第15話 "発明家"クワーティ
クワーティに案内され、私達は草むらの中を歩き続ける。もうどのくらい歩いただろうか、辺りの景色は一向に変化せず、霧による湿気と鬱蒼と茂った草とが常に私達をでいた。
「アリス姫、本当に信用してよいのか?ランタンと真逆に動き続けている様だが……」
「何にしてもこのエリアから抜け出さなきゃいけないでしょ?」
「それはそうだが……」
「長いこと歩かせてすまないね。自分だけ揺籠に乗って移動しているのも心苦しいよ。もう少しで着くから」
「そんな、お構いなく。案内して下さって感謝しています」
クワーティの言葉へ丁寧に返しながら、ド・タイプを睨む。彼は自分の声のボリュームが大きい事に気付いた様で、バツが悪そうに首をすくめたが、懲りずに今度はクワーティへと話し掛けた。
「失礼。我は姫を守る騎士故、警戒しない訳にはいきませんでな……ところでクワーティ殿は、如何してわざわざそんな乗り物に?チョウなら道具に頼らずとも飛べるでしょうに」
「あぁ、この翅はもう使えないんだよ。衆愚が素直に妾に頼ってくれていれば、まだ飛べただろうが……彼等の為にと道具を作っていたのに、今ではこうして自身が道具に頼らざるを得なくなった。皮肉なもんさ」
「あの、それってどういう……」
「おっと漸く着いたよ。ようこそ妾の隠れ家へ」
クワーティの台詞と同時に、私達は丈の長い草の茂みを遂に通り抜けた。案内されたアーチを潜ると霧は一気に晴れ、先程までの自然な風景とは明らかに異質なドーム状の空間が広がっていた。
“隠れ家”と言うには広過ぎるその空間はまさに研究室といった雰囲気で、床や天井には方眼紙を彷彿とさせるマス目が縦横無尽に張り巡らされており、そのマス目の境界を無視して所々にパソコンのデスクトップのようなウィンドウが浮かび、難しそうな波形やグラフ、様々な資料がデータとして表示されている。全体を覆っている素材の正体は分からないが、歩いてみた感じ床は硬く透き通っていて、その感覚は液晶をイメージさせた。
奥の方へ視線を伸ばすと、部屋を埋め尽くす勢いでズラッと作業台が並び、何処からか伸びた細いロボットアーム達が常に動き続けている。そしてそれら作業台の上には、見ただけでは何に使うか一切の想像がつかない、しかし確かに洗練されたデザインのマシンが何十種類と鎮座していた。
フーダニット卿の研究室と比べて明らかに物の数が多いのにも関わらず、子供部屋の様な乱雑さを感じないのは、それらオブジェクトの配置の為だろう。マシンの種類すら判別出来ない私の目からも、部屋中の全ての物が整理整頓され、綺麗な区画分けが成されているのが見て取れた。空間の広さも相まって、室内はまるで完璧に管理された工場の様である。
クワーティは足元に表示されたいくつかのウィンドウの内容を一瞥して確認すると、私達を振り返った。
「お疲れ様。取り敢えず楽にしておくれ」
「楽にしろと言ったって、腰を落ち着ける場所も無いではないか」
「まぁまぁ、騙されたと思って座ってみなよ」
「座る……?」
ド・タイプが反応に困っている横で、ド・シナンテがゴロンと横になった。するとどうだろう。床がグニャリと動き出したかと思うと、ド・シナンテの身体を包み込むようなソファーに似た形状に変化した。ド・シナンテは気持ち良さそうに寛ぎ始める。どうやら足元の素材は硬い状態から、ジェリー状の柔らかい状態へと変化したらしい。
それを見てド・タイプも恐る恐る膝を曲げると、背後の床がニュッと突き出して巨大な球体が形成され、あっという間に彼を飲み込んだ。果たして、彼は大きなビーズクッションに包み込まれるような形となってゆったりと落ち着いたのだった。
「おおこれは、なんと心地良い……」
「気に入って貰えて良かった。アリスさんもどうぞ」
「えぇ、ありがとう」
促されるままに腰を下ろすと、私もすっぽりと包まれた。ガラスの様な見た目に反して人肌に温かく、心地良い感触。眠れそうなくらい安心する……
「さて、では落ち着いたところで何から話そうか。アリスさんは逆行エリアから出てきたところなんだよね?」
「えぇ。クワーティさんはフーダニット卿とお知り合いって話でしたけど、時系列はどうなってるんでしょうか?《出口》も知らないみたいだし……」
「時系列!姫は何やら難しい話をなされますなぁ、見た目によらず博学とはますます魅力的な……」
「あぁ、その話は……ちょっと失礼、騎士殿。悪いが少し女性同士の話をしたいんだ。それを着けてこれから先の旅路に向けて休んでいてくれ」
クワーティがそう言うと、何処からかロボットアームが伸びて来てアイマスクと耳栓をド・タイプに差し出した。
「おぉ!この《ナイト》ド・タイプ、レディ達の会話を盗み聞きするような無粋な真似は決して致しませぬぞ!」
彼はここまでの振る舞いでクワーティの事を信用したのか、すんなりとその指示を受け入れ、アイマスクを身に付けて耳栓を両耳に詰めると、こんこんと眠り始めた。
「これで良し。すまないね。まだ彼は賢者と魔女の決戦の事を知らないんだ、この話題は聞かせない方がいい」
「じゃあやっぱり、今は決戦より過去の時代なんですね」
「その通り。妾は未来からこの時代にやってきて隠居生活をしているんだ。フーダニット卿と妾が共同研究を始めたのはもっとずっと後の話さ。大きな時系列で言えば今はまだフーダニット卿が生まれる前だよ」
「フーダニット卿とはどういう経緯で知り合ったんですか?」
「妾は見ての通り、研究して新しいものを開発するのが好きでね。彼がまだ若い頃に互いの研究理念と知的好奇心の方向性が合致したから惹き合ったのさ」
彼女の台詞に合わせて、背後の壁にフーダニット卿とクワーティの映った写真が表示される。幼い見た目のフーダニット卿と、美しい翅で浮遊するクワーティの姿。写真は何枚もあったが、彼等の周りには常に難解な数式や図形が描かれていた。
「まだこの頃は、自分の翅で飛べてたんだね……」
「どうして彼と離れて隠居を?」
「彼から離れたワケじゃない、ただ彼の行動にどうしても耐えられなくなってしまってね。どう説明するか……そうだな、アリスさんはヤンコ鍵盤を知ってるかい?」
「いえ、初めて聞きました」
「だろうね。一般的に普及した物では無いから知らない前提で聞いたんだ、気にしないで」
「一体どういうモノなんですか?鍵盤って言えば楽器のピアノでしか知らないけど……」
「その通り!ヤンコ鍵盤もピアノの鍵盤の一種なんだ。特殊なのはその配列でね。普通のピアノ鍵盤は一列だが、それが何列も並んだ形をしている」
クワーティが指し示すと、床にオセロの盤面みたいな写真が表示された。よく見るとそれはピアノの白黒の鍵盤がまるでパソコンのキーボードの様に並んでいる。白と黒の鍵盤が交互に二個、三個の塊で配置されていた。
「これがヤンコ鍵盤?なんだか複雑そうね」
「一見ね。でも実は違うんだ。本当に複雑なのは従来の一列配置のピアノ鍵盤の方さ。ドレミに従って鳴らすのもただ横並びに押すだけではズレた音が出てしまう。音階を上げろなんて言われても咄嗟に鳴らせないだろう?」
「言われてみれば確かに……音楽の授業で少し習ったけど、ただ隣の鍵盤を押していくってだけじゃなかったわね。押し方を憶えなきゃ正しく鳴らせなかったわ」
「対してヤンコ鍵盤は、見たままの並びで鍵盤をブロック単位で鳴らしていけば、正しく鳴るように設計されているんだ。音階を上げる時は半音なら斜め上のブロックへ、全音ならそのまま横のブロックを鳴らす。下がる時は下のブロックを鳴らせば良い。見たままで感覚通りの音が鳴るというワケだ」
「なるほど、機能的なのね」
「そのとおり!極めて機能的なんだ。音階を知らない人でも、ヤンコ鍵盤なら順番に鳴らしていくだけで正しい音階が弾けるのさ」
「こんな便利なのにどうして普及しなかったのかしら?」
「仕方の無い事なんだ、先に普及した一列のピアノ鍵盤が局所最適解として君臨してしまったからね」
「局所最適解?」
「全体最適解と局所最適解……最適解、って言葉はなんとなくイメージがつくだろう。全ての物事で一番良い状態のポイントを指す言葉さ。局所っていうのは限られた範囲内のこと。全体、は言わずもがなだね」
「つまり局所最適解は、限られた範囲で一番良い状態って意味かしら?」
「その通り。波形グラフをイメージしてくれたら良い。幾つもの小さな波を切り取って見た時の頂点、それぞれが局所最適解と言える。けれどそのグラフ全体における一番高い頂点は、局所最適解から測る事は決して出来ない。少し毛色は変わるが、株やFXが難しいのと同じだね。より高いポイントがあると信じられれば良いが、そこに至るには一度、今居る波の頂点から降りなければならないんだ」
「いま普及してるピアノの鍵盤は全体最適解じゃ無いってこと?」
「それに関しては宗教と変わらないが、妾は少なくともヤンコ鍵盤の方が全体最適解だと信じている。一列の方は修練を必要とする点で明らかに欠陥構造だ」
「ちょっと言い過ぎな気がするけど……ヤンコ鍵盤の方が音階への感覚的な観点から見てシンプルな構造なのはその通りね」
私の意見を聞いてクワーティは満足気に頷いた。
「それで……妾がフーダニット卿と離れた理由だ。簡単に言えば彼の発明は誰もが慣れ親しむ形をしていて、普及し易かった。対して妾の発明は突飛過ぎて、一般には受け入れ難い概念の物ばかりでな。彼の発明品と比べたら、一目瞭然だろうが」
「そう言われてみれば、フーダニット卿のところにあったのはおもちゃとかランプとか、見た目は知ってる物ばかりだったわね。ここにあるのはどれも見た事が無いわ」
「そうそう、彼が作るのはそういうのものさ。その時代の固定概念に迎合したデザイン。私は常に最適解を求めたから、過去の慣れ親しんだ見た目で作れる物は少なかった。彼の発明品を悪く言うつもりは無いが、内実が伴っていない物を有り難がり、本当に必要な物を見極められない愚鈍な輩に嫌気が差してね。彼からは“いつか価値が理解されて、正当な評価を得られる日が来る”と言われたんだが、同じ発明家として共に居るのが辛くなったのさ」
「そうだったのね……」
分かる気がする。私には彼女くらい特異な、天才と自負出来る様な才能は無かったが、それでも自分の中で他と比べては得意だと思えたり、好きだと思ったものはあった。そしてそういうものが出来ると必ず、周りに同じ分野で持て囃される人が居た。他人の評価なんて関係無い筈なのに、それらは不思議と輝いて見え、同時に私のソレは輝きを失う。そうして、ささやかな自信はいとも容易く吹き飛んでしまうのだった。
自分の中で完結すべき事と理解していても、勝手に他人と比べて落ち込む。誰しも少なからずそんな経験はあるものだろう。
「フーダニット卿と共には過ごせないと判断した妾は過去へ移動し、まだ文明が発達する前の世界を手助けする事にした。定着した概念が無ければ、デザインは気にせず便利な物を欲してくれるからな……もっと早くこっちへ来るべきだったと思ったよ。まぁ、ココでも当たり外れはあったがね」
ぼやくクワーティの目は少し陰っていた。例え確固たる信念や類稀なる才能があったとしても、周りからそれを認めて貰えなければ、その力を十分に振るうことは難しい。個人の実力が遺憾無く発揮される為には、恵まれた環境が必須条件なのだ。ただし、必ずしも需要の生まれる場所が本人が望む場所とは限らないが……
「この機械は、どういう物なの?」
私は目についた機械を指差して尋ねた。小さな球体に、毛のように細いケーブルが何本も生えた見た目をしている。
「あぁ、それは周囲の環境を安定させる為の道具さ。この時代はエリアの変動が激しくてね。見た目から整えていかないと直ぐ他者の影響を受けてしまう。この周辺が湿原のようになっているのも、見た目からエリアとして安定させる為なんだ」
「なるほどね。こっちは?」
私が次に指差したアイテムは、複雑に入り組んだパイプの塊で、楽器で言えばホルンの様な形状をしている。
「それは、少し説明が難しいな……かつてこの周辺で対立して暮らしていた者達が居てね。その戦争を解決する為に作ったものなんだが」
「あーあー、神よ!祈りを聞き入れたまえ!」
クワーティが説明をしていると、そのアイテムから突如として声が響き渡った。彼女は驚いた反応を示したが、愉快そうに笑った。
「丁度いい。説明ついでに妾の発明品が受ける理不尽な評価を見て貰おうかな」
「えっ、それってどういう……?」
「お客様に直接、意見を承るのさ。今ちょうど、輩が妾の発明に文句を言いたいみたいだからね」
クワーティが機械を操作すると、例のホルンの様な機械から光が飛び出し、私達の前に服を着たコオロギの集団がホログラム投影される。彼等はクワーティの姿を認識するや否や、口々に罵り始めた。
「おぉ神よ!あんたを信じた我々が愚かだった!あんたへの信仰は破棄させて貰う!教えも捨てるぞ!この邪神め!」
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