第18話 マクガフィンの行方

ギィコギィコギィコ……

「あぁもう!まどろっこしいったら!」


 クワーティを見送ってからどれくらい経っただろうか。穏やかな気持ちから一転、私は苛立ってタイムマシンの操作に悪戦苦闘していた。操作、と言っても正確には椅子の高さ調節に手間取っているだけなのだが……

 タイムマシンの操作は至ってシンプルで、椅子に座り望遠鏡を覗き込むだけで良いはずだった。しかし逆行エリアで幼い姿に退行してしまった今の身体では、座高が全く足りなかったのだ。椅子の上に立って背伸びをしても、望遠鏡を覗き込む事は出来なかった。

 幸い椅子の横には座高調節のレバーがあったのだが、錆びついているのか途轍もなく固い。子供の体躯では一漕ぎ毎に全体重を掛ける必要があり、久しぶりの重労働であった。


「まさかクワーティともあろう天才が、こんな設計ミスをするなんて……ね!」


 何度か漕いだ後、ガコン!と大きな音がして、漸く椅子が一番高い位置に来た。それでも椅子と望遠鏡の距離はまだまだ遠い。私は椅子のヘリに足を突っぱねて、飛び込むような姿勢で望遠鏡を覗き込む。探すべき物の目星はついていた。フーダニット卿がマクガフィンに渡した懐中時計だ。彼が逆行エリアでどんな姿になろうとも、あの懐中時計だけは変化しない。まずは懐中時計を見つけて、そこからマクガフィンを探し出そう……

 心の中で強く、対象物をイメージする。すると真っ暗なスコープの中に、徐々に光が広がっていった。最初に見えたのはお茶会のシーン。初めて影の少女と対峙した……マクガフィンは懐中時計を受け取ると、それを首にぶら下げた。まだもう少し先だ。座標の数値が少し動く。量子もつれの説明を聞いているシーン。スコープの中で元気に振る舞うマクガフィンの姿を見ていると、胸がキュッと苦しくなった。あぁ、ダメだ。突如、視界がボヤける。喉の奥が締め付けられたように痛んだ。直ぐにでも会いに行って抱き締めたい、そんな衝動に駆られてしまう……あぁ、でも……ダメ、もう……もう限界……!

 私は望遠鏡を跳ね除け、椅子の背もたれへダイブした。


「あぁっ!なんて疲れる態勢なの!?」


 涙を手の甲で拭いながら、私は一休みする。望遠鏡と椅子、それぞれを手とつま先の二点で吊り橋の様に支える姿勢は、幾ら体重が軽いとはいえ厳しかった。まるで筋トレでもしたような感覚で両腕は痺れ、腹筋が震えている。

 それにしても、クワーティは私がこの装置を使う時に苦戦することを想定しなかったのだろうか?今度彼女に会ったら、子供には使いにくかったって文句を言ってやらなくちゃ。

 そんな事を考えながらボーッと天井を眺めていると、不意に視界の中に四次元の視点が混ざり始めた。階下の部屋に置いてあるタイムマシンの設計図、そこに貼り付けたメモが見える。


"リラックスには緊張状態からの緩和が効果的"→"肉体的な負荷が必要?"


 まさか……彼女は私が間違った座標に飛ばないように、敢えて操作し難い設計にしたの?

 確かにさっきの瞬間。早くマクガフィンに会いたい、そんな気持ちが爆発しそうな程に膨れ上がっていた。もしこの姿勢で腹筋に限界が来なければ、本当に途中で飛んでしまっていたかも……冷静に考えると恐ろしい事だ。あの僅かな時間であれだけの情に駆られた。適切な座標を見つけ出すまで、何度もマクガフィンとの思い出を見直す必要があるというのに……この作業は想像以上に過酷なものになるかも知れない。

 クワーティの別れ際のセリフを思い出した。


「どうか健闘を」


よく思い出してみると、あの時の彼女の笑みはどこか"したり顔"のような含みがあった気がする……


「それにしても、こんなアナログな方法を安全装置にするなんてね」


 ふぅ。と溜め息を一つ吐いて、気合いを入れ直す。ここが正念場だ。本当なら今すぐにでもマクガフィンを抱き締めてあげたい。けれど彼の気持ちが別のところにある状態でそんな事をしても、何にもならない。彼の心の闇を晴らして、悩みをちゃんと解決したら……その暁には、心の底から抱き締めてやるのだ。


「待っててね、マクガフィン。私、頑張るから」


――場面は少し遡り、逆行エリア内。マクガフィンは有朱を置き去りにしてから、一人で荒地を彷徨っていた。魔女と賢者の決戦の舞台となる場所、円卓の城の座標へと向かっていたのだ。


「姫、怒ってるだろうな……けど綺麗になったオイラを見れば、きっと喜んでくれるはずだ」


 マクガフィンはそう呟きながら、後ろ向きの歩を進める。この世界の始まりとなる円卓の城、そこから出てきたイメージをして……チラリと振り返れば足跡は意外と短く、その城への帰路を示した。少し蛇行しながら続く足跡は目測で数百歩、すぐ背後に立派な城が聳え立っていたのだった。


「なんだ、意外とあっさり見つかるんだな。じゃあ巻いていかなきゃ」


 マクガフィンは意識を、より過去へと集中させた。城に着いたら、そこで時間を定着させる必要がある。それまでに体だけは新品に巻き戻しておきたかったのだ。

 一歩、また一歩と戻る毎に、彼の毛並みの一本一本が柔らかさと輝きを取り戻していく。腕や足先から、赤や紺色の糸が抜けていき、ボタンが入れ替わる。子供の頃の有朱が外で引き摺った時の傷や、挟まったのを無理に引っ張られて千切れた腕を縫い直して貰った時の糸。

 懐かしい気持ちと共に、少し寂しい気持ちが芽生えた。これを望んでいた筈なのに、何処か虚しい気がするのは一体何故だろう……?そんな疑問を他所に復元は進んで行く。布が破け、新品の綿が抜かれては何処からか古びた綿が戻る。腕やボタンが取れてはくっつく――初めて有朱に贈られた夜、一緒にストーブの横で寝た時に焦げ付いてしまった背中の火傷も綺麗さっぱり無くなって、城の近くに着く頃には誰が見ても見惚れるような新品になっていた。


「よし!コレでオイラも受け入れて貰えるぞ!」

「あら?貴方、一体だぁれ?」

「お、お前は……」


 円卓の城の入り口、その門の上に腰掛けていたのは、あの影の少女だった。


「キャッハハハハ!まさか貴方、マクガフィン?とっても綺麗になったのねぇ見違えたわ!」

「う、うるせぇ!お前に見て貰いたくてこうなったんじゃねぇよ」

「あら?そうなの、残念。私の特別になりたいのかと思ったのに……」

「おあいにく様だぜ!魔女に用はねぇ!」

「そうね。私も用はないわ。だって、他のと全く見分けが付かなくなってしまったんですもの」

「?何を言って……」

ザッ‼︎ザッ‼︎ザッ‼︎ザッ‼︎ザッ‼︎


 気付けば、マクガフィンの周りには彼と同じ姿をしたクマのぬいぐるみが大量に出現していた。


「こ、これは……」

「貴方はもうマクガフィンじゃないわ。個性を失ったただの量産品よ。でも良かったわねぇ、願いが叶って!また新品に戻りたかったんでしょう?仕上げを手伝って上げるわ、彼らと一緒に梱包してあげるから!」

「ち、違う!オイラは……オイラは……!」


 マクガフィンは力無く、新品のぬいぐるみの渦に呑み込まれる。大量のぬいぐるみはドロドロと溶け合い、澱み、重く重く固まって、やがてマクガフィンを完全に覆い隠した。そこに出来上がったのは、大きな黒い箱だった。


「キャハハハ!綺麗にラッピング出来た!ちゃんと出荷して貰えれば良いわねぇ〜」


 必要以上に巨大に見えるブラックボックスを満足気に眺めながら、影の少女はランダムなステップを踏んで城の中へと消えて行く。

 ブラックボックスに閉じ込められたマクガフィンは、朦朧とする意識の中で答えの出ない問いを堂々巡りに考え続けさせられた。果たして、自分の選択は誤りだったのか?あの時点では最良の選択と思っていた。然し結果はコレだ。他にどうすればこの悩みを解決出来たのか。分からない。姫の為、魔女に負けない為に精一杯の努力をしたつもりだが、結局の所、全くの無駄だった……

 やがて彼は茫然自失となり、間も無くして影の少女の封印を受け入れた――

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