第11話 フーダニット卿の時間授業


「分かりました。では移動しながら時間についてお話ししましょうか、この研究室では時計塔を操れませんのでね」

「研究室?ここって倉庫じゃなかったのか?」

「倉庫?どう見ても子供部屋でしょ?あの天蓋ベッドなんて幼稚園児が使うみたいな……」

「ここは研究室ですよ。ここら辺の資料を眺めながら、あそこのベッドで寝て……いや、構想を練って過ごすのです。良いアイデアが浮かんだらノートに記して、草案が実現可能になれば工房で形にします」

「なるほど、物思いに耽る時間も研究の一部ってことか……」


 フーダニット卿の話を聞いてマクガフィンは熱心に頷いているが、どう考えても子供部屋だ。資料と言って彼が指差していたのは転がっているオモチャ達である。やはりこの世界の住人なのだと痛感した。


「コホン。では移動しますが、宜しいですか?善は急げと言いますし、時計塔を操るにも早く準備をしなくては」

「お願いします……えっと、時計塔を操るって言うのは?」

「吾輩の領地は移動式なんですよ。この時計塔から操縦する事で土地ごと移動出来るのです」

「そんな大仕掛けな」

「安全の為に一番効率の良い方法を選んでいるだけですよ。操縦室は上なので……参りましょう」


 私達は研究室を出て、また階段を登り始めた。


「それで、時間に関しての話なのですが……お二人共、時間への認識はどのくらいですか?」

「どのくらいって……時計で計るもの?六十進法と十二進法で計算する……とか?」

「おぉ、吾輩の作る時計も一応十二進法を採用しておりますよ!前に十三進法で設計した時はとても危険だったので。やはり十二が一番です……マクガフィンさんは?」

「何がだ?」

「時間への認識ですよ」

「あ、あぁ!時間か、そうだな。物質の動き……かな」

「素晴らしい!その認識があれば逆行エリアでの因果関係の順応は早そうですね!安心しました」

「まぁな、ある程度のイメージトレーニングはしてるぜ」

「えっと?ごめんなさい。私、全く会話について行けてないんだけど……」

「大丈夫です、今からじっくりご説明致します。そうですね……まずアリスさんは時間というのはいつから始まったとお考えですか?」

「いつからって、そんなのずっとあるものじゃないの?」

「うーん。では質問を変えましょう。例えば水の入ったコップがあるとします。イメージ出来ますか?」

「ええ」

「では、その水を他のコップに移す事は?」

「出来るわ」

「もしコップが落ちて割れたら、中の水はどうなりますか?」

「辺りに飛び散るわね」

「またコップに戻せると思いますか?」

「無理だと思うわ」

「それは何故?」

「何故って、飛び散ってしまった水は元に戻せない……から?」

「そうですね。飛び散ったら戻らない、その感覚が一般的な時間の感覚です」

「まだよく分からないわ」

「大丈夫ですよ。では次に、コップが落ちて水が飛び散るという一連のイメージが全て、フィルムに記録された映像だとします。巻き戻すと水はどうなりますか?」

「それは、元のコップに戻るわね」

「映像では戻せて、現実では戻せない。この差をどう説明しますか?」

「説明って言われても、そういうものだからとしか……考えた事もなかったわ。巻き戻せるか巻き戻せないかの差……うーん」

「もしフィルムが巻き返し不可だったら?」

「それは現実と同じね。水は飛び散ったまま戻らない……あっ!もしかして時間の始まりってそういう事?フィルムの最初が、時間の始まり?」

「その通り!私達の世界がフィルムに記録されたモノだとすると、まさに時間の始まりこそ世界の始まりと言えるのですよ!」


 フーダニット卿が満足そうに頷く。その反応を見て、私は思わず嬉しくなった。こんな風に新しい物事を教わって、その最中に辿り着いた自分の気付きを褒められるのはいつ以来だろう。

 社会人になってから、仕事で上手く出来た時に褒められたのは数える程しかない。褒められるポイントも業績に関わる会社の為の立ち回りでしかなく、その瞬間は嬉しく感じていても、後から虚しくなるなんて事ばかりだった。入社から暫く経つと上手くいくことが大前提になり、多少の成功を収めてもわざわざ褒められる事は無い。なんなら成功を積み重ねなければ給料も増えないし、上手くこなした仕事だって重箱の隅を突く指摘ばかりされるのが当たり前だった。

 そんな生活を何年も続けていたせいか、分からなくても責め立てられず、寧ろ問題の答えを優しく正解へ導いてくれるフーダニット卿の“授業”はまるでオアシスのように私の心に染み渡っていたのだった。


 そういえば、学生時代に好きな先生が居た。好きと言っても小学生の頃だが、理科の先生で毎回必ず授業の度に子供達が喜ぶ実験を披露してくれたのだ。フーダニット卿はあの理科の先生に似ている。子供が興味を示し辛い小難しい範囲の授業の時も、先生はお得意の実験で生徒の心を掴み、巧みな例え話で分かり易く解説してくれたのだ。お陰で私は科学が好きになって、小学校の理科のテストはいつも満点だった。他の子が捨て問扱いしている様な知識問題ですら、教科書の隅々まで読み込んでいた当時の私にはサービス問題で……


「あっ!」

「どうしました?アリスさん」

「いや、ちょっと思い付いてね。時間の始まりが世界の始まり、って考えてたら思い出したんだけど、確か宇宙の最初はビッグバンっていう爆発から始まったのよね?なんだか水が散らばるイメージに似てるなって思って」

「おっ!やるじゃないか姫!そうだよ、そういう事なんだ!」

「あ、やっぱり?繋げ易い例え話にしてたのね」

「アリスさん流石ですね。そうなのです。マクガフィンさんが時間を物質の移動と言っていたのもそういう訳なんです。ビッグバンからフィルムが生まれて時間が始まった、逆に言えばビッグバンが起きる前にはフィルムも存在せず、フィルムが存在しないという事は時間も存在していなかったと言えるワケです」

「確かに。時間は物質の変化でしか捉えられないから、時間の流れに従って動く物質がそもそも存在しなければ、時間も存在出来ないって事ね」

「ええ。一般的に捉えられている時間というのは、物質が拡散する方向に移動し続ける現象の事なんです」

「なんだか掴めてきたわ。大気とか、粒子的な流れも自然では拡散するばかりで、決して収束には向かわないって話よね」

「そうです。時間が経つと氷が溶けるのも、物が腐るのも、総ては物質が拡散する方向に動いているというだけなのです」

「だから中のモノを冷やしてその物質の拡散速度を遅らせる冷蔵庫なんかは、ある意味タイムマシンみたいなもんなんだぜ!未来にしか行けないが……冷凍庫なんかコールドスリープだよ。凍るってのは分子の動きが止まってる状態の事なんだ。敢えて時間を主語にして云うなら、周りの時間は流れていても自分だけ時間が止まってるワケだ」

「冷凍保存ってそういう事なのね!なんだか一気に時間の話が身近になったわね」

「時間の流れに対抗する際、冷凍は確かに良い方法ですね。吾輩も一時期、冷蔵や冷凍に取り憑かれていたことがあります。それで幾つかの土地を極寒にしてしまいました……結局、ブラックホールを利用して時間の流れを遅くするのが手っ取り早くて確実でしたが」

「ブラックホールはどうやって時間を遅くするの?」

「簡単に言えば、重力を利用して時間の流れを歪ませるのです。時間というより時空ですかね、例えば飛び跳ね続けるボールをイメージして下さい。そのボールの跳ねる勢いが速ければ速いほど時間が早く過ぎるのです」

「……イメージしたわ。合ってるか分からないけど」

「先に水を例に使って説明しましょうか。ケトルの中の水の温度が上がると、水の分子はどう動くか……」

「あぁ!イメージ出来たわ、温度が上がると水分子が激しく動いて、そのうち液体の中から飛び出した水分子が蒸気になるのよね」

「そうそう!そのイメージで……普通の重力下のでの動きは布の上で跳ねるピンポン球を想像して下さい。重力が増えるという事は、そのピンポン玉が鉄球になるみたいな話なのです」

「鉄球だと跳ねるどころか、布の底に溜まっちゃいそうね」

「それがブラックホールの働きなのです!本来跳ねる筈のピンポン球が鉄球の様に動かざるを得なくなる……冷凍と違うのはその規模と効果です。冷凍は凍りつかせる事が可能な物質が限られていますし、光をはじめとした様々なモノは氷の状態になりません。重力を使った時間の遅延は空間全てを巻き込んで対象の時間速度を落とす事が出来るのです」

「なるほど、重力の方が万能なのね」

「つっても姫の世界じゃ技術的に不可能だけどな。まぁフーダニット卿も簡単そうに言ってるけど、この世界でも細かい物理理論を理解して実践するのは凄い事だ。本当になんで賢者になれてないのか不思議だぜ」

「嬉しい言葉です。あ、操縦室に着きました。操縦作業の後に逆行エリアの話をしましょうかね」

「楽しみだな、姫!」

「えぇ。なんだかわくわくしちゃう!」


 時計塔の操縦室への扉は、ほぼほぼ塔の天辺に近い位置にあった。延々と階段を昇り続けて、ふと下を見ると足が竦むほどの高さだ。肉体が疲れを感じないこの世界のお陰もあるだろうが、本当に驚く程あっという間に感じたのは、自分がフーダニット卿の話をそれだけ夢中になって聞いていたからだと自覚した。


 フーダニット卿と共に操縦室へと足を踏み入れる。中はそのまま飛行機のコックピットといった感じであった。目を引くのは中央に設置されたオルガンを思わせる装置で、鍵盤の並びに加えてランプと小さなボタンを備えている。真ん中にどかんと鎮座する大きな舵輪のお陰で、その装置が操縦スペースだと一目で分かった。周りには小さなトランペットのような形をしたマイクが天井から伸びており、部屋の壁には幾つもの計器が並んでいた。


「すげぇ!カッコイイなぁ」

「特に揺れる事はありませんが、計器側の壁には立たないようにして下さい。万が一に備えて出入り口側で待機する事をお勧めします」


 フーダニット卿はそう言いながら舵輪の前に立つと、オルガンの鍵盤を幾つか押す。すると聴き覚えのある音が響き渡った。


――ブウウゥゥン……ブォンブォンブォンブォン……


「この音……」

「時計塔の起動音です。エンジンに利用しているジャイロ機構の回転数を上げる際にどうしても音がなってしまいましてね。少しうるさいですが我慢して下さい」


 低く唸る様に響くその音は、暫くすると先程と同じように高音域の音に変化していった。続いてフーダニット卿が舵輪の右側に持っていたステッキをガチャリと突き立てた。するとブゥン……とブラウン管テレビが点いた時の音がして、部屋の壁全体に外の様子が映し出される。どういう仕組みか分からないが、まるで私達は町の上空に浮かんだガラスの球体に居るようだった。足元には相変わらずひっきりなしに移動を続け、忙しなく作業をする住人達の姿。右に目をやるとお茶会の広場が見えた。もうテーブルの上は綺麗に片付いて、お茶会のメンバーはまた優雅に紅茶を愉しんでいるようだ。


「すげぇ!どうなってんだコレ?」

「彼らに作らせている外壁の装飾品には、材料にガラス玉を含ませているのです。そのガラス玉がカメラになっていまして、この操縦室へと繋がっているのです」

「へぇ……!」

「お見せしましょうか。今は全てのカメラの視野を統合してこの時計塔が一つの大きな眼の様に振る舞っていますが、一つ一つの視野に切り替える事も可能ですからね」


 フーダニット卿がステッキを操作すると、テレビのザッピングのように画面が切り替わり、暫くして目の前に大きく時計塔が映し出された。中央に高く聳える釣鐘塔が見え、そこから手前へと近付くように延びる建築物のラインが延びている。遠目で見た時には気付かなかったが、私がゴシック建築だと思い込んでいた建物の装飾は、その全てがフィギュアやオモチャといった建築様式には一切関係の無い品の寄せ集めだった。

 基盤となっている筈の建物本来の壁面は一切見えなくなっており、ぬいぐるみやボウリングのピン、チェスの駒など大きさも系統も、細工のクオリティーもバラバラなモノがまるで廃品置き場の様に乱雑に溢れ返っていた。見るからに使い古されてボロボロな中古品も、作られたばかりに見えるピカピカな新品も、関係無く入り乱れている。唯一、統一されている条件があるとすれば、それらが全て遊び道具である事くらいだろうか。空間を余す所なく埋め尽くす大量の製品の山からは一種の執念や恐怖症といった常軌を逸した印象を受けた。


「これは右の側塔にある天使のフィギュアが持っている、杖の先のカメラの映像ですね」

「まさか、全部のカメラの位置を憶えてるの?」

「勿論。彼らが作ってくれた作品は総て把握してますよ」

「凄い記憶力ね」

「当然ですよ、プレゼントは嬉しくて記憶に残るモノでしょう?」

「それはそうかも知れないけど……」

「では移動を始めましょう。カメラを戻しますね」


 さらっととんでも無い事を言ってのけたフーダニット卿はカメラを元の画角に戻すと、ひと通り町を見回してから、マイクに向かって大声で叫んだ。


「おもぉーかぁーじ!!いっぱあぁぁい!!!」


 その声は町中に聞こえるようになっているらしい。フーダニット卿が叫んだ途端、全員が作業の手をピタリと止めた。同時に住人達の声が操縦室にこだまする。



「やれやれ、また移動かよ」

「ダンナァ勘弁してくれよう!確か一昨日移動したばっかだったろ?」

「今日中にこの作業終わらせたかったのになぁ」

――ザワザワ……

「皆すまんな、今回ばかりは許してくれ。友の為なのだ」


 彼らのボヤきは大半が文句ではあったが、本気で嫌がっている様な感じはしなかった。フーダニット卿も笑いながら受け応えしており、そのやり取りには親しみが込められている事を悟った。彼が初めて私達の前に姿を見せた時にも住人達はうんざりした様子を見せていたが、時計塔が起動される度に彼等の間で交わされるお決まりの挨拶の様なものなのだろう。フーダニット卿が領主としてどれだけ慕われているかが分かって、何故か私は嬉しくなった。


「移動時にはどうしても揺れが発生する為、細かな作業は出来なくなります。それに移動を目立たせない為に時間も夜にするので、万が一の事故も防ぐ為に彼等には家で待機して貰う事にしています」

「お茶会の人達は?」

「彼等は広場で広範囲の見張りをします。あの木には紅茶が溢れた時に止めるメーターの役割以外にも、レーダーの役割があるのですよ。この円盤にその結果が表示されて、ナビをしてくれます」

「随分と厳重なのね」

「姫、忘れたのか?この世界には定まった地形や座標が存在しないんだぜ。自分が真っ直ぐ進んでいても、さっきまで右に見えてた山が左に移動してるなんて事はざらなんだ。そういう環境で移動するってのは、例えるなら何の目印もない海のど真ん中で船を漕ぐみたいなもんだぜ」

「あぁ、そう言えばそうだったわね……私達がただアテもなく移動するのとはワケが違うって事ね」

「そうそう、土地ごとの大移動ってなると、会敵しない為にはコレくらい万全にしておかないとな。そもそもこんな大規模な移動装置が存在してるのもなかなかだけど……」

「そういう事です。ではそろそろ移動しますね」


 部屋の壁のモニターが切り替わり、更に高い位置へ視点が移動した。町の外が見渡せる位置だ。未だ水面と小道は繋がっていて、遠くにハート岩と戦った丘と草原が小さく見えた。フーダニット卿がステッキを前に倒すと、エレベーターが上に向かう時に似た軽い揺れと重力負荷を感じた後、列車が駅を通り抜けた様な音と共に景色が動き出す。


――ゴオオオオオオオオ!


「駆動音も結構大きいのね!」

「あぁ!失礼、迫力を感じられて好きなので音壁を開放してました。閉じますね」


 フーダニット卿がボタンを押すと、音は直ぐに小さくなった。


「どれくらいで着くんだ?」

「うーん、正直なところ分かりません。あの場所には暫く行っていないので結構掛かるかも……どうでしょう?道すがら、影の少女もついでに捜しましょうか?」

「え?そんなこと出来るの?」

「可能ですよ。寧ろ彼女が魔女ならば、わざわざ過去に遡らずとも《出口》に繋がる円卓の城に辿り着けるかも知れませんし」

「是非!お願いするわ!マクガフィンもそれで良いわよね?」

「ま、まぁ……姫が言うなら、オイラは構わないが」

「では、そうしましょう。アリスさん、コチラへ」


 歯切れの悪いマクガフィンに違和感を覚えながら、私はフーダニット卿の傍へ寄る。彼は懐を探ると、ガチャガチャと音を鳴らしながらまた新しいアイテムを取り出した。


「これを持って下さい」

「これは……ランプ?」

「ええ。吾輩の特製ハリケーンランタンです。燃料の消費時間の流れを穏やかにする為、バーナーに冷気を混ぜるコールドブラストを採用しています」


 手渡されたランタンは黒塗りのクラシックなデザインで、照明部分のガラスを左右から挟む様にして底から上部の煙突へと二本の支柱が延びている。ガラスの中には明るい火がゆらゆらと灯っていた。


「ご自分の影が見えますか?」

「え?私の影はあのコに奪われて……」

「目を凝らしてよく見て下さい。もし影が完全に奪われていたら、本来は実体も残らないのです。アリスさんが存在しているということは少なからず、僅かな影が残っている筈なんですよ」

「って言っても、私の後ろに影なんか……」

「いや?姫、見ろよ!影あるぜ!ランタンの下だ!」

「え?そんなまさか……あっ!」


 マクガフィンに言われた場所をよく見ると、本当に薄らと、だが確実に私の影が伸びていた。然しおかしいのは、その影の落ちている方向である。私はランタンを手前に持っている。光源からの向きを考えれば、私の背中側か足元に影が無ければ変だ。


「やはり、残っていましたね」

「これってどういうことなの?」

「その影はアリスさんの影ですが、同時に今は影の少女の影でもあるのです。二人の影は繋がっていて、存在の弱い方が強い方の影に引っ張られている状態です」

「つまり、今の私は影の少女より弱い存在って事ね」

「残念ながら。然し悪い事ばかりではありません。アリスさんの影は方位磁針のように常に影の少女を指し示すことになります。つまり、簡単に追い掛ける事ができるのですよ」

「なるほどね」

「ではアリスさん、そこに立っていて下さいね。影が真っ直ぐ前へ伸びる様に舵を調整し続ければ間違い無く影の少女に辿り着きますから……」

「時間逆行のエリアにはもう行かないのか?」

「取り敢えず影の方向に進み続けて、レーダーに掛かったらそちらへ向かいますよ」

「そっちがついでになってるじゃんか!」


 マクガフィンが痺れを切らした様に喚いたので、私は慌てて宥める。


「落ち着いてよマクガフィン!そんなに逆行エリアに行きたかったの?」

「……まぁな。それに今の状態で影の少女に追い付いたとしてどうするんだ?アイツは強いし、大人しく影を返してくれないのは明白だろ?正直まともにやり合ったらオイラも勝てる自信無いぜ」

「確かに、それは一理ありますね」

「だろ?勝ち目のない戦いより、多少危険でも成功の見込みがある逆行エリアを使った《出口》探しを推すよ」

「うーん……アリスさん、どうしますか?」

「姫、わざわざこの世界で影を奪い返さなくても、向こうの世界に帰れりゃその勢いで影を引っ張れるからどうせ戻って来る。な?」

「それは……理には適ってそうですが、実例を知らないので吾輩からはなんとも言えません。ですが存在感で言うならば、《出口》を見つけていつでも帰れるという状態の方がアリスさんの自信には繋がるでしょうね。アチラの世界への意識が強ければ、コチラの世界の法則に縛られない可能性も十分考えられますから」

「……分かったわ。逆行エリアに行くのを優先しましょ。けど今はアテがないんでしょう?もし影の少女を見つけてしまっても会わないで逆行エリアに向かう事にするから、進み方はこのままにしましょう。変に遠ざかるのも嫌だもの」

「よっしゃ!じゃあ決まりだな!」

「分かりました。では、予定通り逆行エリアに備えて時間の説明を続けるとしますかね。到着までにはたっぷり時間がありますから……」


 目に見えて元気になったマクガフィンに合わせるようにフーダニット卿がステッキを力強く倒すと、周りの景色の流れが一段と早くなった。

 理屈の通じないこの世界ですら未知とされる領域――時間逆行エリア。賢者すらも理解の範疇にないと匙を投げ、厄介扱いした場所。裏の裏が表だから、もしかしてマトモな法則の残った場所かも知れないと一縷の望みを抱きながら、私はフーダニット卿の“授業”に耳を傾ける。


 ランタンに炙り出された影は、まっすぐ前を示し続けていた。

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