第8話 影の少女 対 フーダニット卿
「お前が、魔女だろう?」
フーダニット卿の問いに、私の頭の中がグルグルと回り始める。彼は何を言ってるの?魔女?影の少女が?大昔に賢者と戦ったっていうあの魔女?
「ちょ、ちょっと待ってフーダニット卿!アナタには言ってなかったけど、そのコは私の影から飛び出してきたのよ!私がこの世界に来たのもつい最近だし……」
「アリスさん、お静かに」
「でも……」
「他を取り込む魔女の力を持ってすれば、他の存在に入り込む事など容易いでしょう。まして異世界から来た無防備な存在ともあればその影に取って代わるなど造作も無いはず」
「姫、ここは一旦見守ろう」
マクガフィンに静止され、私は口を噤む。サラリーが注いでくれた紅茶を飲み、動揺する気持ちを落ち着ける。
「このとんがり帽子は特別製ですから、ダンマリは無駄ですよ。さぁ白状なさい」
「……ククククッ」
影の少女が帽子の中で冷たく笑う。いつもと違う彼女の笑いはまるでナイフの様に鋭利で、その瞬間に本当に喉元へと刃物の切っ先を突き付けられたかと思う程だった。背筋が凍りつき、姿も見えていないのにテーブルの上に可愛らしく乗っかった小さなとんがり帽子に隠れた存在が、途方もなく恐ろしく思えた。
「その笑いは、肯定と受け取ってよろしいかな?」
「だったらどうなの?愚者さん」
「くっ!本当にあなたが魔女ならば……是が非でもその存在、我が手中に収めてくれよう!」
叫ぶやいなやフーダニット卿は深紫色のコートを翻し、椅子の背もたれからステッキを手に取ると、その柄でとんがり帽子の先をくにゃりと曲げた。すると帽子の光っていた模様が一斉にチカチカと明滅し、そのうち光の粒が円錐の天辺から下方へ、その半径を広げながらくるりくるりと移動を始めた。
実際には螺旋状に描かれた点が次々と上から下へ順に光っては消え、光っては消え……というのを機械的に繰り返しているだけなのだが、ステッキを翳すフーダニット卿の姿と相まってその様子は、まるで魔法使いが杖から帽子に魔法を掛けている様に見えた。
フーダニット卿が暫くその動作を続けていると、どんどん光の移動は速度を速めていく。間も無くとんがり帽子の中から影の少女が抵抗する気配が消えた。帽子の周りを飛び回るように光る点の移動が段々とペースを落とし、今度は全ての模様が一気に光ったかと思うと、やがて模様は消えていった。
「ふぅ……コレでよし」
「一体、何をしたの?」
「あぁ、アリスさん。お騒がせしました。この帽子は“とんがり”部分に強力な重力場を発生させる機構を搭載しておりましてね、帽子内の空間に擬似的なブラックホールを発生させるんですよ」
「えっと、つまりどういう事?」
「時間の流れというものは重力によって早くなったり遅くなったりするものなんですよ。吾輩はあの魔女をとても遅い時空間に閉じ込めたのです……まぁ一種の封印で。この中から脱出するには光より早く動く必要があります」
「封印?困るわ!あのコは私の影を持っていっちゃってるのよ!返して貰わないと……」
「それに関してですが、魔女はあなたの影を全て取り込んだという訳ではありませんから、そんな躍起になって取り返そうとしなくても」
「キャッハハハハハ!」
フーダニット卿の台詞を遮る様に、影の少女の笑い声が響いた。
「そんな!有り得ない!とんがり帽子の動作は正常に完了したハズ……まさか、光より早く動いたとでも言うのか?」
「無駄よ。残念ね、貴方の技術は本当に凄いけど、私を捕らえることは出来ないわ。賢者とは違うのよ」
「一体、どうやって……」
痺れを切らしたフーダニット卿がとんがり帽子を持ち上げ、中を確認する。テーブルの全員が注目するが……果たして、そこには少女の影も形も無かった。
「なっ!?」
「一体何処に行ったんだ!」
「有り得ん、ワシはずっと見ておった。姫は帽子の中にしっかりと捕らえられておったぞ!」
「自分もこの大きな耳で聴いてました。姫の声は他の何処からでも無く、確かにこのとんがり帽子の中から聴こえていました。間違いないです!」
「あっしも見てました。この帽子がテーブル上に置かれてから今まで、一度も封印を破られてはいない。帽子と机の間にはアリ一匹通る隙間も無かった!」
「あらあら皆さん、そんなに慌てなくても……私はちゃんと、ここに居るわよ」
声がしたのは、間違い無く先程までとんがり帽子が置いてあった場所だった。然し姿は見えない。思わず皆が覗き込む。
「あっ!」
私は思わず声を出してしまった。真っ白なテーブルのシーツに、いつの間にか少女の絵が描かれている。その絵は影絵のようなモノクロで表情の見えないイラストだったが、美しく、描かれた少女は楽しげにはしゃいでいる印象を受けた。
「これは……」
「空間の時間は止められるのかも知れないけど、咄嗟にこっちに逃げてて良かったわ。あ、そうそう。中の機構はちゃんと作動してたわよ。ブラックホールって綺麗なのね。あんな間近で観れるなんて……感動したわ、ありがとう!キャッハハハハ!」
「そういう事か、二次元には時間という概念は無い。吾輩とした事が……抜かった!」
フーダニット卿が苦虫を噛み潰した様に顔をしかめ、項垂れた。絵になった少女は彼の落胆を物ともせず上機嫌で喋り続ける。
「惜しかったわねぇ。ところでこんな愚者にいい様に捉えられているなんて、賢者として如何なのかしら……貴方達?」
「グェッグェッ流石にバレていたか」
「え!えぇ!?賢者?男爵が?」
「あら、貴女は気付いて無かったのね?ぬいぐるみさんは?」
「まさかとは思ったが……全員、そうなのか?」
「その通り。ワシは“傍観の賢者”……コレでもかつては流しの参謀として鳴らしたもんだ。しかし知識が無い分野にはめっぽう弱くてな、此奴の扱うややこしい理論にそのまま負けてしもうたのよ」
「……俺も同じだ」
ネコの侯爵も遅れて口を開いた。
「俺は“怠惰の賢者”。兎に角、無駄に動く事が嫌いなのだ」
「怠惰って七つの大罪の一つだろ?そんな賢者も居るのかよ」
マクガフィンが突っ込むと、何故か召使いネズミが釈明する。
「侯爵様の怠惰は愚かさの象徴とは真逆です!この御方は自分が無駄に動かない為の最大限の努力を惜しまない方で、大罪みたいにただダラけるのとは格が違うのです!」
「ふぅん、そういうアンタはなんの賢者なんだ?」
「あっしは名乗るのも烏滸がましい……ですが、かつては“生命の賢者”と呼ばれていました」
「名前だけは大層だがその実、他者を終わらせ続けた連続殺害犯だがな!ゲッゲッ」
「えぇ?それってどういう……」
「あっしは医者を理想像に据えて生命について考え続けた結果、この姿になったんです。御存知か分かりませんが、ネズミの様に小さな哺乳類というのは心臓の鼓動のペースが随分早くて、寿命もその分短いんでさ。ゾウやクジラみたいに大きな身体なら鼓動もゆっくりだし寿命も長い、植物なら驚異的な生命力で半永久的に生きていられます。けれど他人の命を扱う医者としては一生のサイクルが長いモノよりも短い方が良いってなったみたいなんです。この身体で何度も短い一生を繰り返す内に、患者が何の為に治療を求めるのか、その問いの真理に辿り着いて賢者に……」
「それは、なに?」
「死ですよ。アリスさん。皆、生きたいから病気や怪我を治しに来る。つまり死を恐れ、死から遠ざかる為に医者に掛かるんです。あっしは何度も死んでる内に、生に執着する事が愚かだと思い始めました。短いスパンの人生では、将来への展望とかの為に頑張ろうって考えはしないんですよ。その日、その時までに何処まで辿り着けたか。それが全てです。病気を治そうとする者はその病気を治して、健康体で過ごす事に注目しますよね。それは自分の寿命が楽しく過ごせる期間が、苦しんでいる今の期間より長いと思ってるから、将来ってヤツを楽観視してるんで。コレはデタラメな暴論ですが、健康な人でも不慮の事故で唐突に死ぬ事もある。寿命なんてのはアテにならないんでさ。そして等しく、どんな存在でもいつかは死という終わりを迎えるんです。結局そこに行き着くのに、治るか分からない事に苦しんで生き伸ばそうとするなんて意味が無い。悩んで生きる事も馬鹿らしい。そう考えて賢者に至ったあっしは皆を終わらせて、悩みや苦しみから解放する事を続けてました」
「終わらせる、って事も出来るのね」
「はい。存在について苦悩する輩に、悩む事はないと諭して……けど、あっしは間違ってました。侯爵様と会って目が醒めたんでさぁ。焦る事の無意味さ。あっしのやってた事は、ただ無闇に簡単な結論へ走っただけでした。自論を他者に押し付けただけ……恐らく、取り込まないから愚者で無く、世界には口減らしとして賢者と認められただけで、賢さの欠片もありやせんでした」
「まぁそう自分を貶めるな。オマエの持っていた指針も、賢者足り得る極めた考えだ。俺はただダラけて無作為に過ごすのが好きなだけ……」
「いえ!侯爵様こそ御謙遜を!あっしは教わりました。不意に終わる儚い生命でも、与えられた時間でゆったり過ごす事。苦しみ、悩む事すら有意義で大切な事だと!」
召使いネズミは伏せって泣き始めた。彼がネコの侯爵を様付けで呼ぶのは、信仰に似た尊敬の念を抱いている為らしい。侯爵はうんざりといった表情で、あからさまに面倒臭そうである。
「あーあー、そうだな。俺を見て誰が何を感じてどう受け取るかはそいつの自由だ。さてと、話が逸れたな。そもそも俺と男爵、そしてサラリーは三人で一つの集団として行動していたんだ……サラリー、オマエさんも自己紹介したらどうだ」
「あっ、はい!えぇと御紹介に与りました。“預言の三賢者”が一人、“好機の賢者”です」
「好機……?なんだか漠然としてるわね」
「ですよね、自分でもそう思います……まぁ説明しますと、何か行動を起こす時に一番良いタイミングを計る事が出来るのです。こう見えてギャンブルが好きなもので、ただただ賭け事に身を投じている内に、賢者になりました」
「ワシらは三人で方々に出掛け、大乱を防ぐ為にその地の争いが激化、泥沼化しない様に助言をして回ったのだ。決して争い事自体には参加せず、ワシは世界の潮流を見守った」
「男爵の情報から、俺は争い合う奴らの誰に、何をさせるのが最善の一手か導き出す」
「その最善の一手が一番効果的であるタイミングを、自分が計るのです」
「あっしは、生命の賢者として好き勝手していた所を御三方に出逢って、改心しまして……」
「スゴーイ!貴方達も活発に活動してた賢者達なんだ!私を捕まえようとしたのも、貴方達が一枚噛んでるの?」
「いや、ワシらには昔ほどの力は無い。フーダニット卿の傘下に落ちてからはな」
「今回この場に来たのは、ほんの僅かな予感だった。まさかこんな大物が掛かるとは思いもしなかったよ」
「自分はピクリとも来ちゃいませんでしたから、タイミングが悪いんだろうなぁと思ってましたが旦那様の指示で……」
「ふーん、そっか。ところで傘下に落ちるってどういう事?愚者に取り込まれてるんじゃないの?」
未だテーブルのシーツの絵として振る舞いながら、影の少女はフーダニット卿を指差した。彼はとんがり帽子の起動に体力を使ったのか、それとも彼女を封印し損ねたショックからか、何れにせよグッタリと項垂れて椅子に座り込んでいる。
「いや、違う。フーダニット卿は愚者のように他者を取り込まん。作業場の奴らを見ても分かるだろう?ワシらはこのお茶会に拘束されてはいるが、毎晩会話するだけだ」
「会話?」
「此奴は賢者になりたいんだそうだ。実際、ワシらも可哀想に思うよ。存在の弱い者を芯が育つまで守るだなんて、世界のバランスを壊す愚者に対抗する素晴らしい手段だ。間接的に弱い愚者が強く育つのを防いでるワケだからな」
「だが彼自身の行動は、俺にしてみれば世界の調和を乱そうとしている様にしか思えない。あのエリアを創り出したんだぞ?彼が賢者になれるとは思えんな。いくら賢者を捕まえて、会話を続けたところで無駄だろう」
「グェッグェッグェッ!確かに、此奴の作りおった逆行時空なんかは訳が分からん。ワシらが抑えようとして纏めて捕まったのもあのエリアを如何にかしようとした所為だったな」
「ちょっと待ってくれ!コイツがあの時間が逆行するエリアってのを生み出した張本人なのか?」
「えぇ。あのエリアは本当に厄介で、中では何が起きているのやら自分達にはサッパリなんです。不穏です。不安要素ですよ」
「アレは不安要素ではない……」
フーダニット卿が、漸く口を開いた。
「アレは世界の大いなる法則に従って、それをそのまま巻き戻す方向に動いているだけだ!決して法則を乱してはいない!」
「そうねぇ。理解されないのは辛いわよねぇ」
絵の中で、影の少女の口が三日月のように大きく裂けた。背筋がまたしてもゾワりと震える。一見無邪気に見えるのに、なんて邪悪な笑みなのだろう……
「賢者と会話して学んでも何も得られなかったから、より強力な私という存在を欲したのね。分かるわよ、貴方は頭が良さそうだもの。彼らに渡した帽子や腕時計も、賢者の力を存分に発揮させる為のモノでしょう?」
「……そこまで分かるのか」
「えぇ、当然。とんがり帽子も素晴らしい出来だったわ。けど貴方は決して賢者にはなれない」
「何故そう言い切れる?」
「当然じゃない。賢者っていうのはね、独りで自分という存在の中の芯を突き詰めた者だけがなれるのよ。貴方、自分で言ってたわよね?自分の為の行動が自然と世界の為になるのが賢者だって。だから、ダメなのよ。貴方は独りじゃなく、他者から学ぼうとしている。それに他者を育てて世界の為に動いてるけど、それは貴方の自身の為じゃないわよね?」
「違う!吾輩は彼等を育てる代わりに、彼等に吾輩の時計塔を作らせて……」
「だ!か!ら!違うでしょ?それは自己犠牲にならない為に無理矢理労働力として使うことで等価交換してるだけ。対等な取引じゃ利用してる事にはならない。貴方は自分が優秀だからって他者から何も受け取らないつもり?」
「不公平だと、世界の均衡が取れないだろう」
「うーん、その考えで賢者になった人っているのかしら?彼等を見て気付かない?みんな、自分の好きに生きて他者を巻き込めるくらいの存在になったから、賢者なのよ。謂わば独り善がりの狂気が生み出す強大な力が必要なのだわ。最初から世界の為、他者の為……なんて気持ちで賢者になれた奴なんか一人も居ないわよ」
「そ、それは……うぅ」
「誰かに理解して受け入れて貰おうなんて、甘っちょろい考えは捨てるのね。賢者になるには……そうね、逆行時空のエリアを創った頃が一番チャンスがあったんじゃないかしら?けど今はダメね。他と連む事ばかり憶えて、個としての存在が弱くなってる。今からでも遅くないわよ。一旦、この場に居る奴等全員追っ払うか取り込むかして、自分の理想の為に大きな力を手に入れてみたら?」
「む、う、ぐうぅ……」
フーダニット卿は頭を抱える。悩んでいるようだ。震える手でステッキを取り、作業場へと向ける。すると呼応するように全ての建物の窓から、光が薄っすらと漏れ出した。例の発光が、町全体で始まったのだ――
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