第10話 《出口》を求めて

「実は吾輩も、長らく《出口》に関して調べていたのです。順序が逆になりますが、世界によって賢者とされた者達が共有している《出口》の事を知れば、賢者に近付けるのでは無いかと思って……いくらお茶会を重ねても、賢者達は《出口》の具体的な情報は一切喋ってくれませんでしたから、古書を漁ったりして集めた個人的な研究成果でしかないのですが」

「そうなのね。けどどんな情報でも嬉しいわ。ね、マクガフィン……あれ?マクガフィン?何処行ったの?」


 後ろについて来ていると思い込んでいたが、気付くとマクガフィンの姿が無い。振り向くと彼は部屋の入り口、そのドアの手前で立ち尽くしている。


「ねぇマクガフィン、フーダニット卿が《出口》のコト教えてくれるって。来ないの?」


 私が尋ねると、彼は狼狽した声で返事をした。


「こっ、これって転移ドアだろ?元の自分でいられるかが不安なんだ……姫、よく通れたな」

「どういう事?一体、なにを言ってるのよ」

「あぁ、もしかすると彼は転移ドア恐怖症かも知れませんね」

「転移ドア恐怖症?」

「転移ドアの……というよりも一般的な転移装置の原理というのが、基本的にその対象物を一度量子レベルにまで分解して、離れた位置にあるもう片方の装置で組み直す、といった方法になっているのですが、その一度分解される過程に対して過剰な恐怖心を持った方々の事を転移ドア恐怖症と云うのです」

「ふぅん……私、特に何も感じなかったけど?」

「そっ、そこが怖いんだろ!一瞬で痛みも感じず、無自覚で直前の自分は死んでるかも知れないんだぜ?」

「彼はぬいぐるみですからね、分解って言葉に特別敏感なのかも知れませんよ」

「もう!なんともないって言ってるじゃない!それとも何?マクガフィンは私が偽物かどうかも見分けられないって言うの?」

「そんな事言ってないだろ!姫はテセウスの船とかスワンプマン問題を知らないのかよ!」

「知らないわ!なによそれ!」

「忘れてんのかよ!思考実験だろ!何がその存在をそれ自体として個性足らしめてるかって……」

「お二人共、落ち着いて下さい!マクガフィンさんが転移ドアに恐怖する理由も分かりますが、どうか安心して頂きたい。吾輩の作った転移ドアは量子もつれを利用しています!」


 フーダニット卿の言葉にマクガフィンがピクリと反応した。


「……量子もつれを?」

「えぇ、分解では無くスキャニングに重きを置いた作りです」

「そうか。落ち着いて話を聞こうじゃないか。オイラのイメージ通りなら、怖がる必要は無くなりそうだ。仕組みを説明してくれ」

「……自慢話になるかも知れませんが、アリスさん、構いませんか?」

「えぇ。それでマクガフィンが納得するなら構わないわ」

「有り難う。コホン……ではご説明致しましょう!吾輩の発明した転移装置が従来のモノと比べてどれ程優れているか!先ほど軽くお話ししましたが、従来の転移装置は物質の情報を読み取ってから、それをそのまま分解→転送→組成していました。そこに使われるスキャニングと転送はどれだけ技術を進歩させようが、光の速度だけ誤差が生まれた。つまり光の速度で移動している間だけ死に、気付かない内に新しい存在として生まれ変わると言う事で。まぁ新陳代謝よりマシですがね。ラグがあればある分、殺されてるとも言える訳です。そのラグをゼロに近づければ良いだろうと考えると、もう一つの問題が出て来ます。それがスワンプマン問題で……」

「ねぇマクガフィン、アナタ彼がなに言ってるか理解出来てるの?」

「当たり前だろ?集中して聞いてんだ。邪魔しないでくれ」

「……そういった、幾つもの課題を総て、量子もつれで解決したのが吾輩の転移装置なのです!」

「よっ!待ってました!」


 ドアの向こうでマクガフィンがやんややんやと手を叩く。真面目なんだかふざけてるんだか……


「量子もつれとは皆様ご存知、この世界に何故か存在する“一つの量子の状態に対応したもう一つの量子”であります。Aという量子には必ず量子もつれ状態の量子Bがあり、例えば量子の回転状態で言えば、Aが反時計回りだと観測された時点でBが時計回りである状態が確定するというモノです」

「えっと、ちょっと質問!Aを観測しなくても、最初からBを観測すれば、Bが時計回りって状態は観測出来るんじゃないの?なんだか回りくどい方法に思えるんだけど……」

「それは違います。量子力学の世界では物質の状態は観測するまで確定しないのです。具体例を出すなら、黒い球と白い球が一つづつ入っている袋から、中を見ないで一個ずつ別々の箱に移動して、遠くに送ってしまうと考えて下さい」

「……えぇ。想像したわ」

「移動させた先で箱を開けて色を確認すれば、その瞬間に遠方の箱の中に入っている球の色も知る事が出来ますよね?」

「えぇ」

「これが量子もつれの凄さなのです!」

「えっと……イマイチ分からないんだけど……」

「つまりだな、姫の質問だと、いちいちもう片方の箱の在処を探さなきゃいけなくなるだろう?その手間が必要無いって事なんだ」

「送る前に、どっちの箱に何色が入ってるかを確認してから送るのじゃダメなの?」

「それが従来の転移装置の不安要素とされるラグの原因だったんですよ!」


 フーダニット卿が、待ってましたと言わんばかりにテンションを上げて語り出す。


「情報を確定した状態で送ろうとすると、目的の地点に到着するまでの間がそのままラグになってしまうんです。そうではなくて、送った先で初めて箱を開けるまで中身を観測しないようにすれば、箱の情報を確定させずに移動する事が可能なのです。つまり量子もつれの概念を利用すれば何方の箱も白と黒、両方の状態を保ったまま送ることが出来るのですよ」

「それって何だか屁理屈に思えるわね……どっちにしろ最初に白と黒が入った箱は決まってるでしょう?」

「感覚的にはそうかも知れない。けど姫の言い分は、生まれた瞬間から全て運命が決まってる、て言ってるのと一緒だぜ。行動次第で未来はどう変わるか分からないって言われた方が納得できるだろ?」

「それは、そうだけど……」

「白球黒球の箱も一緒さ。姫がA地点に白の球が入った箱、B地点に黒の球が入った箱を送ろうとしても、誤配送で入れ違いになったら予測とは逆の結果になるだろ。フーダニット卿が言ってるのは、つまりそう言う事なんだ」

「うーん。なんか消化不良だわ」

「感覚の問題ですからね、慣れが肝心です。しかしさっきの例え話で距離を無効化する情報のやり取りに関しては理解して頂けましたか?」

「それは、なんとなく。片方が手元にあれば、確かにもう片方は何処にあっても色が確定するわね」

「量子もつれのその特性を利用したのが、吾輩の転移装置なのです!改めて言いますが、量子もつれ状態の量子間での情報のやり取りは、全くの同時なのです。距離も関係無く、物質の移動速度も凌駕した完全な“同時”です。誤差が発生しないその情報のやり取りを利用して、吾輩の転移装置は動いています。まず入り口ではスキャニングと同時に、対象と量子もつれ状態にある量子を特定します。そしてそのもつれ状態の量子を観測する事で分解される前と分解された後、両方の分子の状態を常に同時に観測する……この時点で連続した観測を行なっていますから、スワンプマン問題もテセウスの船の問題も解決しています。意識に関しても、同じく量子もつれの片割れを観測する事で一個の存在として連続して観測します。そして出口の方では量子もつれ状態の量子の方から情報を取得します。つまり量子もつれをクラウドとして扱い、情報を一度も手放す事なく“同時”に離れた空間の移動を再現するというワケです」

「すげぇ……フーダニット卿、やっぱりアンタ天才だよ!」

「信頼して頂けて何よりです」


 フーダニット卿が満足そうに頷くと、マクガフィンは感激で目を潤ませながら、遂にドアを通り抜けてこちら側へとやって来た。そして二人は熱い握手を交わす……感動すべきシーンなのか、側から見ている私には全く分からなかった。


「ところで、そろそろ《出口》の話をしましょうよ!マクガフィンがその、ナントカ恐怖症を克服してこの部屋に入る事が目的じゃなかったはずよ!」

「あぁ、そうだった!姫、すまん。じゃあフーダニット卿、改めて《出口》のことを教えてくれ」

「よろしいでしょう。吾輩も長々と語ってしまい失礼しました。発明品の事となると熱くなってしまって……えぇと、これを見て下さい」


 フーダニット卿が示したノートの箇所には、子供の落書きのようなタッチで可愛らしいお城の絵が描かれていた。


「これは……?」

「待って下さい、読みますね。研究資料なので前置きが少し長くなりますが、ご容赦願います。『この世界に《出口》があるとすれば、恐らくそれは世界の始まりの場所だろう。ここに生きる者達が生まれた場所……今まで出会った様々な者に彼らの思い出せる限りで最初の記憶を尋ねて回ったが、誰も自分の生まれた時の事を正確に憶えている者は居なかった。そして似た様な記憶を持つ者も少なく、自我の意識を芽生えさせた時には既にバラバラの環境で過ごしていたようである。過去に遡る事によるアプローチでは《出口》に辿り着く可能性が低い事は、“例のエリア”を使った検証結果からも否定出来ない事実だ。意識が分かれる事で生まれる我々に共通する点は無いように思える……』“例のエリア”というのは、時間逆行のエリアの事です。吾輩はそこで自身を一度、自分が生まれた時にまで戻した事がありまして。意識を留めたまま過去に遡ることで何か得られるかと考えたのですが、特に目ぼしい情報はありませんでした」

「そのエリアって、全部の事象が逆さまになっちゃうのよね?意識なんて保てるものなの?」

「あそこはかなり特殊な場所でして……言ってしまえばなんでもアリなんです。説明するにはまずは時間の概念からお話ししなくてはなりません」

「あっ、今は取り敢えず《出口》の話の続きをお願いするわ」

「それは残念」


 フーダニット卿が先程の転移ドアの説明を始める時と同じ輝いた目をしていたので、私は察して遠慮することにした。またあの眠くなる呪文の様な話を延々と聞かされては敵わない。


「でも取り敢えず、その場所に行けば以前の状態に戻れるって事は確かなんだな」

「えぇ。戻る意識で入れば若返りますから、マクガフィンさんならぴかぴかな新品のぬいぐるみになれますよ」

「すげぇ、すげぇよ……」


 マクガフィンはさっきの説明を聞いていた時と同じく興奮した様子である。こういうSF的な話題に彼の様に食い付けないのは、私が冷めた大人だからだろうか、それとも性別……?そういえば中学の頃、男子の方がタイムトラベルやオーパーツみたいな超科学的な話題で盛り上がっていたっけ。女子は「ありえない」とか「馬鹿っぽい」というスタンスの子が多かった気がする。占いとかおまじないの方がよっぽど非現実的だったな、と今になって思うけれど、あの頃は手の届かない空想の理論よりも、手軽に実践できるオカルトの方が身近で、不思議と信じられたものだ。思い込みが拠り所になるのは多感な時期に在りがちなのかも……


「えぇと、アリスさん。続けてもよろしいですか?」

「あぁ!ごめんなさい、大丈夫よ」

「では。『……各々全く共通点の無いバラバラの存在であるが、唯一共通していると言えるらしい要素を見つけた。それは夢である。理想という意味での夢ではなく、眠っている時にみる夢だ。どうやら皆、幾度と無く同じ場所の景色を夢に見ているらしい。お城の様な建物の中へと入って行く夢。その夢が、意識の奥深くに眠る我々の共通記憶である可能性は極めて高いと考えられる……』というワケでして、この後の頁に纏められているのが大量に集めた皆の夢の記憶の記述と、併せて思い出しながら描いてもらった絵、そして先ほど見せた絵が、それらの情報を基に再構築したこの世界の《出口》の予想図というワケです」


 フーダニット卿から手渡されたノートを、マクガフィンと共に確認して行く。どの頁にも、一眼で見てそれと分かるお城の絵が描かれている。旗が立っていたり、立派な城門があったり……細かな特徴に違いはあれど、どうやら絵本で見る様な典型的なレンガ作りのお城である事は確定らしい。


「なるほど……コレが《出口》なのか」

「正確には、このお城の中にある何かだと思われますが、具体的には分かりません。誰も中に入ってからの事は覚えていないと言っていたので」

「とにかく、このお城を探せば良いのよね?」

「えぇ。ですがただ城を探すと言っても、また一つ問題がありまして。この建物はどうやら、かつて魔女と賢者達が戦ったとされる舞台……円卓の城のようなのです。そしてその円卓の城は先の魔女の敗北により永遠に閉ざされてしまったと伝えられています。一説では崩れ去ってしまったとか……」

「えぇ?そんなの、どうやって辿り着けばいいのよ!」

「城が崩れた跡、廃墟を探すしかないか」

「或いは、城の中に在ると思われる本来の出口を探し出すか……ですね。円卓の城も、恐らく吾輩の時計塔と同じく外壁と内部で分かれた設計になっているはずです。確かにこの城は《出口》への入り口に違いないですが、《出口》の正体を見極めれば直接城の内部へ飛ぶ事も出来ると思います」

「……そうだ!時間逆行のエリアを経由して過去に行ったりは出来ないのか?」

「過去ですか……理論的には可能ですが」

「決まりだな。フーダニット卿、案内してくれ」

「もしかして……魔女と賢者の決戦まで遡るつもりですか?」

「取り敢えずその城が残ってる時代まで戻ればいい、何なら魔女が目覚めるより前に……サッと入って《出口》を見つける。簡単だろ?」

「それって危なくないの?」

「試す価値はあるかも知れません……吾輩は自分の存在を戻す以外に使った事がなかったのですが、意識次第では自身の存在を固定して、周りの時間を遡れるかも……しかし、それにはやはり時間に対しての知識が必要です。理解していなければ、間違い無くあのエリアの事象に呑み込まれてしまいますから」

「姫、どうする?」


 マクガフィンがじっとコチラを見つめて来る。彼の瞳には、力強い闘志が宿っているように思えた。私は覚悟を決める。


「決めたわ。その方法で《出口》を目指しましょう」

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