第4話 ハート岩とその観客

「あなた達もこの素晴らしい景色が見たくて、アタシの写真が撮りたくてココにやって来たんでしょう?こんな人里離れた場所にわざわざ足を運ぶ理由なんて他にないものねぇ。もう人気過ぎて困っちゃうわぁ♡」

「えっと、ごめんなさい。アナタは……?」

「見て分からない?アタシは見た目の通り、ハート岩よ!あぁ、そういえばさっきの質問ね。この辺りで一番人が集まるのは間違い無くココ!岸壁に凛と佇むハートマーク、そして背景の海原をピンクに染め上げるマジックアワー。完璧な映えスポットでしょう?どうしてあなた達は写真を撮ろうとしないの?カメラを持っていないのかしら?」

「私達は人が集まってる所を探してて、偶々ここに立ち寄っただけなのよ。さっき人里離れた場所って言ってたけど、アナタは他の村や街の事は知らない?」

「知らないわ。それよりあなた達はこの景色を見て何も感じないの?」

「悪りぃな、興味ねぇや。アリス姫、次に行こう」

「どうして!行かないでよ!!!」

「さっきも言ったけどな、オイラ達は《出口》を探してんだよ。映えスポットなんか一ミリも興味無いんだって」

「こんなに写真映えするシーンを演出しているのにどうしてそんな直ぐ去ろうとするのよ!大自然は万人受けするんじゃないの?一眼見たら満足なの?写真すら撮らないで、なんであなた達は一言の感想すら言ってくれないの?アタシだって本当はアイドルになってキラキラして、歌って踊ってちやほやされたかった。それを我慢してこんな岩になって佇んでまで誰からも愛される自然の一部って役割を選んだのに……アタシには何が足りなかったって言うの?誰にも迷惑なんて掛けてないじゃない!」


 マクガフィンのぶっきらぼうな言葉にハート岩は文字通り”ぐらついて“見せた。奇妙にバランスを取るものだと感心しながら、私はその不安定なセリフの羅列に途轍もなく面倒な事が起こる予感を抱いた。


 フラッシュバックしたのは……高校時代のあるクラスメイトの思い出だ。その子は特に目立たった特徴も無く大人しい、普通の女子高生だったが当時にしては珍しく所謂ネットアイドルの様な事をしていた。そこそこ可愛い子だったと記憶している。ネットアイドルと言ってもそんなに本格的なものではなく小規模なアカウントに数人の囲いが居て、定期的に自撮りを載せては「可愛い」とコメントして貰う程度のものだった。

 ある時、学校の誰かが彼女のアカウントを見つけた。あの頃のインターネットという世界は今ほど日常生活と密接に関わっておらず特に学生生活においてはまるで別世界のようなもので、何の変哲もない同級生が自撮りアカウントで人気を得ている、なんて珍しい情報は瞬く間に学校中へと拡がった。それが事件の始まり。

 彼女はネットリテラシーとして顔の一部を加工して隠した写真を投稿していたのだが、それが一部の輩にとって気に入らなかったらしい。写真に残るコメントに嫉妬したのか「大して可愛くもないのに」と妬みを言う者が現れ、止せばいいのに誰かが彼女の投稿に「一方、実物……」と彼女の中学の卒業アルバム写真を貼り付けたのだ。その直後にアカウントは消去され、彼女は学校を休んだ。

 暫く経ってから登校して来た彼女は誰も信用出来ないと言った疑心暗鬼の表情を浮かべていた。彼女の負のオーラは凄まじく、彼女を心配していた友人達も声を掛けるのを憚った程である。午前の授業を終えた昼休み。彼女は遂に大声で泣き出した。慌てて数人の友人が駆け寄るも、その友人達が中学校からの付き合いだった事が良くなかった。「あなたでしょう!信じてたのに!」そう言って誰からの声掛けも受け付けずに暴れながら泣き続け、慌ててやって来た先生に連れられて保健室へ行くと、そのまま早退した。その日から彼女は登校拒否になり、いつの間にか学校を辞めた。

 彼女は誰にも迷惑を掛けていた訳ではない。当然、何も悪い事はしていない。彼女はただ、何処かで誰かに自分の存在を知っていて欲しかっただけなのだ。ただほんの少し、いつもと違う特別扱いで――


「ハート岩さん、落ち着いて?綺麗な景色だと思うわよ。それにほら、アナタにはこんなに大勢の観客が居るじゃない!別に、今更私達二人に執着しなくても……」

「姫は優しいなぁ、こんな奴の相手なんかわざわざしなくたっていいのに」

「足りないわ!ううぅ!ううううぅ!」

――ザワザワザワザワ

「ステキネェ!」

「カワイソウ!」

「ホントニキレイ!」

「サミシイノ?」

「スゴイナァ!」

「ダイジョウブ?」

「シャシントラナクチャネ!」

「うわぁああぁぁぁん!!!!」


 何か、何かおかしい。違和感の正体を探る為、落ち着いて辺りを見回す。そして、私は気付くべきではない恐ろしい事実に気付いてしまった。


――ザワザワザワザワ

「ねぇマクガフィン、この人達……いや、コレは……」

――ザワザワザワザワ

「あぁ?なんだ?」

「よく見て!この観客達、人じゃないわ、植物よ!」

――ザワザワザワザワ


 私達の目に群衆として見えていたもの。それは人ではなく、人の形をした植物だった。

 人の背丈ほどの高さをしたその植物は天辺に大きな薔薇に似た蕾を掲げており、それらは一様に人の頭部を模した形をしている。その蕾の下には平べったい茎が続き、ちょうど肩の辺りから両サイドへと葉っぱが伸びている。明らかに人体へ擬態しているその奇妙な植物はわらわらと群生していて、互いの葉が擦れ合う度にザワザワと大勢の人が語り合っている時に似た音を立てていた。

 よく観察すると、蕾の部分は渦巻き状の花弁をまるで呼吸の様に定期的に開閉しており、その動きによって螺旋の隙間から空気が漏れる度に「スゴーイ」「キレイ」と、褒め言葉に聞こえる様々な台詞を発しているのだった。


「お、おい何だよコレ……気色悪りぃ!」

「気色悪いとは失礼ね!イイからあなた達も早くアタシの観客になりなさいよ!そしてアタシの可愛さ、完璧さを発信して頂戴!」


 一通り泣き尽くして冷静になったのか、ハート岩はまたも詰め寄って来る。

「ごめんなさい!もう私達行かなくちゃ!」

「そうは行かないわ!あなたはこの景色を褒めてくれたけど、まだそこのぬいぐるみからは感想を聞いてない!」

「そうだな、ツマンネェ」

「ちょっとマクガフィン!空気読んでよ!」

「きいいぃぃぃぃ!!!!!失礼なぬいぐるみね!アナタにはこの美しい自然の調和と奇跡が分からないの!?」

「うるせぇな!自然でも何でもねぇだろうが!集まってる人すら植えて増やしただけの植物のクセに!」

「お願いだからくだらない言い争いはしないでよ!二人とも落ち着いて!」

「くだらないですって?私の存在意義に関わる重要な問題よ!もう我慢ならないわ!フォロワー達!やっておしまいなさい!」


 彼女の声と共に、さっきまでザワザワと揺れるだけだった植物達の動きがピタリと止まる。空気が変わった。


「……なんだかヤバそうだな」

「だから言ったのに……ねぇマクガフィン、今からでも謝らない?」

「もう遅いわよ!!!」


 ハート岩の方を見ると、さっきまで鮮やかなピンク色だった背景の空はおどろおどろしい赤黒い色へと変貌しており、穏やかだった海には打って変わって戦場の様な荒々しい波が犇き合っている。映えスポットから一転、地獄の様な禍々しい景色が広がっていた。


「そんな、まさか背景まで彼女の一部だったの!?」

「小さな個体だから油断していたが、影響力が段違いらしいな……姫、危ない!」


 マクガフィンの声で咄嗟に横へジャンプすると、さっきまで私の居た地面が勢い良く弾けて抉れた。破裂した地中からずるり、と地面を撫でて蠢く“それ”は、するりと引き戻されて行く。見ると、先程までただハート岩の景色を眺める様に壁として群生していたはずの植物達は、私達を取り囲むように移動していた。植物の根元からは沢山の根か蔓か分からない無数の何かが触手の様にうねっていて、それらを私達に向けて鞭の様に振るい攻撃して来る。


ヒュッ――パァン!ヒュッ――パァン!


 息をつく暇も無く鞭が襲い、その度に地面が破裂する。ただ逃げ回る事しか出来ない。


「ちょっ、これ、どうするのよ!」

「当たったらお終いだ、一か八か……」


 マクガフィンは両手から爪を伸ばして構えると、振るわれた内の一本目掛けて爪を振り下ろした。


ヒュッ――ザクッ!ブシュウゥウウゥ!


「きゃっ!」

「うわっ、なんだコレ!」


 爪は容易に植物の鞭を引き裂いたが、引き裂枯れた先からドロドロとした石油のような液体が勢い良く噴き出した。辺りがその液体で水浸しになる。


「キャハハハハ!その蔓にはタップリと粘液が詰まってるのよ!幾ら切ろうが彼らの蔓はまだまだあるわよ!精々、その粘液で足元を掬われて強力な鞭の餌食にならないよう気をつけるのね!」


 植物の奥から愉快そうなハート岩の声が聴こえて来る。いきなり植物に取り囲まれて鞭を避ける為に飛び続け、方向感覚すら失っていた私にとって、その声は一筋の希望となった。


「マクガフィン!こっちの方向に進んで!」

「あぁ?お、おう!分かった!」


 私がハート岩の声のした方向を指差すと、彼にも意図が通じた様だ。鞭を避け、粘液で滑らないよう注意しながら、ジリジリと目指すべき方向にいる植物に近寄って行く。

 この植物達の鞭の一撃は確かに強力だが、その代わりにピンポイントにしか放てないらしい。私達が彼らの攻撃をずっと避け続けていられるのは、彼らが攻撃の目標を定めてから攻撃を放つまでにラグがあり、なおかつそのポイントに向けて一直線に振り下ろすしか出来ないということを意味していた。仮に蔓の軌道を自由に操れるのなら、私達は既に木端微塵になっているはずだからだ。

 一見猛攻に思えた植物達の攻撃は、一つ一つ目標地点を定めてから振り下ろされている。ならばその目標となる地点にハート岩があったらどうなるだろうか。ハート岩は動けない。つまり植物達も攻撃を中断せざるを得ないだろう。


「よっしゃ、姫!今だ!」

「通して下さい!」


 植物達に向けて体当たりする気持ちで体をぶつけに行くと、予想通り植物達はサーッと左右に分かれて道を作ってくれた。出来上がったトンネルの先にはハート岩。マクガフィンに後ろから押して貰い、そのトンネルを一気に突き進む。


「アナタ達!どうして出て来たのよ!許せないわ!大人しく鞭の餌食に……」


 驚いて喚き出したハート岩は、私達が彼女を盾代わりにしようとしているのを察すると口を噤んだ。


「どうやら勝負あったなもうオマエに攻撃の手段は無い。オイラ達の勝ちだ」


 マクガフィンがそう告げると、ハート岩は何でもないと言った風に返す。


「何が?精々フォロワーの攻撃から逃れただけでしょう?あなたの爪じゃあアタシの体に傷一本入れられないわよ?」

「なんだと!試してやろうか?」

「別に構わないけど。爪が折れても知らないわよ♡」

「言ったな!砕けても後悔すんなよ!」

「もう良いじゃない!落ち着きなさいったら!はい、爪は仕舞って。早く次の所に行きましょうよ」


 マクガフィンはハート岩へと向けていた爪の切っ先を収めて唸っているが、彼女は知らん顔だ。何故こんなにも喧嘩腰なのだろう……そう考えながらハート岩に別れを告げようとした私だったが、彼女の台詞が先だった。


「油断は禁物よ♡まだ攻撃は終わってない」

「は?」

――シュルルル!


 しまった!と思ったが、既に遅すぎた。植物達の蔓は地面を這い、私の両脚にしっかりと巻き付くと、絡み取るように引き摺る。バランスを失って地面に叩き付けられた。芝生のお陰で痛みは少ないが、必死に抵抗しようにも掴む地面も同じく柔らかい芝生ばかりで、蔓による力に一切踏ん張る事が出来ない。


「マクガフィン!助けて!」


 呼び掛けて彼の方を見ると、彼は脚どころか全身を蔓にぐるぐる巻きにされてしまっていた。先程爪を仕舞わせてしまった為か一切抵抗出来ずに引き摺られて行く。


「アハハハハ!アタシを見くびるからこうなるのよ!あなた達も仲良く植物の栄養になって、新しいフォロワーとしてアタシの鑑賞をして一生を過ごしなさい!」

「まさか、この植物達は!」

「あら、当然でしょ?みんな元々アタシに見惚れた観客達よ!種は寄生させたものだけど……きっと喜んでるはずだわ。ところで良い事を教えてあげる。植物ってね、寿命がとぉ〜っても長いのよ♡」

「そんな……」


 失敗した。彼女がそんな恐ろしい存在だとは思っていなかった。注目を集めるのに必死で、ただ少し可哀想な、か弱な、小さな幸せを望んでいるだけの、そういうものだと考えていた。甘かった。マクガフィンの冷たい対応は間違っていなかった。下手に寄り添おうと、味方面しようとした結果がこれだ。他人に潜む狂気など、凡そ計り知れるものではない。

 よく考えれば最初に会った騎士も、いきなり剣で切り掛かってきた。あのときは本当にギリギリ、マクガフィンが助けてくれたから助かったのだ。話し合うだけで解決する事など高が知れている。この世界の住人達は皆、自分の気持ちを暴走させ、理想を実現する為だけに生きているのだ。こちらの事情や気持ちを推し量り、譲り合ってくれる者など居ないのだろう……


「ごめん、マクガフィン」


 聞こえるはずも無いのに、そう呟いた。彼は私の為に動いてくれていたのに、私の所為で道連れになる――情けない。

 薄れゆく意識。脚の先が滑る感覚がある。植物の根元まで引き摺られてきたらしい。ふと視線を動かすと、ハート岩はひと仕事終えた様子で佇んでいる。地獄の様だった背景は落ち着いた自然なものに戻っていた。太陽が物凄い速さで移動する。マジックアワーの時間帯に飽きたのか、太陽光の向きを変えたいらしい。眩しい日差しが私にも降り掛かる。私は最後の気力を振り絞って、ハート岩の方に必死に腕を伸ばす。彼女はもう見向きもしない。もうダメだ……


 その時、私の腕から落ちる影の不自然さに気が付いた。明らかに小さいのだ。太陽は真っ昼間の時間帯を演出し、真上から降り注いでいる。本来なら、伸ばした腕と同じサイズの影が地面になければおかしい。それなのに、その影はどう見ても十歳に満たない少女の手のサイズだった。もう全てが終わる、そんな極限の状態で、なんてつまらない事に気付くんだろう。失笑に似た笑いが出る。だが次の瞬間、その影は


「え……?」


 影は、スルリと私の前へすり抜けた。慌てて地面を確認すると私には影が無くなっていた。太陽が降り注いでいるので他のもの……芝生の細い草や絡み付く蔓、勿論ハート岩の方にも当然の様に影は落ちている。私だけ、影が無くなっていた。突然の出来事に思考が停止するも辛うじて観察だけを続ける。私の前に抜けていった影は立ち上がると、伸びをして、両手で服の埃を払うような仕草をして見せた。影は、ドレスを纏った少女のシルエットをしている。真っ黒に塗り潰されて何の詳細も分からない筈なのに、“可愛らしい”印象を受けた。

 その少女は辺りを見渡すとハート岩に気付いたようだ、大袈裟に驚いたジェスチャーをし、歩いて近寄るとハート岩に話し掛けた。その声はイメージ通りの、鈴の鳴る様な素敵な声だった。


「あらあら!なんて醜い土塊なのかしら!」

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