思わず身構えると、彼女も鏡写しに全く同じ姿勢を取った。気付けば彼女の周りを囲むように枠が浮かんでいる。華麗な装飾が施され、ニスの塗られた立派な木枠……見覚えがある。これは、鏡だ。
いつの間にか、目の前には立派な姿見があった。鏡面には古い鏡によく現れる煙の様なくすみが目立つ。そうだ。この鏡の事を私はよく知っている。子供の頃、母親がしょっちゅう鏡の前に立たせてくれたっけ――
「有朱、貴女は何になりたいの?」
「えっとね〜!女優さん!」
鏡に映る私は、四十手前の私ではなく幼い日の私だ。色んな髪飾りや洋服を着て、その度に夢見る将来を変えていく無邪気な少女。
歌番組を見た日はアイドルになりたいと踊っている。美味しいパンを食べた日はパン屋さんになりたいと思った。素敵な映画を観たあとはその映画のヒロインに……お姫様、バレリーナ、花屋さん、美容師さん、モデル、デザイナー……少女の夢は止まらない。あの日唱えた夢の数だけ、鏡が分裂を繰り返していく。私の周りを取り囲む様にどんどん増えて……
「きゃははははは!そうよね!そうでしょう?アナタは何にでもなれる!その筈だった!」
「それなのに……どうして?私を叶えてくれないの?」
「私は輝いていたわ!もっと輝けるはずなのに!なんでなの?」
「アナタなんか要らない!私の夢じゃないもの!」
幼い頃の私が、一斉に私を非難する。当然だ。私はきっと失敗したのだ。あの日憧れた存在、そのどれにもなれなかった。ごめんね、私。許して。どうか、許して――
「許してあげない!アナタは一番許せない未来だもの!」
「謝っても許してあげない!アナタみたいになりたくなかった!」
「罰として、アナタはずーっとココで、懺悔し続けて!」
「ココで、夢に憧れる女の子で居続けて!」
取り囲まれた私は、ただただ頷く事しか出来ない。そうだ。そうしよう。残酷な時間を刻む現実になんて、帰らなくて良い。そうだ。私も心の奥底ではそう願って……
ビリビリビリッ!
「姫!騙されるな!!!」
少女達の声に溺れる直前、稲妻の様な轟音が耳を劈いた。驚いて顔を上げると、空間をカーテンのように切り開いて、マクガフィンが顔を出していた。彼の背後はさっきまで居た城内で、ド・タイプやハート岩が黒い影と戦っている姿が見える。皆、魔女に負けまいと必死に抗っているのだ。
「あぁ、私は……」
「懐かしい映画でノスタルジーに浸ってるとこ悪いが、オイラ達は今を生きてるんだぜ?一緒に戦ってくれよ」
差し伸べられた手を握る。スクリーン外の世界は月明かりのない夜のように真っ暗で、既に魔女の侵攻が進んでいる事を察した。
「あら?今更帰ってきても遅いわよ!老いぼれた婆さんと古ぼけたぬいぐるみ、二人で何が出来るって言うの?」
「ごめんなさいね。どうしても、アナタに言わなきゃならない事があるのよ」
「良いわよ?お別れの台詞くらい聞いてあげる。そしたら後は、大人しくその中で後悔を続けてね」
「……後悔はしない」
「はぁ?アナタね、自分の立場ってものを分かってないの?アナタは私達を台無しにしたのよ?無限の可能性があった、それを全部潰したクセに!」
「ええ。その通りね」
「でしょう!なら私達の為に、ずっとここに居るべきでしょう?大人しく夢を見続けてよね!」
「それは出来ないのよ。ごめんなさい」
「出来ないってどう言うことよ!それしかアナタに贖罪の方法は無いのよ!?それが出来ないって……じゃあどうして謝るのよ!」
「謝ってるのはね、可能性を潰した事に対してじゃない。アナタ達をいつの間にか、忘れてしまってた事を謝ってるの」
「そんな謝罪は要らないわ!!!私達が欲しいのは……!」
「大丈夫。分かってる。もう、忘れないから」
「違う!!アナタは何も分かってない!!アナタは……アナタは醜いのよ!!!許せない!許せないわ!」
「確かに。老いた今の私は、きっと世間の基準で言えば、若い人達と比べれば、醜いって言われても仕方ないわ。でもね。それでも、私は精一杯、生きてきたのよ。諦めた夢もある。忘れてしまっていた、小さな、アナタ達みたいな夢も。思い出したら悔やむくらいの、大きな夢だって、諦めた事がある。それでも私はここまで生きてきたの。その軌跡は、私にしか辿れない道よ。今の私は、私しかなれない」
「そ、そんなの詭弁よ!アナタみたいな平凡な人生、他の誰でも送れるわ!!もっと努力すべきタイミングがあったでしょう!」
「確かにそうかもね。そういう後悔も人それぞれにあると思う。だから無数の生物が生きる世界で、どんなに似たような人生があっても、私は私しか居ない。私は反省して気付けたのよ。だから、私は自分に誇りを持てる。誰になんて言われようが、アナタ達から言われても、後悔はしない」
「ぐっ、ぐぅ……ぎいぃ……きいぃ!!!」
「お願いだからアナタ達も、もう囚われないで。無限の可能性なんてまやかしに過ぎない。確かにそこに留まっていれば、無限の未来を見ていられる。でも、その場所は何処へも繋がらないわ。無数の選択肢を選び取って、一つに確定させてこそ、未来が掴み取れるのよ。もう私は、今までみたいに過去を悔やむ人生を送らないわ。だからアナタ達も、今を生きてる私を認めて頂戴」
「……」
「ねぇ、聞いてる?」
「分かったから静かにして……やっと眠れそうなの」
「眠るって、ちょっと!世界はどうするの?」
「アナタも少し、休んだら?」
「休むって……」
「お願いだから、くれぐれも頑張り過ぎないで?もう若くないのに」
「一言多いのよ!私だって、今からまだまだやりたい事が沢山……ったく!ねぇマクガフィン、どうにか……あれ?マクガフィン?皆?どこ?」
影の少女と会話している内に、世界はドロドロと溶けていった。暖かいスチームに包まれるような感覚。真っ暗闇の世界が、コーヒーにミルクを混ぜたかのような優しい色に混ざっていく。もう自分が何処にいるのか分からない。走って周りを見渡しているつもりだが、果たして自分が動けているのか、存在しているのかすらも分からない。
「あったぞ姫!これが《出口》だ!」
「あぁ、マクガフィン!やっと見つけたのね!何処にいるの?ねぇ!ねぇったら!」
遠くからマクガフィンの声が聞こえる。姿は見えないが、何処かで《出口》が開けたらしい。
そして遂に、鏡が破れた。
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