第14話 騎士との再会
逆行エリア内には、先程の荒野が広がっていた。暫く歩いていると、地面から枯れ木や枯れ草が生えてくる。既に生えていた枯れ木はその刺々しい見た目から徐々に姿が整っていき、周りの地面には塵が積もって来たかと思うと集まって枯れ葉の形になり、その枯れ葉が美しく舞い上がって木の枝へと戻る。枝の先の枯れ葉達は根元から青くなって暫く瑞々しい姿でそよぐと小さくなって、枝の中へと還って行く。
時折、地面が湿って水滴が空へと飛んで行く。枯れ草も枯れ木も青さを取り戻しながらどんどん乱立して行き、そのうち辺りは自然豊かな森へと姿を変えた。
「ここは元々、森だったのね……うぉえっぷ!」
辺りの様子を観察していると、いきなり胃袋の奥から喉元へとせり上がってくる違和感。そして口の中に紅茶の香りが広がると、それは口から溢れて何処かへ消えた。
「ふぅ。ビックリした」
フーダニット卿に教わったお陰で後ろ歩きも、吐いて吸う呼吸も、逆転した仕草は自然と出来ていたが、唯一食事の逆転動作だけは慣れなかった。お茶会で飲んだ紅茶が逆転するのだ。飲む動作の逆なので純粋に美味しい紅茶が自分の口に戻って来るのだが、感覚としては如何しても吐いている気持ちになる。もう五回目だからそろそろ最後だろう……コチラに来ると知ってたらあんなに飲むんじゃなかった、とよく分からない後悔が頭を過ぎる。
鬱蒼と繁った草木でランタンが示す先を確認するのが難しくなって来た。方向を確かめようとランタンに手を翳そうとして、ギョッとする。明らかに手が小さい。中学生くらいだろうか?しまった、周囲の環境変化に目を奪われて、自分の若返りにまで意識を払っていなかったかも知れない。自然の変化速度と比べると微々たる年数の若返りなのは、無意識でも自分に主軸を置いていたお陰だろう。時間の巻き戻る流れの早さはブラックホールの様に、軸を中心にして緩やかになる。自分より遠い場所の方が早く変化していくのだ。
それにしても完璧に若返りが止まっている訳ではないと分かって焦りが生じる。一旦エリアの外に出るべきか。悩んでいる間にも若返りは止まらないらしい、軸の置き方か存在の弱さか、何にせよ徐々に逆行エリアに“流されて”いる。このままエリア内でマクガフィンの探索を続けるのは良くない選択だ。自分が消えてしまったら意味が無い……決めた。一度出よう。
私は今居る場所から一番近い、窓になりそうなオブジェクトを捜す。ちょうど良い具合の幹の太さをした木が目に入った。よし、アレにしよう。木から出てくる自分をイメージすると、幹の中央がうろの様に開く。私が飛び出してきたうろだ。その木へと一歩ずつ近付いていく……が、なかなか近寄れない。歩幅が小さくなっているのだ。自分の身体が既に小学生くらいにまで戻ってしまった事を察して、遂に恐怖心が芽生えてくる。早く、早く……!無我夢中で動き続け、どうにか目的の木まで辿り着いた。着地の体勢から身体が浮き上がりうろの中へ吸い込まれて行くと同時に、安心したからか私の意識は朦朧とし始めて、そのまま気を失った――
「もしもし、お嬢さん……大丈夫ですか!」
「うーん……」
「この華やかなお召し物、何処かの姫君と見受けられるが……どう思うね?ド・シナンテ」
「ブルルッ!」
「そうかそうか!おぬしもそう思うか!我も、この御方こそ運命の姫では無いかと思うのだ……未だ確証は無いが、直感がそう告げておる!」
「ヒヒーン!!!」
「姫!姫!どうか目覚めて下され!」
「五月蝿いわね……誰だか知らないけどそんな大声で叫ばないで……疲れてるんだからもう少し寝かせてちょうだい……」
「……ブルルッ」
「おぉ、そうだな。姫が望むなら静かに寝かせるのが騎士の使命……我らで姫の安眠を守るのだ」
――どれくらい経っただろう。気がつくと私は大きな木にもたれ掛かり眠り込んでいた様だ。左手にしっかりとランタンを握っていることを確認して、一先ず安心する。どうやらちゃんと外に出られた様だ。
「ここは……」
「おぉ!お目覚めになられましたか姫!」
「アナタは!《ナイト》ド・タイプ!どうしてこんな所に?」
「おぉ!我のことをご存知とは!やはりこの御方こそ、我が愛しの姫!姫の眠りをこの《ナイト》ド・タイプ、愛馬ド・シナンテ共々ずっと見守っておりました!」
「ヒヒーン!」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってよ!私は違うわよ!アナタの求めてる姫じゃないわ!」
「まさか、麗しきドレスが似合うその御姿は間違い無く、我が追い求める姫君であられます!我が名乗る前に、我の名を正しく呼んで下さった事が何よりの証拠!運命の姫と騎士は出逢う前から互いにその名を知っているのです!」
ド・タイプに指摘され、初めて自分の服装が変化している事に気付く。いつの間にか私は、ふわりとした子供用の可愛らしいドレスに身を包んでいた。ランタンのガラスに反射して映ったのは幼い顔の少女……せいぜい10歳かそこらといったところだろうか。逆行エリアから脱出するまでに、また少し若返ってしまったらしい。
「私がアナタの名前を知っているのには事情があるの!」
「ほう?一体その事情とは?」
「それはこの……あぁっ!」
背後を振り返ると、木の幹に開いているはずの逆行エリアへの入り口は既に消えていた。ランタンの指す方向を確かめると、あらぬ方角を示している。どうやら眠っている間にまた移動してしまったようだ。
「姫、どうかされましたか?」
「いや……なんでも無いわ。私は探さなきゃいけない物があるから、もう行くわね」
「そのランタンが、目的地を指し示すコンパスと云う訳ですな。《ナイト》ド・タイプにお任せあれ!」
「ちょっと!何するの?やめ……」
彼は私を最も簡単にお姫様抱っこすると、そのままド・シナンテの上に乗せた。
「……ねぇ、どういうつもり?」
「目的地まで、我がお供致します。姫の旅路を護衛するのが騎士の務めであり、使命ですからな!」
フハハと笑う彼は、そのまま私が喋る前に走り出した。確かに私一人でこの世界を移動し続けるのは無謀かも知れない。逆行エリアを見つけるまでの間は、彼の勘違いを利用して守って貰う事にしよう。馬に揺られながら冷静に考え直し、初めて会った時に彼から受けた罵倒と、いきなり斬り掛かられた苦い思い出を抑え込む。他人の善意に漬け込むのは気が引けたが、未来に受けた仕打ちで差し引きゼロという事にした。
そういえば一体、彼はいつの時代の存在なのだろう?もし既に彼が賢者だとすれば、ひょっとすると《出口》のことを知っているかも知れない。
「ねぇ、《ナイト》ド・タイプさん。聞きたいことがあるんだけど……」
「偶然ですね。我も姫に聞きたい事があったのです、お先にどうぞ」
「ありがとう。この世界の《出口》って聞いた事ないかしら?私、そこにも用があるのだけど」
「《出口》ですか?はて……知っているような知らないような……」
「じゃあ、円卓の城って知ってる?」
「それはもちろん!円卓の城こそ、我らが旅を始めた城!出発地点ですな!この世界の全ての存在がその城の鏡から生まれるのですから」
「えっ?知ってるの?」
「えぇ当然。しかし《出口》というのは円卓の城にはありませんよ。聞いた事がありません」
「あら、そうなのね……」
どうやら彼はまだ賢者にはなっていないらしい。それにしても彼の発言は気になる事ばかりだ。
「鏡から生まれるって言ってたけど……」
「あぁ、失礼。語弊がありましたな。最近では水面やら、それこそランタンのガラス面でも、色んなところから意識達は生まれて来ますから……最初のころは皆、あの城の鏡から生まれたのです」
「なるほど、そうだったのね」
話しながらふと思い至る。私が過ごしていた未来の世界に鏡はあっただろうか?ド・タイプの剣の刃、ハート岩の作り出した小道を渡った時の両脇の湖、お茶会で渡された紅茶、フーダニット卿の片眼鏡……思い出そうとするが、どれも定かでは無い。少なくとも、このランタンのガラスには、一度も自分の顔が反射して映った事はなかったように思う。まさか、隠された世界の《出口》の正体は……
「姫。我からも一つ、質問をしてもよろしいかな?」
「あっ、ええ。もちろん。何かしら?」
「姫のお名前を伺いたい」
「え?さっき、運命の姫と騎士は互いの名前を知っているって……」
「それは勿論!当然、我は姫様の名前を存じ上げておりますが。万が一、我が先に呼んでしまって、偽者がその名前を語ったら大変ですからな」
「まさかアレだけ言っておいて、今更私を疑ってるの?」
「いやいや!まさか……けれどいつまでも姫とばかり呼んでいては他の姫君と混ざってしまってややこしいですからな。どうかここは一つ……」
「まぁ良いわ。色々教えて貰ったからお返しね。有朱よ」
「アリス、なんと良い響き!憶え……あ、いや!確かに確認致しました!アリス姫!目的地まで安全にお送り致します!」
「はぁ……はいはい、よろしくお願いするわね」
ド・シナンテは私達を乗せ、ランタンの示す方向に向かって駆けて行く。取り敢えず無事に逆行エリアへは向かえそうだが、まだ問題が残っていた。仮に辿り着けたとして、果たして私の残り時間でマクガフィンを見つけ出す事が出来るのだろうか。
コチラの世界に戻れたから普通に歳を重ねて猶予を延ばす事は出来るが、自然な成長に頼るのは現実的では無い。私は老いに抵抗がある為に、最悪の場合、無意識の内に老化を止めてしまうかも知れないからだ。きっと私が逆行エリアで若返ってしまったのは、自分の存在に十分な芯が育っていなかったせいだろう。少しでも若くなりたい、と考えてなかったと言えば嘘になる。主軸がしっかり定められていなかったせいで、徐々に影響を受けてしまったのだ。どうにかして、逆行エリアに流されない意識を手に入れなければ……
「おや?」
自省していると、ド・シナンテが動きを止めた。周りを見渡すと、背の高い草むらが周りをすっかり取り囲んでいる。
「どうしたの?」
「どうやらいつの間にか、誰かのテリトリーに踏み込んでしまったようです。ランタンがさっきまでと違う方向を示していて……」
「抜け出せそう?」
「どうでしょう、暫く進むしかありませんな」
取り敢えずランタンに従って向かうが、段々と霧が濃くなってくる。
「……本当に大丈夫?どんどん深い場所に向かっている気がするんだけど」
「動く度に、ランタンが揺れるから……」
「何やらお困りの様ですね」
「誰だっ!」
ド・タイプが声のした方を警戒していると、草むらがゆらゆらと動く。そして奥からひょっこりと姿を表したのはチョウだった。揺り籠に乗っていて、仕組みは分からないが、それは色んなアイテムを乗せたテーブルと共に空中に浮かんでいた。籠の囲いに隠れて翅は見えないが、頭の形や触覚、口元にくるまったストロー、胴の節、脚からチョウだと分かった。
「間違ってもその剣を抜くのはおよしなさい。危害を加えるつもりはないのだから」
チョウはド・タイプが剣に手を伸ばして警戒するのを見ると、そう言って諭した。ストローの口でどうやって発声しているのか不思議だったが、どうやらテーブル上にある蓄音機の様なスピーカーから声が出ているらしい。
「初めまして。私達、ランタンの示す先を目指していたんですが、迷ってしまって……」
「あら、フーダニットのランタンじゃないか」
「えっ!フーダニット卿とお知り合いなんですか?」
「当然よ。妾は逆行エリアを共同研究してたパートナーでもあったからね。あぁ失礼、自己紹介が遅れた。妾の名はクワーティだ。宜しく……良ければ少し知恵を貸そうか?」
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