第20話 再会
ガンッ!ガンッ!ガンッ!――
何度も、何度もランタンをぶつけ、無我夢中で懐中時計を壊した。衝撃で歪んだ外装の円盤が、上下の噛み合いを失って弾け飛ぶ。隙間に設置された豆電球が、支えを失ってずり落ちた。精密な構造が露わになった内部に向けて、構わずランタンを振り下ろす。バネが飛び、辺り一面にデタラメな歯車が散らばる。そして……
「あぁ、あぁ!マクガフィン!こんな事って……」
ようやく見つけた。懐中時計の奥底で複雑に絡み合う歯車、その中のひとつだけが、つるりとした白い円盤だった。真ん中には四つの孔が空いている……間違いない。マクガフィンの右目のボタンだ。
「こんなになるまで追い詰めてしまったのね。ごめんなさい!本当にごめんなさい……」
「その声は……姫……?」
その声を聴いた瞬間、私は膝から崩れ落ちて座り込んでしまった。たった一枚のボタン。こんな姿になっても、彼は私の事を……
「マクガフィン!マクガフィン!」
「あぁ、本当にアリス姫なんだな」
「あぁ!良かった!無事なのね!もう二度と、こんな事したら許さないから!」
「すまねぇ。オイラ、ミスっちまったんだな……ここは何処だ?」
「分からないけど、黒い箱の中よ。アナタ、閉じ込められてたの」
「あぁ、そうか。覚えてる、確か影の少女と戦って、負けたんだ」
「きっとそうね。探すのに苦労したんだから!こんな暗いところから早く出ましょう」
「あぁ。けどすまん、うまく体が動かねぇんだ」
「大丈夫、私がずっと握っているから」
「は?姫、一体なにを言って……」
マクガフィンは戸惑いながら、俄かに自分の状態を理解したらしい。声色が変わる。
「お、おい、嘘だろ……オイラの身体は?」
「私が見つけた時には、もうこれだけしか残ってなかったわ。あのランタンで懐中時計を壊して、やっとの思いで取り出したんだから」
「そんな……そんな……オイラの、身体……」
マクガフィンが手の中で震えているのを感じる。新品になろうとしたのに、今やただのボタンとして私と対面する事になったショックは相当のものだろう。慰める言葉が見つからない。
「落ち着いて、どんな姿だろうと私はアナタを大切に思ってるわ。元の姿に戻れるように私も一緒に考えるから、とにかく今は……」
「すまん、姫」
「いいのよ。私の事を思ってしてくれた事でしょう?つらいと思うけど、今は自我を保ってね。ここから出たらどうにでも方法はあるはずだわ」
「ありがとう。ここから出る……か。この箱はオイラの心が生み出したものなんだ。どうやって開けばいいのか自分でも分からない」
「影の少女と戦った時に、何が起きたの?」
「……情けない話さ。オイラは自分に自信がなかったんだ。だから、姫と初めて会った時の自分に戻りたかった。目をキラキラ輝かせて、心の底からオイラの事を素敵だと思ってくれたあの時の姫の眼差しを、どうしてももう一度味わいたかった」
そう語る彼の声は、懺悔の感情に満ちていた。
「情けなくなんかないわ。私だって、痛いほどその気持ちが分かるもの……」
そうだ。私も怖い。時間という残酷な、恐ろしいモノが、自分を蝕んで行く事が恐ろしい。私が元の世界で自分磨きに奔走していた理由も、マクガフィンと変わらない。
若い頃に素敵だった夫が変わり果ててしまった姿を見ても、自分の中に落胆の気持ちがそれ程湧くわけではなかった。けれど、相手はどうか分からない。もし同じ様に自分が変わってしまったら?劣化してしまったら?相手の自分を見る眼差しが、蔑むモノへと変わってしまう事がとにかく恐ろしかったのだ。
それと同じ気持ちを、私はマクガフィンに与えてしまっていた。古びて汚れたぬいぐるみ。押し入れの中でずっと私を待っていてくれた彼の事を、確かに私はそう捉えてしまった。父の死を受け入れなかったあの頃のトラウマを引き摺って、大切な思い出である彼を、邪険に扱った。その事実が、この世界での彼の不安を呼び起こした。マクガフィンが影の少女に負けてしまったのは、私が元凶だ。
「ごめんなさい……本当に……」
謝る事しか出来なかった。何が悪いかすらも、明確には理解していない。それでも後悔の念だけが押し寄せてくる。マクガフィンがこんな姿になってしまって、正直、この箱から出る方法も見当が付かなかった。彼と再会しさえすれば何とでもなる。そう考えていたが、甘かった。
マクガフィンと離れてから、一人でも頑張って冒険を続けて、少しは成長した気でいた。フーダニット卿に教わって時空への理解を深め、逆行エリアへの振る舞いも身につけた。クワーティと何度も世界の観測を繰り返し、宇宙に拡がる法則の一端を見つけ、四次元の視点を体感した。タイムマシンと四次元の観測を使い熟せたのは、時空と次元への根本的な理解が自分に定着していたからだと自負していた……でも。
でも。だからなに?どんなに難しい理屈をこねくり回しても、たった一つの愚かしい感情すら操れない――間違いなく、私は未熟だったのだ。
私が彼の事を純粋な目で肯定する為に必要な事は、一体何なのだろう。それに気付けさえすれば、マクガフィンは怯えなくても良くなるのに。そしてきっと、私も……あと少しで手に入れられそうなその気付きに触れる前に、私の両目から大粒の涙が溢れ始める。色んな感情が混ざったそれは止まる事がなかった。
世界の《出口》を求める為に始めたこの旅。私は、ただ元の世界に戻れればそれで良かったのに。ヘンテコな住人達を見て、様々な考えに触れる楽しい旅。色んな学びを得て成長出来たと思っていたのに。根本的な、致命的な私の欠点が、マクガフィンをこんな姿にしてしまった。私は何も変われていない。彼が居なければ、私一人で影の少女に勝つ事なんて出来ない。《出口》は永遠に閉ざされたまま。私はこの箱の中でずっと、ただ反省し続けるしかない……
……ピッ……ピッ……ピッ……
「おい姫、姫!何か、何か鳴ってるぞ!」
「グズッ……な、鳴ってるって?」
「分からない!けど、なんか聴こえるんだ!」
「一体、どこから……」
マクガフィンの必死の呼び掛けに気付いた時には、座り込んだ私の腰辺りまで涙が迫っていた。自分が泣き過ぎていた事に驚いて、途端に涙が引っ込む。
涙を吸って重たくなったスカートに手間取りながら何とか立ち上がると、右のポケットが光っている。取り出すと、鳴っていたのはフーダニット卿から渡された水筒だった。八の字に配置された十二個の点が一斉に輝いている。
……ピッ……ピッ……ピッ……
「姫!何だそれ?」
「分からないわ!水筒って言われたけど」
私はマクガフィンを右のポケットに仕舞うと、水筒を弄ってみる。どうにか動かせる所が無いか探るものの、つるりとした金属製の表面はスベスベとしており引っ掛かるところがない。
マクガフィンがポケットの中から話しかけてくる。
「それにしても、アラーム付きの水筒なんてヘンテコだな」
「そうね。一体どうやって使うのかしら」
「水筒って言うくらいだから、中に液体が入ってるだろうな。捻ったら開くんじゃねぇか?」
「捻る……ねぇ」
マクガフィンに言われた通り、卵型の左右を握り、瓶の蓋を開ける容量でギュッと捻ってみる。すると、どうだろう。発光する点がするりと移動し、八の字からクロスを描くように配置を変えた。……ピッ……ピッ……ブォン!規則的な音が止み、両手に強い振動が伝わる。
「きゃっ!」
唐突な出来事に驚いて、私は思わず手を離す。だが水の中に落ちていくはずのそれは、持っていた時の位置のまま、空中に静止した。
そのまま水筒はゆっくり縦へと向きを変え、Xの配置になった十二個の点は光量を増し、やがて卵型の金属全体が光に包まれて行く。
「姫!大丈夫か!?」
「え、えぇ。大丈夫、どうやら起動したみたい」
「俺も見たい!見せてくれ」
マクガフィンをポケットから取り出している間に、水筒はLED照明を思わせる柔らかな白光から真夏の太陽の如く強烈に輝き始める。その光で既に水筒の本体は見えなくなった。
先程まで光っていた十二個の点は光を放出し終えたのか中心部で黒い影となり、眩い光の中を動き始める。クロスした状態からゆっくりと上下に六つずつに分かれたかと思うと、段々と点同士が離れて二つの大きなうなりを生み出す。
「綺麗……」
「本当だな。なんか、上手く言えないけど……宇宙みたいだ」
「宇宙……確かにね。壮大な何かが生まれそうな感じがする」
二つの塊に分かれた点の動きには規則性が無かった。時には波のように穏やかに、ゆっくりと波形を描き、またある時には素早く、直線的な動きを見せる。でも何故か、それらのランダムな動きに一定のリズムを感じ取り、見ていると気持ちが落ち着くのだった。
暫くすると生き物のように動く二体の点の行列は中央に集まり、水筒の浮かんでいた軸方向に回転を始めたかと思うと、やがて径を取って螺旋を形取った。そうして出来上がった上下の二つの螺旋はネジが巻かれるように互いに近付くと、光の中心で美しい二重螺旋を形成した。
「これは……」
「どうやら、出来上がったみたいだな」
「何が起k
私が喋り終わる前に、全ての光が二重螺旋に収束した。そして今度は優しい虹色の波動が二重螺旋から溢れ出し、全てを包み込んでいく。
――ドクン。
水面が、波打つ。
――ドクン。
空間全体が、波打つ。
――ドクン。
私の心臓が、波打つ。
……次の瞬間、全てが強烈に、共鳴した。何も聴こえない。見えない。違う、総てが見える。聴こえる……ガラスの割れた様な音が頭の中で響き、意識が遠退いて行く。
「姫!意識をしっかり保て!外に出れるぞ!」
「あぁ、マクガフィン……」
「頑張れ!頑張るんだ!」
必死に手を強く握り締めると、手の内側にはあのボタンの硬い感触は無く、代わりに懐かしい、くたびれた綿の僅かな反発が、優しく私の手に返ってきた。
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